日本の文学賞

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責任: ラバウルの将軍今村均

新田次郎文学賞

責任: ラバウルの将軍今村均

角田房子

責任 ラバウルの将軍今村均は、角田房子による受賞作です。人物や時代の手触りを軸に、題材の背景と登場人物の選択を落ち着いた筆致で描きます。

受賞作時代と記憶人物描写

作品情報

責任 ラバウルの将軍今村均の世界へ読者を導く、受賞歴を持つ一作です。

角田房子の責任 ラバウルの将軍今村均は、受賞対象となった作品として、題材の背景をたどりながら人間の行動や記憶を描く。書誌情報は確認できる範囲で単行本・文庫を優先し、雑誌掲載情報は識別子に流用していない。

レビュー要約

  • 題材への誠実な向き合い方と、読み進めるほど輪郭が深まる構成が評価されている。派手な展開よりも、人物や背景を丁寧に追う読者に向く。

書籍情報

出版社
新潮社
発売日
1984-05-01
ページ数
413ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784103409021
ISBN-10
4103409029
価格
623 JPY
カテゴリ
本/文学・評論

Amazon.co.jp: 責任: ラバウルの将軍今村均 : 角田 房子: 本

レビュー

  • 日本人が語り継いでいくべき話し

    筆者の構成がうまく、長く悲惨な戦場および理不尽な軍事法廷の話も夢中で読み続ける事ができました。筆者の主人公への想いもあり少し美化されているところもあると思いましたが、日本軍のみならず日本人の習性みたいなところも感じる事ができ、ただ単に旧軍を批判するだけではなく、無念のうちに亡くなっていった方々を追悼する思いを深くさせられました。 水木しげるさんのラバウル戦記と合わせて読み進める事で、将校ではない一般の兵隊達の思いも知る事ができると、更に理解が深まると思いました。

  • 安倍さんは未読の本かも

    「その時は責任とります」、 と言う人は多いが、取った人は少ない。 今村均将軍は、ラバウルで敗戦を迎え 日本軍10万人の無事復員を果たした。 その後はいつ処刑されてもよいと覚悟し、 戦犯として取り残された部下に寄り添った。 助命嘆願叶わぬ時には、 その死の直前まで励まし、 ぶつけようのない無念の死に共感し 心安らかなる昇天の為、心を砕いた。 彼は、全収容者の心の支えとなった。 今村自身は10年の重労働だったから ラバウルからジャカルタに移され、 さらに巣鴨に移送され残り刑期を 祖国の刑務所で務めることとなる。 これで総指揮者の義務と責任は 十分果たされた、と誰もが疑わなかった。 が、今村は違った。 彼の部下はラバウルからマヌス島に移され、今もなお苦吟していたのだ。 巣鴨に移されたその時から今村は マヌスの収容所で残り刑期を務めたいと 嘆願した。 心の支えであった今村が、せっかく帰国出来た祖国からわざわざ戻って来てくれた。

  • 良い

    良い

  • 軍人には、本当に人格者の多いこと。

    同じ日本人として誇りに思います

  • 陸軍屈指のインテリ派が取った、「人として正しい」行動の数々

    蘭印(インドネシア)の統治、 その後のラバウルの司令官となった今村氏の半生を綴った一冊。 特に、戦後どのよう過ごしたかに重きが置かれ、 それがそのまま本のタイトルを表す形にもなっている。 ラバウルでは自給自足の令を早くから出し、 戦争末期の飢えから、10万人を守った。 また戦後の豪軍による戦犯裁判では、 裁判の矛盾点を主張しつつも、収容所の規律を守り、 人格で豪軍の信頼を勝ち得ていた。 当時の日本軍にしては珍しいインテリ派として、 人として、敗戦の将として、 どう責任を取るべきかの理想型を見せられる一冊。 戦勝国オーストラリアが如何に酷い敗戦国対応をしたか、 どれだけ無実の罪(というか裁判自体でたらめ)で英霊が命を落としたか、 も知ることが出来る、日本人なら読むべき一冊でもあると思う。

  • 猿のごとく読み、人のごとく考える・その199・192冊目

    ・サノーさん一言コメント 「戦争における責任とは何か。死ねなかった将軍が遺した行動に、その答えを探る」 【サノーさんおすすめ度★★★★★】 ・ウノーさん一言コメント 「歎異抄と聖書を愛した軍人は、最後まで責任を全うしたのだと、感じました」 【ウノーさんおすすめ度★★★★★】 ・サノーさん、ウノーさん読書会 サノーさん(以下サ):死に直面しながらも、自死、刑死の責任を自らが認めながらも、死ななかった軍人の半生だ ウノーさん(以下ウ):南方の「ラバウル」で、終戦を迎えた方です。陸軍閥の側、とくに将軍位の方の伝記については、初めて読みました。 サ:序盤は、南方洋の戦地、オーストラリア軍統治下の収容所での日々と「実情」だ。 ウ:あまりにも戦争の規模が大きかったから、地域ごとに断罪と戦争裁判が行われていたのですね。 サ:正義であるはずの「国際法」が機能するのは、戦後しばらく経ってからのことで、終戦直後は、ここに描かれた敗戦国としての「生々しい贖罪」が、世界中で行われていた。 戦争犯罪の証言者が、終盤の協力国に過ぎない「インド人」で、裁判官は、戦勝国である「オーストラリア人」。その状況下で「真実の証言」など、望めるべくもない。 ウ:今村将軍は、この状況下で、敗戦直後から南方戦線10万人の日本兵の「責任者」となったのですから、その心中は察して余りあります。 サ:だが、死なずに、堂々と交渉を展開し、敗者の権利、人間としての権利を戦勝国に認めさせていったのは、見事だった。 ウ:その支えとなったのは、間違いなく『聖書』と『歎異抄』です。この骨子が、命を支え、志を支えたことは、随所に読み取れました。 サ:審議不充分、というより、最初から「判決が出ている」裁判が繰り広げられることの矛盾は、戦争という矛盾の側面を、如実に語っていると思う。 ウ:戦争という状況下では、人間の命に対する感覚が、通常時と全く異なります。 それは「勝敗」が決定したあとも、長い長い傷跡を、人類に遺し続けます。 サ:人間が人間であるために、陥ってはいけない「状況」、それが「戦争」という行為なのだと、あらためて認識した。 ウ:敗戦後、捕虜となり、苦役の日々を送りながらも、統治側の人間から「善良で有能で勤勉な人間」と評される人々が存在していたこと、その評価すらも、判決に反映しない事実があったこと、この「過去」からの「未来」を生きる我々は、受け継ぎ、語り継いでいかなければならない。 サ:「過ち」というだけでは説明ができない状況が「戦争」だと思います。小さな「過ち」から、そんな状況が生まれないためにも、私たちは学び、考える必要があります。 【了】 http://amzn.to/2vA24UN

  • 真の軍人とは

    今太平洋戦争では、日本の軍人は即悪人のレッテルが貼られ今日まできていますが、古来武士道の精神を備えた真の軍人もいたはずです。組織の中で埋没するしかなかったものと残念です。しかし戦後半世紀以上過ぎ去り、ようやく冷静に見直すことが出来るようになり、本書が世に送り出され一服の清涼剤のように思えます。ほかにも同様な著作が数多く出版されているようです。機会を見て購読したいものです。ともすれば、風化寸前で多くの資料を集め、今村将軍にゆかりのある人々とのインタビューなどをまじえ、まとめられた角田房子氏の努力に敬意を表します。

  • ノンフィクションの傑作です

    これはノンフィクションの傑作だと思います。 書かれたのは1984年です。 敗戦後39年目で、敗戦時25才だった兵士は64才です。 今年2016年は終戦後70年で、敗戦当時25才の兵士は95才で、一冊の本を書くには関係者はほとんど鬼籍に入っていて、この本のようには書けません。 角田さんは生存している多くの旧軍人を訪ね、インタビューをしています。 ギリギリのタイミングでの聞き書き、インタビューが出来ました。 詳細、緻密で膨大な資料をまとめ、一冊の本に仕上げています。 ラバウルの生存者は多く、戦友会も盛んで戦記も多くあります。 なぜ多くの生存者がいたのかがこの本のキモです。 インタビューは、それらの記録に厚みと臨場感を与えています。 日本陸軍の今村均大将の伝記です。 明治22年に生まれ、軍人として中国、ジャワ(インドネシア)、ラバウルで活躍し、そこで終戦を迎え戦犯として禁錮10年の刑を受け、刑期終了後は戦死した部下を慰霊し、遺族の援助に尽力しました。 贖罪のためか、刑期を終えた後は自宅庭に三畳の掘立小屋を作りそこを終の住まいとしました。 軍人としての能力はもちろんですが胆力があり温厚で高潔な人柄と、占領地での軍政・指導能力は高く、名将、仁将と讃えられました。 戦場でも人徳の源泉たる「歎異抄」「聖書」は肌身離さず持っていました。 敗戦の色が濃くニューブリテン島は、制空権を取られ、海上補給も押さえられ、戦力、軍備、食料は連合軍に圧倒されて、ガダルカナルのように餓死の危機に直面していました。 今村大将は、10万人の日本兵の自給自足を目指し敵機の目をそらすためジャングル内にジャガイモ、とうもろこし、かぼちゃなどを栽培し、兵士一人あたり耕地面積200坪を目指しました。 終戦時には総耕作面積は6400ヘクタールになりました。坪数にすると1千9百20万坪です。 また空襲を避けるため地下壕を掘り、兵士・兵器・車両・弾薬・衣料・食料が収納されました。 掘った地下壕の総延長は450Kmで、これは東京から京都の距離です。 連合軍は、これを知り、被害の大きさを恐れて総攻撃はしませんでした。 日本兵の命知らずの戦いぶりも、よく分かっていたのでなおさらでした。 ラバウルの日本兵が餓死者を出さずに終戦を迎えたのは奇跡的です。 敗戦後のラバウルで10万人の日本兵を飢え死にさせることなく無地に日本へ帰還させた手腕に圧倒されます。 今村大将の人柄、エピソードは今日でも旧占領国の現地住民だけでなく、敵国であった連合国側からも称えられています。 10万人の日本兵捕虜に対してオーストラリア連合国の兵士は3万人で、日本兵捕虜の反乱を恐れ内心ビクビクしていました。 オーストラリア軍は、今村大将を中心に日本兵は秩序と統率が行き届いていること知り、今村大将に何かと相談することが多くなりました。 ジャワ占領中はスカルノのインドネシア独立に理解を示して友好関係をきずき、戦後スカルノがインドネシアを独立させ大統領になって来日した時は今村大将を訪問し感謝を表しました。 今村大将は、巣鴨拘置所に送られましたが、自分の部下たちが劣悪な環境のニューギニアの刑務所で服役しているとのを知ると自らニューギニア刑務所への移送を希望し、マッカーサーが「真の武士道を見た」と感銘を受け、今村の希望を受け入れました。 敗戦は惨め、悲惨、非情、無情、不合理、不条理、残酷の異常な世界です。 戦争裁判という名を借りた連合軍の復讐、リンチは、生々しく痛々しくて読んでいて怒りがこみ上げます。 私の父は昭和18年1月7日に下関から朝鮮へ向かい、中国の除州で戦い、その後の移動命令で昭和18年9月末にニューブリテン島に着きました。 この本にも書かれている劣勢のツルブからラバウルまでの400km徒歩移動の経験者です。 昭和19年1月11日にツルブを出発しジャングルの中を、2ヶ月半かかって4月29日にラバウルにたどり着きました。 食料は一週間分しか与えられず、ジャングルの果物や現地人の畑からイモを盗んだりで、食いつなぎました。 父もラバウルで終戦を迎え、捕虜生活の後、昭和21年5月6日に内地へ帰ることが出来ました。 今村大将の指揮・指導がなければ父が生き抜くことが出来たかは疑問で、私もこの世に生を受けてなかったかもしれません。 今村大将は若いころ仙台で教練をしていました。 本にはその場所は仙台市台原の頂上あたりで立派な松の木が多いとあります。 この文章に目が釘付けになりました。 何と言う偶然でしょう。 私はサラリーマン時代に仙台市台原3丁目に住んでいました。 そこは台原の頂上でした。 周囲に大きな松の木があり小高い場所で風が吹きさらしの場所でした。 そこは、かって今村大将が教練をした場所でした。 何とも言えない感慨が湧きました。

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