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熊の敷石

Akutagawa Prize

熊の敷石

Toshiyuki Horie

Through memories of France and a reunion with a friend, this novel quietly traces movement, translation, and layered pasts. Its supple prose contains the feeling of living abroad and the weight of loss.

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Work Information

熊の敷石 is an award-winning work that distills the voice of 堀江敏幸.

Through memories of France and a reunion with a friend, this novel quietly traces movement, translation, and layered pasts. Its supple prose contains the feeling of living abroad and the weight of loss.

Book Information

Publisher
講談社
Published
2001-02-01
Pages
165 pages
Language
日本語
ISBN-13
9784062106351
ISBN-10
4062106353
Price
2251 JPY
Category
本/文学・評論/文芸作品/日本文学

いくつもの物語を織り込んだ、芥川賞候補作ユダヤ系の友人が語る一族の悲劇。チーズ投げ選手権の話。視力のない赤子とその母。フランス・ノルマンディーに旧友を訪ねた主人公が遭遇する、人々と風景の物語

1964年、岐阜県生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。東京大学大学院博士課程中退。パリ第三大学博士課程留学。現在、明治大学助教授。20世紀フランス文学専攻。1998年『おぱらばん』(青土社)で第12回三島由紀夫賞受賞。2001年『熊の敷石』で第124回芥川賞受賞。著書として他に『郊外へ』(白水社)、『子午線を求めて』(思潮社)、『書かれる手』(平凡社)、訳書にエルヴェ・ギベール『赤い帽子の男』『幻のイマージュ』(集英社)、ミッシェル・リオ『踏みはずし』(白水社)、ジェラール・フランカン『つきにでかけたおんなのこ』(フレーベル館)、『ミッシェル・フーコー思考集成』(共訳、筑摩書房)などがある。

Reviews

  • 美しい日本語の文章です

    堀江 敏幸さんの文章は美しい。表現がクリアでいて奥深い。修飾語が絶妙に絡み合っており深い想像を膨らませてくれる。現代の小説家の中でも随一と言える文章だと思う。単純にわかりやすい文章ではないが、その分読み応えのある文章だと思う。 さて、この「熊の敷石」は芥川賞を受賞した作品でもある。純文学としてその地位を確立した作品であり、短いながらも読みごたえがある。舞台背景はヨーロッパ。作者が旅をして写真家と巡り合い、その写真やその友達、歴史などが深くねじり合いながら作品に深みを加えてくれる。

  • 中古書籍とは思えない。

    誰かに一度読まれた形跡が見当たらない程に新本と変わらない手触りでした。

  • 期待外れでした

    「雪沼とその周辺」を読んで、この作家さんに興味を覚えたのですが、はっきり言って「熊の敷石」はつまらなかったです。何よりも、舞台となるフランスの地名に馴染みがないので、作品世界に入っていけません。 さらには、ユダヤ人やユダヤ系の人を扱うのならば、もう少し違った切り口があるのではと思い、今回は残念ながら星3つにしました。

  • 敷石を投げる

    ラ・フォンテーヌの寓話「熊の敷石」は、すぐれた投げ手である熊が、友人の老人の昼寝中の蝿を追い払うために敷石を投げつけ老人を即死させてしまう、‘ 無知な友人ほど危険なものはない、賢い敵の方がずっとましである ’という訓話です。 私の友人ヤンは、ペタンクのすぐれた投げ手、その他、カマンベール投げの話が挿入され、何を相手に投げるのか、投げてよいものとは考えさせる部分です。 ヤンとは、直接触れることのできない距離を要請する小さな‘貝の火’を共有している、それでも「なんとなく」胸につかえる話をする、私とヤン。私はヤンにとって、ラ・フォンテーヌの熊ではないか、話す必要のないものを相手に話させて、傷をさらけ出させる輩は、素知らぬ顔の冷淡な他人よりも危険な存在ではないだろうかと、投げるべきものを取り違えているのではないかと自問する私。 人との付き合いにおいて、相手の身の上に深く踏み込んでいいものか、それとも人は聞いて欲しくて話すのか、僕も身の処し方がわからない時があり、僕も大切な人に敷石を投げた熊の部類です。 堀江氏はユーモアを交えながら明るく描いていますが、書かれている内容は身につまされるものでした。 通読して振り返ると、冒頭の部分がやはり素晴らしい。そして構成も。 《 冒頭の、ひしめく熊の背中を踏んで走るという突拍子もない状況への驚きと恐怖、喉の渇きを覚えて口にした泉の水の甘さと冷たさに疼く虫歯の痛み、それは熊の恐怖さえも忘れるほどの激しい痛み、そんな夢から、物語はスタートする。 眼球のない赤ちゃんのための目がばつ印で閉じられた熊のぬいぐるみ、そして熊の敷石の寓話の意味が提示される、「私はヤンにとって、ラ・フォンテーヌの熊ではないか」自問しながらも、甘いパイを食べて、また虫歯の痛みに耐えかねているシーンで終わる 》 さりげなく書かれていながら、よく練られた構成で、この作品が芥川賞受賞作であることに僕は納得です。

  • 熊のぬいぐるみ

    黒い湿った絨毯のような熊の背中を踏んでいた夢を見ていたという奇妙な書き出しではじまり、主人公が友人ヤンの住んでいるパリで経験した事が書かれています。どのエピソードも心を打たれるものがありますが、私が一番好きなところは熊のぬいぐるみ事です。ヤンの大家さんのカトリーヌと彼女の息子ダヴィッドのことをヤンの話から知ります。「カトリーヌはダヴィッドがお腹にいる時に大きな黒いボタンの目をつけた熊のぬいぐるみを作った。赤ん坊が生まれて両目がないとわかったとき、カトリーヌはボタンをはずして、ばってんで閉じた」「鼻も口もある動物の顔の中で、目だけが糸を交差させたさりげない措置で封印されていた。その目のおかげで、熊はダヴィッドを庇護しつつ同時に庇護されているような両義性を獲得していたのだった」 悲しいとか可哀想というだけでは表せない何かに胸を衝かれました

  • 美しげと美しいはちがうだろ?

    機内誌やグラビアが売りの雑誌などでよくみる紀行エッセイと『熊の敷石』のちがいは何なのか。 『熊の敷石』が小説であるためには、サンモンミシェルの絶景や、町の地名の由来、そうしたもの以上の何かがなければならない。語り手の「私」と友人ヤンの快くも、とらえどころのない関係がこの小説の小説たるゆえんだったのかもしれない。ところが本来であればテーマであったであろうこの要素はテーマであることに失敗している。 フランスを訪れていた「私」とヤンは再会し、限られた時間の中でも充実したときを過し、2年のギャップを感じさせないほど、冗談もいい合える。ところが、ヤンが撮り、「私」にみせた数枚の写真のどれひとつをとっても、背景にある悲惨さや重さをヤンと同じように感じられない「私」は違和感をもつ。(飽くことなく書かれ続ける日本文学的感傷!)「話すことの必要のないことをなんとなく話させて、傷をあれこれさらけさせているのではないか」と。ところがヤンと「私」は気まずくなることもなく、こうした違和感は読者からすれば的外れにしかうつらない。この的外れな取り越し苦労をこの自称小説から取ると、アンニュイな紀行エッセイでしかない。 冒頭で「私」がみる夢。眼球のない少年と少年の抱く熊のぬいぐるみ。余計なおせっかいという意味の熊の敷石ということば。すべて熊のモチーフが共通しているが、これらの挿話は物語の構成部分として何の機能も果たしていない。終りで過去の歯痛と現在の歯痛が重なる部分も意味不明。 文学の匂いのする、気のきいた挿話を美しげなことばで綴ったものを小説として提示する人がいて、小説として受け取る人がいる、という状況は思考と想像の欠如以外の何者でもない。いったいこの人たちはいつになったら美しげなフィクションと美しいフィクションのちがいに気がつくのだろう。

  • 満足しました

    満足 中古品とは思えない状態で、届きすぐ読みはじめられました。

  • ふ~ん、芥川賞

    作者はフランス文学者だそうで、2000年下半期芥川賞を受賞したタイトル作は仏北部ノルマンディー地方の寒村を舞台にした作品。 そういえば翻訳調とも言えなくはないし、フランスの地名がバンバン出てくるのであった。フランスは未体験の私だが、ノルマンディーの風景やモン・サン・ミッシェルぐらいは知識としてあるので、そう困ることはない。 冒頭は、めくるめく夢の描写で始まるのだが、何ともイメージしがたい描写で面食らう。 翻訳の仕事でパリに滞在している日本人の「私」と、ユダヤ人のヤンの再会を軸に話が進むのだが、そのうち、マクシミリアン=ポール=エミール・リトレだの、ホルヘ・センプルンだの、アウシュヴィッツでなくブーヘンヴァルトだの、プリモ・レーヴィだの、ブルーノ・ベッテルハイムだのが会話に出てくるレベルの人間関係には、なかなか同調できる人はいないのじゃないか。ユグノーとカソリックの関係がわかる人もいないだろうし。そういう意味では、なかなかにペダンチックな要素をもった小説ではある。 終わりも唐突だし。審査で票が割れたのも宜なるかな。 「砂売りが通る」のほうが、イメージしやすくて好ましい作品と感じた。

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