Shogakukan Nonfiction Grand Prize
我思うゆえに我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人
我思う、ゆえに我あり is nonfiction that patiently approaches its subject and connects individual experience with social structures. It draws the distortions of its time from concrete scenes.
Work Information
我思う、ゆえに我あり is nonfiction that patiently approaches its subject and connects individual experience with social structures.
我思う、ゆえに我あり is nonfiction that patiently approaches its subject and connects individual experience with social structures. It draws the distortions of its time from concrete scenes.
Book Information
- Publisher
- 小学館
- Published
- 2009-10-16
- Pages
- 352 pages
- Language
- 日本語
- ISBN-13
- 9784093897228
- ISBN-10
- 4093897220
- Price
- 2405 JPY
- Category
- 本/文学・評論
今年7月、判決確定から2年という異例の速さで戦後最年少で死刑執行された山地悠紀夫の2度の殺人事件を、週刊ポスト記者として取材した著者が、その取材データすべてをつぎ込んだ渾身のノンフィクション・ノベルス
Reviews
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「福田君を殺して何になる」とは比較にならない出来
「福田君を殺して何になる」を読んだあと、あまりにも、 被害者を蔑ろにした内容に腹が立ち、山地関連の本を読みました。 ルポルタージュと言いますか、ノンフィクションのお手本ですね。 山地死刑囚は、それ以外の償いはありえない。 個人的には、福田被告も同じだと考えている。 どちらにも思うのは、生い立ちが引き起こす人間性の歪みである。 誰もが、悩みがあり、不満があり、欲望があるだろう。 でも、みんな我慢しながら、他に喜びや愉しみを見つけて、 幸せを積み上げていく。何故、それが出来るのか。 それは、一番最初に触れ合う人。「親」との関係で築かれるのだ。 親に抱っこされて、教えられ、怒られ、愛されて育てられていく。 彼らには、それが無かった。この本は、その山地死刑囚の生い立ちを 丹念に綴っている。罪は罪として償うという点は揺るがない。 しかし、もし彼を誰かが愛してあげていたら、 何かが変わったような気がする。 誰かがずっと受け止めてあげていたら、事件が無かったかもしれない。 この本を読むと、そんな、哀しい、寂しい気持ちになる。 冷静に、しかし、関係者の話を丹念に聞き、そこに何があるのか、 を読者に問いかけながら、自問している。良書です。 彼に同情することはないですが、「でも」という言葉が浮かびます。 増田美智子氏は、これを読んでから書くべきでしょう。
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まあまあ
もっと本人の話が聞けれたらよかったのにと思います。 姉妹殺人のところとか少し薄い
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何故精神病患者を「理解」したがるのだろうか?そもそも無理だと気づけないのか?
ちょっとヤヤコシイ話だが良く考えてみて欲しい。例えば「肉体的疾患」であれば「異常」とは例えば「腫瘍」とか「正常細胞と異なり勝手に増殖し正常な肉体的機能に悪影響を及ぼす」ものだ。仮に「癌細胞」と仮定すると二種類の分類法を併せて治療法を選択・決定する。これには厳格なマニュアルが存在する。まず「細胞の悪性度分類」つまり顕微鏡で見た姿が完全に悪性なのが「クラスV」で正常細胞は「クラス1」である。問題はクラス「ⅢaとⅢb」という どっちだか解らない細胞だ。Ⅲaは胡散臭いが正常、Ⅲbは胡散臭いが悪性。次に体内における「進行期分類」を調べる。原発部位に癌が留まっていて小さく、かつ遠隔転移も隣近所の臓器への浸潤も無い。これば「ステージ1」だ。9割方治るとも言える。逆にあちこちに遠隔転移し、原発巣は近所の臓器に腫瘍細胞食い込んだ状態、これが「ステージⅣ」で基本的に原発巣は制御不能ゆえ対症療法が最優先される。ステージで治療方法は異なるが、基本はTNM分類というマニュアルで定められている(マニュアルに合わせて進行期分類が作られている)Tは腫瘍 Nはリンパ節 Mは転移の略である。 それでは精神科で言う「異常」とは何か?これは極言すれば「絶対多数に対する絶対少数」という事につきる。これにも分類マニュアルが存在する。それが一つにはDSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disordersつまりアメリカの分類法であり もう一つが世界保健機関(WHO)のICD-10であり両者ともしょっちゅう改訂される。各種精神科学検査で各々の疾患の定義つまり必要条件を満たせば「ああこいつは反社会性パーソナリティ障害」だとか言えるはずが「いやいや境界性パーソナリティ障害だ」何を言うか「アスペルガー症候群だ」と診断が割れる。何故か?マニュアルが白人(ホワイト)アングロ・サクソンでプロテスタント用に作られている為、信仰にラフで神様が多神教でウェットな人間関係を好み「常識」「良識」を美点と心得る日本人には納得出来ない分類法だからである。またフランスとアメリカで学派が別な事を言う為に同じ症状でも別な疾患に分類される。おまけに「学閥」でも違う。一つの症状で病名が決まってしまう可能性は否定しないが「アスペルガー症候群」の患者は人付き合いに難点があるが「多重殺人」「連続殺人」とは無縁な筈なのだ。何故精神科医は患者を「分類」したがるのか?医師である自分が書くのも何だが例えば我々が癌患者で診断ミスをしたとする。「進行度」ではなく「悪性度」を間違え悪性細胞を良性だと判断してしまったとする。当然、命に関わってくるから責任を問われ裁判沙汰になる。同じことが精神科領域でも起きそうなモノだがこれが起きないのだ。「彼はアスペルガーだから殺人事件を起こす可能性は非常に低い」と判断した患者の犯罪者が連続殺人犯なら無害と診断を下した精神科医は「誤診」でありヘタすれば被害者から訴えられる筈。これを避ける為に何としても「検査結果」と「マニュアル(DSMやICD)との整合性を調べるのだ。そして本来医師は職務上知り得た内容を第三者に漏らしてはいけない(刑事罰である)のに「あいつはアスペルガーだし」とか同意を得たいのか漏れたりする。 実は精神病患者と犯罪の関係を世界で初めて関連付けたのは悪名ばかり有名な先天性犯罪者説のチェーザレ・ロンブローゾ(Cesare Lombroso、 1835年11月6日 - 1909年10月19日)である。彼は犯罪者は遺伝する上先天的犯罪者が存在すると考え伊学派を作った。それに対し「いや遺伝は否定しないが社会学的な切っ掛けこそ重要だ」というフランス学派ラカサーニュ教授にコテンパンに攻撃された。その後ロンブローゾ学説はナチスに悪用され更に歴史の汚点扱いされる事になった。 だがここまで読んでいただいたレビュアーの方であれば「ん?でも遺伝してないか?治らないんじゃないか?生まれつきじゃないか?」と疑問を持たれていると思う。その通りである。そもそも犯罪を起こした段階で精神病としても悪性度が高く人間社会に浸潤し機能不全を引き起こすというのは進行期分類がⅣ以上である。黙って放置すれば必ず何事か重大事件を起こすのだ。精神科の検査は知能が高ければ幾らでも誤魔化す事が可能である。現に山地悠紀夫は慣れた検査で全て悪い結果を出してみせた。母親殺しの時に適当な初期診断とマニュアルとの相違、一見詳細に見える精神科学的検査の結果を併せてムショ行きで済んだのだが、何故か素人のルポライターやテレビ芸人精神科医が好き勝手な精神病をでっち上げ、あまつさえ症状が固定していない役立つとも思えないマニュアルと比較対照して典型的多重&連続殺人犯を「理解」しようとしているように見える。まさに誤診の結果が山道悠紀雄である。こいつを「アスペルガー症候群」と最初に診断した誤診病名が独り歩きした。語るべき自我は破壊衝動だが、それを言えば無期懲役になるから言わなかっただけだ。多少とも慣れたプロの鑑定医であらば「反社会性パーソナリティ障害」つまり「不安定な自己 - 他者のイメージ、感情・思考の制御不全、衝動的な自己破壊行為」に目を向けたろう。教科書的というべきか典型的というべきか、母親をバットで撲殺した行為に「シリアルキラー」の萌芽を見逃さなかったろう。エドモンド・ケンパー、ヘンリー・ルーカス、グレアム・ヤング、エド・ケンパー等々生まれも育ちも全く瓜二つの殺人者たちに思いを馳せなかったのか?それこそDSMに「分類不能な○○ガイ」と分類?されてるが、常識として「そんな人知らない」とは口が裂けても言えないだろう。エド・ケンパーとは余りにも遺伝歴も生活歴も社会的要因まで瓜二つじゃないのか?犯罪被害者のご遺族も精神鑑定医をバンバン訴えるべきなのだ。「お前の誤診の所為でウチの娘二人は惨殺されたんだ!責任取れ!」である。さなきだに、この小説の筆者に言いたい。「あなたはシリアルキラーを理解しようとしてるんだよ」と。もし理解できたら正常な社会生活は営めなくなるだろうな。「我思わない・我存在したくない」という奴は存在を消すしか無いんだと思う。こういう先天性犯罪者は今の時代増えつつあるのだろう。「FBI心理分析官」で多重殺人犯&連続殺人犯と面談したロバート・レスラーが「一生閉じ込めておくしかない」と断言する連中を「理解」する?思い上がりも甚だしい。人の心だけでも読めないのに生まれつき壊れてる人間をおいておや、である。
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反則です
実際に起こった犯罪を元にした小説です。というか作り話です。出版社とグルになって 本を売る為にやったのでしょうけど面白くないので読んで損した気分になってしまいます。 この出版社がこんな事するのかと呆れましたが、金儲けする為にはしょうがないですね。 本のオビでいいのでハッキリ、小説です、と表示してください、増刷分から。
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幾重もの悲劇のスパイラル
この事件は、実に多くの問題が見え隠れしている。家庭内暴力、薬物やアル中、いじめ、虐待、発達障碍、母子家庭の貧困、触法少年の更正と少年院のあり方、浪費による借金問題、あげればきりが無いくらいだ。 やはり、こうした負のスパイラルが幾重にも積み重なり、本人自身の生まれ持った気質と何重にもかけ合わさった場合、無惨な犯罪が生まれやすいのだろう。今、底なしの不況下にある日本には、第二、第三の山地家はいくらでも存在しているに違いない。 だからと言って、山地の犯した残虐な犯罪は断じて許されるべきではないし、死刑も当然だ。しかし、考えずにはおれなかった。どこかで、ある時点で、ほんのわずかのボタンの掛け違いがなかったなら、このように悲惨な被害者が3人も出なかったのではないか? おそらく、母親を惨殺した事に最も衝撃を受けたのが、他ならぬ山地ではなかったのだろうか。それゆえに、自身の衝撃を悟られない様に、ことさら露悪的に振る舞い、暴力を振るい続けた父親を慕う事で、母親殺しに対する後悔と逡巡する本心を隠したかった、そう思えてならない。それゆえに、彼は一人が辛かったのではなく、生きる事、生き続ける事に倦んだのだ。いずれにせよ、2度とこのような悲劇が起きない様に、無辜の一般市民に出来る事は無いのだろうか?考え続けなくてはならないだろう。 改めて、犠牲となった3人の女性たちのご冥福をお祈り致します。そして若くして刑死した山悠紀夫地自身にも…合掌。
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山地悠紀夫の人生
「死刑でいいです」も読みましたが、こちらの方が山地悠紀夫について深いところまで書かれていると思います。家庭科の先生はひどい方ですね…。もっと山地の事を気にかけてくれる人、母親が山地と借金のことなどをしっかり話し合っていればこの事件は起こらなかったのではないかと思います。とても悲しいです。
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宿命から、逃れでる道はないのか。
山地悠紀夫の一家を彼が生まれる前から知っていたという、民生委員の婦人が言った。「一万人の人が憎んだとしても、ゆきくんがかわいそうな子だったって、言う人が、私一人くらいいてもいいんじゃないかと…」母を金属バットで、執拗に撲殺し、全く無関係の姉妹を惨殺した、犯人は、知れば知る程、にっくき鬼畜!いや畜生は、こんな人間程残酷なことは、できない。殺しながら、犯し絶頂感に達し、その喜びが、忘れられない。人を殺したいと言う欲求を抑えられない。恐ろしい人間はどの様ににして生まれたのか?やはり、両親の結婚から、その夫婦に宿った命の宿命を感じないわけには、行かない。控訴も取り下げ早く死刑の執行を望んだ25歳の青年。生きる喜びや、将来の幸せや、希望も持てない人間に、弁護士、検事、裁判官の言葉も虚しく、聴こえてはいなかったのだろう。最後まで遺族に対しても謝罪のことばもなく、母殺しへの後悔もない。殺伐と干からびた彼の心を誰も、人間らしさによびもどすことは、できなかった。。言わば死ぬために、一連の事件をおこしたとしかいえない。但し、アル中で家族にDVを働いていた、父親を母親より尊敬して居た、という。それは、幼児期に父親が、廃材て、しばしば手作りの玩具を目の前で作ってくれた記憶が、あると言う。凄まじい暴力と他人の心に共感が、持てない彼は、何と言っても、置かれた境遇の影響だろうと思う。子供は親を選べない。「自分は、生まれてくるべきではなかった」と一言だけ心の内を話したと言う。父の手作りの玩具を抱きしめて、生きて欲しかったと思う。もちろんご遺族の無念さに、お慰めする適切なことばが、見つからずお嬢様たちのご冥福を 御祈りいたします。
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山地様の人生を把握できます。特に深い話ではありません。
面白かったです。2度目は要りません。 _本書は,著者の詳細な調査に基づくノンフィクション小説という型式となっています。 後書きに,「最後の"山地が被害者を物色する所にかつての恋人を重ね合わせる"という記述については著者の推測であり,他は事実である」とは言っていましたが,それ以外の場所でも人間の詳細な挙動・描写が記述されているところからして,そうは思えませんでした。調査に基づいた多くのフィクションが混ざっている感は私は受けました。 _本書の内容は,山地様の生まれる前の,両親・父方の祖母の記述から,死刑判決までの山地様の人生の軌跡をたどります:両親に恵まれなかった事実→学生生活→新聞配達員&恋話→母殺害→少年院→パチンコ店勤務→ゴト師→逮捕&釈放→ゴト師→殺人→裁判 という流れです。 _文体は読みやすい記述ですらすらと読めました。 感想: _ある程度凶悪犯罪関係のドキュメントを読んできた私からすると,山地様の人生には特段目新しさは感じませんでした。宅間守様の人生の系譜といったルポは本当に読みたいのにないのが残念な限りです。 _終盤の法廷での山地様が弁護士・検察官の質問に対して,「知りません」「黙秘します」等と無関心な返答ばかりし,自分を少しでも有利にしようという試みが全く現われていなかった点には,私は面白い人だなぁと思いました。多くの愚民国民共は,死刑事案の被告の一挙手一投足(例えば,自分に有利になるような発言など)に何かとつけ,「死刑が怖いんだろ」「逃げてる」と自分の偏りに満ちて穿った心理を被告に投影させ,決め付ける解釈で満足していますが,さすがに,山地様の様に,裁判でも終始無関心で何も語らず,死刑判決に対する弁護人による上訴を自ら下げる様には,その様な穿った見方は難しいんじゃないだろうかな,と本書を読んでる最中に透徹しました。
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