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現代秀歌 (岩波新書)

Japan Tanka Poets Club Criticism Award

現代秀歌 (岩波新書)

Kazuhiro Nagata

現代秀歌 is a 短歌評論 by 永田和宏 associated with the award record. The entry checks public bibliographic sources, award documentation, and book-trade records to identify its publication status and reading context.

award recordbibliographic verificationJapanese literature

Work Information

現代秀歌 by 永田和宏 is a work whose publication status and outline can be traced through award records.

This record organizes 永田和宏's 現代秀歌 as a work-level entry based on award documentation. When a standalone print book or collection could be confirmed, ISBN and ASIN data are used; otherwise periodical identifiers are deliberately not reused.

Review Summaries

  • Reader response tends to focus on the subject, form, and how the author's perspective is received. The work may divide tastes, but the award record shows that it drew sustained attention.

Book Information

Publisher
岩波書店
Published
2014-10-22
Pages
288 pages
Language
日本語
Size
11.5 x 1.1 x 17.5 cm
ISBN-13
9784004315070
ISBN-10
4004315077
Price
1166 JPY
Category
本/文学・評論/詩歌/詩集

大好評を得た『近代秀歌』の続篇として、「今後100年読まれ続けて欲しい」、主として戦後の秀歌100首を編む。佐藤佐太郎や近藤芳美から、塚本邦雄、寺山修司、岡井隆、そして俵万智から穂村弘へ。大きな変化を経た時代に、歌人たちは何を感じ、何を試みてきたか? 著者ならではの視座から、歌の現在を、そして未来を語る一冊。

永田和宏 (ながたかずひろ) 1947年滋賀県に生まれる. 1971年京都大学理学部物理学科卒業.高安国世に師事し「京大短歌会」「塔」会員に.1992年より「塔」主宰.宮中歌会始詠進歌選者,朝日新聞歌壇選者.2009年紫綬褒章受章. 現在─歌人,細胞生物学者.京都産業大学総合生命科学部教授,京都大学名誉教授. 著書─主要歌集に『メビウスの地平』(茱萸叢書)『饗庭』(砂子屋書房,若山牧水賞・読売文学賞)『風位』(短歌研究社,芸術選奨文部科学大臣賞・迢空賞)『後の日々』(角川書店,斎藤茂吉短歌文学賞)『夏・二〇一〇』(青磁社)他.エッセイ集に『もうすぐ夏至だ』(白水社)『歌に私は泣くだらう』(新潮社,講談社エッセイ賞),『たとへば君』(河野裕子との共著,文藝春秋)等.岩波新書に『タンパク質の一生』『近代秀歌』がある.その他著書多数.

Reviews

  • 短歌がさまざまな可能性を持っていることを教えてくれる そして思いのほか親しみやすいものであることも

    〇 昭和20年代の前衛短歌運動以降の歌から、著者がすぐれていると認める100人の歌人の代表作を一首ずつ紹介している。私はその一首たりとも読んだことがなかった。これが有名作品の並ぶ姉妹編『近代秀歌』と違うところだ。 〇 それでも『近代秀歌』よりももっと読み応えがあり、引き寄せられた。短歌の幅広い可能性に目を開かされ、ひょっとすると自分にとって親しいものなのではないか、という感じを強く持った。著者の意図はそうではなかったはずだが、作歌の勧めとしてこれ以上の本はないように思う。 〇 わたしが気に入った歌をいくつかあげれば、こんな歌。 ・・ たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか (河野裕子) ・・ 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ (俵万智) ・・ かきくらし雪ふりしきり降りしづみ我は真実を生きたかりけり (高安国世) ・・ そんなにいい子でなくていいからそのままでいいからおまえのままがいいから (小島ゆかり) ・・ 夫よりよび捨てらるるは嫌ひなりまして<おい>とか<おまへ>とかなぞ (松平盟子) ・・ 立つ瀬なき寄る辺なき日のお父さんは二丁目角の書肆にこそをれ (島田修三) ・・ こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり (山崎放代) ・・ 降職を決めたる経緯ありのままに声励まして刻みつつ言ふ (篠弘) ・・ 微笑して死にたる君とききしときあはれ鋭き嫉妬がわきぬ (相良宏) ・・ 時間をチコに返してやらうといふやうに父は死にたり時間返りぬ (米川千嘉子) 〇 情熱を詠いあげること、信念を込めること、ちいさな気づきを報告すること、経験を記録すること、情景を写しとること・・・短歌のできることを並べてみればこうなるが、過ぎ去る一瞬を画像に固定する写真に似たところがあると思った。

  • 日常を切り取る現代短歌の「見取り図」

    短歌に興味を持ち始めたばかりの読者として、 歌人である永田和宏氏が「今後100年読まれ続けて欲しい」と選んだという、 主として戦後の秀歌100首を学べる点に惹かれて購入しました。 本書の核となる論点は、時代と共に短歌の表現がどのように変化し、 私たちの日々の暮らしや感情をいかに捉えてきたかを、具体的で鋭い鑑賞文によって示す点だと思います。 特筆すべきは、章立ての読み進めやすさです。 「恋・愛」や「日常」といったテーマごとに歌が分類されており、 短歌の知識がない私でも感情移入しやすかったのが良かったです。 著者の批評は、単に歌の情景を説明するのではなく、 なぜその助詞や言葉の選択が歌の力を高めているのか、 その詩的機構にまで踏み込んでおり、短歌の「読み方」の基礎を教えてくれます。 以前読んだ古典和歌の秀歌集と比べると、本書は現代の口語や自由な表現を許容する歌が多く、 より現代社会の抱える空気を直に感じられる違いがあります。 また、この選歌集の優れた点は、塚本邦雄や寺山修司といった前衛的な歌人の作品も取り上げられており、 戦後の短歌がいかに多様な表現を試みてきたか、その変遷が俯瞰できる構成にあると思います。 特に、社会の変化や災害など「時代を映す鏡」としての短歌の力が、 著者の選んだ一首一首から強く伝わってきました。 単なる芸術論に留まらず、短歌が持つ記録性や歴史性にも光を当てている点が、本書の深い洞察だと思います。 現代の短歌が何を語ろうとしているのか、その輪郭を掴む上で、私にはこの一冊が非常に役立ちました。

  • 思わず唸らされるアンソロジー。

    「近代秀歌」では、句の多い歌人と少ない歌人があった。 しかしこの「現代秀歌」は、まさに「100人」。 それぞれ代表歌とその解説。その他の歌が2、3句……と まるで「現代の百人一首」のようだ。 無名とも思える歌人の歌も多い。 ぬばたまの黒羽蜻蛉は水の上母に見えねば告ぐることなし 齋藤 史 おもむろに階くだりゆくわが影の幾重にも折れ地上に届く 来嶋 靖生 さみしさでいっぱいだよとつよくつよく抱きしめあえば空気がぬける 渡辺松男 俵万智など、よく知られた歌人の評も、深い。 歌の力は誰かに読まれることによって、さらにいきいきした力を発揮する。 ……本書でとりあげた歌人たち、そしてその短歌作品を、 私は100年後まで残したいと願っている。200年残れば、もっとうれしい。 私たちが古典和歌と呼ばれる歌を、千年を経た現代において読み、味わえる 喜びを、私たち自身が次の世代に受け渡していく必要があろう。 帯裏にも書かれているこの言葉、しびれる。 なお本書と「近代秀歌」はほぼ同じ構成をとっているが、 こちらには「新しい表現を求めて」という章がある。 近代から現代へ……作者の思いがここにもある。

  • 折に触れて手にとって繙きたい。

    おおむね「昭和二〇年代後半におこった前衛短歌運動を境目(p.iii)」として、ほぼそれ以降の歌人百人の百首を中心に編まれたアンソロジー。素晴らしい。 まずは選ばれた短歌が粒ぞろいである。 第二に、著者の解説が明晰で品格がある。 格好いい文章も。例えば「福島も道浦も、そしてまた岸上も清原も、当然のこととして社会の矛盾に対する闘争をしていたことは間違いない。しかし、その闘争の記録は、またまぎれもなく彼ら自身の青春の記録でもあったのである(p.144)」とか。 第三に、「歌を表現の手段として持つということとは……心のもっとも深いところに発する感情を、定型と文語という基本の枠組みに乗せて、表現させてくれる(p.i)」という「はじめに」の文が、「おわりに」での、夫人河野裕子と著者との短歌を通じた心の触れ合いによって「実証」される。見事な構成である。 笑ったのは、「『タンパク質の一生』『近代秀歌』に続いて……(p.257)」という編集者への謝辞。著者の本業(?)は生物学者だったんだよな。 kindle版で読んだのちに、こういう本はすぐに手にとってパラパラ繙けないとと考え、買い直した。

  • 本格派による「短歌こと始め」

    ※既存のレビューから、隅つきカッコで文言を拝借した。 短歌? ああ、知ってる知ってる。“サラダ記念日” のことでしょう? ...というレベルの、ズブの素人である評者が、河野裕子『 現代うた景色 』の次に手を出した【現代短歌ガイド】。のちに知ったが、筆者は河野氏の旦那さまとのこと。なるほど、さっぱりした読後感が似ているわけだ。 深入りしすぎない【すっきりと明快】な解説は、しかし「文化としての短歌」の魅力をしっかりと伝えるものとなっている。実際、奇を衒った珍妙な短歌は、本書のどこにも引かれていない。どれも伝統を斟酌した【知っていなきゃならない歌】であることは、素人目にも見て取れる。この簡略/本格の絶妙な配列は、ひとえに筆者の理系的【明晰】によるのだろう。かくして、ここに【コンパクトにまとめられた極めて的確な短歌案内】が誕生した。「百人一首という体裁」(ⅳ頁)になっているのも気が利いている。 ただ正直、評者も【採り上げられた歌がつまらない】と思ってしまった。正確には、表題に掲げられた(太字の)歌よりも、文中にしれっと紹介される(細字の)歌のほうに、むしろ評者はおもしろみを感じた。 たとえ(へ)ば次。 • 春浅き大堰の水に漕ぎ出だし三人称にて未来を語る_栗木京子(11頁) • かの時に我がとらざりし分去れの片への道はいづこ行きけむ_上皇后美智子(14頁) • 重力は曲線となりゆうらりと君の乳房をつたわりゆけり_渡辺松男(73頁) • 月よみのひかりあまねき露地に来て給与明細を読むひと俺は_島田修三(90頁) • おいとまをいただきますと戸をしめてゆくやうにはゆかぬなり生は_齋藤史(95-96頁) • 二日酔いの無念極まるぼくのためもっと電車よ まじめに走れ_福島泰樹(142頁) • 父を見送り母を見送りこの世にはだあれもゐないながき夏至の日_永井陽子(167頁) • 今しばし死までの時間があるごとくこの世にあはれ花の咲く駅_小中英之(189頁) • あぶないものばかり持ちたがる子の手から次次にものをとり上げて ふつと寂し_五島美代子(231頁) • 生きてゆくとことんまでを生き抜いてそれから先は君に任せる_河野裕子(253頁) 思うに、短歌の伝統にまったく浸かっていないがゆえのmiserableなチョイスなのだろう。短歌の世界の、その年季の入った門戸を、本書はたしかに開いてくれている。はずなのであるが、評者は門の前で右往左往、おそるおそる中を垣間見たに過ぎない。【事象に対する新しい見方、感じ方を示してくれるのが現代短歌】であるとすれば、「知らぬが仏」を地で行く愚者は、そこに余計なお世話を嗅ぎ取ってしまうものなのかもしれない。「「知らない」ということに対しては慎み深くはありたい」(245頁)、そんな境地に、早く至りたいものだ。 いずれにせよ、作歌に関心のある者、とまではいかずとも、短歌を少しでも齧った経験のある者からすれば、本書は間違いなく【目配りが効いていてよくできたアンソロジー】である。

  • 歌の背景を丁寧に解説しており、現代短歌の稜線を俯瞰できる労作

    「近代秀歌」に次ぐ「現代秀歌」であり、労作であり名著といえる。100人の歌が取り上げられており、副題を含めると250首を越える。「近代秀歌」は韻律もあり格調が高いとも言えるが、どこか私小説的な湿っぽさを帯びた歌が多いのに比べ「現代秀歌」は私小説的湿っぽさからは脱却している。 また「現代秀歌」はさすがに時代背景が複雑なこともあり、詠む対象や詠み方が大変豊かで多様性を帯びている。一読しただけでは理解できないことも多い。そこで、永田氏の懇切丁寧な解説が役立つ。特に心に残った歌を取り上げて感想を述べる。 ⓪たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき 近藤芳美 「早春歌」S23 一読、美しい調べの歌であるが、S12年の作。日中戦争による徴兵を前に、率直な愛の表白を阻む時代の歌で あることを忘れてはならない。 ①たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか 河野裕子『森のやうに獣のやうに』S47 大胆な呼びかけである。後の河野氏の口語短歌の先駆けとも言える詠いぶりである。 ②たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり 河野裕子 『桜森』 いにしえから現代に続く時空の広がりを感じさせる優れた叙景歌である。「昏き器」が母胎を連想させる。 永田氏はそこまでの深読みには賛成ではないが、そのような読みも許されるとする。 ③かきくらし雪ふりしきり降りしづみ我は眞實を生きたかりけり 高安国世 『Vorfruhing』S26 高安家は代々医師の家系で高安も期待されていたが、大学入試というぎりぎりのところで文学に生涯を捧げる決意 をした。その時の昂揚感が伝わってくる。 ④荒れあれて雪積む夜もをさな児をかき抱きわがけものの眠り 石川不二子 『牧歌』S51 石川は大學卒業後、S36年ユートピア建設を夢見て島根県に入植した。しかし現実は厳しく過酷な労働の中で歌作 を続けた。現実の生活を直視し、のびやかに自然体で詠い続ける作者は健康そのものであり情念の暗さからは遠 い。 ⑤革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ 塚本邦雄 「水葬物語」S26 戦後まもなく、「革命」などというありもしない幻想に酔いしれている作詞家、知識人への痛烈な皮肉。 ⑥そこに出てゐるごはんをたべよといふこゑすゆふべの闇のふかき奥より 小池光 『草の庭』 不思議な怖ろしさを感じさせる。この声はどこからの誰の声であろうか。 ⑦死の側より照明せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも 齊藤史 『ひたくれなゐ』 失明の母と脳出血の夫の介護に明け暮れる日々であった。それでも死の側より照らせば「ひたくれなゐ」に輝 く生ではないのかと自分に問いかける。また、父も荷担した2.26事件は斎藤史の生涯に影を落とし続けた。 ⑧みどりごはふと生れ出でてあるときは置きどころなきゆゑ抱きゐたり 今野寿美 『世紀末の桃』 母親は初めから母性に溢れた母親なのではない。子供との時間を共有している間に内部に眠っていた母性が現われ る。又「わたくしの時間にふとも風たちてかつこんかつこん子が帰りくる」の空気感・距離感が大変好ましい。 特に私が好きな歌は「光芒の水に折れゆく見ておれば調弦の音ほのかにきざす(花絆)」である。眼前の風景から一気に詩歌の世界に飛躍している。私はこの辺が今野寿美の本領であると思う。 ⑨大根を探しにゆけば大根は夜の電柱に立てかけてあり 花山多佳子 『木香薔薇』H18 短歌は奥深いことことばかりでなく、日常生活の中の思わず噴き出してしまう様なことでも良いのである。 ⑩ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば聲も立てなくくずをれて伏す 宮柊二 『山西省』s24 日中戦争の最前線における非情で残酷な場面である。柊二は幹部候補生になれとの慫慂にも同意せず、一兵卒 としてどこまで生を全うできるかを見届けたいという強い意志があった。 ⑪ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に逢いゆく 道浦母都子 『無援の抒情』s55 学園民主化闘争が背景にある。『無援の抒情』は歌壇を越えて大きな共感を得た。道浦はゲバルトの 塵となることなく、近藤芳美を師として歌人として歩むこととなる。「神田川流れ流れて今はもうカルチラタンを恋うこともなし」 『無援の抒情』は学園闘争からしばらく時をおいてから編まれた歌集である。 ⑫大正のマッチのラベルかなしいぞ球に乗る象日の丸をもつ 岡部佳一郎 『一点鐘』 要点は「かなしい」の意味である。「哀しい」「愛し」のどの意味であろうか?大正4年生まれの岡部であ るから、大正時代を懐かしむとともに、日の丸を鼻でくわえた子象に愛おしさと哀しみを感じたが故にひら かな表記にしたのではないかと思っている。 本題は「月と日と二つ浮かべる山国の道に手触れしコスモスの花」である。作者の矜恃と共に孤独を感ずる。 ⑬ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり 永井陽子『モーツァルトの電話帳 二つ目の「とほけれど」は遠いけれども私はどうしてもという響を帯びている。永井は48歳の時に自死して しまった「死ぬ前に留守番電話にするべしとなにゆゑ思う雨の降る夜は」どうしようもない孤独の影の強い 人であった。 ⑭曼珠沙華のするどき象(かたち)夢にみしうちくだかれて秋ゆきぬべき 坪野哲久「桜」S15 安易な妥協で群れることをしない個の自由を徹底的に束縛する権力が圧倒的であった太平洋戦争直前の時代、弧の 思いは壮絶なものにならざるを得なかった。 ⑯もゆる限りはひとに與へし乳房なれ癌の組成を何時よりと知らず 中城ふみ子『乳房喪失』s29 ⑰頼りなく母を呼ぶ聲傳くる長距離電話は夜の風のなか 中城ふみ子 『乳房喪失』s29 ⑯は大胆な歌である。『乳房喪失』はS29年の「短歌研究」の特薦である。この時の推薦が石川不二子の「牧歌である。この歌集は大きな反響を呼んだが、その中城は歌集発行の4ヶ月後32歳の若さで亡くなった。永田氏は⑰のような深く心に秘めた悲しみを詠った歌に共感を覚えるとしている。喜怒哀楽の情を好む永田氏らしい見方だ。 ◎俵万智、寺山修司などつとに著名な歌人は割愛した。

  • 現代短歌から秀歌百首を選ぶことのむずかしさ

    本書を楽しく読むことができました。 本書では、百人の現代歌人からひとり一首ということで選ばれた計百首の現代短歌に解説がくわえられています。 知らない歌人も多く、いやむしろ知らない歌人のほうが多く、これほど多彩にして多様な歌が同時代に詠まれてきたのだという驚きがまず本書を読みながら感じていました。まあ、この同時代の歌から百首選ぼうとした著者もそれはそれでたいへんだったかと思われます。 評者自身は、これら百人の現代歌人のなかでは塚本邦雄や浜田到、斎藤史や葛原妙子、高野公彦そして俵万智などの歌を長く愛読してきた者で、したがって塚本や葛原が並ぶ第4章「新しい表現を求めて」(前著になかった章立て)をとりわけ興味深く読みました。前衛短歌と呼ばれたかれらの歌について著者の見かたというか読み方を本書で知ることができたのがよかったです。 著者は、「近代短歌と現代短歌をどこで分けるのかについては、短歌史上でもなお諸説があるが、前衛短歌の出現を以てその区切りとする見かたが、ほぼ定着しつつあり、私自身もその考えをもっている」と書いていて、評者自身もそれがわかりやすいと思っています。 前著『近代秀歌』もそうでしたが、著者の文章はすっきりと明快で、心地よく読んでいけたことを最後に書きそえておきます。

  • 宮本邦男

    詳細に書かれています。時折読み直しています。枕元に置いて目が覚めた深夜に読むようにしています。

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