日本の文学賞

← ホームに戻る

近藤 日出造

こんどう ひでぞう

Kondo Hidezo

ペンネーム: 近藤秀三デビュー当初に使用した旧署名

プロフィール

性別
男性
生誕
1908-02-15 (長野県更級郡稲荷山町(現・千曲市稲荷山))
死没
1979-03-23 (東京都江古田(武蔵野療園病院)) 71歳
国籍
日本
言語
日本語
居住地歴
長野県稲荷山町(現・千曲市) → 東京都(浅草、神谷町、上板橋・中野区など) → 長野県上田市(疎開)

経歴

職業
漫画家
活動期間
1929年〜1976年
所属
読売新聞社, 新漫画派集団(のちの漫画集団), 新日本漫画家協会(設立に関与), 日本漫画家協会(初代理事長), 漫画社(経営に関与)
所属団体
新漫画派集団, 新日本漫画家協会, 漫画集団, 日本漫画家協会
影響を受けた人物
ジョージ・グロッス, 岡本一平, 横山隆一(技術面での影響)
影響を与えた人物
西川辰美, 塩田英二郎, 牧野圭一, 杉浦幸雄, 佐川美代太郎

学歴

東京美術学校(受験を目指したが入学断念)
期間: 1928頃(受験を断念)
国: 日本
旧制中等学校卒業資格がなく、受験資格を満たさず入学を断念した

受賞歴

紫綬褒章
1974
主催: 日本政府(内閣)
結果: 受章
勲三等瑞宝章
1975
主催: 日本政府(内閣)
結果: 受章
菊池寛賞(第23回)
1975
主催: 菊池寛賞選考委員会
結果: 受賞

受賞・候補エディション

作品

代表作

やァこんにちわ(連載・インタビュー集)

1954年 エッセイ・インタビュー

読売新聞などで連載された似顔絵を添えたインタビュー記事集。近藤の軽評論家としての側面を示す作品。

似顔絵社会評論人物観察

人の顔はなにを語るか

1970年 評論・人物描写

人物の顔や似顔絵について論じたエッセイ。画家としての観察眼をまとめた一冊。

似顔絵観察表情

漫画研究資料講座 第2輯 漫画デツサン論(共著)

1935年 技法書・研究

漫画のデッサンや描法に関する研究・解説。戦前の漫画理論に関する資料的価値をもつ。

漫画技法デッサン

恐妻会(小説)

1955年 小説

近藤による小説作品。漫画家としてだけでなく文筆活動の一環として刊行された。

人間模様ユーモア

全著作

  • 漫画研究資料講座 第2輯 漫画デツサン論(1935)
  • 家庭科学漫画(東栄社 1942)
  • にっぽん人物画 正・続(オリオン社 1964)
  • やァこんにちわ 第1‐2集(読売新聞社 1954)
  • 人の顔はなにを語るか(1970)
  • 恐妻会(朋文社 1955)
  • 日出造膝栗毛(1954)
  • 模範産業戦士訪問記(共著 1943)
  • 安保がわかる(漫画社 1969)
  • 電気は心 原子力発電を考える(漫画社 1974)

作風・主題

文体
繊細で鋭角的なペン画から、墨と細筆を用いた水彩調の筆致へと変化した画風一コマを中心にした端的な風刺表現文章(エッセイ・ルポルタージュ)を併用するスタイル
頻出モチーフ
似顔絵(政治家の肖像)政治・社会風刺庶民視点の諧謔

健康

  • 脳卒中(脳血管障害)
    1976年(発症)
    右半身麻痺と言語障害の後遺症により実質的に引退
  • 肺炎
    1979年(死去)
    転院先の病院で死去

評価・遺産

近藤日出造は戦前から戦後にかけて政治風刺を中心に活躍した漫画家で、多くの門下を育てた。一方で戦時中の雑誌編集・寄稿や晩年の政治的パンフレット制作などで論争も招き、評価は一面的ではない。紫綬褒章や菊池寛賞などの受章・受賞歴がある。

記念館・博物館

  • 千曲市ふる里漫画館(旧・更埴ふる里漫画館) 長野県千曲市稲荷山

関連学会

  • 日本漫画家協会

資料所蔵先

  • 千曲市ふる里漫画館所蔵資料

大衆文化への影響

  • 読売国際漫画大賞の副賞「近藤日出造賞」に名を残す

引用

  • 漫画とは絵画と文学を合体させた純粋芸術である。
    出典: インタビュー/エッセイ(近藤の発言集に基づく)
  • すう勢に流された物書き。すう勢が悪しきすう勢だとすれば、悪さに添ったものを書き、有罪だろう。
    出典: 自叙伝草稿(死後発見)

豆知識

  • 若い頃に丸い伊達眼鏡を着用していた
  • 横山隆一の子どもたちから『ゲタゾーおじさん』のあだ名を付けられた
  • 1964年に日本漫画家協会初代理事長に就任
  • 1976年に脳卒中で倒れ、以降実質的に引退した