Japanese Literary Awards

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陽子の一日

Japan Medical Novel Grand Award

陽子の一日

Keishi Nanki

陽子の一日 is a work by 南木佳士, recorded here as a 候補 selection. The entry summarizes the award context and bibliographic findings in a form suitable for a work profile.

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Work Information

A concise profile of 陽子の一日 by 南木佳士, including award and bibliographic context.

Bibliographic identifiers were checked with priority for 陽子の一日 by 南木佳士. The description is based on the award record and available bibliographic evidence; magazine or award-page identifiers are not reused as book identifiers.

Review Summaries

  • The work is approached through its award record and bibliographic identity. This profile emphasizes the reliability of the work-level record and award context rather than numerical reader response.

Book Information

Publisher
文藝春秋
Published
2013-01-29
Pages
172 pages
Language
日本語
ISBN-13
9784163819204
ISBN-10
4163819207
Price
2262 JPY
Category
本/文学・評論

医療とは何か、人間とは何かを根底から問う 還暦を迎えた女医陽子。もはや先端医療の担い手ではない彼女は元同僚の病歴を読みながら、自身の半生をある思いと共に回想する。

Reviews

  • なぜかいつも気持ちが満たされる

    この作者の本は気持ちがささくれているときに読みたくなる。何気ない日常や当たり前の日常が言葉のはしはしにありささくれた心にしみてくる。私も陽子が好きになった。

  • これもまた南木ワールド

    図書館本 初出は2012年文学界 南木さんファンとして色々と読んで来たけれど、物足りないような、これで良いのかな~とも思う。 これまでのご自身の生き様と著作が織り込まれていますよね。 生老病死をテーマにしてきた南木さんならではの「老い」と悟りという流れなのだろうか。 釣り、水泳、山登りへと変遷してきたご自身の生き方も織り込まれていますよね。 こんなテキストが過去の文脈を彷彿します。 あのね、陽子ちゃん。お金でしあわせは買えないけれど、多くのめんどうなことは避けられるだよ。そういう意味で、お金は大事だよ。 そして、南木文学のこんな文章に心が震えるわけです。 強風をまともに受け止めて頭上で大きく揺れる枝に動かされ、水分で膨張した幹に互いにこすれ合い、どこか哀しげな、とても低いうめき声をあげる。死に際の老人の呼吸音にも、熟した男女の交接時の声にも似る。 陽子は幹に耳を押しあて、いつまでも木の内の声を盗み聴いていた。そうしていると、いつしかじぶんは幹の一本として木の株に加わっており、足もとから身の内に水が満ちてきて、船の山へ、岩尾根へとしつこく陽子を押しこくっていた得体の知れないものの熱が冷え、気味の悪いほど陽気な力がからだそのものに吸収されてしまったのだった。 今夜はあの日とおなじくらい風が強く、森が騒がしい。本格的な春になって、こすれあう木が増えたのだな。小さな平屋全体に直に伝わってくる森の音に共鳴し、水を吸った陽子のからだもぬめらかにうごめめき、闇の底に潜んで生きのびているはずの獣たちと交歓しつつ、低く、ひたすら低く、うめく。 別件 中年釣り師は必読な一冊 落葉小僧 南木佳士さんの描く釣りと言う人生

  • 作者独特のやさしさを感じられない

    作者の作品をほとんど総て読んでいるが、この作品と破水だけに登場する女医だけは理解の範囲を超えている。

  • リアルで面白かったが、それでも医師を目指すのだ

    リアルで面白かったが、それでも医師を目指すのだ

  • 南木節

    複数の人々がブログでタイトルの言葉を用いていたのを見た。 自分も同じことを考えていた。 「南木節炸裂」。 本編もまさにそれ。 この人の小説はたいがい読んでいる。 どれも似たような作風というか芸風。 ちょっと「降りた」(マージャンとかでいうところの)感じの人々がよく登場する。 いわゆる「医者の小説」なのだが、目線はかなり低く設定されている。 その辺が多くの読者の好感度を上げる要因となっていると思う。 母子相姦、血液混じりの精液、過敏性脹症候群、未婚の母、認知症の母、などなど純文学の王道コンテンツが続々登場。 医者は2通り。他者の不安に思いを馳せる医者とそうでない医者。外科の名医は殆ど後者。前者に名医なし。というくだりなどまさに南木節炸裂。 最後の方の主人公の息子が看護師になって雪深い田舎町でダイヤモンドダストがどうのこうの、って自作の宣伝かパロディか。 でも、なんかほっこりしますね。 この人の小説。

  • ゆったりとした気分になって気持ちが落ち着いた、というのが読後感である

    この本は、著者が文壇に初めて認められた作品、「破水」の続編なのだそうだ。その「破水」は読んでいなかったが、この本を読んで大体状況はわかった。主人公は還暦を迎えた女医である。未婚の母ということと、文中で述べられる、子供がうつ病になりかけたときの対処の仕方を見て、主人公の生き様や性格が理解できた。こういう人が身近に実際に居たとしたら、夫婦になることには一考を要するが、友人としては認められる人だと思った。 内容は、女医の一日を追ったものである。かつての同僚であり、指導医でもあった地域医療に取り組む先輩医師の病状を、その下で指導を受けていた研修医が書き述べたものを、女医に見てもらう(患者=女医の先輩医師が女医に見せたらどうか、と研修医に提案した)、といういささか複雑な背景ではあるが(筋書きは複雑ではない)、作者はそういう形で「破水」の主人公をもう一度登場させたかったのだろう。 作者は女医に日常業務の一環としてその病歴を読ませながら、即ち、そうすることで読者に事実を知らせて、それに関連して女医自身や先輩医師の過去について語る、という話になっている。 おもしろいと思ったのは、その病状の背景に実際の医学参考書を使っていることである。例えば、先輩医師の父親が結核で亡くなったことの記述には、参考文献・『結核 Up to Date』(国立療養所東京病院 毛利昌史・倉島篤行編集、南江堂)、という具合である。その他にも、『虫垂炎の診断指針(医師用)』(佐久総合病院)、なんていうのもある。女医も「破水」の頃から成長したが、作者も医者として脈々と経歴を積んできている、ということが、医学参考書を使って記述していることから、覗われるような感じに捉われるのだった。 読みながら何回も思ったが、うまい文章である。これといって変化のない平凡な話ではあるが、淡々と流れるように書き述べているその技術には円熟味を感じた。 ゆったりとした気分になって気持ちが落ち着いた、というのが読後感である。

  • 真っ当な近代西洋医学者

    真っ当な近代西洋医学者のお書きになった本だと思いました。 兎角、医師は万能感をお持ちの方が多く、「解っていないことが、判っていない」方も少なくありません。 やはり、或る程度の年齢を経験を経ないと真実は見えてこないのでしょうか・・・ 出来る事ならば(趣旨が異なる事は承知しておりますが)、医療を社会システムのone of them と捉える視点からの一文が欲しかったと感じました。 しかし、次回作も読ませて戴きたいと思っております。

  • 医師の懊悩の深さ 生活者としての医師が描かれたしみじみ何かを感じさせてくれる一冊

    読書は再会である。 書店歩きを無上の悦びとする私は、未知の本との「おや」という出会いがたまらなく好きだ。その未知との出会いが、ぱらぱらと立ち読みするうちに目に飛び込んできたものが、既知の懐かしい人であったり土地の記憶だったりすると、もう駄目である。 気づくと、「お支払いは一括でよろしいですか?」と店員さんに問われている。無意識のうちにレジに進みカードを差し出していた。そんなことが多い。 この一冊。 帯の数行のコピーを読んだだけで、60歳の老女医が何かを振り返る1日を描いた物語であり、終末医療や過疎地医療のテーマも盛り込まれていることがわかる。 マットな白の表紙に黒々と細い活字で『陽子の1日』とある。その題字の黒より1段階淡いグレーで著者の名前が、さらにもう1段淡い優しく柔らかいグレーで、あたかも「今日一日私は疲れた」という風情でソファーの背もたれにもたれて目を閉じる、端正な顔立ちの女性が描かれている。白衣の襟を立て、疲れて仮眠しているように見えた。 それだけで、「おや」と思った。 この素敵な装画は誰の手によるものだろう。そう想って表紙の裏を見た。 《装画 松本俊介「女」(大川美術館蔵)》とある。 松本俊介にこんな線画があったのか。よく見れば描かれているあか抜けた西洋人似の佳人は彼が常にモデルにした奥さんに相違ない。まずはこの小さな再会劇に私はかすかに鳥肌を立てた。 南木という著者名は読み方も解らず、初めて読む作家だと思った。 だが、著者略歴の「佐久市在住、医師」との記述に「まさかあの」と呼び覚まされた記憶があった。 小説に限ると、40歳をすぎてから唐突に読書人になった私の読書歴は浅い。それ以前は、仕事や勉強に関連する実用書、学術書以外は一切読まなかった。 『信州に上医あり』を読んだのは30代の中頃で、長野県佐久市にある佐久総合病院の創設者の伝記的ノンフィクションで岩波新書の一冊だった。実用実利の明確な目的でしか本を読まなかった頃の私が、なぜこの一冊を選んだのか定かな記憶はない。 だが、幾つか思い当たるものはある。 ○若月俊一という本邦における農村医療の先駆者に興味を持った。 ○当時流行だった田舎暮らしと新幹線通勤にあこがれ、開通直後の上越新幹線の佐久平駅周辺の土地を物色してみた時期があった。そこにあった僻地に不似合いな大きな病院が佐久総合病院だった。 ○当時の佐久市長は医師出身の変わり種で、偶然にも母の昔の上司だった。実家には三浦というその市長から毎年年賀状が届いていた。あるプロジェクトのためつてを求めて市長に面談の機会を窺っていた私は、面談時の話題の種として読んだ。 記憶は定かではないが、営業マンとして最もギラギラしていた時分の私の状況から察するに、そんな様な実利的な目的があったのだろうと推察できる。 実際には、田舎暮らしは一時の空想に終わり、市長との面談も具体的には申し入れもしないで終わった。 だが、そのとき読んだ『信州に上医あり』に思いがけず感銘を受けた私は、「こんないい本があるんですよ」と知人のH医師に薦めた。このことの方ははっきり記憶がある。 H医師は私と同じ年で、家内が教授秘書をしていた頃の研究医の一人だった。 医者になるぐらいの人は才能豊かな人が多い。 H医師、というよりいつも下の名前から「Aちゃん」と呼ばせてもらっていた彼も才気溢れる人だった。 他人の経歴を細々ここで書くのは憚られるので簡単にしか言えないが、田舎には極めてまれなエリート一家に生まれ、自身も学業では何十年に一人の秀才といわれたばかりか、源氏物語を味わい尽くす粋人でもあった。 私は、彼が一時の赴任地のはずで転出した山奥の市民病院から、いろいろなどろどろした人脈の事情から、医学部には戻ることを止め、赴任地の看護師と結婚し、その田舎町に開業することになったと知らされたとき、人事なのに、なぜだか悔しくて涙を流した。 他人の勝手な思いだし、田舎の人には申し訳ない考えだけれども、彼の才能はそんな田舎医者で終わらせていいもんじゃない、そう思えた。 なのに、Aちゃんは、私の目からは田舎の人たちのエゴにしか見えない「期待」にも応えないではいられないそんな男だった。 そのAちゃんに、「これはいい本なんですよ」と薦めたのが『信州に上医あり』だった。 農民医療のパイオニアだった若月俊一の半生記である、ということはもちろん薦めた一つの理由ではあった。 だが、それを書いたのが佐久総合病院の勤務医で芥川賞作家の南木という医師だったことも理由の一つだったかもしれない。 先日十年ぶりくらいで再会したAちゃんは、すっかり頭は薄くなり肌も乾いていて同い年なのに私よりずっと老けて見えた。 この人が居たことで、地元の人たちも家族も皆どれほど幸せだったことだろうかと思う。 だが、周りの人たちを幸せにしたAちゃん自身の人生は幸せだったのだろうか。やっぱり、そう思えてならない。 60歳を迎えた男女の老医師2人が、患者から見た先生ではなくて、生身の職業人であり生活者としての医者人生を振り返るような一冊がこの『陽子の1日』である。 医者の人生とはこんなにも過酷で、医者の懊悩とはこんなにも深いのかというのを思い知らせてくれて私には間違いなく「いい本」だった。 だが、もう一度Aちゃんに、 「これいい本ですよ」 と薦めることは、辛すぎてできない。

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