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真空地帯 (岩波文庫)
Shinku Chitai is an antiwar novel by Hiroshi Noma. Set in a Japanese army barracks during the Pacific War, it follows Private First Class Kitani after he returns from two years in military prison and confronts the false accusation and institutional violence that sent him there. Through the closed space of barracks life, the novel exposes the machinery of militarism that turns people into soldiers.
Work Information
Bound by regulations and fences, Kitani steps into the vacuum of the army that has taken his life from him.
Beginning with Kitani's return, the novel gradually exposes the court-martial system, barracks discipline, and hierarchy that stand behind his false conviction. The barracks are cut off from ordinary society, yet power, violence, self-protection, and informing are intensified there. Noma presents this space as a vacuum zone and shows in concrete terms how the military strips people of judgment and feeling.
Review Summaries
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The work is positioned as an antiwar novel that challenges the nature of the old Japanese army and war through barracks life.
Book Information
- Publisher
- 岩波書店
- Published
- 2017-12-16
- Pages
- 624 pages
- Language
- 日本語
- Size
- 10.5 x 2.4 x 14.8 cm
- ISBN-13
- 9784003600313
- ISBN-10
- 4003600312
- Price
- 1276 JPY
- Category
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
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Reviews
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陸軍内部の過酷さ
映画にもなっていて何回も見ています 陸軍の内務班のいじめは後の映画でもみますが これはまさに内務班そのものをあつかっていて本を読むことで また深く味わえます
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ツッコミどころも多いが、面白い。
「暗い絵」「顔の中の赤い月」「崩壊感覚」のような実存にまつわる観念的な文体が、この分厚い一冊にも詰まっているのだろうと身構えていた。しかし、文体は平易でとっつきやすいものであった。 小説として充分におもしろいが、なぜ曽田があそこまで木谷にこだわるのか、なぜ木谷が花江にあそこまでこだわるのか、もっと残酷でドラマチックな最後を用意すべきではなかったか、……ツッコミどころも多い。
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初年兵係の教えるとおりにしてもらわんと、どんな兵隊ができるか分からんわ。(池野上等兵)
小説が発表されてから七十年余、旧軍の内務班の実態を知る者は、今日一世代前となった。 解説の杉浦氏、「内務班のシステム」を紹介している紅野氏など、書評家たちの論評は一般的に出版当時の日本の社会情勢の推移、再軍備に至る戦後体制に警鐘をうながしながら、旧軍の組織的反省の上に立った「病巣」の摘発だった。 『兵営ハ苦楽ヲ共ニシ死生ヲ同ウスル軍人ハ家族ニシテ 兵営生活ノ要ハ起居ノ間軍人精神ヲ慣熟セシメ 鞏固ナル団結ヲ完成スルニアリ』 (軍隊内務書綱領) 小説中、昭和19年の冬、押し迫った野戦行きの選抜を逃れた古参兵は、歓声をあげて大人子どものようにはしゃいでいる。補充兵が野戦行きの中心だと知ると、班内の補充兵たちは、窓側にしおれて蝟集する。そんな姿を尻目に初年兵は、日々殴られ蹴られるかたちばかりの軍隊教育の空洞な実態を思い知らされて、がく然としたにちがいない。 初年兵の何人かは幹部候補生になって短期で将校を目ざし、近い将来この小面憎い古参兵たちをしごいてやろうと復讐心を燃やす。だが、大半の初年兵は年次を得て自分らが古参兵になると、やはり目下の初年兵をいたぶって解消する悪しき習性の繰り返しである。 『内務班で教育を受けることによって、狡猾で欲望と暴力むきだしの存在、他者への共感も想像力も、自意識も誇りも捨て去った兵隊ができあがる』と前出の紅野氏は言っている。 小説中、中隊の不正経理と「倉庫物資」横流しの実態があった。2名の主計中尉の勢力争いに巻き込まれた上等兵は、軍法会議を経て、二年三月の刑を言い渡され陸軍刑務所に収監される。 上等兵は落ちていた金入れを「誰とは知らず」拾った。当該中尉は「自分のものと承知の上」で軍服の上着から抜き取ったと言い張る。軍法会議においては、被疑者被害者の言い分に対等な判断はない。中尉の言い分と、しがない上等兵の言い分は、階級的立場が重視される。 検察官は収受した上等兵の手帳に書かれた中尉に対する感傷的で児戯的な誹謗を盾に、『皇軍の神聖な秩序を破壊する反軍思想』と断定され、上等兵には分不相応ともいえるレッテルを貼って、野郎自大な判決を下したのである。 兵隊が陰ながら口承した『満期操典』のおわりに、 『♫ 中隊長はお父さん、班長さんはお母さん、古年次兵は兄さんで皆々仲よく元気で、よく無事でつとめを終える様、涙あふるるお話しも、一夜明ければ鬼となる… ♫』 『 』 原作より
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軍隊の陰湿性
帝国陸軍(内地)の何とも陰湿な体質を剔抉した作品。戦地での酷烈な体験を記した作品は他にも読んだが、いわゆる内務班の陰険なあり方を作品化したのは初めてだったので、印象は強い。 正直、野間宏をいま読もうとする人はそうたくさんはいないだろうが、一読する価値は十分あると思う。
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軍隊?
第二次大戦末期が舞台。木谷一等兵が、刑を終え大阪歩兵聯隊歩兵砲中隊に復帰した場面から幕があがる。入った班にいた曽田一等兵と比較的親しくなり、曽田が純主役。題名は、軍隊についての曽田のイメージ。軍隊の荒廃ぶり、利権争い。それが主題となり、軍隊という枠における人の歪みぶりということか。そしてまた軍隊、という枠に限らずでもあろうし。日本人のメンタリティーということでもあろうし、どこの国の人であろうと通じるものがありそうではあるし。率直にいって、思ったより読みやすく、会話が多いためであり、そう難解な語彙がないためか。ただし会話の大半が関西の言葉なためそこで引っかかる人もいるかもしれない。構成に工夫が見られ、ミステリーのような謎解きという側面もあり。良いか悪いか訊かれたとしたら、迷わず良いとするが、好きか嫌いかと訊かれたら、迷いを覚えつつ嫌いと答える。なんというのか、木谷にしろ曽田にしろ、汚いと私には思えてならず。人間だれしも汚いわけだが、性根の汚さというのか。私の好まぬ汚さ、ということになるのか。それは著者の意識、という気もされる。
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昭和27年に刊行された反戦小説
昭和27年に出版された当時は、敗戦後まだ7年、反戦運動が盛んなころであった。 まだ少年だった私は、本作品は読んでいなかったが、木村功主演の映画「真空地帯」は映画館で見たことがある。そこに描かれた軍隊の内務班の凄まじい苛めの場面、最後に主人公が我が身の安全をも顧みず、上官に反抗して大暴れするシーン、そして最後に南方戦線に送られる船の中のシーンなど記憶にやきついている。 最近、集団疎開時代の子供同士の苛めを思い出し、原作を読んでみたくなった。 筋立ては、上記映画と変わりはない。 三年兵の木谷(きや)は上官の落した財布を拾い、中味を抜いて財布だけを隠しておく。これを軍法会議で、財布は上官の上着から抜き取ったものであると判定され、懲役1年半の刑期に服して内務班に戻ってくる。これを本小説のもう一人の主役、曽田が観察して記録にしたような体裁をとっている。 本書は、木谷や曽田の心理状態、上官に復讐しようかどうしようかと悩んだり、曽田が木谷を扱うにあたっての心理状態を詳細に書き記して、なかなか筋が先に進まないじれったさもある。反戦小説であると同時に心理小説といってもよいだろう。 軍隊もなくなった今、軍隊内の一等兵、上等兵、伍長、兵長などの階級が頻繁に出てくるので、スマホ片手に階級を確かめながら読んだ。 今の若者に受け入れられるかどうか? 歴史的には意義のある小説と思う。
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日本の組織一般の問題
日本軍内部の人間関係を取り扱う本書は現在の日本の組織一般にも無関係なものではない。
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昭和27年当時の読者の心をつかんだベストセラー小説なのだが
大西巨人の超大作であり傑作「神聖喜劇」の原動力となった小説作品として読んだ。大西巨人の原動力は、野間宏「真空地帯」への批判であったので、「神聖喜劇」の心酔者である私は、当然のことながら、大西氏と同じ立場に立って、当初から批判的に読み進んだことを最初に宣言しておく。 つまり、大西巨人が野間作品を「俗情との結託」として批判したその視点から読んだ。ということであり、はなだ客観性を書く感想となることを告げておきたい。 「真空地帯」は、当時のベストセラーとなった小説で、野間宏を世に出した作品であることは間違いない。実際に読んでゆくと、主人公ともくされる二人の人物、木谷と曾田(一般的には曾田が主人公とされるが、冒頭部分と終結部は木谷の視点と行動で描かれており、曾田だけを主人公とは決められない)の行動がどうなってゆくのか。好奇心が途切れることがなく、読み進むことができる点で、当時の世評の支持も理解できる。 出版した昭和27年は、戦争が終結して7年、いまだ日本は連合軍の占領下にあった。多くの日本人にとって戦争体験を共通して認識している時代であり、読者の多数は軍隊経験者だったと思われる。 いわば共通の体験と意識を当然のものとして、その世界を前提として描かれているので、その前提がなくなった現代の人々が、当時と同様に共感を得ることはできないであろう。 しかも、この作品に登場するすべての人物が、一人残らず尊敬も感情移入もできない。軍隊という組織の中におかれた人間の状況を描いたにせよ、ここに描かれている人物は、一人残らず、前線ではなく内地に所在した軍隊の弛緩した軍規の中で、物資の横流しや着服、それを批判する勢力との内部抗争に終始した、はなはだ卑しい人間たちを描き出していることであり、主役ともくされる木谷でさえ、被害者というよりも、卑しい窃盗犯でしかも思想的な背景もないという、とても卑小な人間なのである。 「神聖喜劇」が、すべての登場人物が立場の違いこそあれ、必死懸命に生き、それぞれ崇高な使命に生きているかのような実在感を得ているのとは、まったく対照的である。 「真空地帯」を読み進めても誰にも同情もできなかったし、インテリと認識させる曾田にしても、まったく共感も関心も寄せることがなかった。 こんなしょうもない展開に、よくぞ多数の読者がついたものだと思わざるを得ない。それこそが時代とともに消えてゆくベストセラー小説の所以のようなものだ。大西巨人の批判は的を得ていたと確信する。普遍性にかけた徹頭徹尾に通俗小説だと思う。