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穴

Oda Sakunosuke Award - Grand Prize and Former Newcomer Prize

Hiroko Oyamada

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Work Information

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Book Information

Publisher
新潮社
Published
2014-01-24
Pages
160 pages
Language
日本語
Size
13.5 x 1.6 x 19.7 cm
ISBN-13
9784103336426
ISBN-10
4103336420
Price
1400 JPY
Category
本/文学・評論

仕事を辞め、夫の田舎に移り住んだ夏。見たことのない黒い獣の後を追ううちに、私は得体の知れない穴に落ちる。夫の家族や隣人たちも、何かがおかしい。平凡な日常の中にときおり顔を覗かせる異界。『工場』で新潮新人賞・織田作之助賞をダブル受賞した著者による待望の第二作品集。芥川賞を受賞した表題作ほか二篇を収録。

Reviews

  • とても良い小説

    「穴」ですが、不思議な世界観で面白かったです。考えてみると、自分の人生にも予期せぬ”穴”に出会うことがあり、そこから抜け出すのに時間と労力がかかりました。色々なことを考えさせられる素晴らしい作品だと思います。一点だけ注文を付けるとすれば、改行が少ないので慣れるまで読みにくかったので、もう少し改行を所々増やしてくれると、なお良かったと思います。 「いたちなく」を読んで、若い頃お世話になった職場の寮がしばらく人が住んでいなかったようで、ネズミの死骸が何匹かあったのを思い出しました。さすがに、いたちはいなかったのですが。 「ゆきの宿」ですが、娘が生まれたときのことを思い出しました。生命の誕生は周りの人も巻き込んで、幸せな気分にさせるものです。 全体的に、この作家さんの作品は地味だがしっかりした小説で、他の作品も読んでみたくなりました。

  • 奇妙な話

    ちょっと奇妙な感じのお話し で、結局何の話なのか焦点が定まってない印象

  • 主体性が無い女は穴に落ちる

    物語の前半は、派遣社員で働く私。 同じ派遣社員の同僚から語られるグチが、 リアルでちょっとイカレている。 既に同僚は、ある種の穴に落ちている模様。 後半では夫の転勤に伴い、 派遣社員を止めて何もない田舎に引っ越した私。 義家族の隣での生活が始まる。 やる事もなく、だんだん自分を見失い、 奇妙な穴に落ちる。。 主体性なく流れるままに生きる女は、 皆、自分を見失い、 どこかの家に組み込まれてしまう。。 実際には存在しない義兄の登場は、 潜在意識からの警告だろうか?

  • とても繊細です

    映画のカメラワークを描写しているような文章…時々どきりとする内容…だけど身近…でもなんだかハッピーエンド…繊細な表現力の著者に今後も期待します!…

  • 水増しした文章

    小山田浩子「穴」は第百五十回芥川賞受賞作品。私は眼が悪いので、最近はほとんど小説を読んでいない。芥川賞の発表のときに文藝春秋を買って読む程度である。だから、いまの小説の「文体」というものになじんでいないのだけれど……。 読みはじめてすぐ、つらいなあ、と感じた。読みづらい。 私は夫とこの街に引っ越してきた。五月末に夫に転勤の辞令が出、その異動先が同じ県内だがかなり県境に近い、田舎の営業所だったためだ。営業所のある市が夫の実家のある土地だったので、手頃な物件でも知らないかと夫が姑に電話をかけた。 書き出しだが、最初の文は読めたが、あとは、うーん、つらい。ことばに「音楽」がない。「音楽」のかわりに、「説明」がある。「転勤」「辞令」「異動」は、同じことをいいえ変えているにすぎない。「県内」「県境に近い」「田舎」も、私は同じことを書いていると感じる。ことばが進んでゆかない。停滞している。しかもその停滞が、「名詞」の言い換えにすぎない。動いているのに、動いても動いても同じところにいるという不条理な停滞ではなく、動きはまったくないのに「名詞」を書き換えることで動いているように見せかけている。「営業所のある市」「夫の実家のある土地」も同じ。情報量が少ないのに情報量が多いふうに装っている。情報の少なさを「名詞」の書き換えでごまかしている。 こんな比較は間違っているのかもしれないが、森鴎外や志賀直哉だったら半分のことばで書いてしまうだろう。小山田の文章は「散文」になっていない。「事実」をつかんで、「事実」を積み重ねて進むという散文精神が抜け落ちている。 「じゃあうちの隣に住めば?」「隣?」「うちの借家があるじゃない。ついこの間空いたのよ」姑の声はよく通り、夫の脇にすわっている私にまでその声が聞こえた。 「名詞」が重複しない場合でも、同じである。 「ついこの間」は、ひどく説明的である。読んでいて、いらいらしてしまうくらい、もたついていて、とても母と息子のやりとりとは思えない。「ついこの間」なんて説明はしてもらわなくてもいい。ないほうが「ついこの間(突然)」という感じがわかる。書かなくていいことが、小山田の文章には多すぎる。「声はよく通り」「脇にすわっていた私にまで(略)聞こえた」も、書かなくてもわかることがわざわざ書かれている。省略したのは「その声が」ということばだが、ないほうがことばの運びが速くて、軽く読めるでしょ? まあ、速い文体を避けた。現実にはりつくような文体を作り上げた、と言えるのかもしれないけれど、私には、ただぎっしりとことばを埋めたみたという感じしかないなあ。 ことばに飛躍がなく、飛躍のつくりだすリズムがなく、ことばが「音楽」として響かない。私は黙読しかしないが、このしつこい説明にげんなりした。声で聞いたりしたら、さらにげんなりするだろう。小山田は自分の書いたものを声にして読んでみたことがあるのだろうか、と疑問に思った。こんなにまだるっこしくては、舌がもつれてしまう。のどが疲れてしまう。 私は卓上のメモに『一戸建て?』と書いて夫に見せた。夫はうなずき、手を伸ばしてそのメモに『にかいだて』と書いた。 これは映画の一シーンにすればおもしろいだろうなあと思う。でも、小山田のことばではスピードが遅すぎて、影像がスローモーションになってしまう。「書いて夫に見せた」と書かなくても「書いた」で十分夫に見せたことはわかる。夫に見せたくて書いているのだから「見せた」と書かれると、「シーン」を見ている(現場に立ち会っている)というよりも、ただことばを聞かされていると感じてしまう。「事実」を明確にするためにことばを動かすというより、ことばを動かすために「現実」を利用しているという感じ。「小説」を読んでいるというより、小説になる前の「未整理のことば」を読んでいる感じといってもいい。「手を伸ばして……」の部分で言えば「そのメモに」がのろのろしすぎている。説明が多すぎて、つまずいてしまう。せっかく『にかいだて』とひらがなまでつかって「現実」を明確にしているのに、「そのメモに」などと書いてしまう神経がわからない。「そのメモ」以外の何に書くのだろう。手まで伸ばしているのに。 私は卓上のメモに『一戸建て?』と書いた。夫はうなずき、手を伸ばして『にかいだて』と書いた。 省くと速くなるでしょ? 「書いた」という動詞が「見せるために」(声に出して聞く替わりに)を含んでいることは、状況から「わかる」でしょ? 「肉体」で「わかる」ことを小山田はことばで説明するから、その説明を読んでいる間、「肉体」の動きがスローモーションになる。「肉体」のなかで融合しているものを、わざわざ「頭」で分離して、文字を読まされている感じがしてしまう。 こんな文章が芥川賞でいいのかなあ。 好意的に読めば。 このくだくだしい文体、現実に触れるというよりも、現実の表面を何度も何度もなぞることで、ことばと現実の間に何も入れないようにしておいて(何も紛れ込ませないようにしておいて)、「黒い獣」「穴」という非現実(説明を省略した何か)を印象づける--ということかもしれない。 こりゃあ、知能犯だね。確信犯--ととらえれば、まあ、そうなのかもしれないが、でも、選考委員はこれくらいの「確信犯」に「まいりました。おみごと」と言ったわけ? 選考委員の理想の文体(?)は、こういう「頭でっかち」のしつこさ? なんだかげんなりするなあ。 あ、私の感想は、ぜんぜん好意的に読めば、になっていないね。好意的になろうにも、書くとすぐにいやになってしまう。 でも、一か所くらいは、おもしろいと書いておこう。 葬式の「一本花」の部分、参列した老人のことば、 「お花がね、こういう時は一本。いっぽんにするのよ。それがこのへんの決まりなのよ」「よそじゃ知らんが」「あらよそじゃ違うの?」「よそのことなんか知らんが」「とにかくいっぽんばなよ」 だけはおもしろかった。ここには「よそじゃ知らんが」「よそのことなんか知らんが」と、ほぼ同じことばが繰り返されている。しかし、ことばは同じなのに「感情」がまったく違っている。「感情」が違うことで、ことばに「音楽」をつくりだしている。この瞬間に、ことばでは説明できない「肉体」がみえる。あ、「わかる」と「肉体」が納得する。こういう言い方を、ひとはするものである。そして、そういう言い方をするときの「人間」の顔や形がぱっと浮かんでくる。そういうことを言う「おばあさん」を「肉体」が思い出してしまう。 小説とは、たぶん、同じことばなのに「意味が違う」と感じさせることばの運動のことなのだ。「意味が違う」のに、説明抜きで「わかる」と感じさせてくれることばなのだ。ここに書かれている「会話」のように。 この、ことばにならない「わかる」が響きあって、小説の「音楽」をつくる。それを聞くのが「小説」の楽しみというものだ。

  • よくわからない?

    これが賞を取った作品? あまりにも突拍子的、空想的。宣伝文句に期待外れ。 わたしが文化人でない凡人かも。

  • ほぼ誰にも似ていない素晴らしさ

    「穴」『新潮』2013年9月号所収 夫の転勤で非正規の仕事を辞め、大雨の日に夫の実家の隣に建つ借家に越してきた視点人物の『私』はその家で殆ど何もすることがない生活に気付いてしまう。 途中で生命連鎖の話が出てきて理に落ちるのかなとヒヤヒヤしたが、結構強引にそれを回避し情にも流れなかったのは流石。薄気味の悪い描写が多い中で葬式の場面でご近所の(もしかしたら殆どが架空の)老人たちがワラワラと現れるシーンが出色。 「いたちなく」『新潮』2013年7月号所収 三が日も過ぎた頃、視点人物『僕』の許に若い妻を貰った友人からの引越しと結婚の報せが届く。築五十年の家を買い、リフォームしたところまでは良かったが、いたちの出現に悩まされているという。不妊に悩む妻を伴いシシ鍋をご馳走になりに友人宅に向かう視点人物夫婦だったが…… いたちに対する処置が豆知識になっていて面白いが、話としては妻の不妊がその輻輳に繋がってゆく。 「ゆきの宿」書き下ろし 「いたちなく」の続編。友人の妻が子を産んだ。『僕』の妻はいつの間にか友人の妻と懇意になっていて彼女の母が現れるまで――また『僕』の友人と連絡が取れるまで――ずっと病院で付き添いをしたのだったが…… 前話に登場する意地悪婆さん(ババア)が趣向を変えて再登場して生命連鎖の妖精(?)役を担う。 一冊を通してテーマが明確になっているが、その分インパクトに欠けてしまったのが残念。

  • 楽しい本で現在読んでいます。 現在の世の中をうまく表現していると思いました。 むつかしい漢字があるので時にはフリガナも必要です。

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