絵のように: 明治文学と美術
A critical study of the intersection between Meiji literature and art. It examines how novelists saw and wrote about painting, nudes, expositions, and antiques, clarifying the relationship between modern Japanese visual culture and literary expression.
Work Information
What did Meiji writers put into words through the eye of painting?
A Hakusuisha monograph. Bookseller records confirm the ISBN, publication year, and page count; ISBN-10 and ASIN were cross-filled from ISBN-13.
Review Summaries
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Book Information
- Publisher
- 白水社
- Published
- 2014-08-23
- Pages
- 720 pages
- Language
- 日本語
- ISBN-13
- 9784560083840
- ISBN-10
- 4560083843
- Price
- 6820 JPY
- Category
- 本/文学・評論/評論・文学研究/日本文学研究
約百年前、美術の国家的保護奨励策を横目に、小説家たちは絵画をどのように意識し、どう表現したか。裸体画から骨董まで、彼らの作品を読み解きながら現実と芸術の位相を問い直す。 「読み進むうちに、さまざまな文学者たちの意識の持ち方に出会うことだろう。ちょっと気恥ずかしいほどに純真な思い入れ、野次馬的な好奇心、真摯な批評意識、あるいは解きほぐすのが容易ではないコンプレックスという風に。」(本文より) 明治以降の近代の作家たちは、美術をどのように感じ、それをどう表現してきたか──この壮大なテーマに、読売新聞文化部で活躍する俊英が10年の歳月をかけて挑んだ。 確かに小説には数多の美術にまつわる語彙や表現が溢れている。 凡庸な常套句にもみえる「あア美しい、繪の樣で。あア眞に迫ツて居る、實物の樣で」(山田美妙『花の茨、茨の花』)、「古襖から錦繪を剝がすやうで」(泉鏡花『眉かくしの霊』)といった比喩的な表現から、博覧会やパノラマのような視覚文化に関する事項、あるいは幸田露伴『風流仏』で言及される止利仏師や運慶、ミケランジェロ等、作家たちの表現を分類・整理し、背景を探っていくうちに、彼らの美術に対するある格別な思いや時代の状況が浮かび上がってくる。 本書は、公的な美術制度が整えられた明治20年代前半を起点に、山田美妙から石川啄木に至るまで、一章ごとに特定の文学者や何人かの群像を選び、それぞれに美術を強く意識した時期、多少の反発を含めた美術愛好の季節を、評伝風にたどり直したものである。 作家たちの美術への意識の持ち方──純真な思い入れ、野次馬的な好奇心、真摯な批評意識、あるいは解きほぐすのが容易ではないコンプレックスなどが、とらえがたいような広がり方で、もう一つの美術の歴史として描かれていく。 ▼目次 第一章 温泉のボッティチェルリ 第二章 美術国霊験記 第三章 博覧会の絵 第四章 月と風船 第五章 日本の写生 第六章 イノセント・アイズ 第七章 白馬に乗って 第八章 古き世へ 骨董の西 第九章 時にはぐれて 骨董の不安 第十章 元禄模様太平記 第十一章 蕩児の浮世絵
前田 恭二(まえだ きょうじ) 1964年山口県生まれ。1987年東京大学文学部美術史学科卒業後、読売新聞社入社。現在読売新聞東京本社文化部次長。著書に『やさしく読み解く日本絵画─雪舟から広重まで─』(新潮社、2003年)。
Reviews
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力作ながらも退屈
この本は、明治文学から美術関係の記述を取り上げ、そのエピソードについて書いています。引用したテキストは、昭和二十八年に筑摩書房から刊行された「現代日本文学全集」からのものらしく、当然その全集にない作品は取り上げられていません。読後感は、表題に明治文学とあるも、本文では、大正四年の有島武郎の『宣言』P73、昭和二十九年の三島由紀夫の『潮騒』P74、昭和4年の江戸川乱歩の『押絵と旅する男』P165についても触れられ、明治文学がその時代に書かれたものなのか、その時代を書いたものなのか、定義が曖昧のように感じます。また広く浅く内容が散漫的で、範囲をもう少し絞り込んだほうがよかった感じもします。著書曰く、当時は評価されてものちにその評価や価値は「時とともに変化する」のだから、選別はよかったか疑問が残ります。たとえば、山田美沙の『蝴蝶』の口絵が、家族団らんに女裸体は不謹慎か、差し向かいの構図に問題あるか、のぞき趣味か、それとも美術かの論争がおもしろいかどうか。幸田露伴の『風流仏』を取り上げ、露伴は関西に遊びに行ったのに、なぜ、奈良へは行かなかったか? など。 本文は615ページのボリュームながら、私がおもしろかったのは、第三章の博覧会における紅葉と鴎外の油絵論くらいでした。 著者の文章には独特の癖があって、私は以下の過去形なのに「だろう」文に違和感があるのだが。 P88 記事が載っているのではないか→記事が載っているではないか P117 加わることになるだろう→加わることになる P184 志願することになるだろう→志願することになるのだろう P433 残すことになるだろう→残すことになる P460 形を取るだろう→形を取ることになる P615 執筆するだろう→執筆する ▼目次と主な内容 第一章 温泉のボッティチェルリ /山田美沙の『蝴蝶』 第二章 美術国霊験記 /幸田露伴の『風流仏』 第三章 博覧会の絵 /博覧会における紅葉と鴎外の油絵論 第四章 月と風船 /文学者、正岡子規と国木田独歩 第五章 日本の写生 /正岡子規の『月の都』と写生俳句 第六章 イノセント・アイズ /寺田寅彦の随筆と俳句 第七章 白馬に乗って /小杉天外の『はやり唄』『どろどろ姫』 第八章 古き世へ 骨董の西 /鴎外の『小倉日記』 第九章 時にはぐれて 骨董の不安 /漱石作品の骨董趣味 第十章 元禄模様太平記 /漱石作品の元禄模様 第十一章 蕩児の浮世絵 /鏡花、荷風、漱石、谷崎と浮世絵趣味 第十二章 食らうべき美術 /石川啄木と碌山の彫刻「労働者」