侍女の物語
全体主義的な近未来社会で女性の身体と自由が管理される世界を描くディストピア小説。私的な記憶と抵抗の声が、抑圧の制度を内側から照らす。
作品情報
侍女の物語は、マーガレット・アトウッドの表現の核を伝える一作である。
全体主義的な近未来社会で女性の身体と自由が管理される世界を描くディストピア小説。私的な記憶と抵抗の声が、抑圧の制度を内側から照らす。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 1990-03-01
- ページ数
- 338ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784105225018
- ISBN-10
- 4105225014
- 価格
- 1980 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/評論・文学研究/外国文学研究/英米文学
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レビュー
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血や汗、肌の匂いが漂う、リアルななディストピア(近い将来襲い掛かる世界)
血や汗、肌の匂いが漂う、小説的リアリティーのあるディストピアでした。 近い将来襲い掛かる恐怖を漂わせていました。 「動物農場」や「一九八四年」、「わたしを離さないで」といった、表層的で浮いた言葉が並ぶだけのディストピアとはまったく違い、迫力がありました。 ロシアで、アメリカで、日本含め、どこの国でも、宗教を餌に独裁者が推し進めたい世界に見えました。 近未来の世界かもしれません。
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苦手だがAI的状況として読む?
個人的には女の生理的、身体的欲望の語りが中心なので苦手です。例えば司令官の家の花壇に咲いているチューリップは全て赤で茎に近づくにつれいっそう色が濃くなる、その後に「まるでそこを切られ傷口が治りかけているかのようだ」とイメージを生身の肉体に回収してしまう。 途中で投げ出したくなったのですが、視点を変えて読むことにしました。最近AIと遊んでいて、人間も言語空間の中で「物語」を作り出すことで現実に意味を付与する存在だ、その観点では学習データからもっともらしい「物語」を生成するAIと同じ構造だ、と言うとChatGPT、Copilote、Geminiは人間には身体があると必死で反論するのですが、、この小説は新しいデータの入力が禁じられ、対話相手という外在化の契機も奪われた主人公が、記憶の中のデータだけで自分だけを対話相手に物語を紡ぐことで必死に存在を確認しようとしている、とも読める。。身体もやはり言語化されることで意味を持つ、自分の身体を取り戻すために主人公は執拗に身体を言語化しようとている、というの読み方もあるのではないか。
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Eテレが何故、このタイミングで取り上げたか
Eテレが何故、このタイミングで取り上げたか……ナチス臭ふんぷんたる某政党が参院選で勢力を急拡大しようとしてるからではないのか?……そんな深読みをしてしまった2025年の7月の暑い日。
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性や権力を制度的に描く
『侍女の物語』(The Handmaid’s Tale)は1985年刊のディストピアSFで、ジェンダーと権力の極端な制度を描いています。舞台は近未来アメリカの「ギレアド共和国」で、環境汚染と不妊により子どもを産める女性は少数。その女性たちは侍女として男性支配者の家庭に配置され、子を産むためだけの「所有物」とされます。主人公オフレッドの視点で自由や尊厳を奪われた心理や抵抗が描かれ、制度的な性管理、個人と社会の葛藤、宗教・言語の操作が物語を緊張させます。ジェンダーSF・フェミニズム文学の代表作であり、性や権力を制度的に描くことで読者に強い問題意識を投げかけます。
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読みつづけられなかった。
近未来を舞台にしたディストピア小説。NHKが取り上げ、またXでも絶賛している人がいたので、手に取ってみた。 完全に個人が奪われ、性も管理された密告におびえる世界。しかし、描写はおぞましく、読むうちに気持ち悪くなった。 問題提起としては有用なのだろうが、小説としてはグロテスクで読み続ける気がせず、あ、やめればいいんだ、と気づいて、辞めた。映画などにもなっているとあとでWikiで読んで驚いた。 カズオ・イシグロの「わたしを話さないで」もそうだったが、アングロサクソンのSFはなんでこうも気持ち悪いのだろう。
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絵空事とは思えないディストピア小節
これは、SNSでも何人もの人が上げているディストピア小説で、読んでいて気分が重くなりましたが、ぐいぐい引き付けられました。
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静かな筆致で描かれる恐怖の物語
「自由には二種類あるのです。したいことをする自由と、されたくないことをされない自由です。」 物語の舞台は、前者の自由が全く無い替わりに後者の自由を授ける近未来社会。女性は、子どもを産む国家資源としてのみ存在を許されます。 常に監視下におかれ、ほぼ全ての人権が無い替わりに、痴漢やレイプその他の性暴力から守られる。そして出産することが最大限に祝福され讃えられる。支配体制の巧妙さに、背中がゾクゾクするほどの恐怖をおぼえます。 改めて思うのは「こんな社会にはならないと、いったいだれが断言できるのだろうか?」ということ。今でこそ、女性は社会的に自立することが可能で、選択肢も増え、誰かに生き方を強制されることも無くなりつつあります。 しかしそれも、たかだかここ数十年の話。その前は?そしていまだ女性にそういう権利が無い国も世界にはたくさんあるし‥ということを考えていくと、この物語を自分とかけ離れた世界の絵空事とは到底思えないのです。 自由であることに対して無自覚ではいけない。その危機感が痛いほど刺さる本書は、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』などのディストピア文学が好きな方には特におすすめです。
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面白い
考えさせられる事が多い