作品情報
南の島の噂と霊力が、独裁者の掌中にある世界を揺さぶる。
新潮文庫版は谷崎潤一郎賞受賞作として刊行。架空の島国を通じて、植民地の記憶、日本との関係、権力の脆さを豊かな物語性で描く。
レビュー要約
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物語世界の豊かさと政治的寓意を評価する声が多い。長大な構成と魔術的な語り口のため、読者によっては入り込むまで時間を要する。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 1996-05-29
- ページ数
- 632ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-13
- 9784101318158
- ISBN-10
- 4101318158
- 価格
- 1100 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
のどかな南洋の島国の独裁者を、島人たちの噂でも巫女の霊力でもない不思議な力が包み込む。物語に浸る楽しみに満ちた傑作長編。
レビュー
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政(まつりごと)には不可能なことをなす祭り
「1945年に生まれて──池澤夏樹 語る自伝」を読んで、わたしの残りの人生で池澤の小説をいちおう全部読みたいと思い、「スティル・ライフ」についで読んだのがこの本です。 マシアス・ギリはナビダードという人口十万足らずの国の大統領。ナビダードはクリスマスという意味であり、マシアスはメシアに通じるようです。 ナビダードは南太平洋の三つの島からなり、そのうちのひとつは、首都のある島から遠い神話的要素の漂う島です。 物語は、マシアスの大統領在任中のある日から失脚までの短期間を軸に、彼の過去(島を占領した日本軍人との関係、日本やフィリピンでの生活、スーパー経営、結婚・・・)が挿入されています。 どこかの国を思わせるようなリアルさを持つ内政、外政も述べられていますが、神話的、幻想的な出来事も語られていて、両者が切り離せない世界を描いているようにも思えました。 わたしは井上ひさしの小説はすべて読んでいますが、彼の新作はもうないので、今度は池澤夏樹を全部読みたいと思ったのです。 そんなこともあるせいか、この「マシアス・ギリの失脚」は井上ひさしの「吉里吉里人」へのオマージュのようにも思えました。吉里吉里国も小国で、たしか、祖先の亡霊が出てきたように思います。 もっとも、小国の大統領、王の話に神話的要素を絡ませた小説はこのふたつ以外にもいろいろあると想像します。 「文化は異種の文化との接触によって内容を複雑化し、威力を増す。政治が異物をなにかと排除して統一性の中に力を求めようとするのとは対照的である」(p.110)。 この小説にも亡霊や島の宗教や巫女などが出てきますが、それらも文化とするならば、文化の複雑さと多様性は、政治の排他性にまさり、永続するのは文化の方だ、ということを池澤は書いているのかもしれません。 「解釈などといううすっぺらな合理主義的な姿勢でこの祭に臨む者は人々が集うことの意義や大巫女たちの絶対の権威、囃子方が出す音一つ一つのゆるぎなどを見失って途方に暮れることだろう。ここにあるのは解釈の地平を超えた聖性であり、個人の頭脳の解釈力を超越した共同体の束ねられた意志である。そういうものを失った社会に属する者だけが、ここで解釈などを試み、すべてを取り逃す」(p.391)。 国家にとりこまれない目に見えない聖性は人間や共同体の生には不可欠でしょう。だからこそ、国家は、支配者や王に聖性、神性を装わせるのではないでしょうか。けれども、それは本当の聖性ではなく、統治のための偽られた聖性に過ぎないのではないでしょうか。 まことの聖性、宗教、文化から生まれてくるものはどんなものでしょうか。 「聖域の中心に据えられた舟が放射しているのはそういう福音だった」(p.406)。 そういう福音とはどういう福音でしょうか。 「生きる喜びの再確認だ」(同)。 聖性は「生きる喜び」のことであり、それこそが「福音」なのです。 「生きるものとして世に生まれ、一度でも青い空を仰いだ者、風に混じる花の匂いを嗅いだ者、指でものの表面に触れてそれを自分の身体とは別にこの世界に存在する何かの表面だと認識した者、彼らは幸福である。たとえ三日目にせっかくの生命を放棄して再び向こう側に戻ることになったとしても、この世界における三日はそのまま幸いであり、快楽であり、存在の喜びである」(同)。 これは人間の生に限られません。 「ウニとして生まれる者、鳥として生まれる者、イランイランの一輪の花として生まれる者、人として生まれる者――生まれることは等しく幸福であり、生きることは幸福であり、食べる物の一口ずつ、踏み出す足の一歩ずつ、瞬きの一つずつ、太陽の光の一条ずつ、酸素分子の一つずつは幸福である」(同)。 成功でもなく出世でもなく来世に生まれ変わることでもなく、存在そのものが幸福なのです。 そして、存在そのものの幸福は、ひとつの倫理でもあります。 「この場で比較の原理は徹底して排除されていた。他者に較べて自分はこの点で劣るという思想を捨てるのが、この世に生まれ出た喜びを十全に享受するための基本条件であった」(同)。 「誰も日々の充足を数字には換算しない。五万の種を土に撒いたものと、一億の種を潮に流したものは共に幸福であり、一つの種も世に返すことなく生を終えたものも幸福である」(同)。 このような幸福、その知らせである福音は、統一と排斥を是とする政治には不可能で、文化、宗教、神話の聖性からしか出て来ないものでしょう。
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幻想的民族的政治的神話的実験小説
最近では個人文学全集の編集で有名な池澤夏樹さんですが、このような興味深い小説を書いていたのですね。世界の中の日本人としてのあり方、人間としてどう生きるか(共同体として構成員の幸せをどう考えるか)、自然や人としての本性とどう共存するか、などといった多様なテーマが、南の島を舞台に、時として幻想的に描かれています。
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日本産・外国文学
世界は、自分の人生は、心は、どこまで自分の思うとおりになるか? 本当は、すでに語られている物語のひとつに過ぎないのではないだろうか。 遅かれ早かれ、誰もが一度は考えるであろう世界のしかけについて、あるひとつの見方を提示した物語。 マシアス・ギリは南洋に浮かぶ架空の島国、ナビダート共和国の大統領。 彼の治める国は、のんびりと平和である。 しかし、題名は彼の失脚を読者にすでに伝えている。 なぜ彼は失脚するのか? 無意識に理由を探して、ページを進めていく。 まるで推理小説のように、次の予感を待ちながらあっという間に読んだ。 大きな機会仕掛けのような物語であると思う。 最初はあまりにものんびりと、ゆっくりと動ていて、なかなかもどかしい。 それからある一点を抜けると、ごとりと一気に動き出して加速する。 世界は大きなひとつのしかけで、それぞれの人に役割を当てて、人の愛も心も悲しみもすべてひっくるめて飲み込んでいく。 ラテンアメリカ文学の「語り」を取り入れて、日本・太平洋の味つけをしているという、ちょっと変わった本。 (食べ物でいうと、タコライスみたいなものだろうか) 設定といい、あのボリュームといい、どこか日本離れしている。 外国文学通である、作者だからできたものだろう。 それでも、本場と違って、どこか穏やかなのは、舞台が南洋だからか、それとも作者が日本人だからだろうか。 とりあえず、この雰囲気は、日本文学というよりは、むしろ外国文学といった方が近い。 ガルシア・マルケスなどと、似ているけれどどこか違う、やわらかい「世界はひとつのしかけ」の物語。
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真心こもる商品
書き込みや表紙の痛みは気になりましたが、内容の良さと、ショップさんの迅速なご対応に非常に満足しています。本当の美品を購入したいなら書店に行けば良いわけで。また利用したいです。
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外国人の読者はどう読むか知りたい
古本屋でいわばジャケ買い。色鮮やかな南洋の風景を描いた表紙に目が釘付けにになったが、不可思議な物語にも魅了された。大学を中退し、南太平洋を中心に渡り歩いたという著者の若き日の体験がこの物語の豊かさを支えている。 ただ、この書はどう読めばいいのか。西欧文明に対する文明批評なのか、魔術的な世界を記した芳醇な物語なのか、それとも、大国に翻弄されるなか、小国の生きる道を模索した1人の政治家、マシアス・ギリの一代記か。 ところで、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」と似ているとの指摘が散見されるが、どうだろうか。確かに架空の世界を構築した点など類似点はあるが、比べるのはどうか。 ガルシア・マルケスの魔術的と形容される南米世界に対し、「ナビダード共和国」の特徴はあくまで「他者」である日本人の著者が創出した点。それは、日本とかつて「南洋」と呼ばれた地域との間に歴史的な文脈に支えられている。いかに、摩訶不思議な世界を装うとも、よくも悪くも日本人としての視線が透けて見える。 旧日本軍の慰霊団、ケンペイ隊の「カツマタ」、経済先兵のような「鈴木」。時代の先を読むに優れた「龍造寺」もそうだ。日本という「回路」があるからこそ、500ページを超える長い物語にも抵抗感は少ない。 果たして、日本人以外の読者がこの書をどう読むのか興味がわく。
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権力
不思議な雰囲気に身を任せながら、権力とはなにかを考えました。
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つまらなかった
タイトルにあるとおり、起きることとといえば、大統領マシアス・ギリが失脚することのみ。話の中心はマシアスの過去、それも特段面白いものでもない。だらだらとあの長さにする必然性が感じられない。バスが消えたり幽霊と語ったり巫女が登場したりするファンタジックな要素も、雰囲気作りのためだけで話に何の関係もなく、別になくてもいい。 なお、この本の評価とは関係ないが、作中、エーコの「薔薇の名前」のトリックが一部ネタばれされている。他人のトリックをそのまま持ってきたためいいわけ的に出展を明らかにせざるを得ないのはわかるが、せめて書名が特定できないようなぼかしたいい方ができないものだろうか。これからこの本を読もうと思っている人に対して失礼ではないか。 読者への配慮のない作者という印象を強く持った。
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小説の形を借りた現代文明批評として秀逸だと思うのです。
小説としてはもちろん面白いです。ミクロネシアやポリネシアに造詣が深く、歴史や科学や生物学などあらゆる知識が豊富な池澤さんらしく、ところどころに面白いネタもしこまれています。 分厚い本ながら、一気に読ませてくれます。 が、やはり、池澤さんの紀行物に色濃く表れている「文明批評」として読む方が、僕にはしっくり来ました。 先進国・大国の人間が生み出したグローバリズムという圧力。市場主義経済が持つ暴力的な側面。そうしたものが、世の中を狂わせてしまう。後からそこに組み込まれた国を搾取する。 そうした事実をフィクションを通じて、でもリアルに見せてくれます。 最後は若干希望的ではありますが、人間を超えた存在が発する力によって、すべてが浄化されていくことを予感させます。 本当にそうであって欲しいなあ。。。。。。。 池澤さんの本を読んだ後に、何となく感じる気分があります。 例えば「人をはね飛ばすことを何とも思わない危険なバス」に載せられた、たくさんの乗客の中の一人のような気分。 人をはね飛ばすのは嫌です。間違っています。やめたいです。 でも、運転手は僕ではないのです。 そして、僕の座席は運転手から遠く離れすぎて、取り押さえるどころか、声も届かないのです。 この「マシアス...」も、そんな気分にさせられました。
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