稲の旋律
The Melody of Rice is Akane Asazume's novel rooted in her own experience of withdrawal. Through the meeting of a woman afraid of human contact and a man devoted to farming, it portrays the strength to start walking again after life has stalled.
Work Information
Rice fields and piano notes illuminate the quiet courage to reconnect with others.
Published by Shin Nihon Shuppansha in 2002, the novel is listed by the National Diet Library at 281 pages with ISBN 4-406-02878-1. It was later adapted into the film Andante: The Melody of Rice, and the author's essay collection reflects on the path that opened from this work.
Review Summaries
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The novel continues to be read in connection with the author's own path and its film adaptation. Its warmth lies in the movement from isolation toward renewed human connection.
Book Information
- Publisher
- 新日本出版社
- Published
- 2002-04-01
- Pages
- 281 pages
- Language
- 日本語
- ISBN-13
- 9784406028783
- ISBN-10
- 4406028781
- Price
- 1980 JPY
- Category
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
【転んだときには、起き上がるまで僕がそばで待っていてあげる】 誰か私を助けて――田に残されたSOSのメモから,人とのかかわりにおびえる女性と農業に立ち向かう男性、見知らぬ2人の交流が始まる。 若い女性の心の葛藤と再生の軌跡を、瑞々しい感性と往復書簡で描いた話題作!
Reviews
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勇気を与えてくれました。 感謝。
旭爪あかね「稲の旋律」を読み終わりました。 一面に広がる田んぼのすがすがしさ、 トラクター、泥臭い思い出、 友情、そして失恋、 ひきこもりになった女性が母親や自分自身を発見し 殻をひよこのように抜け出すとても勇気づけられる良い作品でした。 人間の奥底の濁りも含めすべてを美しく書いた労作です。ぜひ読んでみてください。 私は駆け足で走りすぎていたと、読み終わって思いました。 「だいじょうぶ、転んだっていいんだよ」 「効率的なことがそんなに良いことなのか」 感動や楽しさがなくてなんのための労働でしょう 私は明日から7kmを走ることにします。いつもの2倍です。 私に主人公を重ねてみて、ちょうど私は失恋したような状態なのでしょう。 会社に恋をしていたのですが会社に振られた。 でも会社は、いろいろなものをあたえてくれた。 素直にはいえないけれど 感謝しています。 会社の人事評価に、パワハラにと いろいろ理由はつけていたけど 結局私も「折れる心」を見つけたことを誇りに思います。 あとはこの「折れる心」を鍛えたい。 いまは転んでしまった私だけど、でももう一度 労働の原点にたってみたい。 だから意地でも走ります。 勉強もはじめます。 これも この本と出会えたから。 勇気を与えてくれました。 感謝。 とてもいい本でした。
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「引きこもり」からの再生の物語。
最近若くして亡くなられた旭爪あかねさんの小説「稲の旋律」を読了。感銘を受けた。評判になり映画化もされた小説だ。子どもの頃から両親の期待に応えようと「いい子」を演じ続けたが、ある時ついに破綻をきたし対人恐怖症に陥ってしまった女性が主人公。彼女はやがて農家の男性と文通をはじめ、農作業を手伝う中で徐々に自分を取り戻していく。その中で農業の抱える深刻な問題も勉強していく。一面の稲の描写等美しく、そこに「パッヘルベルのカノン」やバッハの「ゴールドベルク変奏曲」が常に通奏低音のように流れる。対人恐怖症の苦しみは作者の実体験らしい。
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sos
sos 私はもうすぐ三十歳になってしまいます. でも私は働いていません. 結婚もしていません. 何かを学んでいるわけでもありません. ただ毎日家の中にいて、食べて、飲んで、寝ているだけ。 …。 誰か私を助けてください. で、はじまるこの「稲の旋律」。 久しぶりに、引き込まれた作品です。 一刻も早く、本当の自分を発見することが、 人生にとって、とてもとても大切なことなんですね。
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統合失調症の主人公に共感
理解しづらい病気を扱った主人公の日常を等して彼らの苦しみを理解しやすくなって親近感を覚えた。
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成長しつつある全ての人に
新聞に連載された小説ですが、連載当時から投稿欄で、こんなに連載小説が話題になったことはない、というほど話題になりました。 べつに引きこもりの人やその関係者だけでなく、それ以外の人も投稿していたように思います。 私は引きこもり中ですし、稲作地帯で育ったので、共感するところも多かったですが、それは引きこもりではなく、稲作にあまり関係のない人でも同じだと思います。 ちなみに著者はこの作品で、百合子・多喜二賞を受賞しました。 読む際には、作中に出てくるパッヘルベルのカノンやゴルドベルク変奏曲のCDを用意すると、よりいっそう楽しめるのではないでしょうか。
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混迷の世を人として生きること
競争があおられ、リストラが横行するやるせないこの頃、違う世界があるんだ、ありうるんだ、と分からせてくれる本。 ひとりの若い女性のSOSを訴える手紙が入ったペットボトルをお百姓さんが緑の稲田の水路に見つけたところからこの物語は始まる。いのちを育ていのちを支えるお百姓が、いのちを粗末にする現代を切り開く生き方を一番良く知っているのかも知れない。水田の畦に立って、稲が奏でる旋律を聴くことが出来れば、現代を生きる道が分かったと言えるのかも知れない。 読後にこんなにさわやかさを覚えた本は近頃めずらしい。
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晋平さん あなたは農民のヒーローだ。
「稲の旋律」旭爪あかね(著) 昨日に続いて、旭爪あかねの本である。「風車の見える丘」の前作にあたる。こちらの方が、良質な文通文学になっている。46歳、165CMの農民の晋平(2ヘクタールの水田と70アールの畑)と30歳になったばかりの引きこもり千華との文通。 昭和の時代のおじさんが安心して読める。これは、昭和文学なのかもしれない。二人とも、手紙の書き方が実にうまいのだ。今の時代では、このようなコミュニケーションが成り立たないのだろうなぁ。ラインやメッセンジャーがあって、文章を考えることが必要がない。思いつくままの単語を伝える時代でこれだけの自分の内面を見つめる作業がいらないのだろう。便利さは、安易さと軽薄さを生み出してしまった。 良質な小説になっているのは、農民晋平の誠実に農業に立ち向かっていることにあり、そして誠実に千華に向き合っていることだと思う。「風車の見える丘」の主人公小林新くんの思考様式とはかなり違うようだ。 晋平の水田にペットボトルが落ちていて、その中に短い手紙が入っていた。「毎日家の中にいて、食べて、飲んで寝ているだけ。他人と会うのが怖いのです。誰か私を助けてください」というメッセージ。そのペットボトルを晋平が拾い、そして手紙を書くのである。 千華の悩みは、「働こうと思う」が、人と会うのが怖い。「なんとか嫌われないようにしよう」「愛想よく従順にしていよう」と思えば思うほど、「硬直した顔が仮面のように張り付く」おどおどしてしまい、朝が起きられなくなって、会社にいけなくなってしまう」と告白する。 自分を客観的に見る目があるので、なぜそうなっているのか?ということが、自分の言葉で語られることで、自分の何が問題なのかが、手紙を書くことで明らかになっていく。 晋平の語りは優しく、実に暖かく言葉を投げかける。稲や作物に対する優しい見守りのような新鮮な言葉が生み出されていく。 晋平は、なぜそうなっているのか?教えてという。理由や原因があるはずだ。農作物がうまくできないのも理由や原因があるからだという。仮に理由や原因がわかっても、予防ができるとは限らないともいう。千華のお父さんは、中学の校長先生だった。千華に対して厳しく接する。ふーむ。本当にこの父親は教育者なのかと思ってしまう。こういう先生だったら、生徒は引きこもりになるわい。 千華に要求するのは、「効率のよい勉強」「平均点以上であれ」という。 父親は、千華が農民と付き合うことで、農民は非効率だから日本の農業は廃れるのだという。 晋平は、日本の農業は非効率になっているのは確かだ。大規模経営の方が確かに効率がいいが、日本の耕作面責の狭さは、日本の地形の特徴であり、その非効率であっても、農地を守ることができるのだという。千華に、なぜ非効率に生きることが、悪いのだろうか?と問いかける。晋平は、農業に誇りを持っていた。そして、泣いて過ごすも一生、笑って過ごすのも一生。だったら、笑って過ごそうという。100%を目指さなくても、まぁまあ、ぼちぼち、できるところまでやればいいのではという。愉しさや感動は、効率から生まれないという。 母親は、千華にピアニストになって欲しかった。千華は母親の喜ぶことをしたいと思って、ピアノに励んでいた。しかし、音楽大学に行くのか、教育学部の音楽に行くのかなやむ。父親は、音楽で飯が食えるわけではない、音楽の先生になれという。そして進学するが、ピアノの上手い人はたくさんいたことがショックだった。そして、私はなぜピアノをやるのか?悩み、登校しなくなる。そしてピアノさえ、ひかなくなる。お母さんの喜ぶためのピアノだったと思う。 母親は貧しい農民の子だった。晋平と付き合うことで、「農家なんかにお嫁にやりたくない」という。そこで、大きく喧嘩するが、晋平の家で、農業を手伝うことで、千華は生き生きとしてくる。 そして、千華はお母さんとの文通をすることで、お母さんは千華を理解し、千華はお母さんを理解する。この母と娘の文通がとてもいいなぁ。生まれた時代の制約の中で一生懸命生きてきたお母さんが見えてくる。残念なのが食料自給率40%というのが事実であるが、カロリーベースであることが書かれていない。しかし、減反政策に反対することで、村八分にされる構造などは、日本の悪しき自粛という習慣がある。よく練られた 農民の姿を浮き彫りにした文学だった。 最近、私は思うのだけど、農民は虐げられすぎである。価格も自分で決められない。それが、ネットがあることで、自分で売ることができるようになった。農業に「英雄」がいるなぁと思った。例えばアンディ松井さんのように、奨学金制度を作り。1億ドルを寄付するというようなスケールのでかい、奇跡のような農民。清水寅さんみたいな初代葱師。「農を愛し、農に狂い、農を愉しむ」。イノシシハンターの宮川さんもネット販売で新しい仕組みを作った。また一人そしてまた一人。英雄たちが誕生した。そして、この物語の晋平は46歳で独身だが、農業に誇りを持って語ることができるというのは、もはや英雄なのだ。こういう農民になりたいという農民を生み出すのが、必要だと思った。