密航のち洗濯 ときどき作家
A work of nonfiction tracing the life of Yun Ja-won, a Korean resident writer who crossed from Korea to Japan in 1946, and the history of his family. Drawing on surviving diaries and documents, interviews with his children, and reporting in places connected to them, it portrays a family living through colonial rule, postwar migration, nationality, poverty, and labor.
Work Information
Through the footsteps of one clandestine migrant and his family, the book follows more than a century of history linking colonial-era Korea and Japan with postwar Tokyo.
Yun Ja-won crossed to Japan during the colonial period and crossed the sea again after the war. He kept writing as a Korean resident author while running a laundry business; his wife was born Japanese and came to live as Korean after their marriage, alongside their children. Following this family's personal history, the book examines the modern histories of Japan and Korea through migration, nationality, family, and the act of writing.
Review Summaries
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It is praised as a meticulous account of a Korean resident family living through discrimination and poverty, built from surviving diaries and writings. The review highlights its attention to the colonial rule behind the term "clandestine migration" and to a society indifferent to migrants and refugees.
Book Information
- Publisher
- 柏書房
- Published
- 2024-01-15
- Pages
- 336 pages
- Language
- 日本語
- Size
- 18.8 x 12.8 x 2.2 cm
- ISBN-13
- 9784760155569
- ISBN-10
- 4760155562
- Price
- 1980 JPY
- Category
- 本/文学・評論
第46回 講談社 本田靖春ノンフィクション賞 受賞!! 〈密航〉は危険な言葉、残忍な言葉だ。だからこれほど丁寧に、大事に、すみずみまで心を砕いて本にする人たちがいる。書き残してくれて、保存してくれて、調べてくれて本当にありがとう。100年を超えるこのリレーのアンカーは、読む私たちだ。心からお薦めする。 ――斎藤真理子さん(翻訳者) 本書を通して、「日本人である」ということの複雑さ、曖昧さ、寄る辺のなさを、多くの「日本人」の読者に知ってほしいと切に願います。 ――ドミニク・チェンさん(早稲田大学文学学術院教授) 新聞・雑誌各紙にて書評など続々掲載(以下掲載順) 日本経済新聞(鈴木江理子さん)、毎日新聞(中島京子さん)、共同通信(城戸久枝さん)、四国新聞(鎌田慧さん)、クロワッサン(瀧井朝世さん)、週刊東洋経済(印南敦史さん)、週刊読書人(大和裕美子さん)、図書新聞(中村一成さん)、しんぶん赤旗(佐川亜紀さん)、朝日新聞(安田浩一さん)、通販生活(永江朗さん)ほか 【本書の内容】 1946年夏。朝鮮から日本へ、 男は「密航」で海を渡った。 日本人から朝鮮人へ、 女は裕福な家を捨てて男と結婚した。 貧しい二人はやがて洗濯屋をはじめる。 朝鮮と日本の間の海を合法的に渡ることがほぼ不可能だった時代。それでも生きていくために船に乗った人々の移動は「密航」と呼ばれた。 1946年夏。一人の男が日本へ「密航」した。彼が生きた植民地期の朝鮮と日本、戦後の東京でつくった家族一人ひとりの人生をたどる。手がかりにしたのは、「その後」を知る子どもたちへのインタビューと、わずかに残された文書群。 「きさまなんかにおれの気持がわかるもんか」 「あなただってわたしの気持はわかりません。わたしは祖国をすてて、あなたをえらんだ女です。朝鮮人の妻として誇りをもって生きたいのです」 植民地、警察、戦争、占領、移動、国籍、戸籍、収容、病、貧困、労働、福祉、ジェンダー、あるいは、誰かが「書くこと」と「書けること」について。 この複雑な、だが決して例外的ではなかった五人の家族が、この国で生きてきた。 蔚山(ウルサン)、釜山、山口、東京―― ゆかりの土地を歩きながら、100年を超える歴史を丹念に描き出していく。 ウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』初の書籍化企画。 【洗濯屋の家族】 [父]尹紫遠 ユン ジャウォン 1911‐64年。朝鮮・蔚山生まれ。植民地期に12歳で渡日し、戦後に「密航」で再渡日する。洗濯屋などの仕事をしながら、作家としての活動も続けた。1946-64年に日記を書いた。 [母]大津登志子 おおつ としこ 1924‐2014年。東京・千駄ヶ谷の裕福な家庭に生まれる。「満洲」で敗戦を迎えたのちに「引揚げ」を経験。その後、12歳年上の尹紫遠と結婚したことで「朝鮮人」となった。 [長男]泰玄 テヒョン/たいげん 1949年‐。東京生まれ。朝鮮学校、夜間中学、定時制高校、上智大学を経て、イギリス系の金融機関に勤めた。 [長女]逸己 いつこ/イルギ 1951年‐。東京生まれ。朝鮮学校、夜間中学、定時制高校を経て、20歳で長男を出産。産業ロボットの工場(こうば)で長く働いた。 [次男]泰眞 テジン/たいしん 1959‐2014年。東京生まれ。兄と同じく、上智大学卒業後に金融業界に就職。幼い頃から体が弱く、50代で亡くなった。 【目次】 プロローグ 密航 1946 第1章 植民地の子ども 1 朝鮮 1911‐24 2 日本 1924‐44 3 朝鮮 1944‐46 送還 1946 第2章 洗濯屋の家族 1 尹紫遠 ユン ジャウォン 2 大津登志子 おおつ としこ 3 泰玄 テヒョン たいげん 4 逸己 いつこ イルギ エピローグ 補遺 密航の時代
【著者略歴】 宋恵媛〈ソン・ヘウォン〉 博士(学術)。著書に『「在日朝鮮人文学史」のために──声なき声のポリフォニー』(岩波書店、2014年/ソミョン出版、2019年[韓国])、編著に『越境の在日朝鮮人作家 尹紫遠の日記が伝えること』(琥珀書房、2022年)、『在日朝鮮女性作品集』(緑蔭書房、2014年)、『在日朝鮮人文学資料集』(緑蔭書房、2016年)等。 望月優大〈もちづき・ひろき〉 ライター。著書に『ふたつの日本——「移民国家」の建前と現実』(講談社現代新書、2019年)。認定NPO法人難民支援協会が運営するウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』の編集長を務める。様々な社会問題に取り組む非営利団体の支援にも携わっている。 田川基成〈たがわ・もとなり〉 写真家。長崎県出身。土地と記憶、移民と文化などをテーマに作品を撮る。千葉に暮らすムスリムのバングラデシュ移民家族の5年間の生活を写した「ジャシム一家」で第20回三木淳賞。故郷・長崎の離島沿岸部への約4年に渡る旅を記録した写真集『見果てぬ海』(赤々舎)で2022年日本写真協会新人賞を受賞。『ニッポン複雑紀行』で撮影を担当する。
Reviews
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懐かしい
わたしの同級生の実話で 話のひとつひとつを追体験しました
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「密航」の不条理、それは今に至る入管行政のルーツ
日本の植民地下の朝鮮半島で生まれ、1924年からはほぼ日本で在日朝鮮・韓国人として生きた作家尹紫遠(ユンジャウォン)とその家族の物語である。 ファミリーヒストリーではあるが、その焦点は戦後の在日朝鮮・韓国人をめぐる入管行政の不条理、非情な国籍の扱いに当てられている。 戦前の日本植民地時代、朝鮮半島の人々は日本国籍を有する者として日本と朝鮮半島を自由に行き来できた。ところが、敗戦により朝鮮半島が独立し米軍の占領が始まると、自由な往来は不可能になり「密航」を余儀なくされる。朝鮮半島からの密入国者数は1946年で約2万2132人、そのうち98%が朝鮮・韓国人であり、この密航の太い流れは日韓条約が締結された1965年まで続いたという。日本の敗戦と南北分断、朝鮮戦争という混乱と激動が「密航」の形式を取った日本への移住の流れとなったことは想像に難くない。 本書でも、徴用を逃れて帰国し日本の敗戦を迎えた尹紫遠は、再び来日するのに密航という方法をとらざるを得なかった。 密航である以上その取り締まりは厳しく、その多くは見つかって収容所に送られ、強制送還される。本書では当時の仙崎とその後の大村収容所が描かれているが、収容者は韓国・北朝鮮が受け入れを拒否していたため何年も収容され続けた。これは現代の入管行政に続く行政的拘束の問題である。刑罰としての懲役や禁固であれば憲法と刑事訴訟法が定める厳格な司法手続によらなければ身柄拘束できないのに、入管行政ではいとも容易に何年もの無期限収容がなされてしまう。不条理そのものである。 特に、戦前は同じ日本人として扱われていた在日の人々に対する戦後の日本国家の処遇は、文字通り「手のひらを返す」ような非情なものであり、1952年のサンフランシスコ条約発効と同時に施行された外国人登録法により在日の人々は一方的に日本国籍を喪失させられた。 本書では尹紫遠とその家族が日本国籍がない故に医療や年金、就職等のあらゆる面で不利益と差別を受け、まさに赤貧を洗うような生活を強いられたことが描かれている(尹紫遠は作家であるにもかかわらず最後に入院するまで自らの部屋を持てなかったという)。 差別と貧困に苦しんだ尹紫遠の短歌を二つ紹介しておく。 「わがことをにんじんにんにくと眞顔にてののしりし人を忘れざるべし やうやくに職につきしがせんじんといふただそれだけで追はれしことあり」 なお、尹紫遠の日本人の妻(大津登志子)は上流階級の出身でありながら尹紫遠と結婚して日本国籍を失い、親族の援助も受けられず、売血さえして尹紫遠一家を支えた。民族差別に加えジェンダー差別も受けた壮絶な登志子の生き様も興味深いのだが、残念ながら記録がなかったようだ。唯一、東村山市の国立ハンセン病療養所多磨全生園で入所者を支援するボランティア活動していたことが記されているが、ハンセン病患者の強制隔離と差別の被害は在日の人々の置かれた立場に通じるものがある。登志子は社会活動に積極的で正義感の強い女性だったのだろう。
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ノンフィクションは進化した!
ナチスのハイドリヒ暗殺をテーマにした、ローラン・ビネの「HHhH」と同じくらい面白いノンフィクション文学が日本で生まれた。 尹紫遠(ユンジャウォン、1911-64)は、関東大震災の翌年日本に来て、東京オリンピックの直前に病没する無名の朝鮮人作家だ。彼の日記と作品、遺族の話を総合して、宋恵媛(ソンヘウォン)・望月優大(もちづきひろき)が『密航のち洗濯 ときどき作家』(柏書房2024)を出版した。本書は、インターネットの時代に可能となった、まったく新しいドキュメント文学である。 本書は、尹の小説や日記を紹介しながら、埋もれていた史実を明らかにする。1910年に日本が朝鮮を植民地したあと、朝鮮の農民から先祖伝来の土地を奪った手口。敗戦後、日本国籍をもっていたのに朝鮮人を朝鮮に追い返し、残った者には外国人登録を義務づけた。日本の体制の狡猾さと身勝手さ。 あるいは敗戦後の東京で、白人米兵が黒人米兵を虫けらでも見るように冷酷な目で睨みつけた光景。記録に残っておらず、語る者もいないが、厳しい人種差別が占領下日本で行われていた。 もっとも感動したのは、詩人である尹紫遠が自由を求めるためにとる命がけの行動。 彼は、昭和19年に徴用令書を受け取ると、出頭せず、生き延びるため死なないために危険でも逃げる道を選んだ。妻と二人で朝鮮半島に戻ると、住民登録しないユウレイ暮らしを続けた。 終戦を朝鮮北部で迎えると、物資の豊かな南に向かって38度線を超える。南から北に向かった人も多かったのに。彼は騙されなかった。 その後朝鮮から日本に密航して捕らえられたとき、若妻を船に残して生き別れ、ひとり海に飛び込んで逃げた。見切りをつけるのが早く、判断を誤らない。何も持たずにさっその場を立ち去る。 文学が、勇気を与え潔い行動を生み出すのか。いつでも難民になる覚悟が、サバイバルのコツかもしれない。
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サステナブルを語るために知るべきでは
戦後80年を迎えるに当時の人々の多くは鬼籍に入り、この本の人々も同様かまもなく高齢者になるような人々である。 内容云々を語るほどの知見を持ち合わせてはいないが、気が遠くなるような調査とフィールドワークによって、誰かが語ったストーリーではなく、背景を踏まえたファクトとして事実は残されるべきということを最も強く感じた。 歴史は歪曲されがちであるし、まとめる人の恣意で読み手にどう解釈させるかも変わる。しかしこの本は淡々と2度と話を聞くことができない人々の歴史を客観的に辿っている。 ダイバーシティを学ぶより、この本を読む方が一人ひとりとその背景にある家族やつながりの重みについて気付けると思う。
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ある在日コリアン作家とその家族の貴重な「ファミリーヒストリー」
先日発刊されたばかりの本著を、非常に深い感慨と共に読み終えた。これは在日朝鮮人文学研究者の宋恵媛氏・ライターの望月優大氏・写真の田川基成氏三人の協働による第一級の「ファミリーヒストリー」と言っていいだろう。 在日コリアン作家:尹紫遠(ユン・ジャウォン)とその小説「38度線」のことは前に翻訳家:斎藤真理子さんのウェブ連載で知ったが、1911年と日本の植民地支配が始まってすぐの頃に生まれたこの人は私の祖父母とも同世代。12歳の時に渡日したのが朝鮮総督府による「土地調査事業」で先祖代々の土地を奪われての困窮が要因なのも、当時の多くの渡日朝鮮人に共通するところ。それからの民族差別を受けながらの社会の最底辺での苦闘と、「徴用令」を逃れての帰郷と朝鮮北部への移動~そこでの日本の敗戦と「解放」~ソ連軍の暴力などを逃れて米軍政下の南へ~1946年再びの渡日~戦後混乱期で在朝日本人も正規の渡航船では持ち込める資産が限られるため、「密航船」で日本に帰る者も少なくなかった状況・・・ 戦後も貧困から抜け出せないまま、ある日本人女性との出会いと結婚~それが長く衆議院議員も務めた大物政治家の孫で名門一族の女性だったことはまるでドラマのようだが、その一族との縁も切れて、生まれてきた子供も含めて家族総出での洗濯屋稼業~日々生活に追われる中でも諦めない執筆活動~結局、小説家・文学者として大きく名を成すことはなかったが、この作家の人生とその家族のその後は、在日コリアン含め「この国で暮らす外国人」のひとつの典型・象徴のようでもある。 私は、私より10歳ちょい上の長男:泰玄(テヒョン)氏が朝鮮学校・夜間中学・夜間高校と苦学しながら上智大学に進学し卒業後は外資系金融機関に就職~その後の国籍変更への葛藤などに特に共感を覚えた。 そして、尹紫遠の妻:登志子が老いてからはハンセン病療養所「多摩全生園」でボランティアをしていたというのを読んで「ああ!」と思いを巡らせた。ここは確かドリアン助川氏の小説「あん」のモデルとなった施設であり、シンガーソングライター沢友恵さんも度々訪れているはずで、そして彼女の祖父は尹紫遠とも親交があり彼を支えてもいた詩人:金素雲である。何か「一つの輪が繋がった」気がした。人の縁とはつくづく不思議なものである。 そして、国家・国籍・民族・ジェンダーなど様々な「隔壁」と「支配・被支配関係」が戦後混乱期にどのように人々に影響し、それを引き裂いてきたか~この著作でも当時からの日本の入国管理等法的措置の変遷について詳しく記されているので、そうした問題を考えるきっかけとしても非常に優れた「時代を超えたルポルタージュ」である。超おすすめなので、一人でも多くの人に読んでほしい。
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密航のち洗濯
とてもよかったです。感動しました。ありがとう。
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怒り
戦前戦後を通して政府は国民を虫けら同然に扱っていたことや日本の軍部政府がいかに酷いかにょじつに書かれていたし、怒りを感じる
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まだ知られていない在日コリアンの歴史
1911年に朝鮮・蔚山に生まれ、植民地期に12歳で渡日し、戦後に「密航」で再渡日すると、洗濯屋などの仕事をしながら、作家としての活動も続け1964年に亡くなった尹紫遠(ユン ジャウォン)。彼が1946〜1964年に日本語でつづっていた日記、彼の体験が強く反映された小説をベースに尹紫遠とその家族の人生をたどったノンフィクション。 尹紫遠の人生の凄まじさに、まず圧倒される。 漠然と貧困に追い込まれて日本に密航した在日コリアンについて聞いていたが、尹紫遠という具体的な人物の人生を知ることを通じて、生存のための密航(越境)が行われていたのだなという印象を強くした。「密航」は後ろめたさを感じさせる言葉であり、本書のタイトルもギョッとさせられるようなところがあるが、イリーガルとされる「密航」を非難できるのか考えさせられるものになっており、本書に相応しいタイトルだと思う。 実際、情勢の変化によってイリーガルな密航(越境)となってしまった場合もあるなど、彼の人生は情勢の変化に翻弄されている。日本による朝鮮半島の植民地統治、日本の敗戦、戦後の朝鮮半島の分断統治、日本の統治下にあった外国人に対する扱いの変化などによって。彼と同時代を生きた日本人も情勢に大きく翻弄された時期になるが、植民地時代を経た在日コリアンのそれは全く異なるものがあると感じた。 尹紫遠の家族も彼同様に苦難を被るのだが、特に彼の妻の大津登志子の人生の変転ぶりはすごく、尹紫遠を上回るほどだった。衆議院議員の孫娘で非常に裕福な家庭で育った彼女が、尹紫遠と結婚したことから日本国籍を失って朝鮮人となり差別を受ける立場になる。さらに、尹紫遠が生き別れた妻との離婚が成立していなかったことから重婚だったことになり日本国籍が遡及的にあったことになる。尹紫遠以上に国籍とは何か?考えさせられる経緯だ。 非常に裕福だった大津登志子は、尹紫遠との結婚により貧困生活を送ることになる。貧しいながらも仲が良ければ、苦難の中でも明るく懸命に生きる家族の物語となりそうだが、尹紫遠の妻に対する暴力は酷かった(その点も尹紫遠の日記、小説に記録されている)。マイノリティの家族でひどい女性差別等が起こることは映画などにもしばしば描かれているが、家庭外で差別に苦しみ過酷な人生を送った尹紫遠の家族でもそのようなことが起こったのは哀しい。 ただ、3人の子のうち早く亡くなった泰眞を除き、泰玄、逸己の人生には救いが感じられた。 最後の補遺では、尹紫遠が、収容された大村収容所に言及していないことが指摘される。 他の人の記録等から、当時の入国者収容所が酷い状況であったことが述べられるが、自分や家族の恥部とも思えることも含めて詳細な日記や小説を遺した尹紫遠であっても収容所の体験を書いていないという事実は、非常に過酷な体験だったのではないかと想像させる。本書で、在日コリアンである尹紫遠の苦難の全貌を知ったような気になっていたが、簡単にそんなふうに考えてはいけないなと感じた。 国家や社会、戦争などの大きなものに翻弄され苦難の道を歩む個人や家族の物語は、よく人種、民族、国民などの物語になるテーマであるし、普遍性をもった物語にもなり得る。そのようなテーマを扱った映画などの作品は映画などに多いし、近年マイノリティが主役となるそのような作品も少なくない。 しかし、日本においても、朝鮮半島においてもマイノリティである在日コリアンについては、そのような物語が語られることがあまりなかったように思う(私自身の感度の低さや知識不足もあるが)。 尹紫遠とその家族の物語は、普遍性を持って受け取られるものであると思うし、在日コリアンの問題がそのような問題であることを理解する上で非常に優れた本だと思う。 また、現在の入管問題などの外国人問題にもつながっていることが多い。現在の問題を考える上でも読まれるべきものだと思う。