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沈黙 (新潮文庫)

Tanizaki Junichiro Award

沈黙 (新潮文庫)

Shusaku Endo

Silence is Shusaku Endo's novel about a Portuguese priest who enters Japan under the ban on Christianity and confronts persecution of believers and the silence of God. It probes faith, apostasy, and cultural rupture as problems lived by vulnerable human beings.

faithapostasypersecution of Christiansthe silence of God

Work Information

Why does God remain silent? A novel that keeps asking about human weakness and faith between martyrdom and apostasy.

The Shincho Bunko edition confirms this Tanizaki Junichiro Prize-winning work. Shinchosha's official page lists the publication date, paperback and ebook formats, page count, ISBN 9784101123158, and award information. ISBN-10 is supplied as 4101123152, matching the Amazon Japan book ASIN.

Review Summaries

  • The novel leaves a strong impression by examining faith not only as strength but also through weakness and hesitation. Though historical, it speaks to modern readers as a question of power, violence, and conscience.

Book Information

Publisher
新潮社
Published
1981-10-19
Pages
320 pages
Language
日本語
Size
14.8 x 10.5 x 2 cm
ISBN-13
9784101123158
ISBN-10
4101123152
Price
781 JPY
Category
本/文学・評論/文芸作品

「転びキリシタン」もまた、「神の子」なのか? カトリック作家が描く、キリスト教文学の最高峰。 島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。 神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。 著者の言葉 長崎で見た、踏み絵の木枠についた指の跡のことを、東京へ帰ってからも私は忘れられませんでした。夕べに散歩する時、夜に酒を飲む時、黒い指跡が目に浮かびました。 そして三つのことを考え続けたのです。ひとつは、踏み絵を踏んだ時の気持ち。次に、踏んだのはどんな人だったろうか。そして、私がその立場にたたされたら踏むかどうか。 強い信念を貫き通すより、踏む可能性の方がはるかに高いと思ったな。拷問は苦しいだろうし、やはり家族まで殺されるのは可哀そうです。私は弱虫なのです。これは、今日会場にいらっしゃるみなさんの三分の二は私と同じだろうと思う。 小説というのは、やみくもに書くのではなく、自分の視点から書くものです。そして『沈黙』は、〈迫害があっても信念を決して捨てない〉という強虫の視点ではなくて、私のような弱虫の視点で書こうと決めました。弱虫が強虫と同じように、人生を生きる意味があるのなら、それはどういうことか――。これが『沈黙』の主題の一つでした。(「波」2016年10月号、講演採録より) 本書「解説」より 主人公の必死の祈りにもかかわらず、神は頑なに「沈黙」を守ったままである。果して信者の祈りは、神にとどいているのか、いやそもそも神は、本当に存在するのか、と。 これは、キリスト教徒にとっては、怖ろしい根源的な問いであり、ぼくら異教徒の胸にも素直にひびいてくる悩みであろう。このモチーフを追いつめてゆく作者の筆致は、緊張がみなぎり、迫力にあふれていて、ドラマチックな場面の豊富なこの長篇の中でも、文字通りの劇的頂点をなしている。 ――佐伯彰一(文芸評論家) 遠藤周作 (1923-1996) 東京生まれ。幼年期を旧満州大連で過ごす。神戸に帰国後、12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て1955年「白い人」で芥川賞を受賞。結核を患い何度も手術を受けながらも、旺盛な執筆活動を続けた。一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品や歴史小説、戯曲、映画脚本、〈狐狸庵もの〉と称されるエッセイなど作品世界は多岐にわたる。『海と毒薬』(新潮社文学賞/毎日出版文化賞)『わたしが・棄てた・女』『沈黙』(谷崎潤一郎賞)『死海のほとり』『イエスの生涯』『キリストの誕生』(読売文学賞)『侍』(野間文芸賞)『女の一生』『スキャンダル』『深い河(ディープ・リバー)』(毎日芸術賞)『夫婦の一日』等。1995年には文化勲章を受章した。

Reviews

  • 重厚なのに読みやすい

    重厚でドラマチックな内容に引き込まれる。人間の拠り所について考えさせられる。 1センチ未満の単行本ですけそうなほど薄い紙の質感なのが読みやすい。紙はいいなと感じる。

  • 母との思い出の本

    母親の大好きな作家で幼少時から、いつも身近にあった本

  • 勉強になりました。

    当時の切支丹のいかに厳しいか、 事細かに感情の機微が記されておりました。

  • うー

    可哀想

  • 信仰は静寂の中で

    ポルトガルの宣教師が日本への布教を通して、自らの信仰、他者の信仰、信仰を超えた慈悲、救済に劇的に迫っていく。他人に信仰を植え付けていく難しさについても小説から見えてくる。小説はポルトガルのイエズス会による布教の最終盤にあたっていて、史実に基づいて肉付けがされているようだ。ネタバレを避けるため、感想のような形でレビューを記したい。ストーリーの展開はここでは触れない。 逃亡、迫害、過酷な拷問、処刑とともに宣教師ロドリゴの心境が語られ、鬼気迫る展開があり、一方で静寂が立ち込めている。静寂は日常の生にあるありふれた光景の中で、恐怖も暴力も淡々と成し遂げていく。劇画のような強烈な音も絶叫もなく、柔らかい日差しの下で恐怖が最高潮に達していく。静寂は、信仰者が苦境にあって神に問いかけようとも、神からの応答はなく、苦しみに対する救いの声も慈悲の声もなく静寂だけがある。苦悶の声だけが響いていて、信仰者にとってこの静寂は残酷である。この時代のキリスト教者の心境に自分をできるだけなぞらえると、本書の衝撃が感得できる。信仰者のような信心にまで、自分を没入させることは困難だが、当時の空気感を歴史事実から類推して、手元に現像することができれば、本書に漂う恐怖と絶望がジリジリと迫ってくると思われる。 キリスト教が擁護されて信仰が賛美されていた時には見えない、生と死に関わる信仰、神の存在の是非が禁教の世に浮き彫りになる。幸福な状況では確かに神の存在を感じやすいかもしれない。その状況に導いてくれたことを神のお陰だとして感謝し、幸福は神からの応答だと感じとれる。一方、逆境の中で状況がどんどん悪化していく時、神頼みでいくら祈ってもそれが止まらない、願いは聞き入れられず何の救いもないのは、神の存在も信仰の意味も感じられなくなることにつながる。この逆境にあっても信仰を持ち続けられるか。どこまで追い詰められても、神の応答はなく静寂のままであっても、信じることはできるか。貧窮と飢えで苦しんでいても、何の救いもない。そんな状況で信仰を保つことはできるだろうか。強い信仰もなければ、何かを強烈に信じることもない私にとっては、信仰者の苦悶に真に肉薄していくことは難しいが、静寂の中に突如殺到する死の表現が信仰者の絶望をありありと示している。 信仰の自由は現代では個人に許されている。内心も自由のうちにある。キリスト教の神でさえも個々人から眺める姿は違っているかもしれない。存在の意味も違っているかもしれない。たったひとりの神であったとしても想いは千差万別である可能性がある。その社会に根差した形に変容して信じられることはあり得そうだ。日本では神仏習合があり、八百万の神があり、アニミズムがあり、様々な物に神が宿ることもある。ひとりのイエス・キリストを一身に信じ、その一生を熟知している宣教師にとっては、信仰の方向は一つであり当然のことで、ブレることなどあり得ないが、無数の神が居る日本ではブレていくことがある。キリスト教者にとっては信仰の裏切りにも匹敵するのかもしれないが、八百万の神を認める人々によるその信仰は無邪気にさえ映る。しかし排他的な信仰は争いを生み、戦争を幾度も起こしてきた。それを思えば、八百万の神が共存するのは信仰の理想なのだと分かる。 重税によって貧困の中にあり、神にすがる。さらに禁教によって苦境に陥り、迫害の危機にあって信仰に助けを求める。宗教は救いを前提にした信念の在り方であり、存在意義としても、困窮に対する素朴で率直な救済が主眼であるはずである。しかし宣教師が直面したように、救いは訪れないことがある。いくら祈っても助けは来ない。そして絶望して自分の生きる意味すら見失っていく。強烈な信仰心はある時には毒になるとさえ思う。そこまで信仰に身を委ねてしまって、その梯子が外された時のことを思わないのは無謀だと感じる。現代の推し活にしても、信心が高じるのは没入感を得られる反面、危うさをはらんでいる。科学が発達して人はAIという神のような存在を作ろうとしている。それは神のような人間が喜ぶ応答をしてくれるだろうか。的外れな答えがいつまでも響いているのではなかろうか。 しかし信仰を諦めるのは容易ではない。一生を注いで積み上げてきた信仰であればなおさらだ。生活に根付いて、それを頼みにして支えにしてきたとしたら、生活から取り除けるだろうか。信仰に軸を置くのではなく、思い悩む自分の方に軸足を置いて、そこから外れないように保つことは大切かもしれない。推しに軸足を置き過ぎない。信じる対象を自分のところに引き寄せておく。自尊心として自分を高みに置いて、自信を持って社会を眺める。信仰によって高みを眺めるのもいいが、自分も自信を持って高みに立ち眺める。自分を尊び、他者に染まらないものを持つ。そして維持する。信仰という美名に隠して、他者に自分を委ねることをしない。依存するのではなく、自ら立ち、他者と共存する。他者を信じることはするが、盲目的に信仰することは避ける。信じることは、いつの間にか委ねることになっていないか。自分を根っこから抜いてしまって、相手に放り投げてしまっていないか。高みを仰ぎ見ていたとしても、自分は自分でそこに立っているか。 本書から自分なりの教訓を得たので、ネタバレを避けるためにもつらつらと感想を述べてしまった。『利他・ケア・傷の倫理学』(近内)ではロドリゴが教会の道徳(規範)を破り、他者へのケアのために自分が変容していく。規範から飛び出し自分の足で立ち、他者との共存のために自分が変わり、利他に及んでいく。信仰が教会の規範に絡め取られて、個人の元にない。それが神の沈黙に行き着いていないか。そういう読み方もできる。 どちらにしてもとりとめのない感想になったが、ロドリゴの心境の変遷は劇的であり、読者のこころの声に乗り移ってくる。

  • クリスチャンの遠藤周作さんの目線で書いてある小説では今日ありました

    中学の時オカルトのようなこ様に思っていたのが今になってよくわかってよかったです

  • 面白かった

    面白かった。

  • 自分の考えを相手に伝える前に、相手のことを知らないといけない

    相手に何かを伝える時、相手がどういう人なのかを知らなければいけません。 それが、宗教のように個人の世界観の根幹に関わるものであれば、なおさらです。 自分にとって何より大切なことでも、相手にとってはそうでないかもしれない。 そもそも、自分の大切なことが何なのかを自分自身もちゃんとわかっていないかもしれない。 そういう視点を持つ大切さを学べる物語でした。

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