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探検家の日々本本

Mainichi Publishing Culture Award

探検家の日々本本

Yusuke Kakuhata

Explorer and nonfiction writer Yusuke Kakuhata moves between books and expeditions in this reading essay, asking why he is drawn toward the unknown. Drawing on literature and nonfiction, the book links the physical act of exploration with the inner movement of reading.

readingexplorationself-inquirynonfictionlife and death

Work Information

Reading becomes a way to illuminate why one steps into the unknown.

The standalone book and ISBN were checked through the publisher page, bookseller data, and library-style records; no magazine identifier was used.

Review Summaries

  • Readers respond to the way the author's expeditions and reading guide merge. Many find interest not only in the books discussed but in how he uses them to think about exploration and life.

Book Information

Publisher
幻冬舎
Published
2015-02-10
Pages
289 pages
Language
日本語
ISBN-13
9784344027237
ISBN-10
434402723X
Price
1540 JPY
Category
本/文学・評論/エッセー・随筆

山の中で死にそうな目に遭うくらいなら、本を読んでたほうがよっぽどマシである。ノンフィクション作家であり探検家による、痛快、爆笑にして深淵な読書エッセイ。 金原ひとみ『マザーズ』、伊藤計画『ハーモニー』、町田康『告白』、中島京子『小さいおうち』、サマセット・モーム『月と六ペンス』、辻邦生『西行花伝』などの文芸作品から、増田俊成『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』、井田真木子『同性愛者たち』、植村直己『北極圏一万二千キロ』、ジョン・クラカワー『空へ』などの骨太ノンフィクションまで。探検家である著者は、様々な作品を読んで、ひたすら考える。「なぜ、自分は探検をするのか―—」。その答えを必死に模索する様は、時に爆笑を誘うが、大いなる共感も与えてくれる。開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、新田次郎文学賞、講談社ノンフィクション賞などを受賞した、ノンフィクション作家であり探検家による、痛快、爆笑にして深淵な読書エッセイ。

1976年北海道生まれ。ノンフィクション作家、探検家。早稲田大学探検部OB。2010年『空白の五マイルチベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』で第8回開高健ノンフィクション賞、第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞、12年『雪男は向こうからやって来た』で第31回新田次郎文学賞、13年『アグルーカの行方』で第35回講談社ノンフィクション賞を受賞。13年には朝日新聞の書評委員を務めるなど、書評も勢力的に執筆している。

Reviews

  • 思考を深めて位相探検家に脱皮した角幡唯介の言いたいことがつまっている本。

    角幡唯介の真髄は、探検行為そのものよりも、言語化された文章である。 名文、迷文を抜粋して、コメントしてみた。 ー私が冒険するのは子供が産めないからですよ。ーp20 僕も山に行く時の言い訳に使ってみよう。 ー(角幡)「お前、何で就職なんかするの?」〈中略〉 (大学山岳部員)「いやー、お母さんを喜ばせたいじゃないですか」 (角幡)えっ? お母さん......?ーp23.28 一般人ならいざ知らず、山岳部員や探検部員のこういうヌルい自覚のない寝ぼけた連中にはがっかりさせられる。そんな気持ちで山やってるならとっとと山なんかやめちまえ。 ークライマーにとっては村上春樹や宇多田ヒカルでさえ、さほどの人物とは思われない。なぜなら彼らは壁を登れないからだ。ーp44 角幡さんだって、言うほどクライミング上手くないでしょ。あっ...、僕もそんなに上手くなかった。 ー人間は状況を正しく理解する能力に欠けているということだ。ーp58 んんんん。人は考えれば考えるほど「小状況」から抜け出せない。少し「大状況」が見える部類の人間が、植村直己であり、羽生善治であり、山中伸弥であり、錦織圭なのだろう。 ーお願い!サードマン〈中略〉変な話だが、私はまだサードマンを見るのをあきらめたわけじゃない。〈中略〉私の極夜探検は、実はサードマン探検が裏のテーマなのだ。ーp86.96 こういう煩悩のある人にサードマンを見ることができるのか。僕は読んだことがないが、工藤美代子『もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら』というタイトルの本を思い出した。読んでみよう。 ※サードマン=第三の男といっても、アレクサンダーメゴスのことではありません。(元ネタ:ロクスノ60号) ーアイスクライミングとはつまり、〈中略〉左腕のことであり、〈中略〉踵のことでもある。ーp97 この文章は真似したくなる。 辺境クライミングとは、船酔いのことであり、藪漕ぎのことでもある。 今度の原稿で使ってみよう。 ー探検家入りの名刺を渡すと、どうしても心の中で笑われているような気がして、自己弁護するかのように説明してしまうのだ。〈中略〉田舎の両親が莫大な借金を抱えてしまい......と弁明する風俗嬢みたいなもので、ーp125-126 朝日新聞記者時代に風俗に通っていたという噂の角幡さん。風俗経験を角幡さんの筆圧で表現してほしい。 「男女関係も自然だといえる。(p18)」って書いてましたよね。 ー位相の外側に行く行為こそ、前人未到の探検であり、それは別に地図のせかいには限定されるものではないはずだ。ー その地理にまつわらない位相探検。古の大学探検部やAACKがやってきた学術探検はきほんてきには地理探検だが、ある意味では位相探検といえるかもしれない。 ー聞いてくるだけで興奮してくる。あまり長い間考えていると射精してしまいそうだ。ーp183 僕や僕の仲間もニヤニヤと地図や山岳写真を見ながら気持ちを表現するのに、ムラムラ(興奮)、勃起、射精というわかりやすい三単語をよく使う。世に名高い角幡さんが使っていたというなら、これからは僕らも堂々と胸を張ってこの表現を使えます。ありがとうございます。 ーノンフィクションにおいて予断の存在は取材が成立するための前提条件だといえる。〈中略〉 そう、ここに私の予断は覆されたのだ。まさに増田さん本人がノンフィクションだったのである。ーp191.194 このオチである。関西人として好感を持たざるを得ない。終始この本のオチのつけ方はバリバリの関西人並みである。 ー文章が天真爛漫としているのでそうは思わせないが、大変失礼な言い方をすると、彼(植村直己)には少し壊れていたところがあったのかもしれない。ーp205 恐怖に対して鈍感だったのではないかと、植村直己はよく言われる。角幡さんもそう言っている。そういう角幡さんだって少し壊れているのではと僕が思うのはここだけの話である。 ーノンフィクションを書くということは、事実性を理解した上で、どの事実が事実性と合致しているか、つまり「正しい」かを自分で見極め、さらにその事実性を的確に表現した文体で物語を叙述することである。ーp215 事実はいつも事実性を伴っているとは限らない。ノンフィクション作家が冒険中に、わざと盛り上がる展開を望んでおよんだ行為は間違いなく事実は事実だけれども、その行為は純粋な事実性をともなっていないと言える。 ー小説というのは事実性から解放されていることによって得られた想像の翼で真実に到達することができる。ーp249 日本人にとっての記紀神話、仏教徒にとっての経典、キリスト教徒にとっての聖書、イスラム教徒にとってのコーラン事実かどうかはどうでもいいのである。むしろ事実性から解放されているからこそ真実に到達しているとも言えるのではないか。 ー死を取りこむという体験をしてしまったことで、私は次に実行しようと思っていたこのニューギニア探検の内容が、自分の心象風景とそぐわないのではないかという違和感を抱えてしまった。ーp278 ニューギニアの半分はインドネシアである。インドネシアの一月以上のビザ(一月ビザは空港で簡単に取れる)の取り方を教えてくれと角幡さんから電話があったのを思い出した。残念ながらぼくは一月ビザが切れて更新したことはあるが、一月以上のビザは取ったことがないので、ありきたりのアドバイスしかできなかったのを覚えている。 地理探検家から脱皮して、位相探検家、心象探検家になった角幡さん。極夜探検もいいけど、一緒にニューギニア行きませんか。

  • 死との共存

    著者は全般的に死と隣り合わせに身を置くことを自分の冒険で有ると説いてると思う。 著者が感銘を受けた書籍の紹介となっているが、著者の好みとして死に向かい合ったものが多く、自分の価値観と照らし合わせ共感できる作品の紹介が多い。 私がこのような境遇には身を置く事はないと思うが、自分の体験し得ない物について興味をそそらせる。

  • スマホ・キンドル乱丁

    スマホ・キンドル版で、 まず植村の章を読もうと しましたが、乱丁となっており、 読み進められませんでした。

  • 読書連鎖の起点

    冒険家の角幡さんの書評をまとめたもの。冒険家としては、チベットを一ヶ月放浪した程度のさほどの実績があるわけではないのだが、筆力はそこそこで読み物は面白い。

  • 探検家の読書遍歴

    探検家という著者が自らの探検とリンクさせながら作品の感想や執筆当時の近況、感情を記している。元新聞記者という経歴も納得できる明快な文章で、あっという間に読了してしまった。

  • 本の紹介本ですね。

    まさか探検家の書いた本が、今後の読書へのヒントをくれるとは思わなかった。意外性で5つ星!

  • 良く知らない人がぶつぶつと独り言を言っているのを聞いていることに近い体験かもしれない。

    角幡の本を纏めて読んでいる。正確に言うとキンドルで纏め買いしてしまった ことで順番に読んでいるところだ。衝動買いと言えば衝動買いである。 太陽の出ない氷原を冒険したり、雪男を探し回る不思議な男がどのような書評を 書くのかが本書のだいご味である。どんな本を選ぶのかという興味もあったが、 むしろその書評の書きっぷりが楽しい。 しばしば書評において、対象とする本が中々出てこない。角幡は各書評の冒頭から またもや自分の冒険を書き連ねる場面が多い。彼の冒険譚は面白いので、それは それで楽しく読み進めるのだが、ふと、本書は書評ではなかったのかとも思ってしまう。 そう思い出した頃に対象とする本の話に漸くなっていく。そんな展開が多い。 端的に言うと、角幡は各本を自分の為に読んでいるということだろう。角幡は自分の 経験と冒険から対象とする本を照らしている。本の照らし方は彼自身の照らし方でしかない。 彼のような冒険をしたこともない僕が、同じ角度で対象とする本を読めるわけは無い。ある意味では 良く知らない人がぶつぶつと独り言を言っているのを聞いていることに近い体験かもしれない。 では何が面白いのか。例えば「極夜行」とは角幡が暗闇の中で辿った心象風景を追体験することが 面白い本であった。あれも角幡の独り言といって良い。その意味では本書も角幡が自身の経験を 踏まえて本を巡って辿る心象風景という点では「極夜行」と同じ構造と言える。 僕にとって暗闇自体は理解不能であっても暗闇を辿る角幡の心象風景は少しわかる気がする。 同様に僕が読んだことはない本は、それを読んでいない以上、理解不要であるが、その本を辿る書評者の 心のありようは少しわかる気がする。まさに同じではないか。 考えてみると書評本とは「僕が読んだことがない本を他人が評価しているという不思議な 本なのかもしれない。書評本が面白い理由はもう少し自分の中で突き詰めたい。

  • 読み終わるのがもったいない

    面白すぎてKindle画面をタッチする手が止まりません.読み終わるのがもったいなくて、何度も戻って読み返してしまいます. 紹介されている本をどれも読みたくなり、芋づる式に買ってしまうという危険な本でもあります.Amazonの購入ページへのリンクをつけておいてもらえると便利なのですが・・・(Amazonの売り上げも上がるのでは) それにしても最近探検に関する著作が出ず、もしや角幡唯介も登山家の三大北壁の最後の壁を超えられなかったのかと残念に思っていたところ、新作がでるとのこと.喜々として予約いたしました.人の行かないところに行き、人の思いつかないことをやって、そして一般人が忘れていた刺激と共感を呼び醒ます文章を書いてくださるのを楽しみにしています.

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