墜落の夏: 日航123便事故全記録
『墜落の夏 -日航123便事故全記録-』は、吉岡忍によるノンフィクションです。受賞時に注目された主題や語りの調子を手がかりに、人物、場所、出来事が重なり合う作品として読むことができます。
作品情報
『墜落の夏 -日航123便事故全記録-』は、題名が呼び込む情景と作者の関心を結びつけながら、受賞作としての輪郭を残す作品です。
『墜落の夏 -日航123便事故全記録-』は吉岡忍のノンフィクションとして、新潮社から刊行された作品です。題名に示された対象や場面を入口に、時代の空気、生活感、人物の内面を読み取れる構成になっています。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 1986-08-01
- ページ数
- 291ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784103630012
- ISBN-10
- 4103630019
- 価格
- 1320 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
Amazon.co.jp: 墜落の夏: 日航123便事故全記録 : 吉岡 忍: 本
レビュー
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入口本としてお勧めします。
本としては新品同様の品で、大変良い買い物でした。 内容については、やや表面的で分析が不足の感は否めませんが、公式発表の違和感は共有出来るものでした。様々な関連書籍を読まれた方には物足りないかも知れませんが、初めてこの事件(事故)の内容に触れる方には良いかと思います。
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真実が明かされる事を願う。
本書が事故(事件)後一年で出版された事に、驚きを隠せません。丁寧な追跡調査に、心洗われました。 この書が手に入ったことに感謝します。 今まで気付かなかった自分に、恥を感じます。我々の年代とっては、8月12日は忘れられない日です。 あの日、報道されていた最中、翌日の午前4時まで一体何が行われていたのか。 一日も早く、公表されることを願って止みません。
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風化させてはならない航空機事故
飯塚訓の著書[墜落遺体]と思って勘違い購入、夏になるとあの凄惨な事故を思い起こす。 二度目読了、後半は難しくてあまり理解出来ていない。
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その点で本書はいまなお新しいのだ
夏になると日航123便の事故を一度は思いだす。この夏も同様にて本書を知って読了したところだ。 まず本書は1986年に書かれているということである。事故から1年程度に書かれた本だけに、当時の「息遣い」や 臨場感という点で迫力がある。但し、当時の段階では未だ調査・精査が出来ていなかった点も多々あったに違いない。 そういう意味では本書は「日航事故を分析する本」である以上に、「日航事故の当時を伝える本」ということで既に 二次資料となっていると言えるのではないか。 但し、最後の部分で著者が述べている「システムと人間の関係」という部分は今なお新しい。いや、AI等が本格的に 動き出した現代を既に先取りしている感もあり、作者の慧眼と言える。 その部分では作者は人間が創りあげたシステムというものは、人間のヒューマンファクターの均質化に繋がると 断言している。システムには、異質で多様な人間というものを排除し、金太郎飴を志向させる面があると著者は 警鐘を鳴らしている。それは正に今机上に挙げられるべき論点だ。 勿論1986年に想定・想像されていた「システム」と、2017年の本日に見られるシステムには大きな違い もあろう。但し、その根底に流れる「人間の均質性への希求」という点に関してはあまり変わっていない。 「想定内」「想定外」という言葉がいかにたくさん使われるようになったのかということも、その証左と言える。 その点で本書はいまなお新しいのだ。
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早い
表記されていた予定日よりだいぶ早く届きました。本も良い状態でした。
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ページ数は文章の工夫で抑えられると思いますが、内容は良かったです
ページ数は文章の工夫で抑えられると思いますが、内容は良かったです
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意外な真実が知れた
興味深く読ませていただきました。
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日航機123便事故を紐解く人にとっての、はじめの一歩たる一冊。
航空機事故史上最悪の520人死亡(4人生還)の、日本航空123便墜落事故の詳細な事故記録である。1985年(昭和60年)8月12日、JAL123便(機番号JA8119)は、18:12(定刻12分遅れ)で羽田を離陸、大阪へ向かう。18:24,35離陸12分半後、相模湾上空でドーンという爆発音を記録。後部与圧隔壁の破裂に伴い垂直尾翼と方向舵を失う。その後の経過以下の通り。 18:24,42緊急信号スクォーク77発信。 18:26,00全油圧系統操縦不能。 此処から必死のクルーの格闘が始まる。 18:46,33機長「これはだめかもわからんね」 18:48,40機長「やまいくぞ」 18:56,22最初の接触音。 18:56,25激突音。録音終了。 これら一連のボイスレコーダーの生々しい記録は、現在動画サイトで視聴する事が出来る。 墜落したボーイング747型SR(ショートレイジ:短距離飛行の多い日本向けに、離着陸回数の増加対策として主翼及び降着機を強化した型)は、当時の科学技術の最先端を行く、二重三重の事故防御システムを完備した「フェイル・セーフ」の設計思想の極致と評価されており、当時の航空関係者の誰しもが、日航機墜落を聞いたとき耳を疑ったという。 著者は、4人の生還者の1人で、此の日、非番で搭乗していたJALのスチュワーデス、落合由美さんの証言を採録している。その墜落の瞬間の凄まじさは、読むだに戦慄を覚える。 『(前略)そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。 怖いです。怖かったです。思い出させないでください、もう。思い出したくない恐怖です。お客様はもう声も出なかった。私も、これはもう死ぬ、と思った。まっすぐ落ちていきました。振動はありません。窓なんか、とても見る余裕はありません。(後略)』 此の4人の生還が、奇蹟の中でも稀有な奇蹟であったと感じさせるのが、その言語を絶する阿鼻叫喚の様を呈した墜落遺体である。それは人体が此処迄悲惨な姿になるのかという程のもので、細切れになり、焼け焦げ、飛び散り、貼り付き、それは検死証明書に「全身挫滅」や「全身挫砕」といった此の事故の検死に携わった医師達の産み出した造語によっても窺える。真夏日の事故であった為腐敗が早く、白米の様に蠢く膨大な蛆も発生した。また困難な無数の肉片の特定作業には、献身的に長期間奉仕した日本赤十字社の看護婦達の努力も忘れるべきでない。しかし此等の人々の智恵と努力と誠意とを尽くした作業によっても、肉片と内臓の大部分は遂に特定されず、その年の暮れまでに纏めて荼毘に付された。 次に遺族を待っていたのは補償問題である。しかし其処には生きた人間達の争いがあった。縁を切った筈の兄弟が現れ、強硬に自らの取り分を主張する。遺族間で連係しようとすれば、うちの息子は優秀だったから、凡百の犠牲者と一緒くたの補償金では納得出来ないと主張する遺族。多額の補償が入って良かったですね、と執拗に中傷する近所の主婦。居たたまれなくて亡き夫と過ごした家を離れたい、という妻は『結局、お金なんですね。そんなふうにしか周囲も私たちのことを見ていないし、日航の世話人の方がいらしても、補償金の話になるんですねえ。私たちが失ったものは、そんなものではないんですけど……』と寂しげな表情で語った情景が印象的であった。此処にも、あの事故さえ起きなければ生まれなかった様々な複雑な問題が刻まれており、如何に多くの人々の人生が狂い、苦悩に晒されたかが窺える。520名の死者の遺族は約400家族。内22世帯が一家全滅。189世帯が母子家庭となり、子供だけが遺された家庭が7あった。 本文では後章に近づくにつれ、ジャンボ機の機体構造から、整備、経営システム、そして大量輸送社会の構造にまで論が及ぶが、此れは少々論が逸れると言わざるを得まい。但し本書が執筆されたのは事故後1年を経ておらず、生々しい空気を伝えているものの、此の時点では未だ解明していない事実や未解決の事象が多く、結論が判然としていない儘の結びとなっている。よって本書の意義は、此の事故を知り、より深く事故の実態や原因と経過を研究する為の入門書であり、本書に書かれた事故当時の世情や事実経過を得て、より詳細な他書に進むのが良いのではないかと思う。