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詩人・菅原道真: うつしの美学
Makoto Ooka reads Sugawara no Michizane's Chinese poetry and life through the lens of utsushi, a Japanese aesthetic of copying, reflection, and transformation. The book reconsiders Michizane not only as a figure of vengeful spirit and Tenjin worship, but as one of the major poets of the Heian court.
Work Information
A critical study that uses Michizane's poetry to explore how ancient Japan received and transformed foreign culture.
Poet Sugawara no Michizane: The Aesthetics of Utsushi examines Michizane's Chinese poetry through the idea of utsushi, a word that suggests copying, reflecting, and transferring. The book looks beyond Michizane's political tragedy to the meeting point of Chinese literary learning and Japanese sensibility.
Review Summaries
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Readers value the way the book combines literary portraiture with cultural criticism, placing Michizane's poems within the formation of Japanese culture. Although it treats classical material, its close attention to poetic language makes it easier to revise one's image of Michizane.
Book Information
- Publisher
- 岩波書店
- Published
- 1989-08-30
- Pages
- 205 pages
- Language
- 日本語
- ISBN-13
- 9784000026710
- ISBN-10
- 4000026712
- Price
- 1754 JPY
- Category
- 本/文学・評論/古典/日本の古典/古代・中世文学/古典文学研究
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Reviews
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丁寧
綺麗な商品で丁寧に送って頂き満足です・
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学びが多い名著です。
これは名著です。学びも多くて和歌を系統的に記されていて、流石でした。
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詳しい説明は要らない
説明するより読んでその深い考え方に触れたらいい
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詩人による菅原評伝
一読の価値あり。
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短歌の作歌への取組み方法を学べます。
短歌における写生の方法を学べる書籍です。拝
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天神様の詩人としての業績
本書は、日本国文学の恩人・大岡信先生が、日本の和歌・漢詩文化を「うつし」という観点から芭蕉や蕪村、貫之などの作品も含めて考察されたものです。道真の漢詩業というのは「うつし」の典型だと言うのが大岡先生のお考えで、その考察は博覧強記と詩人ならではの鋭敏な言語感覚、また詩人という生き物に対する深い理解から大変示唆に富んだ内容になっており、勉強になりました。詩人という面から道真の心情や人生に迫るものなので伝記的な要素もあります。 菅原道真の和歌で最も有名なものは「東風吹かば匂いおこせよ梅の花・・」と百人一首に取られている「このたびは幣もとりあえず手向山・・」あたりなのかなと思います。前者は道真が詠んだものか確証のない歌と言われますが、北野天満宮にもこの歌が門のところに掲げてあり、大宰府に配流された悲運と道真の愛した梅の花が詠いこまれていて、技巧にこだわらない素直な詠みぶりも道真っぽい気はしますが、後世の誰かが道真の悲劇に思いを馳せて詠んだものかもしれないそうです。 もともと、「名門の出ではないのに努力と実力で頭角を現し、右大臣にまで登りつめて宇多天皇に寵愛されたが、その影響力の伸長をうとましく思った既得権益層に讒訴&配流された」という、およそ相当性格の真っすぐな人でなければ遭わない悲劇に見舞われているというその経歴だけで道真を尊敬していましたが、そんな彼の詠んだという百人一首の歌があんまりにもストレートで叙述的だったので、―まあ率直な性格がそのまま出ているといわれればそうかもしれないですし、頭の回転が速く合理的で理知的だということと芸術的感性や嗜好はまた別のものだしなとか、「神のまにまに」というフレーズは万葉集の歌を下敷きにしてるのかもしれないとか、百人一首は秀歌選ではないのでこの歌は代表作ではない可能性が高いからあんまり冴えてなくてもおかしくはないとか、色々考えてはみましたが(笑)やはり気になったので、大して古典の教養もない身で小癪にも「学問の神様と仰がれるほど賢い人なのにこんな素直な歌ばっかり詠んでたのか」という疑問を解決したくて本書を手に取りました。 「詩人」としての道真に焦点をあてた大岡先生の貴重なご研究のおかげで、疑問は解けました。 詩人としての道真の真骨頂は、和歌ではなく漢詩なのです。小野篁や夏目漱石も漢詩を好んでいましたが、漢詩が好きな日本人は向こうっ気が強くて清廉で気骨のある人が多いというのが個人的な印象です。その印象がおおむね間違いではなく、漢詩という詩型やその背後にある伝統と関係した根拠のあるものだということも、本書を読んで理解できました。高校の時に漢文を習ったときから、漢詩文の内容の濃さ-人間性への深い洞察と深遠な思想性-ときびきびとした男性的なリズムに好感を持っていましたが、本書からリズムや思想性以外に詩型という観点もあるのだということを教えていただきました。 平安時代は、白楽天の漢詩と法華経が必須の教養だった時代という印象がありますが、その割に宮廷貴族たちの詠む和歌には、白楽天と法華経の持っていた民衆救済への関心や、民衆詩人たる自覚から生まれる平易さへのこだわりという観点は奇妙なほどに欠落していて「どうしてこの人たちは白氏文集をバイブルみたいに崇めていた割に、大事な部分を取り込まなかったんだ」と、時々勝手に腹を立てていました(和歌に関しては技巧的なものも好きなんですけれども)。 しかし、いました。本当に白楽天に私淑し彼からそうした大事なものをちゃんと取り込んだ、また共有した男が-元々素質的に響き合うものがあったのでしょうが、この種の資質はわが国の詩人の中には、まして政治にかかわる人間の中には稀有のそれだと言えると思います-それが菅原道真でした。 民衆の苦しみに無関心でいられなかった詩人道真だからこそ、その思いや情景を歌に詠み、また朝廷でも披歴し、結果藤原氏に危険視される要因を作る形になって大宰府配流という憂き目に遭うことになってしまった・・。これは歴史上、清廉の士の身を焼く試練の炎、命さえ奪う非情の運命です。千載ののちも日本人の心に名を轟かせ、学問の神と崇め奉られているとはいえ、道真が大宰府で味わった寂寥や孤独を思うと気の毒でなりません。 だからせめてこの詩人の誠をささやかながら讃えたいと思い、レヴューさせていただきました。薄い本ですし、本文もですます調で書かれているので、少しでも興味の湧かれた方は、ぜひご一読ください。
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さすがに大岡実さん
道真の漢詩を詩人がよみといているので、単なる分析にはとどまっていません。ここがこう秀れているという、文学者としての感動が伝わってきます。そこがいいですね。「うつし」という、日本文化をよみとく新たな視点も持ち込まれていることですし。
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これは名著 生動してやまない批評的精神と精妙な文学的感受性の融合
本書『詩人・菅原道真』(1989年刊)は、さいきん(2017年)岩波文庫に入った著者の『うたげと孤心』(初版は1978年刊)と対になるものです。著者自身そのように語っています。 評者は『うたげと孤心』をその岩波文庫の新版でひさしぶりに読みかえす機会があったのですが、「大和歌篇」と著者みずからいうその本で著者が書きたいことをじゅうぶん書き切れていない印象があったので、姉妹編である、この「漢詩篇」の『詩人・菅原道真 うつしの美学』のほうもあらためて読みかえしてみました。 うかつにも以前読んだときは気づかなかったのですが、日本の詩を考えるうえで、本書はほんとうに名著だということです。 扱う主題はたしかに菅原道真――天神様として知られること多く、その詩文は読まれること少ない菅原道真なのですが、かれの漢詩文の読みなおしをつうじて、日本の詩の特質をうかびあがらせ、さらにその道真の文業には、現在、日本の詩を、日本語の未来を見すえて、創造していくためのおおきなヒントがあることを著者は読みやすい話し言葉の文体で精妙に語っています。 そしてそこでは、道真ばかりか、貫之であれ定家であれ芭蕉であれ、日本の詩は、「和」のなかに「漢」を摂取することにおいてこそより高い次元の文学へと発展してきたことが明らかにされています。 本書も、前著と同じく、著者がすごくノッて書いているのがよくわかり、しかもこちらのほうが前著よりいっそう自由に、そして闊達に批評の精神が生動していて、日本文学をとらえるための着眼とアイデアを惜しげもなくつぎつぎと繰りだして論を展開しています。