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ようこそ

Shiika Bungakukan Prize

ようこそ

来住野恵子

ようこそ by 来住野恵子 is an award-recognized work. The entry focuses on the published work, its author, and the context in which it was selected.

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Work Information

A concise profile of 来住野恵子's ようこそ through its award record.

ようこそ by 来住野恵子 is an award-recognized work. The entry focuses on the published work, its author, and the context in which it was selected.

Review Summaries

  • Reader response centers on interest in the subject matter and the award context. Where bibliographic information is limited, the work is often approached through prize records and author information.

Book Information

Publisher
思潮社
Published
2016-05-05
Pages
115 pages
Language
日本語
ISBN-13
9784783735175
ISBN-10
4783735174
Price
2640 JPY
Category
本/文学・評論

うたいながらゆく 「きみが笑った/ひとりでに泣いてた/答えはここだ」 (「The maximum output」)。 「贈与の見返りを求めることのない、そのものへのただひたすらな愛。詩人は、たとえば、そのようなケイローンの無償の愛に全身全霊を込めて応えようとしているのである」(吉田文憲)。 光をおくる26編。 装画=北川健次

1959年東京生まれ 1990年「ユリイカの新人」 『ブリリアント・カット』(1982年、私家) 『リバティ島から』(1996年、書肆山田) 『天使の重力』(2005年、書肆山田)

Reviews

  • 「いっそ連れ立って/この世の果てまでちゃらんぽらん」

    いつか まあたらしい朝が来て 誰も知らない星の種が爆ぜる 生まれたものは帰る 喜々としてみな還る きんいろのひかりに ちいさな顔がほほえむ 奇跡でも幻でもなく 世界をふたたびあたためる薪よ 死にくべられた荒野に萌えわたる息吹よ はるかな指の頂から燦然とよみがえる冬の言葉(ほのお)よ (「冬の言葉」より) * * * いのちの生成と再生を詠う、静謐な求道者のような詩集だと思った。無辺の宇宙から微塵な原子まで、闇の告発も希望の光もひとくるめに孕んだ詩たちが、どれもとても音感ゆたかにひろがってきて、ふしぎと元気をもらえた。 * * * らんらんと目が冴えて眠れない 幾千の夜の薬玉を割る 水たまりに ちゃらん 月あかりに ぽらん 眼裏に漆黒の紙吹雪あでやかに 散り敷く未曾有の喜劇とふり返れば いずれも似たり寄ったり よろめきながら虚空へ消える 見ず知らずのおまえ わたし いっそ連れ立って この世の果てまでちゃらんぽらん (「無番号フール」より) ………この宇宙のどこかに必ずきみがいる ………ぼくは宇宙の嗅覚だからわかる (「知覧の仔犬より」より)

  • 「海の言」がすばらしい

    来住野恵子『ようこそ』を読みながら、最初に棒線を引いたのは、 きれいごとでも きたないことでも どこかかならずうつくしい (「無番号フール」) よく耳にすることばである。来住野の「発明」したことばではないかもしれない。しかし、なぜか、印象に残った。「きれいごと」「きたいないこと」の「こと」がひっかるのか。あるいは、すべてのことばが「ひらがな」で書かれていることがひっかかるのか。よくわからないが、思わず読み返してしまった。 次に棒線を引いたのが、 あらぬののあれののあらぬよにいだかれ みだれさかれふりきれてなみ いたみ のたうつひとつひたうつひかり (「あれの発」) これは「音」がおもしろい。ひらがなが「意味」をかきまぜる。「音」が「意味」を超えて、別なものに融合していく感じがする。 前の引用と強引に結びつけると、その「融合」は「きたない/うつくしい」の「融合」に似ているかもしれない。ほんとうは別なものなのに、どこかで通じ合うものがある。そういうものを来住野はみつめているのだろうか。 三つ目に棒線を引いたのが、 てのひらの孤島 絶海の飛翔の声、こえ、超え 分けないで分かれないで分からなくても (「アリア、降り止まぬ火の翼の」) ここにも「融合」がある。「声、こえ、超え」と漢字とひらがなを繰り返して、「意味」を「音」に引き戻している。「音」を通ることで、違う「意味」へとつながっていく。 で、その「融合」を 分けないで分かれないで と言ったあと、さらに 分からなくても と言い直している。 あ、これが来住野なんだな、と思った。 「分ける」ははやりのことばでいえば「分節する」。「分かれない」は「分けない」であり、「分節しない」。「分節する」ということは「分かる」ようにすることだが、その「分かる」へ動いていってしまうのではなく、「分からなくても」と「未分節」の状態でいいと思い、そこにとどまる。ここに来住野の「思想/肉体」があるのだな、と感じた。 最初に棒線を引いた行に戻ってみる。 きれいごとでも きたないことでも どこかかならずうつくしい 「きれいごと」は「きれい」ではなく、ほんとうは「きたないこと」。「きれいをよそおっている/こと」。「きたないこと」は文字通り「きたない/こと」。ここでは、「きれいごと」と「きたないこと」を重ねることで「きたない」が「分節」されている。しかし、そういうもののなかからも「うつくしい」を「分節」することはできる、と来住野は言っている。 「きれいごと」「きたないこと」の「こと」という領域を「未分節」の状態からとらえなおせば、「うつくしい」は引き出せる。「きたないこと」からはすぐには引き出せないが、「きれいごと」の場合「きれい」がそこに存在しているから、それに焦点をあてればそれはそのまますぐに「うつくしい」と「分節」しなおすことができるだろう。 ただし、その「分節」の「しなおし」ということを、来住野はしないのだ。「未分節」のままにしておく。つまり「分からないまま」にしておく。「分からなくてもいい」と、「放置」しておくのだ。 なぜ? 信じる 信じない 断言してしまえばどのみち暴力だから (「位置について、八月」) 「分節」は「断言」であり、「暴力」である。誰に対して暴力なのか。自分に対してか、他人に対してか。「世界」に対してかもしれない。よくわからないが、「断言/断定」を避ける。「断言/断定」を避けるということは、「分節」を「指針」にしないということでもあるだろう。何かを「これ」と決めて、それに従うのではなく、そのときそのとき、その場に応じて、「分節しなおす」ということなのだろう。 そんなことを考えていると、「海の言」という作品に出合う。 ふたつの眼をもつ生きものは 何でもふたつに分けたがる かたちのないぼくのからだにもことばの線をすっと引き あの線のむこうは光それとも闇 この線のてまえは生あるいは死 ぼくにはどちらだっておなじこと 水だからね 切れない割れないこわれない はじめもおわりもみないっしょくたにつながれて いつもひとつ、いつも全部さ。 ここにも「分節」への拒否が描かれている。「ことばの線をすっと引き」は、「分節」がことばによっておこなわれていることを明らかにしている。 世界を「分節」するのではなく、「未分節」にもどすためにこそ、ことばをつかいたい、「未分節」を詩にしたい、という来住野の願いが書かれているともいえる。 「光/闇」「生/死」は一般的には相いれないもの、矛盾、対極にあるものだが、これを「おなじこと」と言う。「未分節」の状態があり、そこから、たまたま「光」が「分節」されるとき、それが「光」になり、そうではないものが「闇」に「分節」される。「分節」されたものが絶対ではない。「絶対」として固定するとき、そこに「暴力」が生まれる。いつでも「未分節」のなかで「融合(みないっしょくた)」し、瞬間瞬間に「分節」を繰り返せばいいというのが来住野の「思想/肉体」である。 これを「水」という「もの」で比喩として、象徴として語っている。 「いつもひとつ、いつも全部さ」の「ひとつ=全部」というのは、「一元論」である。来住野は「一元論」としての詩を書いている。 「一元論」の象徴を「水」というだけでは、ちょっと味気ないかな? で、先に引用した「一元論」を来住野は二連目で語りなおしている。 目を閉じてごらんよ きみのなか 刻一刻生滅するぼくの呼吸ぼくの韻律(すがた) うたうとき恋するとき ぼくはきみをめぐり宇宙を運ぶ 嘆くとき祈るとき どんな視線も届かないひかる鼓動をきみに伝える いつの日かきみがかたちを失っても ぼくの刹那すべてにきみがいる まるごと息吹でいる 「目を閉じる」はいまある「分節」を見ない、ということ。「刻一刻生滅する」とは瞬間瞬間に「分節されなおされる」という意味である。単に「生まれる」のではない。また単に「消えていく」のでもない。「生まれ」同時に「消える」。「生まれる」ことは何かを「消す」ことであり、「消す」ことは何かを「生む」ことである。その、融合した運動が「宇宙」なのである。そこには「鼓動/息吹」だけがある。「運動」だけがある。「静止」というものはない。

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