日蝕えつきる
日蝕えつきる by 花村萬月 is an award-recognized work. The entry focuses on the published work, its author, and the context in which it was selected.
Work Information
A concise profile of 花村萬月's 日蝕えつきる through its award record.
日蝕えつきる by 花村萬月 is an award-recognized work. The entry focuses on the published work, its author, and the context in which it was selected.
Review Summaries
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Reader response centers on interest in the subject matter and the award context. Where bibliographic information is limited, the work is often approached through prize records and author information.
Book Information
- Publisher
- 集英社
- Published
- 2016-08-26
- Pages
- 224 pages
- Language
- 日本語
- ISBN-13
- 9784087716696
- ISBN-10
- 4087716694
- Price
- 1650 JPY
- Category
- 本/文学・評論/歴史・時代小説
天明六年、来るべき皆既日蝕を背景に起きた、男と女の残酷物語。 暗黒の極限、無惨な生死を描いた、渾身の時代小説集。 女は軽井沢宿で飯盛女をしていたが、江戸に逃れて夜鷹となり、唐瘡に罹ってしまう(「千代」)。歌舞伎の戯者になることを 希う男児は、京から下り、希望とは裏腹に江戸の陰間茶屋で育てられることに(「吉弥」)。濡れ衣の人殺しで入牢した男は 覚悟の準備をしていたが、そこで地獄の光景を目にし、自らも責問を受ける(「次二」)他、鬼気迫る五つの暗黒物語。 【著者略歴】 1955年東京都生まれ。1989年『ゴッド・ブレイス物語』で第2回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。 1998年『皆月』で第19回吉川英治文学新人賞を受賞。同年、『ゲルマニウムの夜』で第119回芥川賞を受賞。著書多数。
Reviews
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本当は超ブラックな江戸時代
我々現代人が思い描く江戸時代のイメージは何だろうか? 「戦乱もなく、300年近くも平和が続いた人類史上稀にみる泰平の時代」 「モノを大切にし、リサイクルが徹底していた環境に優しいエコロジーの時代」 「大気汚染や水質汚濁などの公害とも無縁で、新鮮な野菜中心の食生活を送るヘルシーな時代」 「江戸の人々はお互いを尊重し、みんな平和に心豊かな生活を送る幸福の時代だった」 昨今の「日本スゴイ!」ブームに便乗する形で、書店には「江戸時代がいかに素晴らしい時代だったか」を語る書籍が所狭しと並ぶ。 人糞を肥料に再利用していた我が国は、糞尿垂れ流しの欧米諸国などと比較して、驚くほど清潔で衛生的であり、江戸っ子の風呂好きは有名(江戸は埃っぽい街で人々は入浴を好んだ)である。 我々は二度と戻れない過去を思い出補正でありえないほど美化し、ともすれば「江戸時代はユートピアであり、まさに人類の理想郷であった」などと理想化・神聖化してしまう。 だが、本書はそんな現代人の空想・妄想をいとも簡単に吹き飛ばしてしまうだろう。 江戸時代は決して“理想郷”などではないのである。 江戸時代は世界的に寒冷な時代であり、記録に残るだけでも寛永、享保、天明、天保と4回も大飢饉(東北地方はこれに元禄と宝暦も含める)が発生し、特に被害の大きかった天明の大飢饉では安永9年(1780年)から天明6年(1786年)までの6年間に全国で92万人もの人口減となっている。 弘前藩(現在の青森県)では死者十数万人。藩総人口の半数が餓死し、盛岡藩(現在の岩手県)でも藩総人口(約30万人)の4分の1に相当する約7万5千人が餓死した。 当時は農薬も化学肥料も品種改良された作物もない。 百姓(農民)は生産性の低い土地に縛り付けられ、武士(領主)は容赦なく年貢を取り立てる。 鎖国した我が国(実際は中国、朝鮮、オランダと国交があり限定的だが貿易もしていた)は生産されるコメを経済の中心に据えたため、戦争もなくなった平和の時代、仕事のない武士を食わせていくためには農民からコメを収奪し、コメを換金して生活の糧とするしかなく、米価の暴落は武士にとって死活問題であった。 コメの不作で米価が上がれば武士は潤うが、農民や町人はコメを食えず、農民は子どもを売り、田畑も手放し(農地の売買は禁止されていたが、事実上黙認状態)棄民の群れとなって都市をめざす。 結果、江戸は人口100万を超える大都市に急成長したが、請け人(身元保証人)がいなければろくな仕事もなく、食い扶持を求めて流れてきた農家の次三男は無宿人(ホームレス)となって江戸の街にあふれ、彼らの一部は生きるためにやむなく盗み、騙り、火付けなどの犯罪行為に手を染め、江戸の治安は悪化する一方であった。 武士の生活も悲惨である。 先祖代々の扶持米だけでは物価高騰に追いつけず、表向き副業は禁止されていたが、実際は内職で細々と口を糊するしかなく、長男至上主義の江戸時代、次男以下は家も継げず冷や飯食いの部屋住みで、何の夢も希望もない絶望の人生が待ち受けていた。 他家に養子に行ければまだマシで、持参金も払えない貧乏御家人の次三男は鼻つまみ者。武士の魂である刀を質に入れ、札差(仲介業者)から扶持米を担保に借金を重ね、腰に大小を差した立派な侍が前掛けを締めてそろばんをはじく商人に頭を下げ金を借りなければ生きていけない極貧生活だったのである。 主家を離れた浪人は丘に上がった魚と同じ。戦争もない泰平の時代、槍や刀剣の腕自慢は役に立たず、再仕官の道は閉ざされ、親子代々の貧乏浪人暮らしも珍しくない。 貧苦に苛まれた浪人親子。みかねた乞食に施しを受け、この世の見納めに我が子に腹いっぱい喰わせてから、息子を手にかけ自害して恥を雪いだ父親の悲話も伝わっている。 「熊さん八っつぁん」でおなじみ長屋暮らしの町人も余裕のないギリギリの貧困生活。 当時、社会保障制度はない。年金も生活保護も介護施設も老人ホームもない。 金も身寄りもない高齢者や障害者、社会的弱者は野垂れ死にするしかない。 当然、病院も救急車もない。医者はいても煎じ薬を呑ませるだけ。重病ではまず助からない。 消毒薬も抗生物質もない。水道はあっても濾過も塩素消毒もされていない生水。耐性のない現代人が呑めば一発で腹を下してしまう。 風邪をこじらせただけで、ちょっとした傷が膿んだだけで、簡単にあの世に逝ってしまう。 未舗装の道路は雨が降れば泥んこのぬかるみ。夜は街灯もなく、行き倒れの死体が転がり、死肉を喰らう野犬がウヨウヨしている。 江戸初期、現在の新宿区周辺でさえ野生の狼が跳梁跋扈し、夜間の外出は命がけだったという。 江戸時代は格差社会。極端な富の偏在があり、お茶漬け一杯に20両を払った紀伊国屋文左衛門のような豪商が金に飽かせて贅沢三昧に暮らす一方、大多数の庶民はその日暮らしの極貧生活。常に死と背中合わせである。 娘の身売りは当たり前。相場は1人18両。1文=16円で計算すると1両は4000文なので6万4千円。18両は115万8千円である。 10歳前後で働きに出され、20代後半で年季明けを迎えるまで年中無休で働かされ、たった100万円しかもらえない(しかも親が受け取る)のである。 子を売った金で親は年貢を納め、借金を返し、なんとか生きていくしかない。 親に売られた娘は遊郭で苦しみに満ちたお勤めが待っている。 お大尽に請け出されシンデレラ・ストーリーを体現できる者はごくわずか。 ほとんどの者は粗末な食事と不衛生な環境で年季明けまで客を取らされ、年季が明けても下女奉公で一生を終える。 鎖国時代もコロンブス交換で来日した梅毒は猛威をふるい、江戸人の半数が感染していたという。 当時、性病感染を防ぐコンドームも安全な避妊具もない。 遊女の多くは知らず知らずのうちに梅毒に全身を冒され、やがて体中が腐り落ちて発狂しながら死んでいく。 梅毒の末期症状で鼻が欠け顔が崩れた遊女は夜鷹(街娼)となって厚化粧で顔を隠し生きるために客を取るしかない。 毒が総身にまわってもはや動けなくなると船饅頭となり、小舟で寝たまま客を取る。死ねばそのまま川に流される。墓も線香も読経もない。 江戸は火事の多い街。遊女の逃亡を防ぐため、雇い主は火が迫ると遊女を閉じ込め焼け死ぬに任せたという。 農民はコメを作っていても滅多に米だけの飯は食えず、普段は芋や雑穀や大根を混ぜた「かてめし」かほとんど水だけの雑炊。不作・凶作で飢饉になればたちまち大量の餓死者を出す。 藩は農民救済より飢饉を利用した藩財政好転のため備蓄米すら売り払ってしまい、飢餓に迫られた農民たちは草の根や木の皮まで喰い尽くし、土がゆ(土を漉して粥に煮る)をすすり、死者の肉を喰らい、まだ息のある者まで殺してカニバリズム(人肉食)に走る。 まさに阿鼻叫喚の地獄絵図である。 江戸時代、罪に対する罰は異常なほど厳しく、十両盗めば死罪。100万円にも満たぬ金を盗んだだけで首が飛ぶのである。 盗みに入った家で人を傷つければ打ち首獄門。主殺し、親殺し(逆罪)は重罪で磔(はりつけ)。放火は問答無用で火刑(火あぶり)の極刑である。 牢屋は囚人ですし詰め。便所は牢内にあり強烈な悪臭が充満する不衛生で劣悪な環境。1年以上生きる者はいないと云われた過酷な牢内では牢名主と牢役人による私刑が横行し、ツル(賄賂)を持参しない者はキメ板で死ぬまで背を打たれる。 囚人たちに憎まれる岡っ引(密偵)が牢に入ると、囚人たちの糞便を山盛り喰わされ、三杯まで喰わされると全身に潰瘍が広がり悶死したという(「糞喰らえ!」という悪態の語源)。 過密状態の牢内では「作造り」と称する間引きが半ば公然と行われ、病人やイビキのうるさい者は夜中、囚人たちの手でこっそり殺される。「急病死」と届ければ面倒な詮議もなく、死体は郊外の空き地に捨てられる。 千住と品川の刑場には腐った生首が並び、刑死者の死体は埋葬もされず、野犬とカラスが喰い荒らす。死臭が漂う光景はさながら“この世の地獄”だったはずだ。 罪一等を減じられ遠島(島流し)になった囚人にも過酷な運命が待ち受けていた。 江戸の流刑地は伊豆諸島の三宅島や八丈島。八丈島は耕地が少なく、生産性の低い土地であり、多くの流人を養う余地はない。流人は島人の仕事の手伝いなどしてわずかな衣食の道を立てるしかない。 温暖な八丈にも容赦なく飢饉が襲う。常に食糧難のこの島で飢えた流人は生きるために再犯すれば「自滅申し付ける」。正式な取り調べも裁判もなく、榾屋(ほだや)に入れられ足枷を打たれ水も食物も与えられず餓死を待つばかり。 島抜けは重罪。発覚すれば崖から突き落とされ、大槌で頭を割られる。たとえ運よく漁師の小舟を奪い大海に乗り出しても黒瀬川(黒潮)に阻まれ、大波に呑まれ海の藻屑となる運命。伊豆や房総まで生きてたどり着ける者はほぼいない。 流人たちは赦免状が来るのを何年も待ち続ける。遠島は事実上の終身刑であり、生きて江戸の土を踏める幸運な者は限られていた。彼らの多くは島の塩辛い土になる運命だったのである。 3世紀近くも戦争のない平和な江戸時代。 明るい光に満ちたはずの江戸の裏は底知れぬ深い闇が広がっている。 光が強ければ強いほど闇の深さも濃くなるのである。
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次二
虚構が真実味を帯びるのが小説だろう。 次二には哭かされた。 心無い手管に哭かされる程に俺は落ちぶれちゃいない。 あくまでもそこには心が在る。
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ポエムがないと…
短編連作。 主人公は皆、天明六年元旦の皆既日食とともにこと切れる。 モノに淫する、という性向が技巧的な、なかなかの作品を生むことがあるが、 本作も文芸職人の手による、といって差し支えない出来栄え。 作者ももうベテランの域だし、久しぶりに読んで、ああ時代物も書くようになったのだな、と思った。 江戸文化というのを讃えて、 花魁の格好をしてみたりした(もちろん遊びで)女性学者がいたと記憶しているが、 遊郭で働く女たちは十代で体を酷使して、平均寿命は二十代前半、 性病やはやり病で死んでいったのだろう。 梅毒後期の患者の写真を一度でも見たことがある者なら、 彼女たちがどんな悲惨な末期をむかえたのかは容易に想像がつくと思う。 本作でも陰間茶屋で色を売る少年の、菊座を商売向きに広げるぞっとするような修行(?)が仮借なく描かれている。 というか、そういったぶぶんこそがこの短編集の真骨頂になっている。 つまり… こうした残酷な生の現実を描くのにはあってほしい(と私が願う)詩情が希薄なのだ。ないことはないけれど。 作者が一番描きたいのはつまり、これなんだな、とわかると、途端に鼻白んだ気分になる。 作者の昔の作品はいくつか読んでいるが、 どんな救いようのない物語でも、私は確かにポエムを感じた。 もしかして、作者は自らのトラウマを克服されたのでは…。 いらぬ詮索だが、そういうことまで読んでいて感じてしまうって、 やはり文学は恐ろしい。
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引き込まれる
凄惨な場面も多いのですが、文章の力に引きずり込まれ、最後まで読んでいました。
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トラウマ
かなりえぐいものが好きですが、吉次、特にあれはひどい。他が霞みます。 また読もうと思ってもなかなか手に取れません。 この先生の残酷な発想の源って何だろう。
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絶望感に満ちた傑作
細谷正充が解説で言うとおり、「最暗黒の時代小説」だ。 天明6(1786)年の元日に、実際に起きた皆既日食――その只中で息絶えていく男女5人の、死に至る絶望の日々を描く短編連作なのだ。 どこにも救いがない。が、まぎれもない傑作である。第30回柴田錬三郎賞受賞作。 主人公5人はいずれも、社会の最底辺を這いずるように生きている。 梅毒にかかった夜鷹、陰間茶屋で身を売る美少年、飢餓が常態化した八丈島で村八分に遭う若い醜女、無実の罪で伝馬町の牢に入れられる若者など……。 彼らが人生の最後に見るこの世の地獄が、濃密に描写されていく。 かなり読む者を選ぶ小説で、とくにうつ傾向のある人は読まないほうがいいと思う。 絶望感に満ちているだけでなく、痛い・汚い・グロい・エロい。 が、この手の小説に耐性がある人にはオススメだ。読み始めたら目が離せない強度がある。花村萬月の真骨頂だ。
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美しい文章で綴られた地獄絵図
天明六年正月元日に、それぞれの場所で絶命する五人の男女の物語。全員が凄惨な死に方をするので、心が弱っているときに読むと間違いなくトラウマになります。ただ文章そのものは非常に端正で美しいです。それだけに一層恐ろしさが募ります。
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やべぇよ
久しぶりにやべぇ小説読んだ 吉弥は救いようのないやばさ 次二は多少救われるやばさ