カニは横に歩く 自立障害者たちの半世紀
A nonfiction account of half a century of independent disabled people's activism, centered on the cerebral palsy movement Aoi Shiba. The author writes from long involvement as both helper and reporter, examining the difficulty of relationships between disabled and nondisabled people.
Work Information
A record of people who fought from a place outside society's front-facing path, like crabs walking sideways.
Published by Kodansha. NDL Search and Kodansha's official page confirm ISBN, publication year, page count, and description.
Review Summaries
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The book is valued for drawing the history of a movement from long personal involvement rather than detached explanation. It has force because difficult issues are grounded in people and scenes.
Book Information
- Publisher
- 講談社
- Published
- 2010-09-22
- Pages
- 514 pages
- Language
- 日本語
- Size
- 14 x 3 x 19.7 cm
- ISBN-13
- 9784062164085
- ISBN-10
- 4062164086
- Price
- 990 JPY
- Category
- 本/社会・政治/福祉/社会保障
行動するCPたちの痛快・青春ノンフィクション! 「カニって横に歩いてるやん。誰も不思議に思わへんやん。障害者が健全者と違う歩き方をしてるのは当たり前のことちゃうの」 行動するCPたちの痛快・青春ノンフィクション! 「カニって横に歩いてるやん。誰も不思議に思わへんやん。障害者が健全者と違う歩き方をしてるのは当たり前のことちゃうの」 1977年、川崎市でバスジャック事件を起こして、それまで顧みられなかった障害者のバス乗車に一石を投じた過激な障害者運動団体。それが「青い芝の会」である。著者の角岡伸彦氏は、ときに介助者として、またときには取材者として、過去27年間「青い芝」と深く長く対面してきた。本書の内容は、あまりにもひどい差別、どう考えてもやりすぎの闘争、真剣だけどユーモアを忘れない爆笑エピソードなど。障害があること。老いること。 本書は「あるがままの生」という遠大なテーマに挑んだ本格ノンフィクションである。 ●本文から 「なんかの集会の時にね、福永が俺に『黙れ、健全者!』と言いよったんや。俺は言い返した。『お前、それはやめた方がええで。黙れ健全者言うんやったらな、健全者の方は黙れ障害者と言うで。君、それ反対できひんで。何々を言った健全者は黙れというのは、まだわかる。けど、健全者だから黙れというのは、そんなものはどこへ行っても通用せえへんで』」(第2章 宣言) 仲間の自殺を知った関西青い芝は、緊急役員会を開いた。「私たちを殺す施設に用はない」、「なんちゅうこっちゃ、そんな施設(和歌山県立身体障害者福祉センター)はつぶさなあかん」。所長は「暴力障害者!」と叫び、所長室に鍵をかけたまま閉じこもってしまった。(第4章 炎) その頃、福永の活動を追いかけていたNHK大阪放送局が、阪神障害者解放センターと市側の交渉を映している。(『負けたらあかんでぇーー阪神大震災・ある障害者の闘い』九五年八月八日放映)。西宮市助役に対し、福永は声を上げた。「いっこもわかってないやんか! あんたら全然考えてないやんか! ちゃんと脳みそを働かせ、脳みそを!」(第9章 揺れ) 【著者略歴】 角岡伸彦(かどおか・のぶひこ)1963年、兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒。神戸新聞記者などを経てフリーに。著書に『被差別部落の青春』(講談社文庫)、『ホルモン奉行』(新潮文庫)、『はじめての部落問題』(文春新書)、『とことん!部落問題』(講談社)などがある。
(かどおか・のぶひこ) 1963年、兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒。神戸新聞記者などを経てフリーに。 著書に『被差別部落の青春』(講談社文庫)、『ホルモン奉行』(新潮文庫)、『はじめての部落問題』(文春新書)、『とことん!部落問題』(講談社)などがある。
Reviews
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質量ともに重厚なルポ。
「青い芝の会」という「日本で初めて大々的に差別に声を上げて行動した障害者」の一群と「彼らと私を含む介護者の物語」であるルポルタージュ。 関西での「青い芝の会」誕生の起爆剤となった映画「さようならCP」(1972年)の話から始まり、関西の「青い芝の会」の中心メンバー・澤田隆司と福永年久それぞれの自立30周年記念パーティー(2005~6年)の話でほぼ終わる。つまり30年超の歴史を辿るルポであり、障害者・介護者など登場人物も多く(人名索引か登場人物一覧がほしかった)、しかも澤田・福永など存在感溢れるメンバーが少なくないこともあって、質量ともに重厚。読み終わってどっと疲れる。その疲れには、「障害者と健全者が関係を築くことの難しさ」や「多くの人の意識に沈殿し続ける優生思想(あとがき)」の存在にもよる。 著者は「青い芝の会」の「闘いがやや下火になった八〇年代はじめ」に「介護者として地元・兵庫の青い芝のメンバーと出会った」と言う。そういう、いわば青い芝の会の活動に片脚を突っ込んだ当事者の目と、ジャーナリストとしての目が上手い具合にミックスされている印象を持った。
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是非沢山の方に読んでほしいです
それぞれの障害者(「障碍者」とは敢えて書きません)の個性や状況が生き生きと活写されていて読みながら何度か一人で笑ってしまいました。「自らが撃った弾が、どこに飛んでいるのか、それが当たっているのかさえ分からない。そんな運動・・」に巻き込まれ、疲れ果て、口論し、争いながら走ってきた(走らされてきた介護者たちの戸惑い。それでも憎めない障害者たち。 実は13年ぶりに再会した福永氏から、回し読みされ済の著者謹呈本を購入しました(購入させられた、と書くべきか)。労多い著作に本当に御苦労さまと言いたいです。 しかし振り返ってみると、青い芝の障害者たちがよくまあ、この本の出版を許可したなということにも、時代は変わったなという感慨を持ちます。ひと昔前なら「黙れ!健全者」の一言で反故にされていたかもしれない。松本さんが生きていたら何と言ったでしょう。でも実動部隊の障害者の多くが故人となった今、それが何だったのか世に伝えてゆくことはある意味、必要な作業なのでしょうね。 まあ、そうは言っても評価の星は4つにしておきます。兵庫の青い芝の運動の記録として読むならば内容量として3分の1というところでしょう。障問連とあと神戸・西宮の拠点から見た青い芝の記録が未完成なのが物足りないです。それと、福永さんが脳梗塞で倒れたのは97年の11月だと思います。1年繰り上がっています。西宮で介護派遣事業を始めたのは93年度からです。著作の評価を左右するほどの大きな問題ではありませんけど。 あと西宮の会計担当者が「今はそれどころじゃない」という一言で義捐金の使途内訳が不明云々の件が書かれてありますが、誰のことを指しているのでしょう?角岡さんから取材された記憶もないし、と当の担当者は言っております。被災地西宮のボランティアさんたちは「阪神障害者解放センター」を開始したのは自分たちだと信じておりましたしね。それほど混乱していました。あの頃は優生保護法廃止論議の真っ最中でもあり当該会計担当者と全障連の楠木氏がとある会議で正面衝突した経緯も重なっていて確かに大変な時期でした。これも決着付いてません。ともかく会計報告は大賀氏の監査済。こういうこともあろうかと、原資料は保存しているそうです。
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障害と援助について考えさせられる名著
“70年代。「日本脳性マヒ者協会青い芝の会」という障害者の運動団体が、差別反対を旗印に関西や関東で施設や行政機関、バスを占拠した。歩ける者は少数で、車イスに乗った重度障害者がほとんどだった。彼らは占拠した施設内の事務所にある書類をびりびりに引き裂き、そこに小便をひっかけた。また、何十台ものバスに乗り込んで立て籠もったり、道路に寝ころんだりして半日ほど交通をマヒさせた。 (中略) 何をしても罪に問われなかった彼らの行動は、次第にエスカレートしていった。” こんな文章から始まる本。なんとまぁ過激な時代があったものだ。これは戦いの記録で、その戦いには障害者だけでなく、彼らに関わった介護者たちも含まれている。私が健常者だからか、障害者より介護者の目を通して戦いを読んだ。 1972年、新大阪駅にて。 “脳性マヒの障害を持つ横塚は、駅構内の階段を一段降りるごとに両足をそろえ、体勢を整えていた。 当時、エスカレーターもエレベーターもなかった。おぼつかない足取りを端から見ていた出迎え役の河野は、「横塚さん、風呂敷を持ちましょうか」と言うやいなや、素早くそれを取り上げた。その途端、横塚はバランスを崩し、階段から転げ落ちそうになった。咄嗟に河野が体を入れ、体勢をとどめることはできたものの、タイミングが悪ければ一大事になっていた。 目的地の事務所に到着後、横塚は河野に向かって言った。 「河野さん、人にはそれぞれのリズムがある。それを奪われたら生きていけないのだよ。君は今日、僕のリズムを奪った。僕が必要とする援助は、僕のこととして君に要請するから、それに応えてくれるだけでいい。そうでない援助は、僕を損なうから、断る。障害者は常にそのことを言っているのに、それに応えることなく、余計な援助が押し掛けてくるんだ。それは抑圧にしかすぎないんだよ」” 養護学校に入学した脳性マヒ者が、最重度の障害者であったため、その学校の中でイジメにあった。同級生は、こんなことを言っていた。 「僕らは普通校でいっぱいいじめられてきたからいじめ返さな」 負の連鎖、あるいは別の言い方があるのか分からないが、なんとなく身につまされる話である。 養護学校ができて、普通学校の特殊学級から転校した生徒の母親は語る。 “「(普通学校は)差別が激しかった。先生から差別されよったもん。養護学校ができた時にねえ、小学校の校長先生が『片輪が出て行ってすっとした』て言わはった」 当時、特殊学級の児童は表門から登下校することは許されず、裏門から出入りしなければならなかったという。今では考えられない、あからさまな差別である。” 上記は1960年ころの話だ。今から60年前、こういう時代があったということは知っておいても良いだろう。この母親の話はまだ続く。 “母親は、開校した養護学校で、初めて開かれた運動会が忘れられないという。 「前の日に親たちは子どもがケガせんように運動場の石ころを拾った。草も引いて。おしゃべりしながら。校長先生も一緒にするん。翌日の運動会は、みんなで玉入れした。機能訓練の成果で、寝たきりやった子が地面に座ってでも玉を入れれるようになった。その時はね、先生も生徒も親も泣いた。嬉しいて、みんな泣いた」 みんなの頬をつたった涙は、嬉しさと悔しさが入り混じったものだったのかもしれない。” 筆者は健常者であり、部落出身者として部落問題に関する本も書いている。彼の障害者を見る視点は時に辛辣とも言えるほど客観的で、だから読んでいてすごく親しみが持てた。