チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学
An anthropological nonfiction account of Tanzanian traders in Hong Kong's Chungking Mansions. It traces how trade and mutual aid are sustained by side jobs, informal trust, and everyday improvisation.
Work Information
Mutual aid grows from a chain of side favors rather than from rigid institutions.
A 2019 book by Sayaka Ogawa, published by Shunjusha. Based on fieldwork, it depicts the daily lives of Tanzanian traders centered in Hong Kong's Chungking Mansions.
Review Summaries
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The review praises the book for explaining the loose mutual aid and side-job-driven economy of Tanzanian traders.
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The review reframes the lives of African traders in Hong Kong as a reality where trust and betrayal coexist.
Book Information
- Publisher
- 春秋社
- Published
- 2019-07-24
- Pages
- 276 pages
- Language
- 日本語
- Size
- 19.5 x 13.8 x 2.2 cm
- ISBN-13
- 9784393333716
- ISBN-10
- 4393333713
- Price
- 2200 JPY
- Category
- 本/人文・思想/文化人類学・民俗学/文化人類学一般
香港のタンザニア人ビジネスマンの生活は「まさか!」の連続。既存の制度に期待しない人々の合理的な知恵とは。第51回大宅壮一ノンフィクション賞,第8回河合隼雄学芸賞受賞。
1978年愛知県生まれ。専門は文化人類学、アフリカ研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程指導認定退学。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員、同センター助教、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授を経て、現在、同研究科教授。著書に、『都市を生きぬくための狡知』(世界思想社)、『「その日暮らし」の人類学』(光文社新書)がある。
Reviews
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「ついで」の経済学
香港でビジネスを営むタンザニア人がどのように互助システムを形成しているか、という点が興味深かった。状況に応じて人は変化してしまう為、浮き沈みの激しい香港のビジネス界では誰も信頼することはできない。その前提の上でゆるやかな共生関係が築かれており、たとえ文無しになったとしても誰かが助けてくれるため死ぬことはない。これは誰かの「ついで」に乗じることにより、施しを受ける側に過度の負い目を追わせない仕組みによってなりたっている。未来の不確実性と人間の内面の流動性を理解し、多様な交友関係を重視する。「誰も信じられない」と「自分は皆に好かれている」という一見矛盾する事象が同時に成り立つ「開かれた互酬性」は未来の経済を考える上で非常に参考になるのではないか。
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本格的な現代における「経済」人類学の参与観察
私的には、とても面白い本だった。チョンキンマンション(重慶大厦)の「自称ボス」が五十路のタンザニア人、カラマを中心とした参与観察の本。 最初に言っておけば、学生の頃から経済人類学者の栗本慎一郎氏を私淑していたおかげで、割と速足で読めた。マルセル・モースの「 贈与論 」とか、ジョルジュ・バタイユ「 呪われた部分 」に近いことも書かれているし、恐らくこの著者も、現代では引退した栗本慎一郎氏の著書も少なくとも数冊は読まれている節があるのは、文脈ですぐ判明した(ほとんど読者は読んだことが無いとは思うが、参考文献にも出てないがとても似ているし、経済人類学・経済史学者のカール・ポランニーの提唱した、「互酬」、「再分配」などの用語もすらりと出てくる)。 一言で言えば、商売はハードボイルド(日本語で言えば任侠道)である。レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる私立探偵マーロウの様に考えると良い。法的には違法でも、社会的には許される仕組み、それでも他の顧客の不可侵性とか、日本人が当然と思っていた常識の中心軸を動かされる刺激に満ちている。それでも道義的には禁じられる無意識の共同体の「愛と友情の秘訣は『金儲け』」という最終章のタイトルも衝撃的であるが、彼女の本を書いた意図がここで明かされる。 「ついで」の論理…彼らの日常的な助け合いの大部分は「ついで」で回っている。他者の「事情」に踏み込まず、メンバー相互の厳密な互酬性や義務と責任を問わず、無数に増殖拡大するネットワーク内の人々が、それぞれの「ついで」でできることをする。「「互いに無理やストレスを強いること」を、できるだけ回避しようとすること、をルールにしているように思われる」(p84) 信頼の欠如…「ブローカー業は、香港の地理や中古車業者のやり方・手口に不慣れなアフリカ系の顧客と、アフリカ系顧客のやり方に不慣れで信頼できる客かどうかを見極められない業者との「信用」を肩代わりすることで、手数料をかすめとる仕事である」(p105)。カラマたちの商売は、顧客と業者のあいだの「信頼の欠如」によって成立している。 この信頼の欠如をベースの成り立っている仲介業のプラットフォームが「TRUST」と名付けられている。そのもっとも重要な機能は「香港ブローカー全体に対する『漠然とした不信感』を担保しながら、そのつど特定の誰かに関する『偶発的で一時的な信用』を立ち上げる仕組み」(p143)である。 ただし、法的にはグレーな地下銀行の一種である。送金システムもインフォーマルなものだ。特に重要なのは、TRUSTが「信用できるブローカー/顧客」と「信用できないブローカー/顧客」を次第に明るみに出すものではないことである。これがレピュテーション(評判)によって格付けされる先進国で広がっている、クラウドファインディングやシェアエコノミーとの大きな違いである。 一言でいえば、その場限りの仁義。「彼らは他者の過去や現代の状況を詮索せず、人間はいつでも豹変しうることを前提にしながら、そのつどの状況・文脈に限定的な信頼を構築している」(p152)。 日本でも江戸末期から戦後直後あたりまでは、似た構造があったのだ。つまり侠客の世界だ。過去の日本でも他の縄張りに入る際に「仁義を切る」という行為があったが(清水次郎長の世界ですな)、戦後の暴対法によって、より闇の濃いアンダーグラウンド経済へと追いやられ、一般人をカモとする詐欺が増えだす。ちなみに著者が日本で流行っている「振り込め詐欺」についてボスのカラマと会話すると、「同じ仲間から詐欺するのは良いが、全くの他人から詐欺するのはいけない」と批判する。日本の常識からすると「?」と思うに違いない。これは社会、共同体を「生命体」としてメタレベルで考える必要がある。グレゴリー・ベイトソンは社会(システム)が相互関係の「精神」、関係のネットワークであると気づいていた節がある(参照:グレゴリー・ベイトソン「 精神と自然 生きた世界の認識論 」)。 けれど、「彼らは基本的に「自力で生きている」からこそ、本当に困った時には助けあうという関係が成り立つ」(p185)というバランス感覚は、古代の都市がその様に成立していたプロセスを理解すると判然とする。栗本慎一郎氏の著書で「 都市は、発狂する。―そして、ヒトはどこに行くのか 」という都市論の本があるが、このことが生理感覚として理解出来なければ、古本でも手に入れてこの本を読んで欲しいものだ。 「借り」を回すこと、本当に困った時は知り合いや共同体の人脈を使って無心したりするが、これらは返さなくても良い仕組みがあり、お互いに「誰かから返ってくる」と考える経済圏というか「構造」があるのだ。この辺が気になるなら、ぜひこの本を買って読んで欲しい。もしくは、ナタリー・サルトゥー=ラジュ「 借りの哲学 」が参考になるかもしれない。 タンザニア商人たちは、将来よりも今を生きる。だから儲けを貯金するより仲間を支援したり、みんなで派手に騒いだりして使ってしまう。しかし、著者はあくまでも「他者に必要とされる快楽」について懐疑的である(p230)ようだ。 「他者の多様性が生み出す『偶発的な応答』の可能性に賭ける」(p246)、この姿勢は「『異質性や流動性が高くて、誰が応えてくれるかわからない』という状況における戦略として不合理ではない」という指摘はとても当たっている。 思い出したのは、クリスチャン・ブッシュ「 セレンディピティ 点をつなぐ力 」で紹介された、「セレンディピティ」(偶有性)という言葉だ。つまり「セレンディピティ」が発動する場を、意図的に「経済」に埋め込んでいると考えても良い場面がある(勿論必ず発動するというわけでもない、いつ発動するかもわからないが)。 シェアリング経済はユーザー同士の格付け(レピュテーション)によって取引相手を選別し、ときに排除する。「シェア」という「ムラ社会」は、包摂的な響きを持つ言葉とは裏腹に、きわめて排他的になりうるということであり、それは異質なものが混入・侵入した場合に脆弱に成り得る「構造」がある。この辺が私が無意識に敬遠している理由でもある。私はシェアリング経済が、村八分や排除を行う「ムラ社会」に容易に変貌しうると指摘している気がした。 それに比べてこの本で紹介されている「誰も信頼できないし、状況によっては誰でも信頼できる」という、原始的な交易条件のもとで機能するシステムは、不測の事態において適応度が高いのだ。「出入り自由。他者に関心はもつが監視はしない。基本的に淡泊な人間関係」が最もストレスを感じないものだ。この辺は、古代の都市が村落社会でつまはじきや追い出された者達にによって都市の原型が成立したと、栗本慎一郎氏が指摘していたのを思い出した(参照は前掲書)。 濃密な人間関係を尊ばれる現代において、正に真逆と感じる人も多いだろうが、実際に「 沈黙交易 」が最も古来からある交易方法という報告もある。感染症との共存が叫ばれている現代でこそ、学ぶべき内容が含まれていると私は思った。沈黙交易は相手を全く信用していないところからの距離を置いた言葉を交わさない「交易」のことである。やがて恒常的に交易を始めて、徐々に距離を縮めて、中立地での「市」が生まれ、その周辺に住居を構え、やがて「都市」にまで発展する。モデル化は危険なので一概に言えないが、生理感覚として理解すべき内容なので著者である小川さやか氏も文章からその苦労が伺える。 それでも、著者が今一つ残念なのは、メタレベルで包括的な「システム」思考によるまとめ方が実はあまり上手では無い節がある。確かに参与観察をしていると、枝葉末節が気になる部分が多すぎて難しいことではあるが、説明する際の編集的「抽象化」も時には大切な気もした。文体がもう少しこなれると良いかもしれない。こなれたら間違いなく名著になる可能性があった。それが惜しい。
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自分の価値や成功の基準を変えていく
面白い。出てくる人物も背景も、人としても魅力的で純粋に楽しくいっきに読んでしまいました。 とはいえ、学びは豊富。成功とは何か、その背景にある人との関係性の結び方やそれを支える基盤の在り方はどんな形があるのか。 社会や周りの人への信頼の基盤があって、ずるさやときに騙し合う人間らしさも許容しながらも相互が生き残っていくネットワークの気づき方も面白く、個人的には何となく溢れがちな、どこか”きれいな人間性”を信じるような考え方よりも、人間らしさがにじみ出ていることに魅力がありました。
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タンザニア香港組合のカラマは、香港のボスである。
文化人類学者のフィールドへののめり込みはあっぱれというしかない。タンザニアに行きスワヒリ語で交流して調査する。この本は、香港におけるタンザニア人の生活ぶりをフィールドワークするのである。タンザニア香港組合のボスでタンザニア人であり難民認定のカラマが主人公である。これは、学術研究というよりも、カラマという男によって、実に生き生きした物語になっている。 現在の香港の状況を考えてみると、カラマは大丈夫かなと心配してしまうほどだ。時間にはルーズで、人に対しては、気配りができ、香港で死んだ同胞には、お金を集め、故郷までみんなで送り返すためのリーダーシップを取る。実に、人情味があるのだ。 「香港人は働き者だが、彼らは儲けが少ないことを怒り、日本人は真面目に働かないことに怒る。仕事の時間に少しでも遅れてきたり、怠けたり、ズルをしたりすると、日本人は信頼を失うってさ」とカルマはいう。全く鋭い指摘なのだ。日本人の大切にしているものは、本当に大切なものなのか?このカルマのやっていることや話していることは、ダラダラして、「無理することなく」「ついで」なのだが、香港のボスとして信頼されている。「誰も信頼してはいけない」と言いながら、仲間や慕ってくる人々に対して、最大限尽くすのである。色々なタンザニア人が登場する。裏切られた人、売春をしている人、シュガーマミー、キベンテンなど。「俺たちは夢を食って生きている」という。 シェアリング経済を支えるTRUST、つまり信用とはどう形成されるかということを、日本の尺度や文化人類学の尺度では、解決しないのだ。 「私があなたを助ければ、あなたが私を助けてくれる」という前提はなく、「私があなたを助ければ、だれかが私を助けてくれる」と言っているが、「別に助けてくれなくてもいい。成るように成る」と思っているのだろう。信頼や信用がなくても、生きていけるのである。 卓越した文化人類学の物語として、楽しめた。
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タバコ臭い
書籍の見た目の状態は悪くなかったですが、たばこのにおいがひどいです。
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ハッとしました
一見いかがわしい存在と思われがちですが、意外と深い考えがそこにはあり、考えさせられました。
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開かれた互助性コミュニティ
日本でコミュニティというとgive and takeや貢献と言った概念が当然のように求められるが、この本で述べられるタンザニア人コミュニティでは少し違った形となっている。 現代日本が多様性を増す中で新たなコミュニティのあり方として気づきを得られたような気がした。
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適当でいい加減
この人に会えたらなと思ってこの前 ピンポンマンションならぬ チョンキンマンションに行ってみましたが不在でした。 今度の正月にも家族で行ってみます。 チョンキンマンションは21世紀に残る最後の「昔の香港」です。 ジャッキーチェンもびっくりですよ。 クーロンの面影が3%位はありますよ。