渇水 (角川文庫)
A collection of short fiction grounded in the author’s experience in water-supply administration. Its title story and the other pieces quietly reveal the friction between public systems and private lives in a provincial city.
Work Information
A man who must cut off the water supply is forced to face the weight of the lives on the other side.
From the perspective of a municipal waterworks employee who carries out water shutoffs, this short-story collection depicts people struggling through harsh everyday life with unusual density. In the title story, the duty of the system collides with the reality of the household being cut off.
Book Information
- Publisher
- KADOKAWA
- Published
- 2023-04-24
- Pages
- 176 pages
- Language
- 日本語
- Size
- 10.7 x 0.7 x 15 cm
- ISBN-13
- 9784041119921
- ISBN-10
- 4041119928
- Price
- 748 JPY
- Category
- 本/文学・評論/経済・社会小説
映画化も決定!市井に生きる人々の姿を繊細に描き出す短編集。 市役所の水道部に勤め、水道を止める「停水執行」を担当する岩切は、3年間支払いが滞っている小出秀作の家で、秀作の娘・恵子と久美子姉妹に出会う。小出の妻は不在、秀作も長いあいだ家に戻っていなかった。姉妹との交流を重ねていく岩切だったが、停水執行の期限は刻々と迫っていた――。芥川賞候補にもなった表題作「渇水」を含めた3編を収録。厳しい日常を懸命に生きる人々を濃密に描き出す、絶望の底に希望の光がきらめく作品集。
●河林 満:1950年、福島県いわき市生まれ。都立立川高等学校定時制卒業の後、立川市役所勤務。18歳から小説の習作を始め、立川市の同人誌『群居』、『裸馬』に拠り、また三田誠広、岳真也、笹倉明氏らと雑誌『えん』に参加して創作活動を展開。90年5月、「渇水」で第70回文學界新人賞受賞、同作品が第103回芥川賞候補となる。2008年没。
Reviews
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強靱な生をまっとうしようとする者の光
1990年上期の文学界新人賞 同年上期芥川賞候補作品 この作品の芥川賞選評で、河野多恵子は「よい文章で、水と未納金と人間とを巧みな取り合わせで描いてゆく。成功作かと思いつつ読んだが、結末の小学生姉妹の自殺で失望した」とぃってこのラストを嫌った。読み手の私も初めて読んだとき、この部分をひどく嫌った。このラストが懸賞小説の獲得へ向けた調整に調整を重ねたケレンに想え、書き手の全編にわたる美しい文章、作中冒頭の聡明と無垢な少女二人への、冒涜とも映った。 ただ、再・三読してみて、構成的には起に登場する小学生姉妹二人は、このラストのためにある。選評者はともかく一般の読み手には、このラストこそが作品の肝心と感じた。冒頭の「おじさんたち、何してるの?」の箇所を読み返すと、心のどこか深いところに落ち込んでいくもの、身につまされる熱いものが、私の躰のなかに何度も溢れた。 二人の存在は、初読のときは可哀想な犠牲者に感じた。ただ、再・三読と重ねると、特に小学五年の恵子の自死は、強靱な生をまっとうしようとする者の光に思えた。現実を踏み越えたところにある小説という嘘の世界で、自分の生の燃焼が示されるかたちも可能ではないのか。=それも、小説の真実だ。現代ニッポンは「長生きのためなら死んでもいい… ただただ長生きしたくて~したくて~というやからであふれている…」ひとは生きることそれ自体が目的ではない、命をつかってなにごとかを成す恵子を小説という嘘の中の真実で感じたとき、作品の読後感に光を見た。 以下簡単に起承転結にした読書メモを記してみた。 1.起…主題の提出・聡明で無垢な姉妹 30枚 小出秀作の水道を停水執行したとき、二人の娘たちは家にいた。というより、途中で帰ってきた。小学5年と3年の彼女たちは、水道のメータボックスに屈み込んでいる岩切と木田の前に微笑みながらあらわれた。「おじさんたち、何してるの?」すこしも曇ったところのない素直な声だった。3日前から、容赦ない8月の終わりの炎暑の夏が続いていた。 「いくらたまっているんですか? これで、計算します」小学5年の姉の恵子は、電卓を持って現れた。ひどく不恰好な、ゲタのような大きな計算機だった。「おじさん、いくらかいってみてください。計算しなければならないんでしょう?」恵子の口調には、どこか、かいがいしささえあった。 水を、止める。そのために、岩切は、風呂場の水、台所のボール、洗面器と、思いつくかぎりの器に水を溜めさせた。「これにもいれておいて」と妹の久美子がいったのは、出目金の泳ぐ水槽だった。 視点 魅力的な共感する素材 二人の姉妹、特に姉の小学5年生恵子の存在が聡明で無垢で、私にはまぶしかった。私という読み手は、作品の冒頭で魅力的な共感する素材に出会えた気がした。多くの読み手もこの存在感には気づき、つよい関心を持てたはずだ。ただ、その期待は良い意味でか悪い意味でか裏切られる。この作品では主人公は岩切だったからだ。 2.承…話の始まり・水は流れもするし止まることも 46枚 妻は家を持ちたがった。が、岩切はその気がなかった。本当は、子供もほしくなかった。生まれてみれば子供はかわいい。が、それでも、欲しくない気持ちに嘘はなかった。子供と一緒に実家に帰ったきり2週間戻らない妻に岩切が思い切って、「さみしいからね…… 」といったとき。そういうことはもういわないでと、妻は強い口調でいった。 視点 中年男の内省 この物語の主人公は、岩切だった。冒頭で読み手が共感した聡明と無垢な小学生姉妹は物語の一素材で、ここでは岩切のひととなりと停水執行の現場で出会う人間たち、それらを通しての主人公の想いが各人の躰の動きを通して描写されている。存外に中年男の内省的な物語という正体が分かり、ページを繰る指を止めるか進めるか迷った、 3.転…話の展開・東京中の水を止めてみたいもんだな 9枚 「岩切さん、あそこ止めたの、気にしているんでしょう?」「いや、連絡はなかったがテレビはついていた。… でも、変な言い方だが、あの家はいちど止められた方がいいんだよ。なんというか、そのほうが、こう、活気づくよ」 「木田君よ」岩切は急に思い出していった。「東京中の水を止めてみたいもんだな」 「え?…」 視点 やはり岩切 中間小説的に読めば、もういちど小出秀作の娘たちが登場するかなとも思った。ただ、書き手はとぎすまされた力量を持っているから、承でも小学生少女たちと岩切の存在は十分に計算されたうえでのこととも思う。 4.結…話の結末・上の子はこちらへむかって寝返りをうった 9枚 自転車置き場にきたとき、始業時間が迫っていて、岩切は駆け足でタイムカードに向かった。席に着くと、朝の挨拶もそこそこにすぐ係長がたちあがってきた。「課長がよんでるよ、警察のひとらしいよ」 「先週の金曜日の、26日の停水に、御影町の小出秀作は入っていたかな」「ええ、止めました」「死んだんだよ」「え?」「二人の女の子がいたんだね。11歳と8歳の。鉄橋の手前の踏切で、列車にはねられたんだ。下の子は即死、上の子は風圧でとばされて重体だそうだ。昨日の日曜のあさはやくのことのそうだ」課長がそういった。膝にあてがっていた手が、震えるのがわかった。口の中が乾いている。三日まえにあったばかりの少女たちの顔がうかんだ。「事故ではないんですか?」岩切はようやくいった。「運転士はブレーキをかけたがまにあわなかった、といっています。ブレーキをかけたとき、上の子はこちらへむかって寝返りをうったともいっていました。事故というより、これは自殺と考えられます」刑事がいった。 ※ この書き手は、『渇水』の二年前にその原本素材となる作品『ある執行』で1988年自治労文芸賞入選をしている。―いまから、5,6年ほど前、燃料輸送タンク車が、米軍の駐留する基地から延びる引込線を走っていた頃のことだ。知恵おくれといわれていた母親と、言葉が少し不自由な中学一年生の娘が、夜中の12時過ぎに線路に身を横たえて死んだー
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吉屋信子「鬼火」との類似
映画を観てから「渇水」の原作を読もうとしたら、杉並図書館では角川文庫は買ってくれなかったので、単行本が14人くらい待ちになっていたから、初出の『文学界』を借りてきて読んだ。選考委員は畑山博、池内紀、青野聡、宮本輝、津島佑子で、うち三人が故人になっていた。 比較的短い小説で、最初のほうは映画と類似しているが、最後が、はじめに水を止めた家の姉妹が鉄道自殺するという嫌なあと味を残しており、映画ではここが改変されたのが分かる。 これが、吉屋信子「鬼火」に似ているという人がいた。これは『婦人公論』に1951年に載った、さらに短い掌編みたいな小説で、ガスの集金人が、ガス代の払えない家のおかみさんに、体で払ってもらうぞみたいなヤクザ的な脅しをかけて、またやってくるとおかみさんが首を吊っているという話で、偶然の類似か、読んでインスパイアされたか、微妙なところだが、女流文学者賞を受賞したというから、文學界新人賞か芥川賞の選考で指摘されても良かったろうと思われる。
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仕事とはいえ、徴収員の苦悩に敬意
支払いを拒絶する理不尽な奴らに怒りを覚えた
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つまんなかった
ので即メルカリ行きでした。 映画がどう脚色されるかはわかりませんが原作は尻切れとんぼ的
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映画はまったく別物だと思ったほうがよい。
この作家と作品を知ったのはかれこれ30年前後むかし、深夜に何気なくクルマで聴いていたラジオドラマがこの「渇水」だった。ネットもない時代、苦労して単行本を探しだして購入。耳で聞いた以上に暗く重い話で読後感に妙なものが残る作品だった。たまたまそれから年月が経ち、主人公岩切が働く「S市」のモデルであろう立川市に勤務することになって再読。その本もどこかにまぎれてしまい、今回は電子書籍で購入した(角川で文庫化されたものの電子版なんだけど。)時代はすごい変わり方をすると思った。 まさか、まさかこんなマイナーな作家の作品が映画化されたと聞いて一瞬、同名の別のものがあるのかと思ったがまさしくこれ。部分的なトレイラーをテレビで見かけたが、こういった「映画化」の悪い癖、勝手に情緒に訴えるエピソードをこねくり回し役者はすぐに泣いたり喚いたり。この作品を「格差と分断の社会」に妙なバイアスつきでなぞらえることがもともとムリがあるのだ。作品の発表は1990年。日本中がバブル景気に浮かれていた時である。その最中、公務員ではあるが決して豊かとは言えない生活を送りつつ「水道代を払えない」人々のもとに赴き「水道を停める」作業を自らの業務として推敲しなければならない主人公をどう捉えるか、が読む者に問われる作品であったのだ。金はあるだろうに怠惰な生活を送り停水されかける「チョコレートを塗ったように日焼けした若者」こそ好景気に浮かれる当時の世相のアイロニーだろう。その「若者」に向かって岩切が「水は…」というセリフはなぜか気になり諳んじることができるくらい読み返した。(ラジオでこのセリフを聞いたことが書籍を買ったきっかけでもあった。) 2023年の日本人が、2023年に作られた「渇水」の映画版で妙なカン違いのもとにこの作品を捉えないことを望む(映画は映画として単独で評価されるべきもので、そのレベルを論じてるのではありません。) あれ、何か抜けてると思ったらオリジナルには収録されていた「金棺出現」が省かれていたので星ひとつマイナス。
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映画とは違う
映画が良かったので原作を落手。ただ救いようのない結末で、映画とは全く違うことがわかり、小説に期待したぶんだけ落胆も大きかった。映画版の脚本家は、原作(とはとても言えないかけ離れた内容の)小説を読んで、こんな終わらせ方をしてはいけないと思い、映画を作ろうとしたのではないかと想う。
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映画化の渇水を読みたくて
映画を観にいけず、購入。どうやら、原作とラストは違うみたいで、気になります。原作はショッキングな内容でしたが、映画もアマプラで観たいと思います。
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吉屋信子の水道バージョン?
短編小説なのにリズムが合わず何度も中断して本を閉じ、読むのが苦痛だった。文学作品の内容にカミつくのは作品を倫理で論じるのと同様、無粋だがこれは文学と呼べる代物ではないと思うのであえて言わせてもらえば、「太陽と空気と水はタダでいい」なんて詭弁だろう。太陽、空気と同列になる水とは、川の水であり海の水だ。川の水や海水は今も昔もタダではないか。幼い姉妹のラストの行動にしても育児放棄が主因であり、水道を止めたことがどれだけ影響しているというのか。作者は生前、果たして吉屋信子「鬼火」を読んでいたのかどうか。「鬼火」が電気だから水道で書いてみた?