遠雷
This novel follows Mitsuo, a young man who keeps growing tomatoes in greenhouses on a small remaining patch of land surrounded by housing estates on the outskirts of Utsunomiya. Urbanization after rapid economic growth, the transformation of farmland and family, and raw desires around sex and money press into daily life like thunder rumbling in the distance.
Work Information
Beside the housing estates, a young man tends tomatoes in greenhouses as if resisting the changing land.
Enrai is Wahei Tatematsu's representative novel, published by Kawade Shobo Shinsha in 1980. Set on farmland near Utsunomiya, it depicts with humid physical immediacy the life of a young man devoted to tomato cultivation and his relationships with family, friends, and women around him. The rural landscape is no longer pastoral; it is being encroached upon by housing estates, money, and desire. Mitsuo's attempt to remain on the land brings out the irritation and loneliness of a young man exposed to the changes of the age.
Review Summaries
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Readers are struck by the rawness of the protagonist clinging to tomato cultivation as a suburban farming area changes around him. The novel is valued for refusing to smooth over land, family, and sexuality, instead presenting them as rough textures of lived experience.
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The changing landscape of Utsunomiya and the image of red tomatoes strongly anchor the memory of the work. The title's distant thunder is often read as overlapping with the approach of urbanization toward the protagonist's life.
Book Information
- Publisher
- 河出書房新社
- Published
- 1980-01-01
- Pages
- 271 pages
- Language
- 日本語
- ISBN-13
- 9784309000435
- ISBN-10
- 4309000436
- Price
- 196 JPY
- Category
- 本/文学・評論
第2回(1980年) 野間文芸新人賞受賞
Reviews
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ニオイを感じる作品
遠雷には、人、場所、食べ物、憎悪、性、金… のニオイが満ち溢れています。 しかし何故か旨い物のニオイは感じない。 この作品から秦野市の農家をしている老女の事が思い出され… 私から、商品を購入したその老女は、 『銀行屋、隣の部屋に来ているんだけど、農作業で汗臭いこの身体を 舐めさせて相手させるんだ、死んで金を国にとられるより 銀行屋に運用させて、死んだ時にゼロになる方が気分良いだろう 銀行の奴らは、金の為には何でもするから、隣の部屋に居る奴ら の顔見て笑ってやれ』 老女が襖を開けたので、隣の部屋を見ると、死んだ魚の目をした 銀行屋が3人正座し、老女に指をさされ笑われても何の反応もなし。 『アンタにお金あげるから、奴らがオラと相手する処を見ないか』 私が 『キタネェババァの悪趣味な行為は見たくない』 『お前ら、オラはキタネェババァだってよ、良くアソコ立たせれるな 今日は股ぐら舐めさせて、奴ら同士でカマ掘らせてみるか』 と老女は冷酷な笑みを浮かべた。 この家は新築にもかかわらず、動物の腐臭が充満していた。 その10数年後、週刊誌にその女性の記事が、 高速道路が通り土地の売った資産が数十億ある女性が、 死んだ時には、財産がゼロに… この小説の匂いから、あなたも何か思い出すかも?
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……
まぁ、名作なんだろうけど、ちょっとね。簡単に言えば、核家族化と昔ながらの大家族。農業と都市化の対比を上手く書いているんだと思うけど。ちょっとね。
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映画版が好きな人にはおすすめの映画原作本
この年代の作家は苦手である。 変に政治的な発言をしたがったり哲学的な小難しいことを語ったりする傾向があるからだ。 学生運動と青春時代の重なった作家が多いからかもしれないけれど。 さらに悪いことに、そういう傾向を好んでやたらと政治的な発言をしたがるクラスメートが、そういう傾向の作家を偏愛していたりして、私の辟易さ加減にさらに拍車がかかってしまうのだが。 だから、なるべくこの世代の作家は読みたくないのだが、この映画版は好きなので、機会があれば原作を読みたいと思っていた。 以前から気になっていたのだが、立松和平にはどれほどの読者がいたのであろう。 立松和平を愛読しているという女学生もクラスメートも周りにはいなかったから、この人は本当に小説を書いて生活しているのだろうかとずっと思っていた。 本屋に行ってもほとんどその本を見かけたことがなかったから、私の世代ではニュースステーションのレポーターと言ったほうがしっくりくる。ほとんどの人がそういう認識だったのではないだろうか?? あるいは映画『遠雷』の原作者という感じに。 小説の内容は、映画とほぼ同じ。映画を見た人は違和感なく読めるのではないかと思う。 でもむちゃくちゃ面白いかと問われると返答に困る。 映画は面白いけれど、小説は当時の宇都宮の風俗とお百姓さんの生活を活写しているだけで、それなら映像のある映画版でもいいのではないかと思ってしまう。 この原作がなければ、映画もないわけだけれど。 当時は宇都宮の小川でも鯉だの鰻だのが採れたとか、お百姓さんが競って豪邸を立てたとか、へぇとは思うけれど、それはそれで、当時の地方都市ではめづらしい風景ではないし、地方の若者の娯楽が盛り場のスナックだったり車だったりというのも同様だし。 ただ、この作で注目すべき所は、粘つくような視線による描写と栃木弁(宇都宮弁??)の会話ではないかと思う。 栃木を舞台にした小説というのをあまり知らないし、ましてや栃木弁で書かれた小説なんて聞いたことがないから貴重である。 まだ、作品としては古典の域には至っていないけれど、もう数十年(これが書かれてから既に数十年経っているのだが)経ったら、栃木の風俗を伝える小説として再評価されるかもしれない。 でもそれなら、映画版でも代用できるのではないかと言われてしまうかもしれないけれども。
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文句つける必要性はありません。
価格から考えて送料もメール便だし、内容うんぬんの前に外装がちゃんとしている段階で星五つです。
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高度成長期の日本
日本が高度経済成長の波にのまれていく過程で、農家が土地を売り、家族という枠組みが崩壊していく悲劇を描いた傑作。日本人がどうしようもなく歪んでいく姿が見事に描写されている。現在は逆に帰農の流れが起こりつつあるので、この流れを是非とも作品にしてほしい。
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おもしろい
人物に勢いがあって面白い。著者が巻末ノートで次のように述べている: 「たとえ時代がどうあろうと、精一杯生きている人間は美しい。いや時代がグロテスクであればあるほど、輝いている人間は目立つのである。大地にふんばっているそんな人間を創造できないか。そのためには、文学は、いや小説は、またとない方法なのである。」「大金をつかまされて気狂い踊りをする人間が、結局のところ私は好きなのだ。」 とても納得がいく。 ただ難癖をつけるなら、人物を荒っぽく断ち割りすぎのところがある。 例えばつかこうへいだと、殴って蹴とばす荒っぽさは本作以上だが、その陰で抱き締めて撫でさする細やかさが人物像を魅力的に際立てる。 比べるのは不適当かもしれないが、本作にそこまでのものはない、或いは感じない。それはそれでいいのかも知れないが。 筆遣いにも荒さを感じる。 前後のつながりがわかりにくく目を往復させてしまう箇所や、展開に何とはない不自然を感じさせる箇所が少なくなく、あまり整理のよい文章とは言いにくいのがまず気になる。 次に気になるのは目を剥いたように思い切った表現やさもなくば俄かに気が抜けたような表現、焦点ずれのぼやけた表現、照れたら「頭に手をやる」式のおざなり月並み描写が、よくできた表現と並んで折り合い悪く混在すること。このため全体として荒っぽい感じを受ける。 百歩ゆずれば、それが勢いのよさに通じる面もあるかもしれないので、承知のうえでの荒っぽさならいいのかも知れないが、もうちょい気を配るといいのにと思う。
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やはり、ある意味で「一時代の傑作」であったと思われますが・・・・。
立松和平という作家に関しては、同世代として複雑な思いがあります。氏の後半生は、何故かニュース番組で不器用なレポータをやってみたり、全共闘運動を描いた作品で盗作・剽窃騒ぎを起こしてみたり、又、作品の多くが、妙に宗教面での悟りを語るようなものであったりで、うんざりさせられたものでした。 特にテレビ等の画面でその深刻ぶったとしか思えないしたり顔を見ると、その作品を手に取る気にもならず、気持ちは離れていきました。しかし、久しぶりに旧作であるこの「遠雷」とその続編である「春雷」を読み返してみると、やはり戦後が生み出した、人間を描け、かつそれだけの文体を備えた才能のある作家であったとの認識を新たにしました。 もちろん、作品としては「遠雷」の方がはるかに描写とテーマにおいて凝縮されたものがあります。宅地開発と農地とのせめぎ合いを描き、その間に生じる人間模様を執拗な文章で追っていき、ある意味で読者を引っ張っていく、不思議に「読ませる」のです。これは氏が育った栃木のある地方都市の風土を見事に自分の中で消化し、それを文体化しているからでしょう。主人公の育てるトマトが場面によっては、健康的な鮮やかな赤色にもなれば、ワインのような血の色にも感じられるのは、血族・地縁という風俗模様の葛藤を描き、見事な小世界を作り上げていると思います。 どうして、こういう作品を書き続けなかったのか、いや、描いても後の「春雷」・「性的黙示録」・「地霊」と序々に作品の質が落ちてゆく・・・・・残念ながら、そのあたりに氏の小説の限界があったのかもしれません。
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土くさい力強さが味わい深い傑作
この作家は、「微小な水滴一粒一粒が虹を含んでいた。」「…黒い雑木林に、雲の切れ目から淡い粉のような陽がかかっていた。」というような、自然現象の特徴を巧みに捉えて表現する文章が実にうまいと思うのだが、その文章によって、トマト栽培に奮闘する青年の姿が力強く描かれている。 バブル期の、農村に押し寄せてくる都会化の波とそれに対する反発という主題はもちろんあるのだが、それより良い面、悪い面すべてひっくるめた人間の存在そのもの、さらには家族、生活環境がリアルに表現されているところに感銘を受けた。すべての登場人物が(不愉快な人物も含め)生き生きしている。 映画版は見ていないのだが、本当に遠雷が聞こえてきそうなラストを始め、確かに映画化に向いている作品だと思う。