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江藤淳は甦える

Kobayashi Hideo Award

江藤淳は甦える

Hirayama Shukichi

Shukichi Hirayama's Eto Jun Revives is a full-scale biography of the critic Jun Eto, built from extensive research and documentation. It follows his work on Soseki, postwar criticism, American experience, conservative thought, marriage, and final years, rereading postwar Japanese discourse through Eto's life.

Jun Etopostwar criticismconservative thoughtliterary biography

Work Information

A substantial biography that brings the central postwar critic Jun Eto back into view through both his brilliance and his wounds.

Published by Shinchosha, the book grew out of serialization in Shincho 45 and was shaped into a large biography with a bibliography of Eto's writings and a name index. The Kobayashi Hideo Prize recognized its patient, source-based reconstruction of a major figure in postwar literary and intellectual history.

Review Summaries

  • The review values the book as a biography that interprets Jun Eto as both sharply logical and vulnerable. Its analysis of ideological transformation and the American experience is especially compelling as an intellectual history of postwar Japan.

Book Information

Publisher
新潮社
Published
2019-04-25
Pages
783 pages
Language
日本語
Size
14.2 x 4 x 19.7 cm
ISBN-13
9784103524717
ISBN-10
4103524715
Price
4070 JPY
Category
本/文学・評論

没後二十年、小林秀雄が後継者と認めた戦後を代表する批評家の決定的評伝! 「日本という国はなくなってしまうかも知れない」――「平成」の虚妄を予言し、現代文明を根底から疑った批評家の光と影。二十二歳の時、「夏目漱石論」でデビューして以来ほぼ半世紀、『成熟と喪失』『海は甦える』など常に文壇の第一線で闘い続けた軌跡を、自死の当日に会った著者が徹底的な取材により解き明かす。新事実多数。

Reviews

  • 江藤淳の素顔

    保守派の言論人あるいは文芸批評家、戦後占領期の研究者など。江藤淳氏には様々な側面がある。それぞれの側面を簡潔に、明瞭にまとめた評伝である。大部の書ではあるが、一気に読んでしまった。夏目漱石論、小林秀雄論に始まり、「幼年時代」で絶筆となる、その文学活動の背景がよく理解できた。江藤氏は言う。批評家とは機能(役割)なのか、存在(表現)なのかという問題があり、「自分の存在が責任をとった表現」だけが批評の自律性を獲得できると。批評家は文芸作品の単なる紹介者ではないのである。

  • 隙のない、だが面白い評伝

    本書は、今年の暮れから来年にかけての「2019年の収穫本」アンケートに、多くの人によって選ばれるだろう。 時間をかけた徹底した調査による全てを描こうとする企図、その企図を支えたに違いない対象への情熱、だがその一方で偏りに陥っていないと思わせる覚めた視点、何よりも読ませるのは、その横溢する研究欲とは肌合いの違うジャーナリスティックな文章さばきである。 いくぶんか既読感を感じさせる私にとって周知と言える部分がなくはないにせよ、全篇圧倒的な新資料の続出で、まさに「書く」ということは誰かが書いていないことを書くこと、また書くに値することを書くことだと思わせる見事な成果だ。 たとえば、『一族再会』のなかの「お国をこんなにして、大勢人を死なせて、陛下は明治さまになんと申訳をなさる」という祖母の言葉は複数の江藤淳論に引用されただろうが、昭和天皇死後のエッセイで「日本をこんなにして、陛下は明治様に何と申訳をなさる」と「大勢人を死なせて」がカットされ、マイルドな表現になっている差異など、誰か気づいたとは思えない。 似たような指摘は他にもあるが、そうした時によって微妙に表現が変わる細部への注意は、江藤淳全著作を丹念に読むことなしにはありえなかったろう。 ところでこの「大勢人を死なせて」という言葉から連想することがある。江藤淳は、「日本という国はなくなってしまうかも知れない」という自らの不安を天皇という君主の存在と、あまりにも結びつけすぎていはしないかということだ。私はもしも一般的な日本人が、昭和天皇に対しある尊崇の気持ちを抱いているとしたら、それは天皇が自分(たち)の存続より、多くの日本人の生死を第一義に考え、戦争を止めることを決意したと思っているからだと推測する。多くの人は自分のこと以上に天皇家のことを大事になどとは考えていない筈だ。だが同時に、ある琴線にふれるところで、戦争終結に向けた昭和天皇の決断を「評価」したと思う。 江藤淳は不思議な人だと感じた。晩年になって日常的に接した市会議員の松中の妻は彼の「君たちのお陰で、人情というものを知ったよ」の言葉に、これまでの彼のことを考えて驚く。人情に通じないで、文学ってわかっていたの、と。ある意味において、江藤淳にはごく普通であることの何かが欠如していたのかもしれない。だがまさに、そこに彼のたぐいまれな独自性の一端があったのだとも言える。

  • 「書かずにはいられない文士」の豊かさが私の中に甦へって来た!!

    ゴールデンウィークがほぼ終りとなる五月五日に神田神保町のとある本屋の店頭で本書の存在を知りました。忘れられさうになってゐた名批評家・江藤淳の評伝を大いに注目して目立つ位置に積み上げ取り上げてゐる姿勢に私は意を強くしました。この十年で、斎藤禎が「江藤淳の言い分」を出し、中央公論が「江藤淳1960」を出し、辛うじて世間の江藤淳への関心が保たれてゐると私は思ってゐました。私にとってこの大部の評伝刊行は福音のやうな出来事でありました。歿後二十年といふ節目で漸く江藤淳ブームが起きて来たやうで嬉しかったです。そして、本書を買ひ求めて読み始めました。筆者・平山周吉の文章は、適度な距離感を持ちつつ、嫌みなく冷静に江藤淳の実人生に迫って居り、心地よく読み進められました。文藝評論的な著作を除けば、私は昭和四十年代以降の江藤淳の著作を大体読んで来ましたが、本書で今回随分と新しい情報とかなり深い理解が得られました。列挙してみますと、先づ、江藤淳の幼少年時代過ごしてゐた大久保百人町が、私の大学時代に住んでゐた戸山ヶ原のアパートの直ぐ傍であり、陸軍の施設や海軍に馴染みある土地であった事を改めて再認識できた事です。二つには、湘南中学、日比谷高校時代の多感な時期に学生活動を多彩に繰り広げ、音楽的にも、演劇的にも、文学的にもかなりの早熟ぶりを発揮して、その跡を辿れる程に活動、活躍してゐた事に大いなる驚きを感じました。クイズダービーで有名だった篠沢教授も別の所で江藤淳と親しかった事を書いてゐましたので、今更ながら裏書きされた形であります。三つには、日本浪曼派詩人・伊東静雄の「反響」に出会ひ、少年江頭淳夫が敗戦と戦後の哀しみを癒やされてゐた事実は今回初めて知りました。三島由紀夫や保田與重郎との近さを改めて認識しました。四つには、デビュー作「夏目漱石」が出る産婆役になったのが「三田文学」の親友・山川方夫であり、妻となった江頭慶子だったといふ筆者の指摘は的確だったと思ひました。後に交通事故で先立ってしまった山川の事を繰り返し何度も文章にし、恩義と感謝と喪失感を述べてゐてまさに人生のキーマンだった事を感じました。五つには、プリンストンでの二年間のアメリカ生活とそれから日本に戻って来た意味をかなり深く掘り下げてゐる事には脱帽しました。日本なるものの再発見の時期であり、日本に戻っての生活は自分と戦後日本との向き合ひが求められる中で苦悩し、新しい創作活動のヴェクトルを体得した重要な転機でありました。江藤淳を江藤淳足らしめるための苦闘と創作の時期と言へるかも知れません。六つには、戦後の占領、検閲、憲法への異議申し立ての昭和五十年代以降の活動が華やかではあっても、相当の反撥と憎悪と生き埋め状態とも言へる事態が続いて起きてゐた事を伝へてくれたのは貴重でした。先に斎藤禎が伝へてくれてゐましたが、改めてその苛酷さの雰囲氣が分かった氣がしました。七つには、小渕内閣時代に江藤文相があり得たといふエピソードには深い感慨を覚えました。最後に、筆者は江藤淳が書く事で危機と対峙し、世界とわたりあって来られた趣旨を述べてゐます。「江藤淳という文学者は『書かずにはいられない』文士であった」といふ指摘には、深く同意するものであります。今回の評伝を通して私の中に江藤淳といふ豊かなる世界が甦へって来た思ひを感じて居り、筆者に対して心から深く感謝する次第であります。

  • 江藤さんの生きざま

    没後、改めて江藤淳さんの評論家としての素晴らしさを知りました。

  • 読むのに疲れる。

    とても量が多くて読むのに時間がかかった。しかし興味が惹かれる、面白いというところはあまりなかったように思った。それは、この本がメモか資料である段階から脱していないからだろうと感じた。著者は自分の思想哲学に基づいて遠慮なく江藤淳を切り刻めば、本は面白いものになっていたかもしれない。

  • 江藤淳をめぐってあたうかぎり事実のみを追いもとめた本

    本書の帯に、「没後二十年、自死の当日に会った著者による決定的評伝」とあります。 著者は江藤淳(1932-1999)が自死したとき、文藝春秋社発行の文芸雑誌『文学界』の編集長だったようですが、本書をめぐって自身の肩書きや経歴についてはたぶんあえて表に出さないようにしている印象があります。 自身はあくまで編集者だったので、江藤淳の生涯をたどる本書を書いたところでやはり黒衣のままでいたいという謙虚な意思がそこに感じられなくもありません。 それにしても本書は、江藤淳の単純な伝記とも評伝とも少しちがうようなところがあります。 伝記というのは、ひとりの人物へのただならぬ関心があればこそ書かれるものであるわけですが、書き手が対象への距離のとりかたがじゅうぶんではないとき、たとえば対象への敬慕や鑽仰の思いがあるようなとき、対象の負の部分にはできるだけ触れようとはせず、ただひたすら尊崇の一念のみで書かれた聖人伝ふうのものになってしまうところがしばしばあります。 本書にはしかしそういう欠点はないように見うけられます。 むしろ本書では、慶子夫人に宛てた江藤淳のちょっと恥ずかしいような内容の手紙(斎藤茂吉の例の「ふさ子さん」あての手紙を思い出させます)とか江藤淳晩年の愛人のこととかが、べつだん偶像破壊という意図もなく、淡々と紹介されたり言及されたりしています。 では、本書が、事実がわからないときは推理や想像で最小限事実の隙間を埋めることがあるとしても、できるだけ客観的に(逆にいうとできるだけフィクションを排して)、精査した事実関係のみを丹念につなげて、対象となる当該人物の生きたありようを丹念に批評的=批判的観点もまじえて再構成しようとする評伝風かというと必ずしもそうとはいえないところがあります。 本書を評伝と見なすには、江藤淳の生であれその文業であれ、人物や作品の本質に迫ろうとする(ときに厳しい)批評的=批判的視点があまりないということです。 いや、もちろんそれが本書にないわけではありません。たとえば、江藤淳が芸術院会員に選ばれたとき発表した彼のエッセーに見られる「臆面のない喜びよう」について、著者は「『地位と名誉』ですっかり元気回復というのが、いかにも江藤淳らしい。これでは体制派の御用文化人と誰にでも思われてしまいかねない」と書いています。ただ、そこでは江藤淳の俗っぽさに著者も俗っぽい皮肉を飛ばしているような感じがあります。 評者が言いたいのは、本書が、たとえば江藤淳のおこなった数々の批評をたどりながら、そこにさらに丹念に批評的吟味をくわえ、なんらかの批評的判断なり評価をその都度下していくといったていの文芸批評的な態度で書かれていないということです。さらにもう少しいわせていただくと、文芸批評として自立するような文体的魅力にとぼしいなあということです(著者がそういうことをねらっていなかった以上もちろんこれはないものねだりなのですが)。 いっぽうで、江藤淳が書いたものを可能なかぎりすべて読みなおすことにとどまらず、中学時代であれ大学時代であれ、その後批評家になってからであれ、生前の江藤淳を知る人びとが江藤淳について書いたものを徹底的にさがし求め、さらに直接的な裏付けともなる確かな証言を求めて関係者への著者による探訪や取材があたうかぎりなされているところは本書の圧巻ともいうべきところです。これこそが本書のもっとも評価されるべき部分で、そこにこそ著者の真面目(しんめんもく)があります。 とにかく本書のどのページを読んでも、江藤淳をめぐる興味深い事実やおもしろいエピソードが満載で、一読したあと、あらためてあちこちのページを拾い読みしてみても、ついまた読みふけってしまうほどです。 しかし可能なかぎりなされた事実への追求にもかかわらず、それでも人間には闇の部分というものがあって、江藤淳という人物について本書でどうしても明らかにならなかったものがあります。 そのひとつが江藤淳の「昭和29年夏の自殺未遂」の真偽。 あるいは西脇順三郎との関係。もう少しくわしくいうと「江藤は西脇先生から蛇蝎の如くに嫌われていたという噂」の真偽。 あるいは本書ではさほど触れられていない、江藤淳が妻慶子夫人にふるったとされるDVの真相。 そしてまた江藤淳の自筆年譜などにおける生年ないし年齢の詐称問題(じっさいは昭和7年生まれなのに8年生まれと自称していた)も、いろいろな推測が可能ながらも、けっきょく著者はその理由を江藤淳に直接訊けなかったと語っています。 ほかには、神戸に住む姪っ子が東京の高校へ進学したのをきっかけに、子どものいない江藤家に彼女を住まわせ、そのあと養女にということもありえたにもかかわらず、姪っ子が高3になった秋、突然「慶子夫人の態度が激変し」、「出て行きなさい」と急に彼女を追い出したのにはどういうわけがあったのか。 著者は「慶子夫人が爆発したのには江藤の別の『潤一郎・荷風』問題があったようである」とあいまいなことばで推測をするのですが、当時あった江藤の女性問題のとばっちりをうけたということなのでしょうかね… いっぽうで、そうだったのかという事実が明らかにされています。 自民党新総裁になった小渕恵三から電話(いわゆるブッチホン)であった文部大臣就任への要請。 江藤淳はそれに「家内が入院していますので、それどころではありません」と断り、電話を切ったということのようです。 あるいは、江藤淳が、アメリカ占領軍が戦後日本でおこなった検閲の実態の現地調査のため、1979年から9ヶ月間にわたって滞在したアメリカで講演中に謀殺されそうな危険があったというエピソード。 ただしそのエピソードが載る江藤淳のエッセー「ピストルと情報公開」にたいして、その講演の場にいたと江藤が書く田久保忠衛自身の記憶は違っていて、著者の取材に応じた田久保は、江藤のエッセーを、フィクションでないとしたら酔っ払って書いたとしか思えない「不思議な文章」としています。 あるいは江藤淳における文学に向けられた関心のほうでは、著者の見立てによると「いつしか江藤の中で、漱石は[徳田]秋聲に押され気味になっていた」とのことで、平成3年(1991年)に『漱石とその時代』第三部となる漱石伝を再開しはじめたころ、「江藤は最晩年の漱石よりも秋聲の小説をおそろしいと感じて」いたということ. これはこれで興味深いものがあります。 なおついでに書きそえておくと、本書と関連して、今野浩『工学部ヒラノ教授』(新潮文庫)に、東工大教授時代の江藤淳について、大学での同僚の立場からのユーモアをまじえた描写があったのがいま思い出されます。 理系の東工大では、一般教育課程(同大学の現在の組織としてはリベラルアーツ研究教育院)の教員に、世間でよく知られた文系の著名人を積極的に迎えるようにしているようで、江藤淳在職のときは永井陽之介や磯田光一などが前後にいて、最近では橋爪大三郎や池上彰、現在は國分功一郎、若松英輔、中島岳志などが教授になっていますね。

  • 江藤淳がますます嫌いになる

    雑誌連載中に読んでいて、題名とは裏腹に、江藤淳をかなり軽蔑しつつ書いていることが分かった。若いころのヘンテコなところが取材で掘り起こされているし、極めつけは連載最終回の、夫人への手紙の、キミの体を思ってオナニーしているというところで、これは夫人が生きていたら活字にできなかったろう。あと結婚してからの愛人だった亀清楼の藝者だった愛人「タマキ」が、慶子夫人の数日前に死んだことも最後のほうに書いてある。 あと書いてほしかったのは、福田和也との関係だが、これは書けなかったのだろう。江藤が評価しない村上春樹を絶賛した福田を、江藤がどう思っていたか。 しかし読めば読むほど、地位と名誉を欲しがってそれをなぜか手に入れてしまう絶対俗物であったなあ、と思わざるをえないのである。 あと不思議に、三島事件の時の江藤が描かれていない(まあ私が書いたからかもしれないが) 小さいことながら734p、鎌倉文庫を、川端康成を中心に、と書いているが、久米正雄が正しいだろう。

  • 素晴らしい評伝?というより、内部告発!?

    素晴らしい評伝で感心した。「評伝」とはあるが、「内部告発」に近いのでは無いか。江藤淳と長年親しく接してこられた著者だからこそ書き得た内容で、極めて価値が高い。江藤淳の内面、江藤淳を江藤淳たらしめたその背景を知る好著。何故今江藤淳が再評価されるのか頷かれる。

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