生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後 (岩波新書)
A nonfiction work in which Eiji Oguma follows his father's life through military service, Siberian internment, postwar displacement, and life during high economic growth. Through one personal history, it shows how wartime experience persisted in postwar Japanese life.
Work Information
It reads the continuity between war and postwar life through the later life of one returning Japanese soldier.
ISBN-13, ISBN-10, and page count were confirmed through publisher-distribution sources for the Iwanami Shinsho edition. Because this is a Japanese print book, the ASIN is cross-filled from the ISBN-10.
Book Information
- Publisher
- 岩波書店
- Published
- 2015-06-20
- Pages
- 352 pages
- Language
- 日本語
- Size
- 11.5 x 1.6 x 17.5 cm
- ISBN-13
- 9784004315490
- ISBN-10
- 4004315492
- Price
- 1188 JPY
- Category
- 本/ノンフィクション/自伝・伝記
戦争とは、平和とは、戦後日本とは、いったい何だったのか。戦争体験は人々をどのように変えたのか。徴兵、過酷な収容所生活、経済成長と生活苦、平和運動への目覚め……とある一人のシベリア抑留者がたどった人生の軌跡が、それを浮き彫りにする。著者が自らの父・謙二の語りから描き出した、日本の20世紀。
小熊英二 (おぐまえいじ) 1962年,東京生まれ.1987年,東京大学農学部卒業.出版社勤務を経て,1998年,東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了.現在,慶應義塾大学総合政策学部教授.『社会を変えるには』(講談社現代新書,2012年,新書大賞),『1968』上下(新曜社,2009年,角川財団学芸賞),『〈民主〉と〈愛国〉──戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社,2002年,毎日出版文化賞,大佛次郎論壇賞),『単一民族神話の起源──〈日本人〉の自画像の系譜』(新曜社,1995年,サントリー学芸賞)など著書多数.
Reviews
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普通の人間が運命に翻弄されながら生きた軌跡
今、少しずつ読み進めている一冊です。 歴史に名を残したわけではない、ある一人の男性が歩んだ波乱の半生。 シベリア抑留、戦後の混乱、そして高度経済成長。 大きな『歴史』という濁流の中で、運命に翻弄されながらも、ただひたむきに生き抜き、日本へ帰ってきた。その足跡を辿っていると、胸の奥が熱くなります。 私たちが本当に学ぶべきは、英雄の伝説ではなく、こうした名もなき個人の『生き様』の中にこそあるのではないでしょうか。 過酷な状況下で、人は何を支えに立ち上がるのか。 何が、人を『生』へと繋ぎ止めるのか。 看護師生活で多くの命の火を見つめてきた私にとっても、この一冊は単なるノンフィクションを超えた、深い思索の旅になっています。
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「希望」
こんなに一見地味なテーマが、こんなに沢山の人を魅了し再販を重ねていることに「希望」を見る。 この2026年に。 ともすれば淡々とした事実の羅列になちがちな内容にもかかわらず、ぐいぐい読み進めさせる技量に感服。何度かストップしながら読み進めていたが、いつ再開してもすっと物語に入って行くことができた。 私の88歳の父もふと、「希望というのはよい言葉だ」と言っていたことを思い出す。 人が人をお互いに敬い、暴力と抑圧から解き放たれますように。私も希望を持ち続けなければ。
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面白い
再読だったけど、グイグイと引き込まれ、読み終わってほのぼのと安堵した。庶民の生活史だが、日本という国の大きな出来事とあちこちでリンクしていて、昭和をリクツじゃなく肌で感じられたからだろう。 例えば、1920〜30年代の日本社会を次のように描く。①第一次大戦後の好景気と不況を経て市場経済が本格的に浸透し、金融や貿易の国際化が起きていた時期、②それは一面から見れば、都市部の中産市民層の台頭を促し、その後の消費文化の起源が築かれた時代、③別の面から見れば、農村からの急激な人口流出と都市の膨張が同時発生していた……。なんと小難しい文章。読むのが嫌になる。ところが続けて、庶民の具体的な生活の有り様が筆者の父・謙二の目から描かれるので引き戻される。 1933年、東京音頭が流行った。それを謙二はこう観察する。「隣の仕立屋さんのような生粋の江戸っ子は東京音頭や盆踊りなどは田舎くさいと軽蔑。ああいうものが流行ったということは、それだけ東京市内に地方出身者が増えたということだろう」。なるほど。農村から都市への人口流出、などという“暗号文”も、元気なメロディに包まれた物語になって心へ沁み込む。さらに次のようなエピソードを散りばめ、この物語を豊かなものにする。「庶民が下着の着替えを毎日するようになったのは洗濯機が普及した高度成長以後。……年金制度も健康保険もなかったから、病気や老後に備えて倹約して貯金。……子どもに教育をつけるという考えはない。一人で食っていけるようにするという意識しかなかった」。
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1人の人生から見た戦前から昭和のリアリティあふれる歴史
表題の通りで、傑作です。淡々と冷徹に、客観的に、一個人の視点で歴史と各当時の庶民感覚を追体験できる、稀有な内容でした。
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真面目タイムを過ごすならこれ1冊。
戦中戦後よりは、あまり語られず、注目もされてこなかった戦前の日本の雰囲気など、生きた人しか知りえない記録を語られていました。 戦争のことも知っておかなくちゃね、と思い読みました。 新書にしては分厚く、終盤は助長気味でした。
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一人の人物の個人史を通じて近現代日本の変容とその問題点を描出
歴史的、社会的な背景の上に、個人のライフヒストリーを語ることによって、日本の戦前、戦中、戦後を生き生きと想い起こさせる。時代の経済的状況等の中に対象を据えているので、個人の動きから(庶民が見る)社会の姿、変化というものを強く感じさせる。柳田邦男、宮本常一らの民俗学的視点も感じさせるが、より歴史社会的視点が鮮明である。足が地についた学者の著した一級の庶民史であり、現代日本とは何かを考えさせる好著。
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面白かった
日本社会のしくみを読んだ後に読んだことで、より面白さが増したように思う。
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少々「文献学的」に論じてみる
既に数多くの好意的なレビューがあるので、文献的に論じたい。まず小熊謙二氏の年譜を記す。年齢は満年齢とするも、月日の記載がないところでは1歳の誤差がある。 1925.10.30 北海道常呂郡佐呂間村に生まれる。父は行政書士 1930.2.7(4歳)母芳江結核で死亡 1932.7 (6歳)東京で菓子屋を営む母の父母・片山伊七・小千代に預けられ、杉並区立第三小学校へ編入。同年片山家は菓子屋から天麩羅屋に転業し、高円寺から中野区の借家に転居。謙二は電車通学する 1938.04 (12歳) 早稲田実業に入学 1942.12 (17歳) 早稲田実業を繰り上げ卒業。 1943.01 (17歳) 富士通信機製造(株)に職員として入社 1944.11.25 (19歳) 徴兵 12.28頃、牡丹江郊外の関東軍第一方面軍の逓信第十七連隊に配属 1945.08.10 (19歳) 前線から牡丹江へ列車で避難。奉天で終戦。 1945.09.20頃 ソ連の捕虜となる 10.28シベリア連邦管区チタ州の州都チタに到着。第二十四地区収容所第二分所に配属 1948.07下旬 (22歳) 帰国命令を受ける。08.20ナホトカ経由、帰国船「大都丸」で真鶴港に到着。父の実家の新潟に着く。富士通信機製造に復職叶わず休職を持続 12月末新潟に戻る 1949.01(23歳) 新聞広告で見つけた新潟市の「今枝ハム」に入社 3月富士通信機製造を退社。5月、市内の証券会社に転職 8月豚肉仲買「闇屋」に転職 1950.01 餅菓子屋に勤める、職安から製版会社に就職 1951.01(25歳) 肺結核と判り、製版会社を休職。3ヶ月間の自宅療養を経て、6月国立内野療養所に入院。52年5月胸部成形外科手術を受ける。 1956.5(29歳)退院。入院前に勤めていた製版会社に再就職、仕事仲間の原健一郎と同居。出版社や工具店を転々とする 1957.12中旬 学芸大学で事務職員をしている妹の秀子を頼って上京、四日市街道の秀子の3畳間のアパートに同居 1958.01 「株式会社立川ストア」スポーツ部門に就職、外商販売員に。秀子とともに転居を繰り返す 1959.09 昭島市第二種都営住宅(第六都営住宅)に当選し転居。新潟にいる父・雄次を呼び寄せて同居 1961.11 (37歳)秀子の友人・藤岡寛子(32歳)と結婚 1962.05 広島に預けられていた寛子の連れ子・剛一と同居。06秀子結婚。07雄次新潟へ戻る。09英二誕生 1963頃 「チタ会」を設立、65年会誌発行 1966.01 (40歳) 同僚の大木と二人で独立し「立川スポーツ店株式会社」設立 1969.01 武蔵村山市に自宅新築 1972.02 剛一自宅屋上から転落死。自宅を売却。立川市のマンションに転居。 1975 (50歳)八王子のスポーツ用品店を買い取り、支店を出す。 1978 (53歳)八王子市に新築。 1982~ (57歳) ささやかな社会活動を始める。アムネスティーインターナショナル、「多摩川丘陵の自然を守る会」、NPO「加多厨」、「不戦戦士の会」等 1991.07 抑留地のチタを訪問。小さな慰霊碑を建立。 1996.9 シベリア抑留韓国中国籍軍人の保証訴訟に原告団に加わる 97年.01 第一回公判、同年05.13第二回公判 2001年東京高裁、2002年最高裁で請求却下 1998 (73歳)立川スポーツ(株)解散 2002 (77歳)脳梗塞で倒れる 2015年寛子死亡 2010.06 民主党政府により「シベリア特措法」が成立。 2015.06 (90歳)存命 著者は「あとがき」で、本書は①戦争体験を戦前戦後の生活史と結びつける ②個人史と社会学的な視点を結びつける、ことを意図し、これまでの「戦争体験記」とは異なる視点で書いたと述べる。新書という制限の中でその2点はバランス良く配分されていると感じる。 モデルは著者の父小熊謙二氏であるが、加えて氏や妻の父母の履歴も「前史」的に加えられる。日本各地から新天地北海道に陸続と移住した人々が見え、これを加えると維新以後の庶民の近現代史と言う射程を持つ。 それにしても著者は素晴らしい「主役」を得たものだ。記憶の確かさに加えて、困難な状況の中で常に中庸を保ち自分を相対化出来る、社会学者の父に相応しい人物だ。戦後の部分は読者の私の体験とも重なる。「大企業の雇用形態は日本の就業者数の二割に達したことさえないのに……この時代の日本社会の「典型的人間像」ないしは「安定的生活像」を創り出した」と著者は記すが、私も友人知人たちの全てもその数少ない大企業サラリーマンで、「典型的日本人像」以外の生活があることに無関心だったので、同時代の謙二氏の苦闘に目を開かされた。 シベリア抑留と帰国後の悪戦苦闘。結核療養所での生活等、確かにこういう体験をした人はいた。戦争、シベリア抑留、結核と「下の下」の状態から浮上するチャンスは「日本の社会というものは、いちど外れてしまうと、ずっと外れっぱなしになってしまう」という、当時の謙二氏の慨嘆は今もここにある。 生かしその後の謙二氏の「必死の働き」は「成功物語」と呼ぶに相応しいだろう。これより早くても遅くても駄目だったろうと、と述懐しているが、時流に乗るのも才覚の一つである。外商を主軸に置く経営は、淡々と語る以上の苦労があったと推測されるが、何よりも謙二氏の誠実さが世間の信を勝ち取ったのだろうと思う。金権主義的に頑張れば、更に大きな成功を収めたはずだが、引き際もきれいだった。 老後の謙二氏の社会活動にも驚いた。「軍隊・捕虜」は謙二にとっての被害者体験そのものだったのに、加害者としての責任の一端を背負おうとした。世に言う知識人の頭でっかちの観念とは一味違う、地についた良心を感じたのは私一人ではあるまい。効果を期待出来ずともやる姿勢には、例えばカミユの『ペスト』の主人公、「実存主義医師」ベルナール・リウーに通じるものがある。 社会史的には、かつての人々が保有していた厚い「血縁意識」にも心が奪われた。それがどうして消えてしまったのかにしばし思いを馳せたが、他人事として解析出来ても、自分を引き合いにだし、遠い親戚の困窮を扶けるべきかと問われれば「分からない」としか言えない。 文献学史的にまとめれば、本書はガヤトリ・C・スピヴァクが1998年に出版した『サバルタンは語ることが出来るか』に端を発し、90年代の従軍慰安婦をめぐるオーラルヒストリーの評価につながった「書かれない歴史」を引き継いでいる。この一つの庶民史が何時の日か歴史資料として参照されるかは、未だ誰にも分からないが、その価値は充分あると思う。