メディアの興亡
This nonfiction work uses the computerization of newspapers as its axis to depict changes in reporting, distribution, and page production within a major media industry. It follows how technological innovation reshaped organizations and working lives from inside the newspaper world.
Work Information
A portrait of newspaper people facing pride and conflict as computers entered the production of the printed page.
Published by Bungeishunju, the book links the shift to computerized newspaper production with changes in circulation battles and reporting systems. It reads as a group portrait of a media industry absorbing the pain of modernization.
Book Information
- Publisher
- 文藝春秋
- Published
- 1986-06-01
- Pages
- 676 pages
- Language
- 日本語
- ISBN-13
- 9784163406404
- ISBN-10
- 4163406409
- Price
- 318 JPY
- Category
- 本/社会・政治/マスメディア/ジャーナリズム
第17回(1986年) 大宅壮一ノンフィクション賞受賞
Reviews
-
My愛読書No.1! 杉山ワールドのプロローグ。
本書との出会いは、今のようなネット時代ではない30年ほど前、JR大阪駅のKioskで新聞・雑誌の即売のバイトをしていた頃だ。いや、厳密には新聞即売会社がKioskから店舗を間借りし、それらの即売を営んでいて、その即売社が直接の雇用主だ。 それまで新聞は実家で朝日か読売をとってくれていたものの、ラ・テ欄や天気予報、あとは三面記事やスポーツ面、趣味の将棋欄を見るくらいだ。ましてや政治・経済・国際面などという高尚な(?)いわゆる硬派記事は、高校時分に政経が大得意だったものの殆ど分からず、目にも止めなかった。 強いて言えば1986年(昭和61年)の中曽根政権時の衆参W選挙の結果や、これも鉄ちゃんとしての立場上、国鉄改革の行方くらいの関心しかなかった。もっとも、その選挙の争点のトップが他ならぬ国鉄改革だと勝手に思っていて、分割・民営化に基本的に賛成だったことから、自民党その他の推進・賛成派の党の行方を見守っていた。 半年ほどして仕事にも慣れ、そろそろ「商品知識」を身につけたいと、とりあえず株式投資の勉強を始めた。当時はNTT株上場後の財テクブーム初期で、今は産経夕刊に統合され事実上廃刊した大阪新聞、その最終版に東証一部の大引け値が出ていることもあり、夕方のラッシュアワーも手伝って飛ぶように売れた。また、入荷・販売部数は微々たるものの、證券新報や証券日刊(共に後に廃刊)や、追って株式新聞まで扱うようになり、単なるサービスに過ぎないが、先輩らに頼ることなく自ら進んで、客が質問してきた時の案内を試みたくなっていった。 そうなると必然的に日経新聞への関心も出てくる。しかしウチでとったことがないばかりか、他所で一瞥すらしたこともない代物だ。そこで何か日経新聞解説書でもないかと探し、手に入れたのが、先にレビューした『マンガ版 日本経済新聞の読み方』(石井勝利・さいとうはるき共著・明日香出版社)、そしてその中で「日経新聞の凄さを知る最適な書物」と紹介されていたのが本書『メディアの興亡』だったわけだ。 ただ、読破には1年半ほどかかった。670ページ ばかりの大部のせいもあるが、読んでいくうちに一体何が言いたいのか分からなくなってきて、一時投げ出した期間があったのだ。とにかく話があちこち飛ぶというか、余談が多かったりするのだ。 例えば、64年(昭和39年)の東京五輪後に突如訪れた40年不況時のこと。今も名高い話だと思うが、後年経営破綻する山一証券が、当時も一度経営危機に陥ったことがあり、されど未だ公になっていない時分、大蔵省財務調査官の加治木俊道が日経新聞専務の円城寺次郎に、こんな相談を持ちかけるシーンがある。 「せめて再建策が固まるまで、山一危機を報道されないためには……」 そしてそこからが、読破中の自分には延々と長く感じた。加治木と円城寺の初対面の経緯はまだしも、果ては蔵相時代の石橋湛山が大蔵次官を誰に任命するかで悩んだり、その任命された、後の首相池田勇人が時折日経東京本社を訪れ、円城寺ら幹部と経済情勢を語り合ったりと…… 「一体何の関連があるんだ!? 今は山一がヤバい、そしてそれを追うメディアがいてもっとヤバい、一体どうすればいいんだ、って話だろう。意図がサッパリ分からん」と、ここで数ヶ月ばかり投げ出したと思われる(?)。 しかしそれが著者独特の文筆力だと気づき、言いようのない感動を得たのは、当然ながら読破してからだ。話があちこち飛んだり、一見余談が多いのは、後の結論に至るまでの重要な「種蒔き」で、何もかもが実り多き「秋の収穫」のためだと気づかされた。 「なるほどなあ〜、そういうことか〜!?」 こう唸らされる、最早「杉山ワールド」と呼んで良かろう文筆力は、後の『きのうの祖国』、そして『兵士に聞け』以降四半世紀近く続いた「兵士シリーズ」でも、多かれ少なかれ遺憾なく味わえる(!)。 あと表現がかなりウィットに富んでいるというか、比喩が絶妙なのもある。小気味良い言葉の羅列で、確かに描いている本人も楽しそうなのが文脈から窺える。ただ、その乱発が結果的に冗長気味になり、投げ出した一因にもなっていたようだ(?)。 もちろん本書の白眉は、68年(昭和43年)に社長に就任する円城寺が主導し、様々な紆余曲折を経て実現にこぎつける、日経と日本IBMとの共同開発による「ANNECS(アネックス)プロジェクト」に他ならない。高度経済成長初期といえる、昭和30年代初頭の神武・岩戸景気の頃に、日経本紙からあぶれて掲載できなかった、主に産業関係の記事ばかりを掲載する副読紙「日経産業新聞」を発刊したいと考えたのが、そもそもの端緒だった。 端的に言えば、従来の人手ばかりの活版印刷に替えて、コンピュータによる写植印刷にスイッチする。そして、工数削減分と手空きの人員でもって、日経産業も発刊したり、同時進行でデータサービスや東洋経済の『会社四季報』のような出版物の発行、などの新事業に乗り出す…… これこそ後年、何故NHKが『プロジェクトX』で取り上げてくれなかったのかと今も首を傾げるくらいの、しかも仮に取り上げる以上、少なくとも2週にわたるくらいの気宇壮大なドラマだ。 余談だが、後年日経は無名のエコノミスト発掘を目的に、3年毎に論文を募集し選ばれれば日経本紙に掲載もする「円城寺次郎記念賞」を設けた。もっとも東洋経済の「石橋湛山賞」と違い「円城寺次郎って誰やねん!?」という人も未だ多いと思う。石橋なら関連書籍もかなりあるが、円城寺関連はまず簡単には見当たらない。このAmazonで検索しても『美の美』という、本人の趣味でもあった美術・工芸の編纂書籍くらいしかヒットしない。 それでも、本書こそ数少ない「関連書籍」とも言える。円城寺の出生から中外商業(現日経)入社、そして部長から局長、役員へとステップアップしていく過程を、エピソードを含めてかなり細かく綴られている。 ただ、本書は何も日経物語に終始してはいない。 朝日が日経同様のプロジェクト「NELSON(ネルソン)」を推進する傍ら、今の電子版のさきがけとなる新技術「電送新聞」を開発する…… 毎日が「八幡製鉄と富士製鉄が合併する」とスクープした後に、日通事件や西山事件に見舞われたり、朝日・日経同様のプロジェクトを推進しなかった、といった文字通りの「興亡」…… 著者の古巣でもある読売においては、正力、務台、ナベツネの3氏の活躍ぶり、特にナベツネ氏の半生…… そしてサンケイ(現産経)には殆ど触れられていないのが、これも首を傾げるばかりという(?)……強いて言えば74年(昭和49年)に、経営難にあえぐ後の毎日社長の平岡敏男が、とある日のサンケイの連載記事を読んだのがきっかけで再建策が閃いたシーンが、せめてものサンケイの出番らしい出番だった(?)。本書巻末の「証言・取材協力者一覧」にサンケイ関係者が見られないところから、取材を申し込んだがNGだったか、取材して書くには書いたが紙数不足に陥って泣く泣く削除したか(?)、著者が初めからシカトしていたか(?)、何れかだろう。 こうして読破後、おかげでノンフィクション中心ながら次々と読書が進んだ。山一危機の回避や、八幡・富士の合併から新日本製鐵(現新日鉄住金)発足までを主導したのが日本興業銀行(現みずほFG)であり、頭取の中山素平ということで「興銀や中山さんに纏わる書籍はないか」と探し当てたのが、高杉良『小説日本興業銀行(第一部~第五部)』(講談社文庫)だった。また、山一危機をスクープしてしまった(!)のが西日本新聞で、前後の詳しいドラマが知りたいと探し当てたのが、草野厚『証券恐慌〜山一事件と日銀特融〜』(同)だった。 それのみならず、遂には日経の『九十年史』『百年史』『110年史』、読売の『百年史』といった社史まで手に入れた。もちろんどれも非売品なので、著者の故郷でもある東京・神田の古書街でだ。 特に日経の『110年史』は、刊行が本書と同じ86年なので参考文献ではないが、『百年史』までとは違い一気にカラー化された。ばかりか、ANNECSシステムのバージョンアップの過程が克明に記されている。本書に出ていない「ANNECSのその後」というわけだ。 また、読破の前後にサンケイ、日経本紙、朝日、日経産業の順に追加する形で、初めて自分で新聞の月極め購読も始めた。 最初にサンケイを選んだのは、別に右の論調に共感したとかではなく、仕事中も販売中の各紙を眺めつつ、値段的にもデザイン的にも気に入ったからだった。もっとも未だ政経記事はサッパリ分からずだったから、まさしく右も左も分からなかった。ただ、しばらくしてサンケイから現在の産経に変わり、急に馴染めなくなって止めた。 今ではセット紙では朝日と日経を中心に、毎日や読売、上京してからは東京を足したり止めたりを繰り返し、“メディアの攻防”を見守っている。 おまけに、一般ではまず購読しないだろう日経産業も追加したのは、とにかくANNECSプロジェクトに感銘を受け、触発されたのと、メーカーでの仕事に移ったからだった。 こういったように多大な影響を与えてくれた(?)『メディアの興亡』が1986年(昭和61年)に第17回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したのは、極めて順当だ。それに、本レビューにおいては5つ星に「せざるを得なかった」というのが本音で、「10星」さえあれば(!)とも思う今日この頃である。
-
「コンピュータで新聞を作る」
「コンピュータで新聞を作る」 という、コンピュータがここまで発達・普及した現在だと普通に考えられることが、 昭和40年当時、「アポロ宇宙計画に匹敵する難事業」であったこと。 そして、昭和40年といえば、山陽特殊鋼や山一證券の経営破綻という前年までの好景気から一転した 大不況の真っ最中・・・新聞社もその例外ではなく、 どこも経常利益1〜2億/年の頃、全国展開のための営業費増と新社屋建設ラッシュの結果、 毎日新聞社は200億余の借金、日本経済新聞社も100億余の借金を抱え、青息吐息の中で 産声をあげたプロジェクト。 700ページ余の大分の本書、コンピュータ導入による活字・職工の全廃という 「革命」を狂言回しにした 昭和40年代〜52年に毎日新聞が新旧会社に分離するまでの新聞業界史でした。