大女伝説: 歌集 (かりん叢書 第 233篇)
Ojona Densetsu is a tanka collection by Yuriko Matsumura. It layers contemporary life with mythic images of women and addresses work, the body, time, Okinawa, and history through short poems.
Work Information
From the texture of daily life rises the mythic figure of a great woman.
A tanka collection published by Tankakenkyusha. CiNii Books identifies it as part of the Karin series and notes that it includes the Tankakenkyu Prize-winning work Toki Geiei.
Review Summaries
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Reviews value the collection's ability to bring everyday and social vocabulary into tanka while raising a large, forceful image of womanhood. It is discussed as a collection that leaves a strong impression.
Book Information
- Publisher
- 短歌研究社
- Published
- 2010-05-01
- Pages
- 173 pages
- Language
- 日本語
- ISBN-13
- 9784862721990
- ISBN-10
- 4862721990
- Price
- 2750 JPY
- Category
- 本/文学・評論
Amazon.co.jp: 大女伝説: 歌集 (かりん叢書 第 233篇) : 松村 由利子: 本
Reviews
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松村さんにとって大きな区切りの歌集かも。ファンは必読!
本書を手にしてまず驚いたのは造本。カバーは写真です。洞窟とか氷柱の写真ですかねえ? 山西隆則さん担当。カバーをはがすと,またカバーのような本文を覆う表紙がついており,その表紙には「地母神 サルディーニア島セノルビ出土(国立カリアリ考古美術館)」と注のある土偶のような像が印刷されております。表紙や扉など各パーツの洋紙の選択,本の綴じ方も面白いです。かなり凝ったツクリです。装幀は加藤恒彦さん。造本に興味のある方には,いい勉強になると思います。ただし,この方の装幀でなかったら,本書の価格はもう少し下がったかもしれません(笑)。 さてさて。本書も私がずっと感じている「松村由利子にはずれなし」という信頼に応えてくれるものでした。それはそれとして,今回は,当然のことなのでしょうが,松村さんがかなり変容してきている感じが私にはいたしました。 三十八億年続く葬列の最後に従きてわれら生きおり(31ページ) 果樹園の土になりたし白き花ほよと咲かせる林檎の園の(69ページ) 長き箸もてあなたを拾う日を思う家族になるということ無惨(75ページ) こういう歌,今まではあまり見なかったと思います。この後,松村さんがどんな歌を歌ってくださるのか興味津々。本歌集は松村さんにとって大きな区切りになると思われます。松村ファンは必読です。 メロスを走らせセリヌンティウスを捕縛せし王の孤独を子らは知り得ず(159ページ) 第一歌集『薄荷色の空に』には「昔話の途中で寝入りし子の側で思う「めでたしめでたし」の先」という歌がありましたが,それよりもぐっと魂に食い込んできますねえ,この王の孤独の歌は…。
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時事性に富みながら、機知にとんで知が輝く歌集
タイトル「大女伝説」が大変面白く、これはいったいなんだろうと思わず歌集を手にとってしまう。そこからもうこの歌集の魅力の始まりと言って良いだろう。 昔語りぽおんと楽し大きなる女が夫を負うて働く 雨降れば大女ひょいと石臼を笠の代わりに被るかわゆさ 「あとがき」に寄れば「大女」の話を聞いたのは群馬県・猿ヶ京を訪ねた折のことだったそうだ。 「おおらかな大女は地母神を思わせ、私はとても愉快な気分になった」 とある。 まったくその通り、大女がよっこらしょと夫を背負って田で働いている姿をそうぞうするとなんともユーモラスでおおらかだ。そして二首目にいたってはあの重い石臼を「ひょいと」笠の代わりにかぶって雨をよけるとなると、想像しただけでもその怪力とユーモラスなしぐさがかわゆいばかりである。そういえば松村由利子の第二歌集『鳥女』(本阿弥書店)に 土器(かわらけ)に縄目残しし女たち土偶は太き足もて立てり という一首が記憶に残るが大きくたくましい大女や縄文の女には地母神を思わせる。 さて、実生活において、松村由利子は長年住みなれた千葉を離れ、石垣島に新居を構えることになった。見晴らしの良い住まいから大海原を眺め、島の人たちとの交流からまたどんな歌が生まれるか楽しみであるが、この第三歌集にも島の歌は多い。 来歴を知れば歩けぬ道もある南島の隠す深き傷跡 トビハゼをトントンミーと呼ぶ島の弾むこころを圧せし力 島豆腐になりたし渾然とチャンプルーになるまでの快 県民所得最低なればマンゴーのよき実は島の外へ運ばる 島豆腐どっしり甘し来るものを拒まぬ淡きたまご色して 毒をもつオオヒキガエル島に増えあめりかーのようにしぶとし 原産はアメリカ大陸害虫を食うよきものとして運ばれき 松村由利子は毎日新聞の記者として20年余りを過ごしてきた。その鋭いジャーナリストとしての目が発揮されるとき、他の追随を許さぬ歌となる。上にあげた歌にもそれはかいまみれる。特に沖縄に移り住んだ今、そのまなざしは深く鋭くなる。一方、時事性に富みながら、時に絶妙な機知にとんでいて知が輝く歌は素晴らしい。 第三歌集『大女伝説』の中でも白眉なのは短歌研究賞を受賞した「遠き鯨影」からの歌である。世界の捕鯨に反対する国、特にオーストラリアを意識したと思われるシニカルでひねりが効いた歌がそれである。 かつて石油に頼らない頃、燃料を鯨の油に負うた国は多かった。アメリカもそうであった。 鯨油求め日本海までやってきた米国捕鯨の歴史もありぬ 海の牧者(シー・シェパード) 守らんとする傲岸を彼ら笑えば大波となる 鯨類の群舞愛でつつ着々と進められたるカンガルー駆除 アボリジニの女は祈るカンガルージャーキーを犬がひしと噛むとき 角笛が遠く聞こえる食べもせぬキツネを狩っていた奴らだよ 捕鯨反対を訴えるオーストラリアは同じ哺乳類のカンガルーを平気で駆除しそのジャーキー肉を犬にあたえている現実。食肉にもしないキツネを狩って(殺して)楽しむイギリス貴族よ!この歌を読みたまえ!!! そして次にあげる歌は松村由利子のスケールの大きさにふっとんでしまう。 観賞用鯨飼いたしふたつ三つ丼鉢にあおく泳がせ 鯨幾千飴煮すれば楽しからんガルガンンチュアの豪奢なる餐 「鯨を鑑賞用に飼いたし」などとそれも「二つ三つ」「丼鉢」に泳がせるなどといいう豪胆な発想に肝をつぶしてしまった!!! 鯨幾千という数字のおびただしさは海と云う海を埋め尽くす鯨を想像しただけでその桁外れぶりに気絶しそうである。 鯨幾千、飴煮する鍋を買いにガルガンチュワ一族の元に走らねば! そう。このガルガンチュワ一族こそ「大女伝説」に結びつくのにぴったりなものはない。 第三歌集『大女伝説』はこれらの歌を含めて大変魅力に富んでいるが、子を想う深い母の歌もあることを忘れることができない。 君を産んでごめんねごめんねわたくしの骨を見る日の雑務多からん いつ死んでもいいような夏の茜空こころ濡らして恋せよ息子 なにげなく挟み込まれた息子への歌二首。子を想う母の胸の奥を垣間見たおもいで鼻の奥がつんとしてむせんだ。他の歌になにげなく挟み込まれて置かれた歌に、松村由利子の胸に畳まれたものの深さが刻まれた。 第一歌集『薄荷色の朝に』の歌: 愛それは閉まる間際の保育所へ腕を広げて駆け出すこころ 多くの人の心に共感と熱き思いを呼んだこの歌は1991年から98年までに作られた歌の中の一首である。それから二十年近くが経った今、松村の胸に去来するものを読者も『大女伝説』から読み取るのである。 最後にこんな歌を紹介して締めくくることにしよう。 体内に異物を受け入れ吐き出せぬ沖縄という貝の抱く闇
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歌論はいろいろ拝見していました。都内某所でお会いした。歌集を拝見。自分の得意な水関係の短歌を引用させてください。
大航海時代の野心派脈々とインド株式押し上げている 羊皮紙の地図捲れゆく日本の湿度のような迫害なりき 春は鯨大潮の夜ぽっかりとかすてら色の月が上がれば 花の色も恋も移ろうばかりなり砂漠に井戸を掘りたしわれは 白ワイン会うか合わぬかさらしくじら冷酒と共に食う走り梅雨 万太郎の健啖羨(とも)し卵黄のごときアンズを傘雨忌に煮て