初潮という切札: 少女批評・序説
『初潮という切札』は、少女像をめぐる言説を児童文学や文化批評の視点から問い直す評論です。少女、身体、性差、物語の関係を読み解き、既成の少女論に批判的な角度を与えています。
作品情報
少女をめぐる物語と批評の前提を、身体と文化の側から問い直します。
横川寿美子による評論集で、副題は「〈少女〉批評・序説」です。児童文学における初潮や月経の扱い、少女像の形成、動物物語などを取り上げ、少女を消費する視線と批評の枠組みを検討します。
書籍情報
- 出版社
- 宝島社
- 発売日
- 1991-02-01
- ページ数
- 215ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784796600859
- ISBN-10
- 479660085X
- 価格
- 1656 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/評論・文学研究/児童文学評論
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レビュー
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きわめて読みやすく、論旨も明快
本書(1991年刊)を手にとったのは、さきに読んだ著者の『「赤毛のアン」の挑戦』(1994年刊)の論旨明快で、なによりその達意の文章に惹かれ、他の著書も読んでみたいと思ったのが理由。 本書は、全5章で構成されています。 〈女子高生〉とか〈女子大生〉が日本で独特のコノテーションをまとって世の流行(語)になった時代がありました。〈少女〉はもしかするともっと以前からそういう言葉かもしれません。それらはある意味〈男〉のまなざしのもとでそうしたカッコ付きのニュアンスが生まれた面がありますが、著者は本書でもう少し広い視野からこの現象をとらえかえしています。 さて第1章は、まさに「少女・〈少女〉・女の子」というタイトルですが、「少女が〈少女〉と呼ばれること。そのことこそが、少女に関する最大の問題なのである」とする〈少女〉批判序説というべきものです。 結論部分のあたりでつぎのように本書全体にかかわる著者の問題意識を提示しています: 欧米であれ日本であれその社会における「肉体的・性的生産能力の封じ込めと学校への囲い込みは、都市型の生活を営んでいたすべての少女たちが経験した近代化への一里塚であった」が、「なのに、今日欧米社会の少女たちは、日本の少女たちの『かわいい』ものへの執着を、共有していない。日本の少女たちのように、自分たちで作りだし自分たちだけで享受する『自給自足的』文化の型を形成していない」、「この違いはどこから来るのだろうだろうか。それを明らかにしない限り、日本の少女は日本の〈少女〉のままに、閉じられた空間で『かわいい』ものと戯れつづけるだろう。そして、そういう〈少女〉にばかり注目が集まることは、ますます少女をその〈少女〉へと封じ込めていくことだろう」、と。 全5章のなかでは、本書タイトルにもとられている第3章「初潮という切札」がとりわけ興味深いものがありました。 著者はその章で、日本の少女小説(本書で分析の対象になっているのはすべて女性作家によるもの)で描かれた〈初潮〉に着目し、アメリカの児童文学における初潮の描き方とも比較したうえで、日本のそれでは「初潮を契機に少女を女同士の連帯、すなわち同性の輪の中に囲い込み、そのことによって異性から遠ざけようとする大人の作為の表れがある」と指摘し、「こうした描き方がなされる限り、初潮は〈少女〉を補強し、ひいては〈女〉をも補強する。どこかでこの女同士の囲い込みの輪を断ちきり、少女をその世代の性をも含めた広い外の世界へと解放する方向転換を図らない限り、日本の出版文化において女が子どもに向かって〈少女〉を語る行為は、男が大人に向かって〈少女〉を語る行為となんら変わらぬ効果を持つ」と結論づけています。 この文にある「女同士の連帯」というのはしかし最近シスターフッドなどという用語でもってフェミニズム的に注目されているものでもあり、フェミニストたちはこの著者の結論をどう受けとめるのかわかりませんが、著者は、女性作家が書くのだから少女小説およびその少女小説のなかの〈少女〉はつねに正しいとはせずに、児童文学研究者としてきちんとそれに批評的=批判的距離をとって向かい合っているのが読みとれ、それにはとても好感がもてました。 最近、欧米の名作古典少女小説はフェミニズム的にすべて正しいと主張するかのような一本調子の(ずっと以前だったらあえてのそういうスタンスもありえたのでしょうけれど)、いつもの著者らしい揶揄とツッコミのない斎藤美奈子『挑発する少女小説』(2021年)を読んだばかりだったので、余計そう思ったしだい。 この章では児童文学、とりわけ少女小説において初潮がどのように描かれているかが論じられているわけですが、問題意識や描写においておそらくもっと先を行くであろう少女マンガではどうなっているのか気になったところです。 本書には他に、一時期大いに話題になり影響力をふるった、著者が日本における「少女論」もしくは「少女文化論」の原点とも見なす本田和子著『異文化としての子ども』(1982年)への批判ともいうべき文も収められていて、これにも納得させられました(第2章「ズカズカの系譜」)。とても丁寧かつ丹念に理路をつめての批判です。 最後に、くりかえしになりますが、本書は、行文きわめて明快にして、論を進めるにあたっての着眼や問題設定も明解、その設定された問題に関連する周囲の事象への目配りもじゅうぶん納得できるもので、とにかくよどみなくするするすると一気に読んでいくことができました。
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「少女」について
1991年の出版時までに発表された主な少女論の再検討(第2章)も含め、現代の日本文化及び欧米の児童文学における少女のイメージを検証している。多くのテキストを一度に扱っているのに、それぞれが的確に扱われていて気持ちがいい。決して単純ではない論旨が簡潔にまとめられているので、だれずにどんどん読める。終章では興味深い現在の<少女>像にたどり着いている。少女、児童文学の中の少女や女の子像に興味を持っている人にはもちろん、フェミニズム論や一般とは違った観点から<少女>を見つめたいと思う人にはお奨めの一冊。