ボロ家の春秋 (講談社文芸文庫 うB 2)
Boroya no Shunju is a collection of short stories by Haruo Umezaki that depicts human absurdity and weakness in ordinary life with humor and satire. Distinct from his war-experience fiction, it lightly reveals the distortions and comedy hidden in postwar daily living.
Work Information
Small incidents around a dilapidated house reveal human frailty and comic truth.
The Kodansha Bungei Bunko edition collects Shijimi, Niwa no Nagame, Kiiroi Hibi, S no Senaka, Boroya no Shunju, Kioku, and Bonjin Bongo, using the 1967 Shinchosha Umezaki Haruo Zenshu as its base text. The title story won the 32nd Naoki Prize and shows Umezaki's distinctive world, which unsettles the foundations of ordinary life.
Book Information
- Publisher
- 講談社
- Published
- 2000-01-07
- Pages
- 304 pages
- Language
- 日本語
- Size
- 10.8 x 1 x 14.8 cm
- ISBN-13
- 9784061976979
- ISBN-10
- 4061976974
- Price
- 368 JPY
- Category
- 本/文学・評論/文芸作品
「桜島」「日の果て」などの戦争小説の秀作をのこした梅崎春生のもう1つの作品系列、市井の日常を扱った作品群の中から、「蜆」「庭の眺め」「黄色い日日」「Sの背中」「ボロ家の春秋」「記憶」「凡人凡語」の計7篇を収録。諷刺、戯画、ユーモアをまじえた筆致で日常の根本をゆさぶる独特の作品世界。
Reviews
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苛烈な環境にも日常性はある
直木賞をとった表題作を含め7作が収められた文庫。 発表されたのは、「蜆」昭和22年12月、「庭の眺め」昭和25年11月、「黄色い日日」「Sの背中」昭和27年3月、「ボロ家の春秋」昭和29年8月、「記憶」「凡人凡語」昭和37年6月。 とくに面白く読んだのは「Sの背中」。こんな文章が印象に残った。 〈涙がはてしなく流出して咽喉が渇くので、彼は水を飲んでは泣き、水を飲んでは泣き、一日中とめどもなく虫のように泣いていました。〉 解説者が梅崎の次の文を引用している。〈どんな苛烈な環境にも日常性はある。〉苛烈な環境とは戦時のこと。 いつか梅崎春生の全集を読んでみたい気もする。
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結構面白かったです♪
高校の教科書に載っていた『蜆』を読み、すごく気に入ったのでこの本を購入してみました。著者は終戦頃からその後にかけて活躍した作家ですが、この本に収録されている話は皆、とても読みやすかったです。 例えば『ボロ屋の春秋』では主人公ともう一人の男+怪しげな台湾人(?)のボロ屋をめぐる確執がユーモアたっぷりに描かれていて面白いです。 他の話も、日常の、ちょっとした不快さの描写が上手い!その頃の庶民の生活が描かれているものの、結構現在にも通じる所があって笑えます。 『蜆』を読んだときから思っていたことですが、著者は本当に表現や言い回しが上手いなぁと改めて感じました。この本を購入して良かったと思います。次はこの著者の他の作品も読んでみたいです。
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カビ臭かったです。
小説の内容が古臭かったというのではなく、本がカビ臭くて困りました。
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とぼけた味が楽しい短編集
収録7編のうち、最も長い表題作を含めて3編が、小説では珍しいと思えるですます調の文章で書かれている。「〜だなあと思えるのです。」なんて書き方が内容にぴったりなとぼけた味わいで、楽しめる。 表題作だとか『蜆』だとか、書き方によっては悲惨な感じにもできると思うのだが、怨念を込めたどろどろしたところはない。表題作など、二人の同居人たちが意地になっていやがらせをしあったりするのが、なんともユーモラスなのだ。この2作は様々な出来事が起こる構築性のある小説だが、一方『庭の眺め』『凡人凡語』などは私小説的な平凡な日常風景という感じである。 普通なら不愉快にしか思えないような登場人物もいるのだが、この語り口で愉快にからかわれていて、味わい深さもありながら気楽に読んでいける。
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ボロ家の春秋 (講談社文芸文庫版)
いずれの作品も、どこにでもいそうな平凡な人物が主人公のストーリー。 日々生きること、すなわち平凡な日常というものの深奥が、濃度の差はあれ、ユーモアと不気味さが絶妙に配合されつつ生き生きと描かれている。 そこでは、主人公の自己は常に不安定に揺らいでいるが、作者の筆致はあくまでも平易かつ簡潔な描写に徹し、地続き的に幻想方向に引っ張られるようなことはない。 にもかかわらず、日々を生きるということは、なにか大きな事件が起こらずとも、それ自体が滑稽であったり無気味であったり、不可思議・不条理な体験であることを改めて実感させてくれた作品群でした。
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気分が落ち込んだとき、笑ってすっきりすること請け合いの短篇
『ボロ家の春秋』(梅崎春生著、講談社文芸文庫)には、何度もくすりと笑ってしまいました。 「一軒の家を自分のものにして、田舎から老母を呼び、そして適当な相手を見附けて結婚したい。それが彼の小市民的な理想なのに、不破、陳の両人からしてやられ、しかも僕といふ男と同居の羽目に立ち到つた。それが腹が立つてたまらないらしいのです。その忿懣はほんとは自分に対して向けられるべきなのに、当面の僕にぶつつかつて来るといふのが真相らしい。しかしそれで黙つて引き下つてゐては僕の立つ瀬はないぢやありませんか」。 「まあかういふ工合にして、僕らの気持は一事件毎に、少しづつこぢれて来た。入居の当初、お互ひに理想的同居人たるべく努力しようと盟ひ合つたことなど、もはや夢の中の出来事のやうです。もう野呂の顔を見ただけでも、闘争心みたいなものが湧き起つてくるやうな気がするのです」。 「出すものは舌を出すんだつて嫌がる男ですから、固定資産税なんか飛んでもないと考へてゐるのでせう。かうして一つ家を二人で所有し合つて以来、お互ひにあまり口をきかなくなつたが、それはお互ひに無関心になつたことかと言ふと、飛んでもない、全然その反対なのです。表面上相手を黙殺するやうな態度をとり、生活の干渉を一切避けてゐるやうに見えますが、内心はピリピリして、相手の一挙一動に神経をとがらせてゐる。それはさうでせう。家が僕らにぶら下る重みは、以前より大幅に増してゐる。野呂も未だこの家を独占しようとの欲望は捨ててゐないに決つてゐるし、すきあらば僕の弱点をつかまうとねらつてゐるでせう。さういふ野呂に対して、僕も細心の注意を払はざるを得ないのです。毎日の日常がピリピリと緊張して、そのことがむしろ生甲斐を感じさせるほどでした。放つて置けない相手が同じ屋根の下にゐることは、実際張り合ひがあるものですねえ。その間の心理は野呂にも同じらしい」。 「長々とおしやべり致しましたが、昨年春から現在にいたる悪戦苦闘のかずかずは、以上の如くほんとに涙なくしては語れません。現在とても、最後的破局が明日来るか、一週間以後に来るか、あるひは現在のにらみ合ひの状態がまだゑんゑんと続くか、皆目見当もつかない有様です。全くをかしなものですねえ。僕ら二人は同じ被害者であり、現在でもある意味では同じ脅威にさらされてゐるわけなのに、二人の努力はその脅威を取りのぞいて平和を取り戻す方向にはむけられず、お互ひを傷つけ合ふことばかりにそそがれてゐるのです」。 「僕」は読者に向かって同居人・野呂の悪口をたらたらと言い立てますが、そういう「僕」だって野呂に負けず劣らず嫌みな人間なのです。意地になって嫌がらせをやり合う二人の姿に自分のカリカチュアを見る思いがして、肩をすくめてしまいました。 1954年下半期の直木賞受賞作品ですが、気分が落ち込んだとき、笑ってすっきりすること請け合いの短篇です。