作品情報
『東京自叙伝』は、受賞作としての輪郭を通じて、人と時代の関係を見つめる作品である。
奥泉光の『東京自叙伝』は、小説として記録されている受賞作である。単行本または収録書の書誌情報を確認し、識別子を記録した。作品紹介では、物語や詩歌が扱う関係性、記憶、時代感覚を中心に、公開情報から確認できる範囲で整理している。
レビュー要約
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題材の切り取り方と人物描写を評価する声がある一方、静かな展開や重い主題をじっくり読む作品として受け止められている。
書籍情報
- 出版社
- 集英社
- 発売日
- 2014-05-02
- ページ数
- 432ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 14 x 3.3 x 19.5 cm
- ISBN-13
- 9784087715590
- ISBN-10
- 4087715590
- 価格
- 2500 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
維新から太平洋戦争、サリン事件からフクシマ第1原発爆発まで、無責任都市トーキョーに暗躍した謎の男の一代記! 超絶話芸で一気読み必至の待望の長編小説。世の中、なるようにしかなりません! !
レビュー
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奥泉ワールドの核心に触れる一冊
泉光『東京自叙伝』読了。 購入してから14年も積読にしていた。 が、やはり積読になっていた『グランドミステリー』を読んだ流れで、本作もちゃんと読もうという気になった。 なぜ積読にしていたのかは、自分でもよくわからない。 帯の文句などを見て、奥泉のメインストリーム的なストーリーには思えなかったからなのかもしれない。 で、本作である。 何とも不思議な展開である。 何しろ、主人公は東京の地霊なのだ。 その地霊が、いろんな人物に取り憑いて、一人称で東京の歴史を語り継ぐ。 しかも、取り憑くのは人間だけではない。猫だったり、ネズミやムカデ、オケラだったりすることもある。そうしたネズミ以下のごい下等動物に取り憑いた時には、「私」という一人称単数での自己認識は持てず、群れ全体で1つの意識となっている。 しかも、メインのストーリーは幕末から始まるが、時々、過去の記憶として縄文時代の光景までが主人公の脳裏をよぎったりする。 その上、かつて取り憑いていた人間と、現在取り憑いている人間が対立して殺し合ったり、共謀したりする。つまり、「私(現在の)」が「私(かつての)」を騙したり、出し抜いたりする絡みが頻発するようになる。 そうして時間の流れ的には、御一新に関わり、また別の人物になって陸軍参謀としてノモンハンや第二次世界大戦に関わる。さらに戦後は、テレビ放送の開始や原発の設置、60年安保騒動や東京オリンピック、皇太子ご成婚時における暴漢襲撃事件、バブル経済、オウム真理教、無差別殺人事件、3.11後の原発危機に、すべて「当事者」として関わるのだ。 つまり、「私」は昭和の放火魔であったり、江戸時代の八百屋お七であったり、ジュリアナで初めてお立ち台で踊ったり、ジョン・レノンであったり、麻原正晃であったり、秋葉原の無差別殺人犯であったりと、ほぼすべての歴史的人物に取り憑いていたことになる。その果てに、原発労働者として3.11後の福島F1の作業員となり、また放射能漏れに歓喜する放射能ネズミにもなる。 このような歴史的大事件に関わりつつも、まるで植木等の無責任男さながらの身のこなし。語り口も、無責任そのもの。この無責任さが、本作の特徴であって、読者の心をざわつかせる。 一体、作者は何が言いたかったのか、などと野暮なことは言わない。われわれの知っている歴史を、とことん茶化して相対化して見せてくれるわけである。 しかも、気づくのは、この「私」がネズミだったりするのには既視感があることだ。奥泉の『グランドミステリー』『神器 戦艦橿原殺人事件』『虚史のリズム』でも、ネズミの群れが登場したり、登場人物がネズミになってしまって、その視点から描かれるシーンがあった。 思うに、このモチーフは安易に複数の作品に流用されているのではなく、上記三部策と本作が、同じ世界を異なる角度から描いたものだということを示唆している。 奥泉の別の作品群には、例えば『新・地底旅行』や『鳥類学者のファンタジア』に“宇宙オルガン”なるものが登場するのだが(多分、『虚史のリズム』にも登場したかもしれない)、こういうガジェットというかアイテムの登場を通じて、これらの作品群は1つの共通した世界をかたちづくっている。それが奥泉作品の特徴であり、つまり奥泉はいろいろな作品を通じて、ただ一つの世界を描いているとも言えるのである。 こうなると、やはり積読にしている『吾輩は猫である殺人事件』を、そのままにしておく訳にはいかなくなってきた。
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饒舌な語り口で一気に読ませるエンタメ作
「純文学」と言う視点でどうなのかはわからないが、作者特有の饒舌な語り口で一気に読ませるエンタメ作。 これも「地霊」と言う視点で学術的にどうなのかはわからないが、実在した人物を含め地霊が実態化したものとして同一の私として語られる「東京」の自叙伝とは斬新で、タイトルでは全く予想も付かなかった。内容は現代史の実録ルポみたいなものではあるが、とても楽しく読ませてもらった。地霊であるから人間の道徳など無関係と言う免罪符を持ち、自分勝手に暴れ回る無責任ぶりは、ある意味痛快。 もともと太古から東京に存在し動物でもあった地霊が、福島原発事故を鼠として体験し、原発作業員となる最終章は、分量は乏しいが、東京が繁栄の影で実は滅んでしまうと言う、未来予言のような内容で、オリンピックが延期となった今読むと、暗示的で実に興味深い。ただ、エンタメ作としては尻切れトンボな感は否めないと思う。
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鈴木博之著『東京の地霊』と荒俣宏『江戸の幽明』をオススメします。
それほど多くない読者を、内輪のウケねらいだけでお手軽に、しかし、「大作に見せかけるべく」長々と書き、厚い本にしているのは、高橋源一郎と同じ「純文学作法」である。私も、「地霊」には関心があったので、その地霊に東京の歴史を語らせると、なにかの解説にあったので、本書をすぐ求めて読んだ。確信犯的な、語りは相変わらずであるが、レビュアーのどなたかも書いていたとおり、題名と内容との齟齬に苦笑い。 だいたい、地霊と言いながら、人物だの、動物だの、「語り手」=「視点」をどんどん変えて、空疎なおしゃべりを連ねているだけ。エンターテインメント系の新人賞なら1次も通らないのでは(笑)? こんなにお手軽に長編小説ができてしまうのか、の見本である。しかも、ちょっと内容があるみたいにするために「3.11」に絡めたりするのも、まったく確信犯的。 参考文献を見ると、「地霊」について、きわめて示唆的な本、鈴木博之著『東京の地霊』が抜けていた。本作を見るかぎり、読んだ形跡はない。そもそも地霊の概念とは、英国十八世紀のものらしい。ラテン語では、Genius loki(ゲニウス・ロキ)。この概念を踏まえつつ、東京という土地の歴史的、政治的「変遷」を、「具体的に」表出した『東京の地霊』は、静かな衝撃を読者に与えずにはおかない。真に地霊を語るにふさわしいものとなっている。たとえフィクションでも、なんらかの意味で、『東京の地霊』を意識し得なかったら、それは著者の勉強不足であろう。 谷崎賞を与えられた『東京自叙伝』であるが、いまの日本の純文学界は、選考委員の方も大したことないので、なんの意味があるのかわからない。読者は正直だから、そう売れてない(Amazonレビュー数がそう多くないにもひとつの目安)ようなのを見ると、お金を払う価値はないのだろう。 ****** 追記。 荒俣宏の『江戸の幽明』という本が出たが、ものすごく詳細で、これを見ているだけで、「地霊」いうものが浮かび上がってくるような気がします。こういう本に比べたら、『東京自叙伝』など、「東京」でも「歴史」でも、なんでもない、冗長なおしゃべりに過ぎません。水増し、上げ底、ご注意!
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これは間違いなく傑作だ
3.11を出発点にして書かれた初の奥泉作品。 自らの虚栄心を満足させるために国民を騙し続け、 一切反省せずに邁進してきた「東京」の地霊が主人公である。 彼は、地震や火災が大好きで、高層ビルや道路でオシャレして、 高いところからその姿を眺めることに狂喜するナルシストである。 明治維新、太平洋戦争、高度経済成長、バブル経済などが そんな無責任キャラ「東京」の地霊によって引き起こされたことが 乗り移られたさまざまな人物の証言によって饒舌に語られる。 そして、「東京」は、福島原発事故でもあいかわらず反省しないし、 その経験から何も学ばない。そのことを述べた最終章が 分量的に乏しく、失速感があるのは残念だが、これは間違いなく傑作だ。
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良く解りません。
とても評判になっている作品ですから、手に取ってみたの出すが、いまいちよく理解 できません。再読してみようと思っています。
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奥泉光、堂々の新境地。
東京の「地霊」の一人称という奇抜なスタイルで、今そこにある日本を描く、 ヴォネガットの『ガラパゴスの箱船』を彷彿させる痛快風刺小説。 「私」こと東京の地霊は、ボディスナッチャーよろしくくるくると宿主を替えるのだが、 その中でもメインとなる語り手が6人いて、それぞれが独立した一章をなしている。 あえて名前をつけるならば、幕末編、第二次大戦編、戦後混乱期編、 高度成長期編、バブル経済期編、2000年代編、といったところだろうか。 近現代の日本の大きな出来事をダイジェスト的に追いながら、 史実と虚構を緻密に織り交ぜ、時空を股にかけた壮大なパノラマとして 再構築してみせた著者の力量は見事と言うほかない。 本作の終盤、現実の風景の向こうに透けて見える廃墟と化した東京の光景は、 著者のデビュー作、『地の鳥、天の魚群』中で、いささか唐突に挿入される、 鳥の足にびっしりと埋め尽くされた荒野のイメージとぴたりと重なる。 破滅の予感と隣り合わせの笑いは、氏が一貫して扱ってきたテーマであろう。 実力はありながらも、引き出しが少ないというか、端的にワンパターンな作風が 難であった奥泉氏だが、本作で一歩突き抜けた感がある。 将門公から某有名ネズミキャラまで、徹底的に茶化してみせる氏の筆致は まさに怖いもの知らず。人を選ぶ作品ではあるが、気になったならばぜひ一読を。
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エンタテインメントを装った大胆不敵な傑作
「私」がそこらに遍在する、こういう手があったのかと作家の着想にびっくり。 東京の地霊を装っているけど、端的に言えば日本そのものの自画像なんですね。 長いもの(権力)に巻かれ、なるようにしかならぬ、建国以来の庶民の生き方です。 全体を読まず部分的に切り取れば、あらゆる方面から矢が飛んできておかしくない。 右からも、左からも、匿名クレーマーからも、「オレを茶化しやがったな!」って。 だって鼠だもの、エンタテインメントなんだよ、今は風流夢譚の時代じゃないよ。 ユーモアがわからないの?って言ったって、それが分かるなら矢を放たないし。 先日ラジオで作家のフルートを聴きました。 ちょっとウディ・アレンと重なりました。 民主主義陣営のはずの現代日本で、言論が一色に統制される前に(もうそこまできている)、この作品のことをみんなに知ってほしい。
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地霊という奇想天外な発想に脱帽!
芥川賞受賞「石の来歴」でも感じましたが、基本的に大変に饒舌な文体の作家さんです。自分のテンポに読者を引きずり込んでいく、テクニックは正にプロの作家であると感心したものです。 この大作も、著者の面目躍如といった感じの奇想天外なお話が続き、あっという間に読ませてくれます。日本史の流れの中を、東京という土地に住む(?)地霊が虚実取り混ぜて渡り歩くという着眼点がすごいです。それも、妙に説得力にあふれているから、不思議。「え、ほんとう?」なんて思わず独りごちたりして・・・・・。 この夏お勧めの1冊ですね。 ただ、個人的には文末の敬体と常体の混在は、最後までなじめませんでした(これは、私の仕事の影響もあるかも、ですが・・・・)。
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