作品情報
会社員の日常の可笑しみから、戦後日本の生活の手触りが立ち上がる。
山口瞳の代表作。文藝春秋初刊後、新潮文庫やちくま文庫などで読み継がれた。ちくま文庫版は ISBN-13 が確認でき、紙書籍としての識別子を補完した。
書籍情報
- 出版社
- 筑摩書房
- 発売日
- 2009-11-10
- ページ数
- 256ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 10.8 x 1 x 15 cm
- ISBN-13
- 9784480426567
- ISBN-10
- 4480426566
- 価格
- 880 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
昭和一桁世代の哀歓、そして悲喜劇 卓抜な人物描写と世態風俗の鋭い観察によって昭和一桁世代の悲喜劇を鮮やかに描き、高度経済成長期前後の一時代をくっきりと刻む。 解説:小玉武 描かれているのは、昭和の年号とともに生きてきたサラリーマンのごく普通の日常に過ぎない。しかし、エッセイとも日記とも思えるスタイルと軽妙洒脱な文章を通して、それが大変な出来事の積み重ねであることが分かってくる。 【目次】 しぶい結婚 おもしろい? マンハント 困ってしまう おふくろのうた ステレオがやってきた いろいろ有難う 東と西 カーテンの売れる街 これからどうなる 昭和の日本人
山口 瞳(やまぐち・ひとみ):1926─95年。東京生まれ。兵役の後、鎌倉アカデミアで学び、1958年壽屋(現・サントリー)に入社。「洋酒天国」編集の傍ら、コピーライターとしても活躍する。1963年『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞し、文筆業に専念する。『血族』や『家族』『人殺し』などのほか、「週刊新潮」の長期連載コラム「男性自身」は多くの読者から支持された。
レビュー
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昭和はとほくになりにけり
高度経済成長期のサラリーマンの悲喜交々を、飄々とした散文で描いた作品です。 昭和というとなにか懐かしい響きですが、この作品は1962年に発表されたものなので 実に半世紀の時を経ていることになります。 そろそろ古典小説と呼んでも大袈裟ではないかもしれませんね。 現在の視点で読むと言葉遣いや慣用句など、 資料を参照しないと理解できない箇所がちらほら見えます。 「バクダン」「カストリ」など、 これらの単語の意味がわかる人はかなり少なくなってきたのではないでしょうか。 50年間における日本文学の語彙の変遷を調べるという読み方も可能でしょう。 一方で現在の社会情勢においても通用する、するどい描写も多いです。 198頁「立身出世なんか、つまらない。出世なんかしたくない、と口に出していう社員がいる。 どうもこれは一般の風潮らしい。しかし、口に出していう社員をみると だいたい出世する能力を欠いているか、そもそもヤル気がないかどちらかである。」 200頁「35歳の江分利と30歳の連中とは、どこか少しちがう。30歳の連中と25歳までの新人たちにも 気質的に断層がある。若い人たちは、よくもわるくも自己中心的である。」 同じく200頁「大企業となるとどうなるか。(中略)立身出世は入社と同時に決まってしまうのではないか。 仕事をして出世するのではなく相手を蹴落とすような具合になるのではないか。 社員の気質を知らないで、噂やデータだけで配置転換が行われるようになるのではないか。 社員はますます自己中心的になるのではないか。」 などなど、現在の組織にもそのまま当てはまるような問題が 半世紀前からすでに指摘されていたのだと思うと、驚きを隠せません。 軽い文体とテンポの良い展開で優れた構成力を持つ作品ですが 内容は決して軽い場面ばかりではありません。 戦前、戦中、戦後と激動の社会を駆け抜けた昭和ヒト桁生まれ(1925-35年生まれ) の生き様には、大いに学び、楽しませてくれる力が秘められています。
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渋谷 均
賞を頂いた文章とのことでしたが、読後感としてはやや不満足感が残りました。
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幸福でも不幸でもない優雅な生活
昭和37年の高度経済成長の真っただ中で、東西電機という弱電メーカーの宣伝部に籍を置く37歳の妻子持ちのサラリーマン江分利満を主人公に、当時のサラリーマンの生きざま、考え方、主義主張を散文調に書いた著者の半自伝的な小説です。 当時のことを実体験として持たない私たちは高度経済成長のさなかで、当時伸び盛りの大衆消費社会の旗手的な存在だった家電メーカーに勤め、東横線沿線の(武蔵小杉とか元住吉あたり)のテラスハウスの妻子が待つ社宅に住んで、会社帰りにバーなんかによったり、ステレオを買っただけでも大騒ぎしてさぞかしや希望と幸運に満ち溢れた生活であったのだろうと羨ましくもなるでしょうが、さにあらずで日々の生活費のやりくりに苦心惨憺し、病気持ちの妻子と年金もなくあちらこちらで散財をしてくる父親を養うためには会社を辞めるわけにもいかず組織の中で何とか働けることに感謝して、伸び盛りの中で出てくる人不足や肥大化する組織の中での人間性の喪失や出世を望まない若手とのギャップにぼんやりと不満を覚えながらも、声高にそれをを出さずに、出しゃばらず欲張らず一生懸命にもがき、「家電が家庭に行きわたったらどうなるのかなあ」なんて不安も持ちながら、安いバーで飲むことや公園を散歩することでささやかな幸せをかみしめてどうにかこうにか生きている、希望も絶望もすべて自分の見える範囲で収まっている現代の私たちとそう変わらない平均的日本人がいます。 思えば、私たちも若いころは出世なんかしたくない、昔の右肩上がりの時代と違ってこの会社だって日本だって将来どうなるかわかりはしないんだから生涯を尽くすなんてまっぴらごめんだなどと言ったり、平穏無事を願う中間管理職にチャレンジ精神がないなどとぼやいたりするくせに、いざ結婚をして妻や子を持てば、会社がつぶれないように一生懸命もがいて働き、時にはなかなか昇給せず生活が豊かにならないことに業を煮やして出世なんかもしたいと願ったり、その過程で自分の身の程を知り、大過なく定年まで過ごすことを願って保守的になるものです。 作中で江分利が世代間のギャップを感じた「出世を望まない若い人たち」もやがて夫となり父となったことで愛する家族とのささやかで幸せな生活のために出世を願って頑張ってみたり、結局自分の能力の限界を知ってちょっと絶望したり諦めたりし、若い世代からも古いだのなんだのと悪口を言われつつ、彼らの出世欲のなさや利己的な考え方にあきれながら定年を迎えたでしょうし、現代の私たち、これからの世代の人たちもそのようにサラリーマン生活を送っていくのでしょう。 退屈、代わり映えしないといえばその通りです。だけどそれは人並外れた才能や頭の良さももなければ事業欲も持たないサラリーマンの宿命みたいなものでしょう。その中で身の回りの出来事に愛情を持ったり理解できないことに怒りながら、人並だからこそ抜け目なく己のカネや名誉のために他人を騙したり、他人を巻き込んで迷惑をかけたり不幸にしたりせずさやかなことに幸せを感じられる優雅な生活ができるのだということも言えるのではないでしょうか。 昔のサラリーマンも今のサラリーマンも幸福でも不幸でもないのです。
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昭和は遠くなりにけり
毎年、1月15日(成人の日)になると、成人を迎えた若人たちにお祝いのエッセイを 新聞に載せてくれた。 この本は、座右の銘です。
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新品の筈なのに
新品で買ったのに表紙が傷んでいました。中身は無事だったのですが、表紙も大事な本の1部です。文庫本も高くなりました。気をつけて欲しいと思います。
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久々の山口節に酔いしれる
同じくです。とくにこの本は直木賞をとった直後に、ご本人から、署名入りで贈っていただいたのですが、平成19年の中越沖地震のとき、柏崎市の自宅が半壊した際、瓦礫の下敷きになって失ってしまいました。そのときのことが、しばらくトラウマとして残っていたため、なかなか再読する気にならなかったのですが、今回、購入できて、ほっとしています。木島次郎。
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肩透かしを食らう本
直木賞受賞作。といっても肩の凝る本ではない。「肩透かしを食らう本」 と紹介した方が著者も喜ぶと思う。 小説というカテゴリというよりはフィクションを交えたエッセイに近い。 第三者の目線で進んでいたかと思うと、突然、主人公の目線となったり 著者の目線になったりする。学校の論文や作文なら、きっと先生に真っ 赤にされるに違いない。 ウィキペディアによると、直木賞の選考の基準は「受賞後作家として一 本立ちするだけの筆力があるかどうか」であるらしい。であるならば、 なぜ、この本は直木賞を受賞できたのか。 私は正直、その後長く続いた週刊新潮の「男性自身」のエッセイの方が 好きだ。そのエッセイは、「江分利満氏」という架空の人物ではなく、 本人そのものが主人公だからである。余計な雑味がないからである。 「江分利満氏」はまだ著者自身の躊躇がある。恥ずかしさがある。青い。 しかし嫌味ではない。熟成していないだけである。それに触れるのも、 本読みとして(酒飲みとして)、悪くない。
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ううううっん
つまらない