戦中と戦後の間 新装版
A collection of essays from 1936 to 1957 tracing the path of thought from wartime conditions toward postwar democracy. Maruyama’s tense political thinking responds to the pressures of the age.
Work Information
戦中と戦後の間 reflects its age and human lives through the perspective of 丸山眞男.
From the state and nation to scholarship and memorial pieces for friends, the varied writings are held together by a consistent set of concerns. It is a foundational book for thinking about postwar Japanese thought.
Review Summaries
-
Readers tend to value the way the subject is approached and the calmness of the prose. The work is received less as a fast-moving narrative than as one to read carefully for its historical setting and inner lives.
Book Information
- Publisher
- みすず書房
- Published
- 2018-12-08
- Pages
- 648 pages
- Language
- 日本語
- Size
- 13.8 x 3.2 x 19.4 cm
- ISBN-13
- 9784622087786
- ISBN-10
- 4622087782
- Price
- 6600 JPY
- Category
- 本/人文・思想/哲学・思想
〈今日「日本」イデオロギーと封建的反動との結合はほとんどアプリオリであるかに みえる。……日本主義の思想と運動も、大正から明治へと遡つてゆくと、最近の日本 型ファシズムの実践と結びついた段階とはいちじるしくちがつた、むしろ社会的役割 において対蹠的といいうるほどの進歩性と健康性をもつたものにゆき当たるのである。 明治20年代の日本主義運動がそれであり、その最も輝けるイデオローグの一人が ここに叙べようとする陸羯南である。〉 (「陸羯南――人と思想」) 大学時代に書いた懸賞論文「政治学に於ける国家の概念」(1936年)から、 「E・ハーバート・ノーマンを悼む」(1957年)までの論稿集。日中戦争、第二次 世界大戦、戦後占領下へと激動の時代に、政治思想家の視点から応答する。 戦中に、福沢諭吉における個人と国家の関係を再考した「福沢諭吉の儒教批判」 「福沢に於ける秩序と人間」、終戦直後に、徳川時代の思想史に近代化を探ろうと した「近代的思惟」、レッド・パージなど「逆コース」下の政治状況を描く「恐怖の時代」 など、全61篇。誇大な○○イズム、○○主義を排し、ナショナリズムと民主主義を 考え抜いた、珠玉の批評。 [初版1976年11月30日発行]
1914年大阪に生まれる。1937年東京大学法学部卒業。1940年助教授、1950年教授。1961-62年ハーバード大学特別客員教授。1962-63年オックスフォード・セント・アントニーズ・カレッジ客員教授。1971年退官。1975-76年プリンストン高等学術研究所員。1996年8月15日歿。主要著作『政治の世界』(1952)『日本政治思想史研究』(1952)共編『政治学事典』(1954)『日本の思想』(1961)『増補版 現代政治の思想と行動』(1964)『戦中と戦後の間』(1976)『「文明論之概略」を読む』(1986)『忠誠と反逆』(1992)『丸山眞男集』全16巻・別巻1(1995-97)『丸山眞男座談』全9冊(1998)『自己内対話』(1998)『丸山眞男講義録』全7冊(1998-2000)『丸山眞男書簡集』全5巻(2003-04)『丸山眞男回顧談』全2巻(2006)『丸山眞男話文集』全4巻(2008-09)『丸山眞男話文集 続』全4巻(2014-15)『丸山眞男集 別集』全5巻(2014-)『丸山眞男講義録 別冊』全2冊(2017)。
Reviews
-
これは決して過去の問題ではない!−自らの頭で考え、自らの言葉で語ることの意味−
今まで、この著作にレビューが寄せられていなかったのは疑問だった。それだけこの著作の問い掛ける発言が重いことがあるのかもしれない。 そうした中にあって、少しだけこの著作に関する思いを述べさせていただこうと思う。 政治学者としての著者による戦中と戦後の間に横たわる『断続と連続』に関する1つの断面に関する思索が様々な書評や著作そして発言から年代毎に編纂されている。 この中で注目すべき点は (1)明治国家と1945年8月15日以後の『日本』に見られる地下水脈的な意味合いの“精神的構 造”と“枠組みとしての政治構造”の関連 (2)ナショナリズムと戦後そして将来への道標を模索する との2点だと思われる。 出版されたのは今から33年前のことであるが、その当時既に問題とされていたのは『元号法制化』であったことも記憶の中にある。当時この問題の中で個人的に気になっていたのは“意識を縛る”ものとしての『元号』の存在だった。法案には明記されていなかったものの、現在でも役所などの公文書は全て元号が使われ、駅で通勤定期を購入する時も記載は生年月日の記載は元号が使用されている。否応なしに元号は強制されているのが事実である。 これは一例にすぎないが、法と現実の間には歴然とした違いがあるのは明白であり、それはこの国が辿ってきた道と全く同根である。最初に決めたことがいつの間にか一人歩きする。 それも何時何処で誰によって変えられてしまったか解らないまま歪んだ形に変質し全体を覆い尽くす形になっている。 こうした日本の構造から問題点を摘出し、それにどう対応するかが『何を読むべきか』『若き世代に寄す』等から読み取ることが出来る。 “戦後レジームの見直し”と勇ましく雄叫びをあげながらも無責任に政権を放り出した元総理大臣から三代にわたっての無投票による政権に対する決算が近づく中、本質的に問われるのはこの国の政治の主体である1人1人の意識である。 気がついたら手遅れだった、との事態に陥らせないためにも“自らの頭で考え、自らの言葉で意見をいう”ことの大切さをもう一度かみしめたい。
-
本書には外国語の勉強の仕方について丸山の提言がある
本書でいちばん印象深い文章は「勉学についての二、三の助言」で、その中で丸山が外国語の勉強の仕方について述べている事です。それによると英(独仏)語の文章を頭から読んで直内容接を理解するように努める事です。いわゆる直読直解の方法を丁寧に述べており、とても参考になります。
-
丸山は東アジアに興味がなかったのだろうか
普通の本5冊分の分量だ。丸山の政治思想史の本だが、歴史を語る事は政治の歴史を語る事でもあるから当然の指定だろう。これは丸山の1936年~57年までの20年間に書かれた随筆のようなものを集めた本。読み始めて、神皇正統記になってからやっと「あの時代か」と胸を撫で下ろす有様だ。文転だからと言って妥協は許されない。政治思想史は哲学、ヨーロッパ史を知っていないと理解不能なのだ。福沢諭吉の儒教批判は儒教そのものを批判するのではなく、儒教を信奉する人間の腐敗を批判しているらしい。福沢が漢書を他の人が取っ掛かりでやめてしまうところを最後まで通読するほど儒教については熱心に学んでいた。だからこその批判だろう。麻生義輝の哲学史によると明治三年に「コンミュニスメ」「ソシアリスメ」の思想を世に紹介したという。丸山は、それがどの程度理解されていたかは疑わしいという。弁証法など知られていないのだから当然だろう。孫文の三民主義を理解するには、彼の問題意識を把握する事だという。つまり何を言ったか、書いたかではなく、如何なる問題で以て現実に立ち向かったかである。矛盾だらけに見えても全体としては首尾一貫しているとの事。明治国家の思想では自由民権の中から右翼運動が育っていったという。自由民権から出て行ったばかりの日本主義は弱者に対する同情があったのが、日清戦争後にはこれが全く消えてしまったと同時に生活快楽主義や個人主義のような非政治主義が蔓延してきたとの指摘は興味深い。そして自由民権的なものは社会主義運動になっていったと。日露戦争中であっても社会主義を抑圧するのはよくないとの議会発言がなされるような健全性があったという。それは丸山が陸羯南の日本主義を高く評価している事にも見られた。丸山が今生きていたら、安倍的な日本称揚主義を嫌うはずだ。自由民権運動史は3期に分けて説明している。第1期は旧特権の放棄を拒んだ、或いは没落した士族層の反抗運動としている。(丸山は指摘していないが、これは上士を指している。それは土佐の下士は自由民権運動側に付かず天皇を称揚する運動をしていたからだ。)よって下から庶民が支えた自由主義運動ではないという。明治8年7月13日の東京日日新聞にある通りむしろ冷笑的態度であったと。またこの時期にあった士族層の武力的な反抗は第1期の自由民権運動の異なった表現形態であるという。第2期は秩禄処分後、一切の特権を失い無産化した士族層と庶民層との共同戦線が成立した。明治14年の政変後、改進党、自由党の政党を主体として展開された。しかし政府の苛烈な弾圧と松方財政によるデフレにより立ち行かなくなり、各地の暴動となっていった。第3期は明治19年頃から勃興する。それは条約改正問題と政府の欧化主義に対する反対運動を契機としていた。よって国粋主義者と自由民権派の共同戦線の形になった。しかし後藤象二郎が逓信大臣に入閣した事により切り崩された。このような自由民権運動の脆弱性は天賦人権論と国権拡張論とが運動のなかに並列されていたからだという。丸山は思想史の叙述は、様々の思想を内在的に把えながらしかもそこにおのずから自己の立脚点が浸透していなければならないという。これは歴史の叙述でも同じだ。これが行き過ぎるとノンフィクションノベルとなりやっかいになるからだ。丸山は「理解」しっぱなしの虚無的な相対主義だと歴史的な位置づけが出来なくなるという。これは高校の日本史や世界史を言うのだろう。本書では丸山は東アジアの動向について一切言及していない。偶々掲載されていないのかもしれないが不思議である。これは丸山が政治学を「現実の政治問題を直接対象とするのでもない」と言っているのと関係しているのだろうか。確かに知の巨人ではあるが、大学で評価される論文の書き方はこうですよ、と見本を示しているだけのようにも思えた。人としてどうだったのだろう。現実の政治に対してどのように対峙したのだろう。戦時中は船舶団に徴兵されていたという。という事は被爆後に救援に行ったはずだがどうだったのだろうか。