仮の水
This work presents its subject through a compact, literary form, emphasizing memory, emotion, and the pressure of lived experience. It can be read as a piece that connects personal feeling with a wider social and cultural landscape.
Work Information
A work that follows intimate emotions as they meet a larger world.
This work presents its subject through a compact, literary form, emphasizing memory, emotion, and the pressure of lived experience. It can be read as a piece that connects personal feeling with a wider social and cultural landscape.
Review Summaries
-
Readers respond to the work's distinctive structure and treatment of its subject, noting the strong aftertaste it leaves. Its dense style and premise can also make it demanding for some readers.
Book Information
- Publisher
- 講談社
- Published
- 2008-08-08
- Pages
- 160 pages
- Language
- 日本語
- ISBN-13
- 9784062148412
- ISBN-10
- 4062148412
- Price
- 1201 JPY
- Category
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
日本文学者リービ英雄が見つめる中国の現在 中国の内部にあるアジアの姿に魅入られた「かれ」は、リムジンに乗って大陸を旅する。ユダヤの血、アジアの現在、越境する言葉、揺れ動く中国の現在を描く小説集
Reviews
-
悠久の大地に「かつて」を求めにゆく旅路
本書は「高速公路にて」「仮の水」「老国道」「我是」の短編と中編を所収する。 解放中国となり、著しい経済発展の端緒に着いて変容しつつある大陸をかろうじて名残を留めるかつての姿を求めるように広大な大陸を旅する「かれ」が主人公である。4編はそれぞれ独立しているが、日本を拠点に繰り返し中国を旅す欧米系出身者の一つの連続する物語としても読める。 「かれ」は、旅をしながら常に「老外」(外人)として目立つ自分を意識させられている。腹の文化圏ではないところからやってきた「かれ」は「高速公路にて」「仮の水」で腹の具合を悪くし、それを気にしつつ旅をしている。「仮の水」では厚かましい運転手に当たってひどい目に遭うのだが、この物語終盤の便所(リービは暗示的にしか示さない)のシーンは面白かったが、失礼ながら、そこはもっと突っ込んで表現できたのではないのかとも…。そこは確かに惹きつけて盛り上がるる場となっているが、リービには日本語で書くことへの恥じらいというか、はにかみのようなものがあるのだろうか、あるいはリービ自身の本質的な上品さに起因するのだろうか、尾籠だが滑稽でもあるはずのところが、古典落語のようにはならないところが逆に興味深くも感じられた。 「我是」では、北宋の京であり現在は黄河の南の平原に位置する七十万人の地方都市開封に八百年間シナゴーグであった清真寺のそばの最後のユダヤ教徒の未亡人を訪ねる。この短い出会いと別れのシーンには強く揺さぶられるものがあった。現在はおそらく失われたのであろう清真寺は、ユダヤ教徒の寺であるとともに回教徒の寺でもあったという。 欧米出身のようではあるが美國出身とは明記されず、和蘭語・獨逸語は解さない。日本語で自在に思考するほどの語学力を持ち、ハングルと中国語を日本語を通して概略を解する、年齢も定かではなく全体がぼかされた「かれ」は、リービ本人が投影されているのだろう。 17歳から母国アメリカと日本を頻繁に行き来し、柿本人麿研究で学位を取得したアメリカ人の日本人以上に自在な日本語での思索は、読む都度に、自分とどのように同じでまた異なるのかを多面的に考えさせられる。
-
Library Books
リービ英雄「仮の水」を読了。日本に住むアメリカ人作家です。母国語ではない日本語で作品を書いているという稀有な作家です。本作は作者自身と思わせる主人公が中国を訪れるお話。姿かたちはアメリカ人なのに現在日本在住。旅行先の中国から。どこから来た、など質問されてもどう答えたら良いか戸惑う。その戸惑いは「異」の戸惑いであり、作者自身も日本でいつも感じている、日常感覚なのであろう。その戸惑いは我々は体験することも出来ないし、実感することもない。リービ英雄の作品はその「異」の感覚を我々に示してくれるのである。日本人や日本語、アイデンティティといったことをあらためて考えさせられる作品なのである。