Mainichi Publishing Culture Award
精神医学から臨床哲学へ (シリーズ「自伝」my life my world)
Psychopathologist Bin Kimura recounts his life and research in an autobiographical work that moves from psychiatry toward clinical philosophy.
Work Information
A work that moves from clinical psychiatric experience into philosophical reflection on selfhood and time.
The book joins Kimura's intellectual formation to his life story, tracing the path from psychiatric practice to philosophical reflection on the self.
Review Summaries
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Although specialized, readers value the concrete account of the author's career, which makes the background of his thought easier to grasp.
Book Information
- Publisher
- ミネルヴァ書房
- Published
- 2010-04-20
- Pages
- 364 pages
- Language
- 日本語
- Size
- 13.5 x 2.5 x 20 cm
- ISBN-13
- 9784623057511
- ISBN-10
- 4623057518
- Price
- 3080 JPY
- Category
- 本/ノンフィクション
専門である精神病理学を軸に、独自の自己論、時間論、生命論などを展開し国内外に大きな影響を与えてきた木村敏。本書は、自身の生い立ち、家族、故郷、学生時代、研究対象の変遷、海外での生活、同時代の研究者・思想家たちとの知的交流…数々のエピソードを交えて研究人生を語りつくす、初めての自伝。 2010年度第64回毎日出版文化賞受賞作
Reviews
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精神病理学者、木村敏自身の手による個人史
精神病理学を越えて、人間とは何か人間関係とは何かという、 哲学的な問題に対して、精神科の臨床に基づいて多くの論文を 書いてきた著者自身による個人史。 論文が書かれた経緯なども明確にされており、 さながら、自身の手による、解説書になっている。
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「知の巨人」のものがたり
著者は、幼い頃からの音楽への憧憬を大学時代に「音研」結成と活動に昇華させ、爾来70年「音研」は発展を続けている。2021年の著者の逝去にあたって「音研」は追悼集会(オンライン)を持ち、記念誌の発刊を計画した。ここで気づくことは、著者の精神医学での後継者はもちろん、別に専門領域をもちながら人間的、感性的にすぐれた音楽面でのプロフェショナルが続々と生まれていることである。著者が「音楽」を基盤にその精神病理学の理論を構築されたことは本書の各所に現れている。「音と音とのあいだ」、「人と人とのあいだ」が発展して「木村の『間』理論となった」など。 著者の経歴は、二度のドイツ留学に始まり、ヨーロッパ・アメリカでの国際的な活躍を含め、諸外国の高名な学者たちとの交流によって特徴づけられる。また精神医学の臨床面だけでなく実地の診療に基づいた社会学的・哲学的な考察によって極めて多くの著作・論文・翻訳があり、そのほとんどを回想の形で解説することにより、部外者にも研究の流れが理解しやすく配慮されている。 著者のオリジナルな考え方のなかに「あいだ」という意味や、『こと』と『もの』の役割論が大きな位置を占めるが、これについても本書の中に精細に述べられている。また鬱病、統合失調症、癲癇の間時間的性格を端的に表す「後の祭、祭の前、祭のさなか」のラテン語を創出して世界的な共感を得られたことも画期的な業績の一つであろう。これらが一般読者にもわかりやすく丁寧に説明されていて、大いに学ばせてもらった。 とはいっても、フッサール、ヤスパース、デリダなどの欧米の哲学者や日本では道元に始まり西田幾多郎に至る流れに竿さしつつ、自説の構築を成し遂げる過程は、エキサイティングではあるが十分な理解に至るまでが難しい。巻末の人名索引、事項索引の圧倒的な量に屈することなく必要な事項のみを参照することも途中放棄を防ぐ道であろう。許すかぎり時間をかけてじっくりとその論理をたどり、フォローする覚悟が必要であると思う。 そんな合間にも、幼い日々の思い出、学生時代、大学卒業後の精神病院での徒弟時代(院長ではあっても)、名古屋市立大と京大における実践と研究の日々、結婚と家族への思い、大学退職後の充実した後輩指導と研究生活、などなどめまぐるしいが読んでいてほっとする。その所々にほのかなユーモアも漂っている。(自分が今日あるのは「目立ちがりや」だったからだ、など) そしてその全てが抜きん出て見事な仕事をこなす能力と、知的な天才と、それを支える温かな人間性に立っていたことは明らかである。 臨床哲学と言う言葉は著者が考えられたと聞く。近頃の薬物依存の精神医学に対して、迂遠ではあってもそれが本当の人間性を救うものでありはしないか、と読後に思うこの頃である。細胞生物学者であり歌人である永田和宏氏も私淑しておられたと、あとで知った。木村敏氏の逝去に際して、数首の歌を詠まれ、氏の業績を追おうとしてておられるのも、奥ゆかしいことである。
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大学教授が輝いた時代
木村先生が自伝を書いたというだけで、一時代の精神科医たちは皆この書物を読むでしょう。 先生が精神病理学の第一人者となってからの記載は、伝記的な記録よりも、学説の発展の記載が中心です。 学園紛争当時の経過などはまだ生々しくて、書くことが難しいようです。それでも当時の学生運動への共感と違和感とが率直に書かれており、 貴重な証言です。 精神医学者になるまでの過程も、子供の頃から記憶力が悪かった(!?)、医学部卒業時に音楽への傾倒から耳鼻咽喉科の選択 を考えたことなど、驚くエピソードが多く、精神病理学者木村敏の素地を見事に示してくれました。 精神病理学という学問(著者は最近の精神医学の潮流になかば絶望して臨床哲学との言葉を使っています)が精神科医教育と臨床でどのように反映されるのかを改めて考えさせられます。 哲学の国際的な(ハイデガーも含めた)活発な交流風景も詳しく描かれ、こうした人間的つながりを背景に学問が発展するのだと目を開かれました。 今年2010年の精神神経学会で著者は、間主観的人間学をもとにした精神病理学を高らかに宣言して、教授定年後16年たっても、その立場に 揺るぎないことを明らかにしています。
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伝説の人物との交流はタメ息がでるばかり
木村先生が精神科医になった一九五六年頃は、ちょっと残酷なようにも聞こえますが、現在のように向精神薬の作用で修飾されていない精神病像を観察することができた、という時代でした。そして、臨床から精神病像を類型化するという長い動きにつながります。フロイトに始まる力動精神医学や心理療法の諸流派も、今日用いられている向精神薬が、仮に、もう一世紀も前に開発されていたとするならば、現在のような隆盛は見なかったのではないかというあたりは、思い切ったことを言うな、と思いました。 こうした中で木村敏先生は、独自の現象学的・人間学的な精神病理学を展開していくのですが、世界はDMS-IVなどのように誰にでも客観的に判定しうる具体的な症状に基づく薬物投与という方向に向い《統合失調症の背後に自己の個別化の原理に関する危機的な状況がひそんでいるとか、内因性メランコリーが自己の役割期待に対する遅れを舞台にして展開されるとかいった、現象学的あるいは人間学的な言述の入り込む余地はどこにも見あたらなくなった》(p.312)、と。そして、《精神病理学が精神医学の枠内でその存在を脅かされているのであれば、むしろ精神医学をいったん捨てたほうがいいのではないか》として、哲学に接近した臨床哲学を最後の活動の場とすることを宣言して終わります。 それにしても、ドイツ留学の下宿先の親父さんがクナッパーツブッシュと親友で、いつもスカートというカード遊びをやりに来ていたとか、その方のお葬式にクナッパーツブッシュがミュンヘンフィルの楽団員を連れてきて葬送行進曲を演奏しているのを参列して聴いたとか(p.92)、ハイデガーやヴィンスワンガーに会ったり、ヴィルヘルム・ケンプにピアノ弾いてもらったりするという、もはや伝説の人物との交流はタメ息がでるばかり。
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精神病理学を学びたい若い世代に
著者は京大出身の精神科医で、精神病理学が専門。名古屋市大教授〜京大教授を歴任した。多数の著作は精神科臨床から西田哲学まで網羅しドイツ精神病理学を今に伝え発展させた希有な存在。日本の精神医学は学園紛争により東大、京大など旧帝大を中心に非常に困難な道をたどり多くの若い医者に精神科選択を躊躇させた。この本はきわめて私的な自伝ではあるが日本精神科におけるこの半世紀の出来事を垣間見ることができる。数々の著作は今となっては闘争を知らずDSMしか知らない若い世代にわだかまりなく受け入れられる教養書となるだろう。