現代日本語ムード・テンス・アスペクト論 (ひつじ研究叢書(言語編)第111巻)
A linguistic study of mood, tense, and aspect in modern Japanese, carefully examining how grammatical categories work through standard and dialectal evidence.
Work Information
現代日本語ムード・テンス・アスペクト論 is a work by 工藤真由美 whose profile can be outlined through award records and bibliographic checks.
現代日本語ムード・テンス・アスペクト論 is a work by 工藤真由美, readable through the lens of Japanese grammar. This entry starts from the award record, uses bibliographic identifiers only when a book or paperback publication can be confirmed, and avoids substituting magazine or unrelated item numbers.
Review Summaries
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Responses tend to focus on the subject matter and narrative approach. Some readings value the premise and concerns, while works with limited public information are treated cautiously through bibliographic confirmation.
Book Information
- Publisher
- ひつじ書房
- Published
- 2014-02-03
- Pages
- 704 pages
- Language
- 日本語
- Size
- 4.3 x 16.3 x 22.5 cm
- ISBN-13
- 9784894766587
- ISBN-10
- 4894766582
- Price
- 7920 JPY
- Category
- 本/人文・思想/言語学/日本語・国語学/文法・語法
■定価7,200円+税■ 標準語、東北から沖縄に至る諸方言、海外移民社会の言語接触現象を視野に入れ、アスペクトやテンス、認識的ムードやエヴィデンシャリティー、さらには話し手の評価感情という側面が、どのように相関しつつ多様性を生み出しているかについて考察。多様な日本語のバリエーションを記述するための方法論を提示している。前著『アスペクト・テンス体系とテクスト』で使用した文法用語等を再検討し、用語解説としてまとめた。
工藤真由美(くどう まゆみ) 愛媛県宇和島市生まれ。大阪大学教授。博士(文学)。著書に『アスペクト・テンス体系とテクスト』(ひつじ書房)、『複数の日本語』(〔共著〕講談社)、『日本語の文法2』(〔共著〕岩波書店)、『シリーズ方言学2』(〔共著〕岩波書店)など。
Reviews
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If you think it's too expensive, I suggest you go to the library and read the book first.
I have some doubts that the reviewers have actually studied linguistics. This book is at least not as worthless as some people make it out to be.
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認識を扱えない言語実体観による非科学的な欠陥言語論
「第2章 存在動詞とその文法化」では、1.人の存在動詞とものの存在動詞で「標準語では、基本的に2つの存在動詞が次のように使い分けられる。正確には、有情物の存在、無情物の存在と言った方がよいが」として 人の空間的存在 : いる ものの空間的存在 : ある としている。しかしこれが誤りであることは明らかであろう。ヘリコプターからの取材について、「ただいま、現地上空にいるヘリコプターからの映像をお届けします。」とスタジオのアナウンサーは言うが、「現地上空にあるヘリコプター」とは言わない。ビルの屋上に展示されているヘリコプターであれば「屋上にあるヘリコプター」と言う。この程度の言語事実も正しく捉えられないのが本書の教科研文法と呼ばれるスターリニズム的言語道具観に基づく言語論、文法論の実状である。 題目のテンス・アスペクトについても次のように記している。 <発話時>を基準にして、事象が発話以前に起こったのか否かを義務的に表し分ける文法的カテゴリーが<テンス>である。 動作や変化という動事象(運動)を<完成的>に捉えるか、動作や変化結果を<継続的>に捉えるかの違いを表し分ける文法的カテゴリーを<アスペクト>という。 「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」の<発話時>とはいつを言うのであろうか。もっとも、「本書の考察対象は、話し手と聞き手の相互行為としての<はなしあい>における<叙述文>のムード・テンス・アスペクトに限定している」とされているので対象外なのであろう。しかし<はなしあい>であろうと、なかろうと言語表現であることには相違がなく、ここでも対象の捉え方が本質的ではないことを露呈しているにすぎない。 ともに時間的存在である表現主体と表現対象の相対的な時間的関係についての表現主体による主体的表現が<テンス>であり、対象相互の時間的関係は客体的なアスペクトの表現となるのであり、義務的であるのは規範としての文法の本質である。 話者の認識を扱えずに対象と表現を直結し<事象が発話以前に起こったのか否か>しか問題にできないため現在とは何かを明らかにすることができずに過去と非過去との対立しかないことになってしまっている。このため普遍的認識の表現は<時間的限定性>により(一時的現象)と(恒常的特徴)に二分された(恒常的特徴)という奇妙な対象の性質に分類されざるを得ない。 <動詞>では(1)語彙的な意味、(2)構文的な意味、(3)形態論的なかたちの体系の3つの観点からの特徴づけに基づいた単語グループ(品詞)と、本質と機能・現象を取り混ぜた定義が示され混乱した説明が展開される。「曲がった道」は<規定語>として機能する連体形で、ムード・テンス・アスペクトの分化はないとされる。<規定語>やら連体形と機能しかあつかえない機能主義でしかない。この「た」は連体形ではあるが「そうなっている」という意義の<接尾語>であり、「錆びたナイフ」「尖った山」等と使用される。<動詞>「たり」が「接尾語」化し、「り」が脱落したものである。<規定語>やら連体形と機能しかあつかえない機能主義でしかない。 「言語活動の基本的な単位は文である。」と言語の本質を活動とみなし、文には<対象的内容>と<モーダルな意味>の側面があるとする機能的言語実体観では言語の本質を明らかにすることはできず、都合の良い機能を取り上げ解釈することしかできないことを本書は明らかにしている。 戦後レジュームとしてのスターリニズムを乗り越えるためにも、言語本質を明らかにした時枝―三浦による言語過程説による再構築を図らねばならない。■ 日本語はどういう言語か (講談社学術文庫) 現代言語学批判―言語過程説の展開 (1981年) 時枝学説の継承と三浦理論の展開 (言語過程説の探求) 日本語の文法
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著者の出発点の奥田靖雄さんの仮説に問題があるように感じます
日本語の標準語と一部の方言のテンスやアスペクトを分析したものですが、結果が非常に複雑です。著者は奥田靖雄さんの説を遵守しようとして、あちこちに無理が生じているように感じます。 他のレビュアーが指摘した「いる」と「ある」を動物と動物以外という分類は私も違和感を感じました。一般の人がすぐに思い付きそうな分析の仕方です。さすがは専門家の分析だという感じが全くしません。 テンスやアスペクトの分類が複雑になってしまった理由は、著者が基づく奥田靖雄さんの説の「動詞終止形」は完成相、「動詞連用形+ている」は継続相という考え方にあるように思います。ロシア語などのスラブ語にある完了体と不完了体の対立が日本語にもあると考え、ロシア語の完了体の現在形が未来を表わすから、「する」の形を完成相、「している」の形を継続相と、類推だけで決めてしまったところに問題があるように考えます。 著者の分類が複雑なこと、その上に、それだけ複雑な分類をしても、まだ例外があること。普通なら最初の仮説を疑うのが科学的態度です。この本は奥田靖雄さんの説が絶対に正しいと理由なく考えてしまったところに問題があると思います。 更に、説明が天下り的です。奥田靖雄さんの説から演繹するのではなく、たくさんの実例を挙げて、なぜそうなるかを考えて欲しかったとも思います。著者は津田塾大学の英文科の卒業なのですから英語は得意と思います。最新の言語学の著書や論文から学んで、それを国文科卒の人たちに広める役目をしても良いのではないかと思いました。