みずうみ
みずうみ is a literary work by いしいしんじ. Known through its prize recognition, it carefully depicts human emotion and the atmosphere of its time.
Work Information
みずうみ, by いしいしんじ, follows the emotions and texture of its time at the heart of the work.
みずうみ is known as a prize-recognized work by いしいしんじ. Public book data for standalone volumes, paperbacks, and containing volumes was checked by title and author; identifiers are left null when a reliable match could not be confirmed. The introduction focuses on the work's genre and the qualities suggested by its prize history.
Review Summaries
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Readers value the way the work enters its subject and the density of its voice. It is also received as a work to be read slowly, with restrained development and weighty themes.
Book Information
- Publisher
- 河出書房新社
- Published
- 2007-03-16
- Pages
- 288 pages
- Language
- 日本語
- ISBN-13
- 9784309018096
- ISBN-10
- 4309018092
- Price
- 1650 JPY
- Category
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
ひとつだけ、教えてくれ。今日は、何月、何日だ――伸び縮みする時間の中で、みずうみは渦巻き、そして落ちていく。『ポーの話』から2年、待望にして著者最高の最新長篇小説!
Reviews
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実験的な文体
読みやすそうなスタイルでいて、かなり実験的な小説だと思った。 第1章の村や第2章の男の情報(それらは普通なら順を追って描写されたり、説明されたりするもの)が少ないまま話は先に進み、物語=村の根底にある決まり事や男の異変は唐突に訪れる。 現実には小説の手法ほどていねいな説明も、ひとつの場面を切り取って時間をかけて描かれることもないのと同様に。 それと反対に、第3章で語られる著者自身をモデルとした(前章までと比べると)限りなく現実的な章では、文体は極端に説明的で、松本やらブルックリンやら餅やら、すぐに思い描けるような風景の著述が細かい。 まるで小説のなかの空想世界の出来事のよう。 この「物語の現実化/現実の物語化」のせいで、前半のストーリーは「小説」として光り輝けそうな題材を方々に置き去りにしたまま現実と同様に「ドラマ」にはならず、後半は見飽きた現実にほんの少し訪れるとても小説的なイベントを煙にまく。 実験的な文体がこれくらい読みやすい話にまとまっているという点に、著者の相当な技量が伺える。 著者の個人的な悲劇が作品をよくも悪くも破綻させたといえるようなことが解説にはあったが、実際はどうなんだろうか。 むしろ、「みずうみ」は最初からかなり実験的な意図で書かれたのではないかとも思う。 ただ、深く読みこんでいけるものの、その読みやすさゆえか読みこみたいと思わせるインパクトには乏しい作品でもある。 初めてのいしいしんじ作品だったが、初めて、には不向きだったか。
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幻想的だアーイエー
「みずうみ」をテーマにした三章節からなる物語。 一番幻想的な第一章は、水とともに生きる村人達を描いた作品だ。文章の終わりにかけごえがつく冒険的な文体だエオー。村で生まれた赤ん坊は、手足が動くようになるとみずうみへ落とされる。すいすいと泳ぎはじめた子は村に残される。沈んでしまった子は成人する頃になったら、村から出て行かなければならない。そして、泳ぐでもなく沈むでもなく、水と溶け合うように眠りながら浮かんでいる子は、眠り小屋へとはこばれて、そのまま眠り続ける人になるのだ。そして時が来て、眠れる人達に変化が起こることをまるで子守唄のように描きあげている。 第二章は、眠れる人のつながりであるタクシー運転手の話である。月に一度、コポリ、コポリと体中からわきあがってくる水を放出しなければ日常生活を送れない。 第三章もそうだ。眠れる人の末裔がここにも息づいている。アメリカやキューバと松本でのそれぞれの物語が展開されていく。松本のカラス城であったり、知っているところがでてくるとそれだけで嬉しい。全体を通してのキーワードは、「コポリ、コポリ」「帳」「ジューイ」。
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世界は繋がっている
第1章から第3章に進むにつれて、御伽噺のような世界から現実の世界へと、だんだん近づいてくるような物語でした。 全章を通じて「水」「流れ」がキーワードとなります。 なかでも以前の章でキーとなったもの(例えば、鯉や帳や白い石など)が登場して、「一体今度は、どのように繋がるのだろう?」と話に引き込まれていきました。 場所も、時代も、全く違う物語が繋がっていく。 それぞれの場所で、時代で、役割で、どんな事件があっても人は生きていく。 「水」「流れ」「懐かしさ」など、人の力の及ばない、大きなものに見守られ、流されながら、人は繋がり、生きていく。 私はこの本を読んで、世界の大きさを感じました。
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形にならない物へのオマージュ
第1章は定期的に溢れる水を湛える、幻想的なみずうみを中心とした、いしいしんじワールド。 白いこびとカバのようなやわらかな生き物ジューイ、 記憶や風景や思いなど、様々な物を溢れる水に乗せて伝え拡げてゆく、湖畔のハンモックの中の深く眠れる語り部。 記憶の水先案内なのか、鯉守の家とそれを受け継ぐことになった少年。 目に見えないものや、流動的に一定の形を成さない記憶や思い、それらを象徴し司ってゆく事柄が描かれる。 第2章ではそれは現実に近いタクシー運転手の姿や日常を借りて、過去未来に緩やかに隅々まで巡っている 帯のような時間の地下水脈を伝って、裏町の売春宿で溢れ出す。 僅かに揺れる薄地の帳が仕切っている沢山の思いも描かれる。 第3章に描かれるのは作家自身とその妻や友人達を想起させる人々。 作家やその周りの人々が現実に行動したり動いたりした場所、時間、起こった象徴的な出来事・それらの記憶、形にならない思い、その意識の中を 様々な感情や記録を孕んでコポリコポリと溢れ出る水、出現するみずうみ。 第1章で現れていた様々な事柄や人々(或いはそれが託されていた役割)が 一方向に収斂して思いを形作ってゆく。 それらの根底に意識されるのは、目に見えなかったり、形になっていなかったとしても、 確実に存在していた事柄・物・人・現象、それに対する記憶、思いの肯定であり、畏敬の意識であり、オマージュだと思う。 今までの彼の作品世界をベースに、モチーフを現実世界にもリンクさせ、大きな共感と共に、新しく作品の振幅が広がった気がする一冊。
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買いかもしれませんが・・・。
水、水の立てる音、あるいはかたちのないものを符牒に、まったく異なる三つの場所を舞台を紡がれた物語。ということはわかるのですが、そういった意匠によるのか、自分の頭のなかで文章が像を結ばず、正直読むのがつらかったです。時間をおいてまた読んでみたいと思います。
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かなり難解
著者の作品の長編の中でもかなり難解な一冊。 大きく3つの章で構成されており、第1章はどこともしれない湖のある村の神話的ないかにもいしいしんじさんらしい「ものがたり」。水と共に生活している村人たちと、水に選ばれ眠る人と、水を語る人、不思議と確立された世界の中で事件が起こり、村人たちは村から離れていく。 第2章は現在の日本に生きるタクシー運転手を中心にストーリーが展開される。月に1回浮き上がってくる青い水を放出し続ける。 第3章はアメリカ、キューバと日本の松本市をザッピングするように、水で繋がった世界を映像的に浮かびあがらせる。 出勤、退勤時の電車で小刻みに読み継いでいったが大失敗。著者の他の作品と比べて、「水に浸る、浮かぶ」ような気持ちで漂わないとストーリーを追うことで精一杯になってしまう。自宅で一気に最後まで読み続けるような環境を整えた方がよかったかもしれない。 水が繋いだ3つのストーリーを「感じる」ことができずに、もやもやとした気持ちを抱えてなんとなく「怖さ」を感じた作品でした。
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あたらしくてふるい物語
第一章は、本来のいしいしんじさんの世界観が反映されていていると思います。いしいさんの本が好きな方は読んでいて心地よくなると思うので、わたしはおすすめです! 第三章は、これまでにない世界観でちょっと戸惑いましたが、新しい魅力に詰った物語です。 今後のいしいさんの作品に対する、未知数の広がりを感じました。 前作『ポーの話』で泥川から海へとたどったように、『みずうみ』も地下ふかくの水脈は同じなんだと思います。『みずうみ』はさらに、淡水と塩水が混ざった「汽水湖」のような作品で、これまでの物語と新しい要素が混ざっています。
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帳のような不思議な軽さ
不思議な作品だ。 三つの小説が、一見ばらばらに置かれている。時代や場所のわからない、みずうみのある集落での神話的な奇譚。そして一見普通の現代の物語二篇。あとのほうの話には“慎二”という登場人物もおり、私小説かと思うほどの設定なのだが、いずれも第一話と密接な関係がある。 読んでいても、次の頁で何が起こるのかわからない。あらためて、多くの小説は読むことで、次の頁への予測をほぼなぞっていることに気づく。私たちはもう「小説」を読みすぎているからだ。「みずうみ」は小説を読むことの歓び(と不安)を再認識させてくれるのだが、読み進めてから振り返ると、不思議な既視感もある。マルケスとか?金井美恵子の初期作品とか?あるいは芥川龍之介の最晩年の関係妄想を綴った作品群とか?いや、そんな類似を考えること自体、意味がない。それは、みずうみの溢れ出す水が象徴する羊水のような、より根源的な懐かしさなのだろう。 第一話に出てくる白い河馬のような豚のようなジューイと、第三話でボニーの飼っている右目が空色、左目が黄色の白猫ジューイはどうつながっているのか(ちなみに昔そんな野良猫をただ一度見て、夢かと思っていたけど、あれはジューイだったのか)、深夜の病院の廊下の長椅子で眠っているタクシー運転手は間違いなく第二話の主人公なのだろうが、なぜここにいるのか。その他、もろもろの符牒について考えるのも楽しい。 第二話に登場する帳をつくる空色の服の女がつよい印象を残す。タクシー運転手がオブセッションのようにイメージし続ける落下物による死と、作品全体を覆うイメージの水死を一身に体現する不幸な存在なのに、なぜか重くない。その女性は“目立たないが、その場所かたちを、揺れながらたしかに整えている”帳には「軽さは大事」と言う。まさにそんな不思議な軽さが、この女性に、また作品全体にまとわりつく。
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