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彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠

Oya Soichi Nonfiction Award

彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠

Tsuyoshi Hida

A reportage that follows the 1972 Waseda University campus lynching murder through the author's own memories and additional interviews. It asks what the violence of student activism left behind in silence and responsibility.

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Work Information

It digs into not only the event itself but also the excuses and silences that followed.

A hardcover published by Bungeishunju on November 8, 2021. It won the 53rd Oya Soichi Nonfiction Prize and was republished in paperback by Bunshun Bunko in 2024.

Review Summaries

  • The book is valued for rendering the author's memory, the university atmosphere, and the conflict with the Kakumaru faction in concrete terms, making the reader think about how violence controlled campus life.

Book Information

Publisher
文藝春秋
Published
2021-11-08
Pages
261 pages
Language
日本語
Size
13 x 2 x 19 cm
ISBN-13
9784163914459
ISBN-10
4163914455
Price
1901 JPY
Category
本/歴史・地理/日本史/一般/日本史一般

内ゲバが激化した一九七二年、革マル派による虐殺事件を機に蜂起した一般学生の自由獲得への闘い。いま明かされる衝撃の事実。

Reviews

  • 最高!

    当時の学校内の状況が具に描かれており、驚きました。初めて実態が詳らかに述べられており かなり学びがありました。

  • 永遠のテーマ

    非寛容暴力に対して寛容で対峙することは本当に覚悟のいる構えである気がします。革マルの暴力に対抗するため自治会の一部から同じように暴力を用いることを主張する者が現れた時やそのことで生じる矛盾など本当に苦しい戦いがあったんだなと思いました。

  • 読み物として面白い

    私はノンフィクションが好きで本書を手に取りました。特に政治に深い興味もなく、本書で登場する革マル派や中核派、民青がどう違うのかもよくわかっていません。また、30代前半で他大学出身なので、本書が舞台となる1970年代の早稲田なんて縁もゆかりもありません。そんな私でも、本書に引き込まれ一気に読み切ってしまいました。 本書は1970年代の早稲田大学で、学生が革マル派に殺害されたことを契機に、反暴力を標榜して立ち上がった一般学生であった著者の視点で描かれています。そのため、思想に無関心な私でも筆者の行動に感情移入することができ、読み物として面白かったです。 東大の全共闘はなんとなく知っていましたが、早稲田もこんな状況だったのかと驚愕してしまう数々のエピソード。まるでSFのディストピアの世界のようです。 他のレビューを見ると、当時を知っている人や学生運動に詳しい方が多いようですが、本書は普通の人でも楽しめる作品です。冗長な思想の解説や、筆者の思想信条を押し付けるようなところがなく非常に読みやすい。あまりテレビなどでも見かけたことのないテーマでもあり、ぜひノンフィクション好きな方であれば一読の価値はあります。私が今年読んだノンフィクション本の中で1番かもしれません。

  • 時系列を追い、克明な記録と検証になっている。

    同世代なので、胸が痛い。 転向してのうのうと生きている人物に腹が立つ。

  • 必要なのは『全共闘黒書』の編纂ではないか

    最近、『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(樋田毅、文芸春秋、2021)を読みました。革マル派に殺害された文学部の川口君の一年下の後輩でその後朝日新聞記者になった著者が、半世紀後に当時の状況を生々しく描き出し、当時の革マル派幹部を尋ね歩いたりしています。 この著者の周囲ではリンチにあい登校できず退学した学生多数だったようで、学問の自由以前の状況です。 ただし、何となく革マル派だけを槍玉に挙げて、本来全共闘派全体、左翼学生運動全体の問題だったものを、トカゲの尻尾切りに持ち込もうという気配があります。 そもそも中核革マル戦争は、中核派が革マル派の海老原君をリンチ殺害して大学病院の前に放置したことから始まっているのです。少し後に革マル派をもう一人殺害しています。 その時、中核派が要求に応じて謝罪をしていれば、あの凄惨な内ゲバ戦争は起こらなかったかもしれないのです。だから責任は中核派にだってある。そんな暴力性では革マルを上回る中核の集会に出たのだから、川口君だって目を付けられても仕方のない位置にあったのかもしれません。 それに、京大〇学部だって似たような状況だったのです(革マルではなく中核と、いまは誰も覚えていないブントなる組織が中心でした)。じっさい私も、乱闘に巻き込まれて怪我をしたし、全共闘派に研究棟を封鎖されたため実験ができなくなり、その後のキャリアで実験家を断念せざるをえなくなったものでした。 ところが全共闘派の学生の中にはバリケートの内側で実験をやって論文を書いた者がいました(その後どこかの大学に就職したと聞いていますがコイツだけは許せません。また、同じクラスの全共闘派の活動家は、朝日新聞に入社しています。それで分かることは、左翼崩れが大量にマスコミに流入して、いまだにその縮小再生産が続いているということです。こんなんで報道の中立性など守られるわけがありません)。 このような経験があると、「般化の法則」によって嫌悪の対象が全共闘派だけでなくマルクス主義的左翼全般に及んでしまいます。けれど、寛容なリベラル社会を目指す一人として、そのような感情を引きずっているのはまずいのではないでしょうか。本書の著者の樋口氏も、非寛容に対していかに寛容でありうるかの問いを投げかけています。 そこで必要となるのが、体験テクストに基づく学問状況の現代史です。『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972』(池上彰・佐藤優)も読みましたが、著者らが当事者目線ではないので掘り下げが足りません。こちらで目論むのは、色んな立場での直接体験テクストの収集に基づくものです。 等などと言っても、私には残り時間が少ないし、そもそも発表場所も簡単には見つかりそうもないので、後から来る人に託せればいいです。 教授会団交なるものに出たことがあるが、司会の大学院生が「自分は極左暴力主義者だと言われている」と自慢していたことを思い出す。そんな暴力崇拝の時代だったのです。やはり全共闘運動はボルシェヴィズムよりナチズムのヒトラー・ユーゲントに似ている。だれか、戦後最大の青年全体主義運動であった全共闘運動を調査して、「全共闘黒書」を編んでくれませんか。いつまでも証言者が生きているとは限らないのだし。付言すると安倍元首相暗殺いらいのマスコミ報道は、まるで殺される方が悪い、と言ってるみたいですね。まさに暴力崇拝の左翼崩れを受け入れて再生産させて来た、その「成果」がでたわけです。こうなったらNHKだけでなくマスコミから国民を守る党が求められるところです。

  • 戦場からのレポート

    これ程までに、当時の早稲田大学に暴力が跋扈していたとは、この本を読むまで実感することはなかった。 私達の世代には(私は1965年生まれ)、ここに描かれた「学生運動」を、自分達がふれられない「物語」として、憧れのまなざしを向けていた人間が、少なからずいると思う。私はそういう類の人間だが、この本を読み終えて、そういう憧憬は、ほぼ完全に失った。 革マルを含むセクトの暴力を、この本を読むまで、我が事として実感したことはなかった。良い読書経験をさせてもらった。 聞き手・外山恒一の優れた仕事である「対論 1968」(笠井潔 絓秀実・集英社新書)の読後、この対論でもふれられているこの殺人事件を知るために、本書を読んだ。 それぞれに「戦場」を生きた笠井・絓両氏の対論を、憧れが取り払われた目で、あらためて読み直そうと思っている。 暴力・不寛容が吹き荒ぶこの世界で、日々過ちながらも、あり得ない夢の如き非暴力・寛容を心に抱いて生きていきたいと、樋田氏の願いを受け取ったいま、そう思っている。 この労作を後世に書き残してくれた樋田氏に感謝する。ありがとうごさいました。

  • 一般学生による大学闘争

    革マル派が支配する早稲田大学で発生した殺人事件を契機に,大学当局と革マル派に対し,一般学生が立ち上がり,敗北までの経緯を50年の経過で書籍と映画に結実させたノンフィクションの大学闘争史である.大学の教授会は無条件に革マル派と癒着し,学内暴力を公認し,殺人を許した.大学の教授会に対し,糾弾と共に,学友の結集を目指し,「寛容」「非暴力」の戦いが1972年から始まった.狂人集団の革マル派に鉄パイプによる暴行を受け,重傷を負うが,大学教授会は黙殺し,警察権力は同派を守っていった.絶望的な戦いは,やがて,左翼運動の退潮と共に,「正常化」された大学が戻ってくる.内ゲバでの死者が100名を超え,暴力から逃げる大学当局は,革マル派の犯罪を許し続けていた.「革命」の実相が見事に暴かれる.革マル派幹部との議論では,無責任な回答で終始する.革マル派に正義の「鉄槌」は遂に下されなかった.「寛容」「非暴力」では,狂人集団には敗北しかないことを「諦観」で示した.映画では革マル派を品よく描き,実態の「狂人性」が消されていた.「ウジ虫どもに鉄槌を」下されることはなかった.

  • 法政大学の関係者は既視感に襲われたと思う

    1972年11月、早稲田大学の構内で学生がリンチに遭い、命を落とした。非業の死を遂げたのは二年生の川口大三郎君、川口君を死に追いやったのは早稲田大学を支配する新左翼セクト、革マル派である。 『彼は早稲田で死んだ』は川口君事件とこの事件を機に湧き上がったさまざまな運動の顛末を描いたものである。著者の樋田穀は運動の一つを主導した人物。 樋田氏は1972年、早稲田大学に入学し、革マル派の暴力支配を目の当たりにする。そして、敵対するもの、意見を異にするものに対して容赦なく暴力を行使する革マル派と、そんな彼らを野放しにしている早稲田大学に憤りを覚える。そして、11月に発生した川口君事件を機に、「革マル派による暴力支配からの解放」の運動を立ち上げる。 この時は、多くの学生が「革マル派による暴力支配からの解放」の戦いに決起した。戦いの方法はさまざまで、革マル派に対抗して武装するものもいれば、革マル派と敵対関係にあるセクトと連合を組むものもいた。しかし、樋田氏は武装も、セクトとの連合も否定し、ガンディーのような非武装・無抵抗の戦いを進める。不寛容な革マル派に対しては寛容の精神で戦わなければならない。樋田氏はそう考えたのだ。 この戦いの舞台が1972年から1973年であることは示唆的である。1972年は『仁義なき戦い』が週刊誌で連載された年、1973年は映画化された年だ。樋田氏は「非暴力・寛容」を訴えたわけだが、彼が求めたのは「仁義ある大学」であり、「仁義ある学生運動」だったのだろう。1960年代の末、新左翼セクトや全共闘の外道どもがめちゃくちゃにした早稲田大学に、彼は再び仁義の火を灯そうとしたのである。 しかし、時代は戻らなかった。共に立ち上がった仲間の多くも、「樋田はなに眠たいこと言っとるんやー」と武装の道に進み、「総長を拉致して団交」という仁義もへったくれもない戦いに突き進んでいく。そして、それに合わせて革マル派の暴力もエスカレートし、その中で樋田氏もテロに遭う。 さて、以上は早稲田大学の話だが、私の通っていた法政大学も暴力の行使を躊躇しないセクトに支配されていた。そのセクトとは中核派である。中核派と革マル派は壮絶な内ゲバを繰り返していたが、この本を読むと、早稲田で革マル派がやっていたことも、法政で中核派がやっていたことと同じだったことがよくわかる。セクトを用心棒として使い、学生運動を抑えるという大学当局の姿勢もまったく同じ。私はページをめくるたびに既視感に襲われた。 法政大学でもテロ事件はしょっちゅう起きていた。その中でも、1978年、1983年、1988年、1994年に起きたテロ事件は「全学を揺るがした大事件」としてさまざまな形で記録が残っている。 1994年の事件には私も深く関わっている。テロの被害にあったのは私が所属していた団体の後輩、集団リンチを指揮した中核派の人間も私の友人だった。 『彼は早稲田で死んだ』には当時、革マル派の暴力支配の象徴であった大岩という人物が登場する。「スローライフ」を提唱する社会思想家の辻信一である。 樋田氏は大岩に「なんで、あんなことを」「なんで、あんなことに」と説明を求める。しかし、大岩は「理屈で説明したら、それは嘘になると思う」「いくら因果関係を説明できたとしてもそれは後付け」としか答えない。樋田氏はそんな大岩の態度に苛立つ。 が、私はこう思った。テロリストの心情とはこういうものなのだろうと。 暴力とは、考え抜いて結論を出して行使するようなものではない。あれは、考えることを中断して行使するもの、気がついた時には行使しているもので、動機は後で刑事が考えるものなのだ。 だから、大岩は誠実に答えている。私はそう思った。しかし、非暴力の樋田氏にはピンとこなかったのだろう。 「なんで、あんなことを」「なんで、あんなことに」 1994年にテロ事件を起こした人間と会ったら、私もそう聞くだろう。厳しく問い詰めるはずだ。この30年、私は心のどこかで、ずっとその機会を待っていた。 が、この本を読んで、答えはわかった。なんで、あんなことになったのか、なんで、あんなことをやったのか、彼女にもわからないのだろう。

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