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ピアニストになりたい! 19世紀 もうひとつの音楽史

Art Encouragement Newcomer Award of the Minister of Education, Culture, Sports, Science and Technology

ピアニストになりたい! 19世紀 もうひとつの音楽史

Reira

This music history traces nineteenth-century piano education and the image of the performer, revealing training systems and ideas of the body behind Romantic ideals. It brings out a history of institutions and desire as well as artistic glamour.

music historypiano educationRomanticism

Work Information

ピアニストになりたい! 19世紀 もうひとつの音楽史 is read as a 音楽史 connected with 岡田暁生's award recognition.

This music history traces nineteenth-century piano education and the image of the performer, revealing training systems and ideas of the body behind Romantic ideals. It brings out a history of institutions and desire as well as artistic glamour.

Review Summaries

  • Readers respond to the distinctive subject and texture of the prose, approaching the work as one to be read for genre energy or poetic density.

Book Information

Publisher
春秋社
Published
2008-10-25
Pages
304 pages
Language
日本語
Size
19.5 x 13.8 x 2 cm
ISBN-13
9784393931837
ISBN-10
4393931831
Price
2200 JPY
Category
本/アート・建築・デザイン/芸術一般/美術史/西洋美術史/ロマン主義

超俗性をあれほど重んじたロマン主義時代の背後にあった驚くべき精神性。今日まで続くピアノ教育の起源とその過程での「芸術」の変質を,緻密な調査と圧倒的筆力で描き出す。

Reviews

  • ピアノの不思議な歴史を教えてくれる佳作

    岡田暁生(1960~)と言う評論家は、読者を挑発するのがうまいようだ。今回も、「ピアニストになりたい」と言う題名で読者に挑戦してくる。この世の楽器で最もポピュラーな楽器のひとつであるピアノを取り上げて、なぜこの楽器がこれほどまでに人気を保っているのか解き明かしてくれるというのだ。 まず岡田が取り上げているのは、Chopin(1810~1849)による練習曲の演奏の比較である。ひとつは、Alfred Cortot(1877~1962)、もうひとつは、Maurizio Pollini(1942~2024)である。実を言うと、Cortotの練習曲は聴いたことがないのだが、たぶん技術的にはPolliniに敵わないだろう、と言うことはすぐに想像できる。岡田は、“よい演奏”が、時代によって変わることをこの本で示そうとしているのだろうか。 ピアノはかつて、今でも一部の名品はそうなのかもしれないが、ひとつひとつ注文で生産されていたのだが、19世紀後半になると大量に生産することが可能になったという。この時代に生きたClara Schumann(1819~1896)は、楽器の進化に対して自身の技術が対応できなくなっていくと告白している、と岡田は述べる。 また音楽院、コンセールヴァトアールが本来は保護院であり、孤児のための施設であった、と岡田は指摘する。そしてパリでも、プラハでも、ピアノ科は設立当初存在していなかったと言う。 ピアノが現在のように、雄弁であり、独奏楽器として優れていることを当然だと思っている人間にとっては、信じられないことである。 それでもピアノが現在のような地位を確立していなかった頃に作曲されたことを知っても、Bach、Mozartの珠玉の作品が、やはり名曲であることを疑う人はほとんどないだろう。

  • ピアノ練習曲の音楽史

    題名が紛らわしく、ピアノ上達法の本と勘違いしやすいですが、本書は一言で言えば「ピアノ練習曲の音楽史」です。 音楽史に興味がある方だけでなく、ピアノ学習者で、どこまでも続く練習曲の山に辟易している方にも参考になります。自分の受けているレッスンを客観視できます。 「はじめに」の以下のくだりは、ピアノと他の楽器を両方やった人なら一度は感じるところです。 「ピアノほど筋トレ的な訓練が学習の絶対条件として信じられてる楽器は、他に例がない。「オーボエがやりたければ唇を鍛える練習から」とか、「ホルンを学びたければまず肺活量トレーニングから」という話は聞いたこともないし、曲を弾かせず指体操ばかりさせている弦楽器教師などというものもあまりいないだろう」 「刻苦勉励の美徳やマニュアル思考や反復練習や器具による簡便化といった、十九世紀ヨーロッパが生み出した音楽/身体のイデオロギーは、今日なお私達にとって無縁なものになりきってはいない。練習していて「この指が弱い・・・!」と苛立つとき。「曲」ばかり弾いて練習曲をやらず、なんとなく後ろめたく感じるとき。いつの日か何でも弾ける指が出来上がると信じ「ドミファソラソファミ」と鍵盤上で反復するとき。私たちは過去の音楽/身体イデオロギーに、いまだ無意識のうちに絡めとられている。」 ピアノ界では「ピアノを練習することは、練習曲を練習すること」、というのが当たり前のようになっていて、初心者から上級者まで系統立てて山のような練習曲が揃っています。 (バイエル → ツェルニー100 → ブルグミュラー25 → ツェルニー30-40-50 → クラーマー・ビューロー + ハノン といったように) これは他の楽器ではあまり見られない現象です。 他の楽器はそもそも練習曲の数が少ないし、 (ヴァイオリンやクラシックギターのような、クラシックで比較的メジャーな楽器でも、せいぜい数種類の練習曲しかない。楽器によっては練習曲がない) 他の楽器の練習は「曲」を練習するのが当然のことであり、練習曲はその補助に過ぎないからです。 このあたり、物心ついた頃からピアノ界にいたピアノの先生などには、なかなか気がつきにくいのかもしれません。 そんな奇妙な奇妙な「ピアノ教育業界」はどのように成立したのか、歴史を読み解いていく本で、これまでになかった研究です。 結論から言えば、このような歴史は、この種の「近代見直し」論者の例にもれず、やはり十九世紀ロマン派の産物だった、ということなのですが。 十九世紀は全然ロマンチックな時代ではなかったからこそ、芸術にロマンを求めた(ロマン派)、という、著者の主張を裏付ける、もう一つの音楽史です。 付論の、リストを境にしたピアノ演奏法の決定的な変化については興味深いです。 リストの技法は独自のもので、ツェルニーの技法とは決定的に違っていたことがわかります。 「ツェルニーはリストの師だったのだから大事」という決まり文句には、説得力はありません。 この本でも、やはり先行文献 『ピアノの誕生 / 西原稔』 はかなり意識されていて、重要な文献です(ただし註で出典について若干疑問を呈しています)。再発を望みます。 2012.9後記 『ピアノ大陸ヨーロッパ』 はおおむね『ピアノの誕生 / 西原稔』の増補版といっていい内容で、現在手に入るようです。見逃していました。なぜ原著を増補しないのか、ちょっとよくわかりません。

  • ピアニストは「技術人」たるべきなのか

    2008年の本。著者は京都大学准教授(当時)。 曰く・・・ 今日の聴衆の大半にとって、よい演奏の第一条件であるところの高度な(演奏)テクニックは、19世紀に入ってはじめて形づくられた規範であって、18世紀までの人びとにとってはさして価値をもつものではなかった。 独奏ピアニストという職業が誕生したのは19世紀。モーツァルトの時代にはこの専門職はないも同然だった。モーツァルトやベートーヴェンのピアニストとしての活動は、作曲家としての彼らの仕事のほんの一部にすぎなかった。 ピアノを弾く10本の指の表象として二つの理念型が考えられる。一方は「10本の指は不均等なのが当たり前」という考え方であり、力のムラや速度のムラは当然であって、そのムラからピアノ音楽ならではの運動の綾、うねりの感覚が生み出されるというもの。もう一方は、人間を機械にしたいという欲望であり、近代工業文明の傑作としてのピアノを弾きこなす者は、機械に比肩しうるような完璧な技術人たるべきというもの。 薬指は他の4本と違って、中指および小指と腱でつながっているので、4の指(薬指)は独立して高く持ち上げることができない。指を均質化しようとする試みにおいて障害となったのがこの「独立しておらず弱い薬指」だった。19世紀には、この腱を切ってしまう手術をする医者もいた。 19世紀の終わりになるとタイピストという職業が一般化する。たいして金儲けにもならないピアニストをめざすより、タイピストになった方が実質的。音楽がただの技術と成り果てたとき、生活の糧を得る手段として、ピアノはタイプライターの敵ではない。 江戸時代までは身は保つものだと考えられてきたが、近代に至ってはじめて身体の鍛錬が強調され、それは運動によるものである、という考え方が一般化した、といわれる。近代人は「ありのまま」でいることに満足せず、何かに「なる」ことを目指す。身体が国家権力の精密な検査対象となり、より良い身体と健康は訓練によって育成される、つまり、「体育」という概念が一般化する。かくして生まれたのが「徴兵制と兵式体操」である。 モーツァルトと違って、ハイドンやベートーヴェンは珠玉の旋律を大盤振る舞いしたりはしない。ベートーヴェンは、誰でも思いつきそうな、ほとんど凡庸といってもいい主題を「元手」として、飽くことなくそれを研磨し、組み合わせ、積み上げ、完成する。つまり、勤勉な労働(主題加工)を通して「大きな作品」という大資本を作り上げる。 などなど。

  • 笑いました、面白い。

    岡田さんは、19世紀に産業革命とともにピアノという楽器が進化するにつれ、弾き方も筋肉強化練習のようなものになっていき、ロマン主義の音楽も「分解・反復・教化」という深層構造に支配されるようになったというスリリングな説を展開しています。私はピアノが弾けませんが、ピアノ教則本の内容には大笑いしました。ピアノを練習した人なら抱腹絶倒ものでしょう。『動物の謝肉祭』の「ピアニスト」の練習曲でもBGMにして、ベートーヴェン以前と以後の音楽のちがいを念頭に置いて読み進めることができます。単なる好き嫌いを止揚して、楽曲や演奏を歴史的に見る方法を学ぶことができます。

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