日本の文学賞

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詩文集 生首

中原中也賞

詩文集 生首

辺見庸

詩と散文の境界をまたぎ、身体、暴力、時代への違和をむき出しにする詩文集。強い言葉が読者に倫理的な緊張を迫る。

詩文身体暴力

作品情報

生首は、辺見庸の受賞作として刊行形態でも確認できる作品です。

生首は、毎日新聞社から刊行が確認できる辺見庸の作品。受賞歴と書誌情報を合わせて読むことで、同時代の文学賞が評価した題材や語り口を追える。

書籍情報

出版社
毎日新聞社
発売日
2010-03-20
ページ数
176ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784620319568
ISBN-10
4620319562
価格
1121 JPY
カテゴリ
本/文学・評論

本書は近作および書き下ろし詩篇全5章46篇を収載、巻頭詩「剥がれて」から最終章の「世界消滅5分前」まで、見当識をあらかた失いながらさも狂いなき定位にあるかのようにふるまう人と世界への呪詛と敵意をうたいあげています。天翔る生首とはなにか。切断された身体と記憶、実存から剥がれ無化された言葉はどこに流れていくのか・・・まがまがしい予感にみちた一冊。

レビュー

  • m_2012

    暗い洞だけど幾度も覗いてみたくなる。 蠢く正体のなんと魅力的なことか。 闇を見る目は強く鋭く 骨があり 毒があり 真があり 慈があり 現実よ、おまえはここにいたのか。

  • 死の叙情

    この詩集は死の叙情を孕んでいる。そしてブラックユーモアたっぷりな作品が多い。反体制派は消滅するであろうとの認識があるのではないか思う。もう自分の時代ではないかもしれないと考えているはずだ。

  • 戦後荒地派の詩と、どこか通じるところが……

    タイトル通り、グロテスクな詩が多い。 中也賞を受賞したとはいえ、決して「叙情的な詩」が多いわけではない。 むしろ即物的な詩が多い。 辺見庸がこの詩集で試みているのは、 「力」を持たなくなった「言葉」の再生だろう。 時にアジテーションのように言葉が叩きつけられる。 秋立つ宵のこと 蒼穹を西の方によこざまに 一個の生首が飛んでいった 軍鶏のちぎれた頭みたいな 筋張った人の首であった 紺瑠璃の空を 東から西へ 首がわたりきるのに 三分と四十一秒を要した その間赤いものは なにも滴ることはなかった(秋宵) いわゆるリリシズムとは異なる、攻撃的な抒情性がここにはある。 読んで心地よくなるのではない。 心がひっかかれるのだ。 本来、辺見庸は「詩人」ではない。 現代詩壇の中に居ないからこそ書けた作品群ではないだろうか。

  • 資本への憎悪と死の匂いに満ちた遺言的詩文集

    時代の本質を抉り出せる氏自身の死の匂いと資本への怒りに満ちたアンソロジー(詩文集)。その鋭利な言(ことば)は読者の心(胸)を貫き、救われ難い内容に満ちていますが、死刑囚の大道寺将司氏との出会いを歌った書下ろしの「挨拶」の透徹し澄み切った氏の心に救わました。今という時代の本質を見抜ける稀有な作家の渾身の、そして満身創痍のメッセージです。 以下、「夜行列車」から抜粋 壊れゆく者に惹かれるのはなぜ 逝くものに憧れるのはなぜ 失意のために残された活力のみでもじゅうぶんに生きられるのはなぜ 狂えるものに神を感じるのはなぜ まったい正気をこうまで憎むのはなぜ いみじき過誤がある者に敬意を覚えるのはなぜ いまは、まだ続くのですか 資本から解かれる契機はありますか 資本を解くときはありますか もう黙してもよいですか もうつぐんでもよいですか 私は悼む。忌まない。もう問わない。ただ悼む。 静かに、ただ悼むだけの影がある。

  • すぐれもの。

    いつもながら、逸見庸の魅了たっぷりの、作品です。 暗いながら、いのちがけの、主張がいっぱいです。

  • 論理ではない文章の力

    筆者の本は基本的に全部読んでいるが、初期の小説や詩文は苦手。描写などがどうも駄目である。 一方、近年の社会評論では、つなぎのような位置づけで象徴的な短い詩文を多用しており、それらの詩文の 前後の評論を踏まえた暗喩や風景描写、その言葉自体の質感を好んで読んでいた。 作品が多数収録されているので、それぞれ感想はあるが、共通する印象を少しあげると、、 難解な言葉のようでいて、理解できる風景描写、 決して明るくはないが、在るものをただ視る視点、 強い既視感を起こさせる、 自分が省みることもなく通り過ぎてきたものの記憶とでも言うべきだろうか。 レビューになってませんが、ご容赦ください(汗)。 うまく言語化できないもの、論理的に説明することが無理なものを表現するのが詩だとすれば、この読後の感 覚は詩を読むことでしか得られないものかと思います。筆者が詩文であれ、評論であれ、表現しようとする対 象は同じもので、評論と違う詩文という方法でそれを表現しようとしていると思います。 詩文というジャンルに対する自分の認識の浅さ、狭さに気づかされた次第です(汗)。

  • ヌルッとして不愉快だが無視できない

    辺見庸の詩を始めて読んだが、言葉が読み手の心を揺さぶる力のある文だった。 ヌルッとして不愉快だが無視できない感情を抱かざるを得ない。 最近の日本語はあまりにもさらっとしすぎて、こういった文章に触れる機会があまりなかったので、とても面白く読んだ。

  • 入り江の向こう

    辺見庸の既発表、未発表の詩を集めた初めての詩集。中原中也賞の受賞作でもある。 いわゆる「詩」とのズレや違和感、にも関わらず際立つ言葉の生々しさと死の匂い。嗜虐的な表現。60をとうに過ぎた作家とは思えない、(いい意味で)大人気ない反知性反文芸の姿勢。 全編に流れる嗜虐と自虐の感覚をむしろ誠実と感じるのは、この詩集によって晒されているたくさんの「傷」が、吹き出る血も含めて、私たち自身のものだからだろう。 中也賞の選者である高橋源一郎がこの詩集に対して述べた「詩における言葉の強度」、同じく選者の荒川洋治が述べた「行為が詩に戻ってきた」という評は過不足なく言い当てている。それでも評するには言葉が足りないと思わせる。 近年の著作を読んでいない読者は、なぜすでに芥川賞を獲っているこの老ジャーナリスト兼作家に詩の新人賞を与えるのか、というふうにも感じただろう。 この詩集が素晴らしいのは、言葉が強度を持たないという現在の事実に対して欺瞞や嘘がなかったという一点においてだ。その事実を見つめているからこそ、淡々と紡がれる一篇一篇が、鉛の弾のように胸に残る。 そんな言葉が、いまどれくらいあるだろう。

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