逝かない身体―ALS的日常を生きる (シリーズ ケアをひらく)
This nonfiction work follows twelve years of home care for the author's mother with ALS, told through the bodily experience of caregiving and the search for the patient's will. It reconsiders how care can sustain life and dignity when speech and movement are gradually taken away.
Work Information
From the faint responses of an unmoving body, the book reads a will that still seeks to live.
Beside her mother after the onset of ALS, the author keeps searching for an unspoken will in the smallest bodily changes. Through days where medicine, care, and family emotion intersect, the book portrays a richness of life that cannot be contained by phrases such as bedridden or locked in.
Review Summaries
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Readers value the book for going beyond a caregiving account and asking how to recognize the full presence of a person living with illness. It is received as a work that makes the practical details of care and its ethical weight inseparable.
Book Information
- Publisher
- 医学書院
- Published
- 2009-12-01
- Pages
- 276 pages
- Language
- 日本語
- ISBN-13
- 9784260010030
- ISBN-10
- 4260010034
- Price
- 2200 JPY
- Category
- 本/文学・評論/エッセー・随筆/日本のエッセー・随筆
究極の身体ケア 言葉と動きを封じられたALS患者の意思は、身体から探るしかない。 ロックトインシンドロームを経て亡くなった著者の母を支えたのは、 「同情より人工呼吸器」「傾聴より身体の微調整」という即物的な身体ケアだった。 かつてない微細なレンズでケアの世界を写し取った著者は、重力に抗して生き続けた母の 「植物的な生」を身体ごと肯定する。
Reviews
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介護の記録でもあり思索の跡でもある。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)の母親を12年間、しかも最後の数年はTLS(一切の意思疎通ができない)の状態で在宅介護した著者が、その体験と、そこから得た「個人的な死生観(p.263)」を記す。 ALSの母親の姿や、介護の様子が、具体的かつ客観的に描かれ、書きぶりは冷静だが、内容は壮絶。 呼吸器の装着についての「本人の曖昧さにいらついて、『もし本気で呼吸器をつけたくないのなら、ここに一筆書いてよ』と母を責めたこともあった(p.44)」著者が、やがて「『病人を急がせて白黒はっきりさせる』ようなことはしないでおくことにした(p.45)」り、「二〇〇〇年から二年のあいだ……ALSの安楽死法制化に興味をもち、自分のホームページにもそう書いた(p.195)」著者が、2009年に書かれたあとがきでは、尊厳死法制化について「長患いの人の生を切り棄てる方向に猛スピードで走り出しているようで気が滅入り(p.264)」と批判的になったりといった、自らの考え方の推移・変化も包み欠かさず書かれていて、迷いながらすすんでいる人なのだなと思う。とても考えさせられる。
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他者が共感するかしないかを卓越した家族の物語
私の父もALSで亡くなりました。著者の方々が最後までここまでの介護をされた事に頭が下がる思いでした。うちの父は延命措置を一切行いませんでしたが、仲が良好だった母親の存在は大きいと思いますし、まだ50代でもともとバイタリティに溢れたお母様の生への執着と、生かしたいという想いの経緯は読み進めるほど理解できました。初めは正直、わがままな患者さんだなという思いもありました。でもお母様の人となりを知るにつれ、前向きに人生を楽しんでこられてご家族やご友人に愛し愛されていたぶん、生き抜きたいという強い想いを最後まで持たれたのだと思いました。ここまで頑張られたのは本当に天晴れです。 父は70代という年齢もあり、呼吸器も胃ろうもせず、最後は脳梗塞でふんわりした意識のまま逝きました。健康では無い母と、他県に暮らす私ではマンパワーの面でも延命措置の考えはありませんでした。著者の方のように外野の声や目がなかった事も、潔く放棄できてしまった理由のひとつですし、外野に口だけ出されても、私は夫や子供は犠牲に出来なかったので家族の歴史や事情も含め私の考えとは違うんだと思いつつ、父を想って何度も涙して読みました。 当時の介護制度や情報の少ないなか、これ程の介護をされていた(その結果、天職に就かれたのだと思います)お宅が偶然にも以前勤務していたところから5分程の場所だと知り、驚いたり泣いたり笑ったり(同級生との再会のくだりや世代の話で)、何度も思いを馳せて読み終わった後、どっと疲れました。 私は読んだらすぐ本を処分するのですが、この本はずっと本棚に置いておきます。
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心の揺れ
この本はドキュメンタリーではない。あくまでも著者からみたリアルである。 でも、だからこそ、こんな私にも伝わるものがある。 ただし、両親や妻や子供たち、家族を心から愛する者として、ALSではないが病身の義父を自宅で看取ったものとして、在宅医療に携わる者として、私は著者の考え方や生き方に共感できない。 声なき人の声を代弁しているという自負、父親や夫に対する冷ややかな視線、家族というものや人間関係に対する考え方・・・ 否定はしない。 ただ、これを「よく頑張った」とか「素晴らしい」という論調で単純に捉えてしまう人間がいそうで、怖い。 在宅医療について、日本の医療・介護全般について、先入観を持たれてしまいそうで、怖い。 この本は著者の感情が吹き荒れている。 事実というより、その強い感情が読む人の心を揺さぶるのだ。 だからこそ、私は嫌いなのだ。まだ不確かな私の感情も、揺さぶられるようで。
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生きてる意味も委ねる生き方
川口有美子さんの「逝かない身体」を、あっという間に読み終えた。 大宅賞を受賞する前から話題になっていたが、やはり、とてもたくさんのことを考えさせる本だった。これは多くの人に勧めたい。 本書は、ALSの母親を12年間看た記録。 しかし、単なる介護の記録ではない。ALS患者の介護を通して、生の在り方、死の在り方について自問し、著者自身が掴んだ答えが示されている。 ALS(筋委縮性側策硬化症)は、全身の筋肉が衰えていく難病だ。 そのような病について、健康に生きている人間は、「絶望」のイメージを思い浮かべてしまう。たいていの人は、自分がALSになったらなどと考えたくはないし、介護する立場になることも、できれば想像したくないだろう。 しかし、本書を読んで、こうしたイメージは変わった。 「実際のところとてもたくさんの人たちが死の床でさえ笑いながら、家族や友人のために生きると誓い、できるだけ長く、ぎりぎりまで生きて死んでいったのである。だから、あえて彼らのために繰り返して言うが、進行したALS患者が惨めな存在で、意思疎通ができなければ生きる価値がないというのは大変な誤解である」 著者はこんなふうに書いている。 ALSという難病で、全身が動かせなくなり、言葉を発することも、眼球さえも動かせない状態になっても、「今、ここに、その人(患者)が生きている」ということに意味があるということだ。 これは、患者自身が自分の「生」に意味を見出すかどうかだけではなく、周囲の人、家族や介護者が、患者の「生」に意味を見いだせるかどうかが鍵となってくる。 「ALSの人の話は短く、ときには投げやりのようであるけれども、実は意味の生成まで相手に委ねることで最上級の理解を要求しているのだ」と著者はいう。 当人は「何もできない」存在か。 当人は「すべてを他人に委ねる」存在か。 同じ状態であっても、この2つの捉え方は大きく異なる。 同じ状態でも、その存在の価値は異なる。 捉え方によって介護に対する姿勢は変わるだろうし、介護に携わる生活の意味付けや、 介護者の人生観も変わると思う。 「生きているとは、どういうこと?」。 介護者は、ALS患者から、その「生」の解釈を委ねられる。 「生きる」ことについて、より深く向き合い、考えさせられる人たちだろう。
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大変でした。
難しかったです。
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ALSの方のお宅を訪問している介護福祉
大変、よかったです。介護の仕事をしてますがこの本を読み患者さん、またご家族の気持ちがよくわかりました。
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思考の固さに違和感(なげうったものが計り知れないから)
筆者は母を介護するために海外での生活や夫との関係、仕事の目標や子供との時間をほぼ全て、なげうった形になる。 その覚悟は尊敬に値するが、なぜか、読書の間イライラした。それは筆者が投資したコストが計り知れないから、 もう、これまでの決断を否定的に考える柔軟性を失っていることが原因だと思う。 柔軟さを欠いた思想は、とても窮屈だ。特に「死」に対しての拒絶反応は「暗黒の死」「体温を奪い去る死」など おどろおどろしい表現になっていて、偏りを感じた。 個人的には、死でしか解決できない苦しみというものは、世の中に存在していると思う。けして自殺を推奨するわけではないが、 「すこしでも喜びを感じてほしい。少しでも苦しい思いをしないでほしい」という考えから、呼吸器をつけない選択(つまり「死」)も あたたかな形で存在することだって可能だと思う。 身体が動かなくて、意思疎通ができない状態で呼吸器をつけるということは「苦しみ」でしかないと思う。 例え、看護や介護で工夫を続けて「和らげる」ことはできても。 その苦しみを10年以上、生身の身体を差し出して受け止めたのは「母」である。 それを相殺すべきものがあったとしたら「母の喜び」でしかなく、それは当然、母個人の口から語られるべきものであろう。 この本には「母個人の言葉」が少なすぎる。いくらALSで表現ができないといえども、もっとたくさんの「つらい」というサインを 出したはずなのに、とても、少なすぎる。または、救いのあるような「母の口からでた喜びの表現」をもっと記載してほしかった。 TLSになったあとに、筆者は様々な「解釈」を重ねるが、生身の母にとってはどうでもよいことだ。 筆者に対しては尊敬の念を抱いている分、この、否定的解釈をよせつけない、思考の固さが残酷な現実として、のしかかる。 現在も、なんとも処理しきれていない感情が残る。 介護を経験するということが、いかに莫大なコストを投資することなのか。 そして、人はあまりに多くのコストを投資した対象に対して、否定的に考える柔軟性を失うということがわかる。 介護をした方の思考変遷をリアルにおえる点で、問題提起の本として、優れている。
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タイトルに納得
筆者の切実な気持ちが伝わってきました。切なくなりました。 ALSの人の苦しみ、悲しみ、強さがわかる1冊です