時間のかかる読書―横光利一『機械』を巡る素晴らしきぐずぐず
時間のかかる読書 is a work by 宮沢章夫. A critical work that reads literature and expression through the relations among writers, works, and their times.
Work Information
時間のかかる読書 draws readers into its world through concentrated language and the force of its subject.
時間のかかる読書 can be read as a work that condenses 宮沢章夫's concerns. A critical work that reads literature and expression through the relations among writers, works, and their times.
Review Summaries
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Readers note the handling of the subject and the texture of the prose, with attention to the work's aftertaste and structure.
Book Information
- Publisher
- 河出書房新社
- Published
- 2009-11-06
- Pages
- 290 pages
- Language
- 日本語
- ISBN-13
- 9784309019444
- ISBN-10
- 4309019447
- Price
- 1075 JPY
- Category
- 本/文学・評論
これはいったい、どんな種類の冗談なんだ?――わずか1時間ほどで読み終わる短篇小説を、11年余の時間を費やして読み解きながら、「読むことの停滞」を味わいつくす文学エッセイ。
1956年、静岡県生まれ。劇作家、演出家、小説家。遊園地再生事業団主宰。早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系教授。主な著書に『サーチエンジン・システムクラッシュ』『不在』『「資本論」も読む』など。
Reviews
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ぐずぐずが生む新しい物語との関係。
横光利一の短編「機械」を、時間をかけて読んでゆく。 なるべく時間をかけて…結局かけた時間は、なんと11年。 (他のレビュアーの方によれば、さすがに1回の通読に11年というわけではないみたい) …おもしろい。 思えば印刷技術によって紙の上に書かれるようになるまで、物語は人から人へ語られ、 その都度少しずつ内容を変えてゆく一回性のものだった。 書物の誕生によって物語は初めて反復可能になって、私たちは物語を読む「現在」を繰り返すことができるようになったわけだけれど、 さらにはその「現在」を引き延ばすことだってよく考えればできるのだ。 そして宮沢章夫は11年以上の長さに「現在」を引き延ばす。 「機械」に描かれるネームプレート製作所での出来事は、時間の経過が具体的な数字で示されないとはいえ、 せいぜいが1年くらいの期間内におさまると思われるのに対して、 読んでる側はその間に11年という時間を生きているのだ。 つまり相対的にはこちらの時間が動いていて、物語の時間のほうが止まっている。 物語を生きる自分が物語以上の速さで動いている。 物語を読む「現在」と物語のなかの時間の関係がなんだかぐらぐらしてくる。 でも実は紙に書かれたときから物語はこういうぐらぐらを内包していたんだなあ、といまさらながら気づかされた。 このぐらぐら感を本当に実感するにはたぶん11年にわたったこのエッセイの連載をリアルタイムで読むのが一番なんだと思う。 でもぐらぐらの擬似体験はできます。 なにしろ宮沢章夫なので、ときどきはくすっと笑ってしまう。 一緒に「ぐずぐず」できる本。
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別に面白くはない
「一冊の本」に連載されていたころ、ちらりと見たことはあったがちゃんと読んではいなかったので、著者の死を機に読んでみたが、案の定エッセイでよく使われる割とすぐ飽きるギャグがちりばめられているだけで、別に面白くはなかった。
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質の悪い冗談か、読む事の悦楽か
宮沢氏の独特の切り口や表現等、氏のエッセイに繋がる部分はあるものの、そちらのファンだという人には厳しいかと思う。 本の読み方には色々ある、しかし、宮沢氏の「一つの短編小説を11年以上かけて読む」という行為は(流石に実際に数行ずつ読んでいるわけではなく、毎月毎月通して読んでいるとラジオで語っていましたが)質の悪い冗談にしか思えないし(宮沢氏もどんな種類の冗談なんだと記してますが)一体何が目的なんだと訝しく感じてしまう。 二つの指針として「なかなか読み出さない」「できるだけ長いあいだ読み続ける」を決めたのは、いまとなってはもうわからない。と宮沢氏は述べていますが、いまとなってはではなく、多分その時も理由はなかったはずだと。多分、なんとなくそうしたのであって、意図があってそう決めたのであれば、それは「冗談」ではなく「つまらない実験」になっているはずで。 劇作家の視点で「機械」を解体、構築しているのは確かですけど、そこにあるのは「書評」でも「研究」でもない、ただの読書。それも圧倒的に時間をかけての。 一体何が起きているのか、結局なんだったんだ?と、読書の迷宮から抜け出せず、困惑してしまいました。 宮沢氏はあとがきで「誤読」という表現をしていますが、それがなければ私は今でも迷宮から抜け出せなかったはず。 しかし、本当に連載4回目まで「機械」を読み出さないというのにはやられました。始めると言って始めない、こんな気持ちのよい「ぐずぐず」が存在するとは。 まあ、こんな連載を書く方も、載せる方もどうかしている(褒め言葉)としか思えない、奇跡の一冊。