作品情報
温泉旅館のダンスホールで交わる二人の孤独を描く。
『ブエノスアイレス午前零時』は、老嬢と青年の踊りに情熱と幻滅、抒情と幻想が交錯する作品である。1998年に河出書房新社から単行本として刊行され、「屋上」も収録された。
書籍情報
- 出版社
- 河出書房新社
- 発売日
- 1998-08-01
- ページ数
- 146ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784309012339
- ISBN-10
- 4309012337
- 価格
- 1570 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
第119回(平成10年度上半期) 芥川賞受賞
レビュー
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何とも言えない閉塞感
雪深い温泉宿で働く、都会から故郷に戻ってきた男・カザマ。鬱屈したものを抱えながら、毎日同じルーティーンを繰り返す。 その中で、都会の空気をまとってやってくるダンスサークルの、熟年の男女。本来なら未練の残る都会の雰囲気を感じることができるはずなのに、男は嫌悪しか感じない。その象徴が盲目の老女・ミツコ。震えるほどの嫌悪を感じながら、カザマはダンスに誘う。旅館のスタッフだから、というだけではないのだが。 「ブエノスアイレス午前零時」というピアソラの曲が、カザマが感じる閉塞感をさらに助長する。さすがは芥川賞受賞作。
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無理やり拵えた物語
無理やり拵えた感がつきまとう物語でした。
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良かったです
森田剛さんが演じるというので興味があり購入!劇は見れなかったけど、事らの本でイメージわき楽しく読みました。面白いです。
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日常に倦んだひねくれた男が主人公なので、そこに入り込めれば面白いかもしれない
雪深い山中の温泉宿で働く男と認知症の老女のお話。芥川賞選考委員の評価は高かったが僕の読解力では難しかった。表題作と併録されている『屋上』も、日常に倦んだひねくれた男が主人公なので、そこに入り込めれば面白いかもしれない。
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恋のようだが、それはけっして恋ではない別の何か
青年が盲目で痴呆の老嬢とダンスをしたのは、けして哀れみなどの感情からくるものではない。興味本意でもない。 痴呆の老嬢はボケている時とそうでない時がはっきり分かれていて。ボケている時には数十年の時を遡った感情、そして人格になる。 青年はその遡った状態の老嬢に恋のような感情を抱く。だが、けっしてそれは恋ではない。恋に似た何か別なものだ。その感情でダンスを交わしている時、二人は雪国の場末の温泉ではなく、そことは違う別次元のブエノスアイレスにいるのだ。作者はその微妙な感情を描いているのだと思う。 なお表題作は 【第119回(1998年上半期)芥川龍之介賞】受賞作
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ソフトボイルド。
世の中に「ハードボイルド」という言葉がある。 男が男らしく、強く、モテモテな感じの奴だ。 この本の文面、作者の他の作品から判断するに、「ハード」とは行かないが「ソフト」位に止めたと思われる。 表題どおりの「ブエノスアイレス午前零時」。有名な旅行小説「深夜特急」のような、旅が舞台と思わせておきながら、実は日本の雪国にあるしがない旅館の従業員と上品な耄碌ばあちゃんのお話。 他に収録されているのは「屋上」。これはそのまんまで、デパートの屋上にあるさびれたゲーセン従業員のお話。 上記二つに共通するのは、 「どこかエリート意識を持ちつつ、冷めた視点で世の中を眺める男の主人公がいること。」 「情景描写が多いこと」 であろう。 影を背負っている男のイメージから来るのか、斜に構えた印象。文章のほとんどが、人物の特徴だったり独特の比喩。集中して一時間位かけ、ガッと読み通してしまえば面白いかも。
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幻想的な世界
芥川賞受賞作「ブエノスアイレス午前零時」と「屋上」の2作品を納めた本です。私としては「屋上」のほうが面白かったです。いづれの作品も自分自身の現状に納得していない30代の男性が主人公という共通点があります。そこから抜け出したいという気持ちが、いつの間にか幻想的な世界に引き込んでいくといった流れです。 作品としては面白いと思いますが、作者がこれによって何を訴えたかったのかが今一伝わってこない気がしました。
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カタカナ言葉と痴呆で読者を煙に巻く作品
「ブエノスアイレス午前零時」とは,いやにしゃれたタイトルだなと思ったら曲名だったのですね。てっきり南米のブエノスアイレスで午前零時に何かが起きるのかなと想像していました。ブエノスアイレスはいいとして,「午前零時」の意味が作中で説き明かされるのかと思いきや全く出てきません。音楽,中でもタンゴなどの知識がない人にとっては,何これと思ったことでしょう。わたしもそうでした。作品中にカタカナが出てくるたびにネットで検索しました。特に後半は,カタカナ言葉のオンバレードです。もしこのカタカナ言葉を抜いてしまったら,この作品はスカスカではなかったかと思いました。一般の読者は,南米の曲やダンスなどについてそんなに詳しくはないでしょう。カタカナ言葉が出てくるたびにイライラして煙に巻かれたような感覚を持ちました。また,あともう一つ登場人物のミツコは痴呆として描かれています。痴呆という言い方は,今では認知症と置き換えられます。ミツコは,物忘れや現実と空想とがごっちゃになっているところが描かれています。この作品はミツコの言動とそれに対するカザマの応答が作品の基軸になっています。ミツコの言動にわたしたち読者はだれも反論できません。触れられません。ただ,近くから見ているだけです。なぜなら痴呆という特質からの言動ですからどうしようもありません。書いてあるとおり「ああそうなんですね」としか言いようがありません。作者は,敢えて痴呆の人を登場させることによって読者に文句を言わせないように仕組んだのでしょうか。
関連する文学賞
- 芥川龍之介賞 第119回(1998年) ・受賞