日本の文学賞

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オリガ・モリソヴナの反語法

Bunkamuraドゥマゴ文学賞

オリガ・モリソヴナの反語法

米原万里

「オリガ・モリソヴナの反語法」は、米原万里による受賞作品です。人物の感情や関係の揺れを軸に、時代や場所の空気を映しながら読者を作品世界へ導きます。

人間関係記憶日常と非日常

作品情報

オリガ・モリソヴナの反語法は、受賞歴を通じて広く知られるようになった作品です。

米原万里の「オリガ・モリソヴナの反語法」は、受賞時に注目を集めた作品です。物語や表現の核にある緊張感を大切にしながら、登場人物の内面や行動が生む余韻を描きます。

書籍情報

出版社
集英社
発売日
2002-10-04
ページ数
416ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784087745726
ISBN-10
4087745724
価格
1427 JPY
カテゴリ
本/文学・評論/文芸作品/日本文学

1930年代モスクワで人気を博し、激動の東欧、ソ連を生きた伝説の踊り子に隠された驚愕の過去。著者自身が通ったプラハ・ソビエト学校の老女教師の数奇な生涯を辿る、新大宅賞作家、感動の長編小説。第13回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞作。

レビュー

  • 題名で躊躇わず手に

    タイトルで読むのを躊躇うのは避けたい。現代を生きる人間にとって知っておくべきこと(ロシアの支配者たちの醜くすぎる暴虐など)、人間の多様性と強さ弱さ、豊かさを大きなスケールで、繊細なデリカシー、とらわれない自由精神で結晶させた作品。それでもためらいあるなら、米原万里・池澤夏樹の対談、亀山郁夫氏の解説を先に読むのも1つの道筋としてお勧めします。

  • 無二のフィクション

    米原万里が遺した唯一の純フィクションです。社会主義ソビエトが無くなり30年以上が経った今も、かの国が一体どのような国家であったのかを構成者の立場で雰囲気を伝えるお話は少ないと思います。プーチン大統領は明らかにソビエト連邦の独裁的な一面を継承しているスタイルですし、交流は本当に僅かなためかまともに話すことができる人もそれほど多くない。 没後20年になろうとしていますが、米原さんのいる現在を想像すると世界は違うのではないかと思うほど惜しい人でした。もう少したくさんフィクションも読みたかった。

  • 重量感ある一冊

    回顧録なのかなーと思って読み始めたが実は凄絶な人生のサバイバルの記憶を読み解く読み応えのあるずっしりとした小説でした。 性的な描写があるので小学生には読ませられませんが、いつかは読んで欲しいなと思います。

  • 驚嘆するほどの

    1960年代のチェコ、プラハ。主人公の日本人留学生の小学生弘世志摩が通うソビエト学校に、舞踊教師オリガ・モリソヴナが主然としていた。卓越した舞踊技術に加え、独特のいでたち、舌鋒(誉めるのは罵倒の裏返しであり、けなすのは誉め言葉の代わりという「反語法」。かつ特殊で下品ですらある俚諺を多用。)という強烈な個性の持ち主で生徒皆、反発する教師たちからも愛され信頼されて。もちろん志摩も親友のカーチャも。オリガ・モリソヴナと友人であるフランス語教師エレオーナ・ミハイロヴナの過去にはなにやら謎が秘められているらしい。そして彼女らを「お母さん」と呼ぶ転校生ジーナの存在。志摩はオリガとエレオーナの過去を辿り始め、現れ出てきたものは、彼女らの過去の真相と、ソビエト共産圏の赤裸々な過去で。…ひさびさに、と言いたくなるくらい夢中になって頁を捲った。ことに理由はないものの米原万里のものは手にとらずきて、初めてのもの。読んでいる最中、こんな書き手がいたのかと、早く読んでおくべきだったという悔いと、なかんずく知れた喜びを覚える。もとより作品のゆたかな波にながされ快くなりながら。読みおえ、茫然自失といった体に近い。あまりにも色鮮やかで楽しく充実した夢から醒めて、寒々とした現実の朝を迎えた気分に近いだろうか。ソビエト連邦の歴史の赤裸々な部分が主要なものとして描きだされてゆくわけだが、帰国した志摩が通う日本の学校、その日本らしいシステムの貧しさもしっかりと表現されている。当時、のみならず、その後まで。学校という組織に留まらず。「(略)この一週間モスクワでオリガ・モリソヴナの足跡を追う内にわかってきたんだ。日本にとってのバレエ自体がそうなのだけれど、わたしが踊ろうとしていたキャラクター・ ダンスだって、日本人の生活や風習の中から紡ぎ出されて代々受け継がれてきた踊りじゃないのよ。あくまでも借り物で、真似事。圧倒的多数の人たちにとって、心の糧じゃないのよ。日本のバレエ界の惨状だって、根っこのところにはそれがある。わたしの報われなかった踊り子生活二〇年も、もとはと言えば(略)」志摩の台詞だが、卓抜な日本文化論になっている。そしてやはり、なんと言っても、「オリガ・モリソヴナの反語法」の成り立ち、その意味を見いだすところが白眉だろう。言葉を失った。さりながら、拾い集め、拾い集めして感想をしたためている。フィクションはこれだけとは。構想はあったものらしいが。嗚呼、読みたかった。何はともあれ、彼女ののこされた随筆を読んでゆこうと、決意した。よろこびに満ちた決意。

  • (2026-1冊目) 反語法は自由の象徴

    . 1960年、弘瀬志摩はプラハのソ連大使館付属八年生普通学校に編入する。社会主義国の小学生はこの学校で一風変わった舞踏の先生オリガ・モリソヴナの授業を受けている。先生は年齢不詳ではあるがかなりの高齢であるのは間違いないが、豊かな罵詈雑言で児童たちを今日も溌溂と叱咤する。志摩は踊る歓びを知り、授業に出席するのが楽しみだ。 そして時は過ぎて1992年。40歳を過ぎた志摩は、あのオリガ・モリソヴナ先生のその後の消息を知りたくて、モスクワでソ連時代の機密文書を調べる。浮かび上がってきた真実とは……。 ------------- 2002年に刊行された米原万里氏の長編小説です。『オリガ・モリソヴナの反語法』という小説が、なにやらとにかく面白いとの評判は随分前から耳にしていましたが、この表題からは内容が全く想像できず、下ネタ話が大好きな米原氏によるちょっとエッチな不条理ユーモア小説みたいなものかと勝手に想像したまま積読本の山に紛れていました。 何の気なしにこの年末年始の読書の一冊に選んで紐解きはじめて驚きました。これは共産主義ソビエト連邦および衛星国チェコスロバキアにおける、痛ましくも苦い歴史の悲劇を描いたミステリー小説だったのです。 米原氏には『 嘘つきアーニャの真っ赤な真実 』という優れたノンフィクションがありました。共産主義の狂喜と悲哀の記憶を描くあの書の系譜に連なる作品としてこの小説『オリガ・モリソヴナの反語法』が紡がれたとしても、考えてみれば不思議でもなんでもありません。 知識も経験も絶対的に欠けている子どもの目を通して見えるオリガ・モリソヴナ先生はちょっと毛色の変わった愉しい先生でしかありません。志摩の幼少期を描くこうした邪気のない、共産主義のなんたるかもわからない物語に対比して、酸いも甘いも噛み分ける年齢となったシングルマザーの志摩が、大人の真実にはじめてたどりつくストーリーが展開します。ひとつひとつ謎が解かれている物語の足並みに合わせ、志摩も読者であるわたしも、怒りと悲しみを感じ、呼吸が荒くなり、心臓の動悸が早まるのを抑えることができません。 そして最後に、息の詰まる共産主義社会において先生の「反語法」とは「魂の自由の象徴」(444頁)であり、「権力や権威にひれ伏さない生き方」(445頁)を実践するための精一杯の武器であることが鮮明に浮かび上がってきます。それは蟷螂の斧だと言われればそうかもしれません。それほど共産主義、スターリニズムは巨大で容赦のない敵でした。ただ、風変わりすぎて読者を遠ざけかねないと思われたタイトル『オリガ・モリソヴナの反語法』の意味について知った瞬間、このタイトルは他に考えられないほど最適なものに輝いて見えてきたのです。見事としか言いようがありません。 巻末に作者・米原氏と作家・池澤夏樹氏との対談(2003年)が組まれています。その最後に米原氏は、次回作として、アルジェリア、東ドイツ、ハンガリーの少年三人の物語を書きたいと述べています。それを読んでみたかった。その期待と機会が、3年後の2006年に米原氏が不帰の客となられたときに絶たれてしまったのは、返す返すも残念です。 ----------- この書に関連して以下の書籍を紹介しておきます。 ◆ロバート・ハリス『 アルハンゲリスクの亡霊 』 :『オリガ・モリソヴナの反語法』ではスターリン政権下で絶大な権力を握っていたベリアに言及しています。ハリスの政治スリラー小説『アルハンゲリスクの亡霊』でもベリアは重要な役割を担っています。 .

  • 米原さんがこの世に残していった貴重な遺産

    米原さんの数ある著作の中で、この本こそが彼女の生涯かけた知見の集大成ではないかと思います。「嘘つきアーニャ」も興味深いのですが、こちらのほうがフィクションである分、考えたことを自由に書いているという印象を受けます。サスペンス調の展開で構成力がしっかりしている点などは、ロシア文学からたっぷり滋養を受けて成長されたことを伺わせます。こういう作家は日本では珍しいので、早すぎる死がつくづく惜しまれます。 絶賛するだけでは正直ではないので、違和感を感じた部分にも触れておきましょう。「魔女の一ダース」では、米原さんが通訳の経験を通じて学ばれた、あらゆる国・民族の価値観を相対化して見る見方が示されます。たしかに話としては面白くいい刺激剤になるのですが、どこの国でも大多数の人たちは地に足をつけた生き方をしています。価値相対主義など本気で信じているのは一部の知識人だけで、一般庶民は自らの価値観を信じ、大地に根を張って生きています。そうした理由から、米原さんの見解には賛成できませんでした。しかし「アーニャ」と本書では、わたしの考えに近い見方を示されていて共感できました。 収容所を扱った小説はロシアには多いのですが、やはり追い詰められた人間が最後に頼りにするのは長年信じてきた価値観であり、その真価が問われるのではないでしょうか。この小説で米原さんが書き残したかったことのひとつは、そういうことだと受け取りました。

  • 面白かった。

    椎名誠さんの「シベリア追跡」で通訳同行した方という流れで読んでみました。 ロシア(ソ連)の人名に慣れずはじめはストーリーを追いづらかったですが、不思議と引きこまれてどんどん先を読みたくなってしまうような本でした(とはいえ、最初の方はちょっと飽きを感じてしまいましたが)。 おそらく史実もかなり含まれているのではないかと思いますが、当時のソ連の厳しい日常が垣間見られるところもいろいろ感じるものがあります。たかだか50年ちょっと前の話なのに。 それにしても「モリソヴナ」という名前、最後まですんなり頭に入ってきませんでしたw でもいい小説だと思います。

  • 米原万理という奇跡

    一読し圧倒され、再度読み直しミステリー仕立ての面白さを堪能した。本書に寄せられた多くの賛辞は、当然だと思った。 通常の日本人には及びもつかない題材とスケール。こういうものを書く女性が日本にも現れたのだ。 周知のように、万理さんの代表作『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』とこの『オリガ』の二作は、彼女のプラハ・ソビエト学校での五年ほどの体験に基ずいている。この20年ほどは日本企業の海外進出も盛んだったから、家族帯同で海外駐在された方も多かろうと思う。私もその一人で、一人娘もほぼ万理さんと同年齢、似たようなインター・ナショナル・スクールに通学した。だが、自分の不出来な娘はさておき、米原万理という聡明な少女は何と多くを見聞し学び取ってきたことか。『アーニャ』の語り手である「私」や『オリガ』の弘世志摩は、無論万理さん本人ではないけれど、原形は万理さんであり、彼女の体験・見聞が二作品の土台となっている。たかだか小三~中一の少女の異国体験が、後日かかる傑作となって開花するなんて、これは奇跡としか言いようがない。 フツーの国に駐在し平穏な海外生活を送り帰国するケースではこんなことは起こらない。その意味で彼女の体験は特殊であり貴重なものだった。プラハのソビエト学校が各国共産党幹部の子弟が通学する学校であり、ソ連派遣の教師の質が高かったこと。就学年齢から観て、思想教育が中心ではなく、ロシア語・仏語などの外国語教育、文化・芸術科目が重視されていたことが考えられる。とは言ってもソビエト学校、出身国共産党とソ連の微妙な政治的関係の変動が就学児童の境遇に影響をもたらす。子供たちも(万理さんのみならず)、おのずから国籍、民族アイデンティティ、社会主義国圏内での自国の立ち位置といったものへ感覚が鋭くなっていくものと想像する。 小説ちゅう、ガガーリン少佐がバイコヌールの打ち上げ基地を飛び立って宇宙飛行に成功するビッグ・ニュースを、女生徒らが息せききって二人の教師オリガとエレオノーラに伝えるが、なぜか二人は驚愕し、「何ですって、バイコヌールですって・・・」エレオノーラが悲鳴と共に卒倒するシーンが出てくる。実は二人が収容されていたラーゲリがまさにこの地にあったのだが・・・私の学生時代「社会主義ソビエト」は新鮮で希望に満ちたイメージがあった。学生自治会がガガーリン少佐を招請し、私達は「ハラショー ハラショー、ガガーリン」(ようこそ、ガガーリン)をうたって彼を講堂に迎えた。 少なからぬ友人はロシア語の授業に出ていたし、演劇学生は『イルクーツク物語』を演じていた・・・ フルシチョフやゴルバチョフによるスターリン・ブレジネフ批判以後、ソヴィエト・ロシアの陰の部分が明らかにされつつあるが、小説を読みプラハのソビエト学校の名物舞踊教師オリガや仏語教師エレオノーラの過去を辿りつつ、私たちは身がすくむようなソヴィエト社会の暗部と恐怖を知る。 必読の一冊。

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