作品情報
『脳死』は、題名が呼び込む情景と作者の関心を結びつけながら、受賞作としての輪郭を残す作品です。
『脳死』は立花隆のノンフィクションとして、中央公論社から刊行された作品です。題名に示された対象や場面を入口に、時代の空気、生活感、人物の内面を読み取れる構成になっています。
書籍情報
- 出版社
- 中央公論新社
- 発売日
- 1986-10-01
- ページ数
- 489ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784120015281
- ISBN-10
- 4120015289
- 価格
- 172 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
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レビュー
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知の巨人からのメッセージ
とても良かったです
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一読しておきたく
出版当時の脳死の定義とその判定基準について 厳密な調査に裏づいた当時の状況に対する具申 専門的なことは分からないのですが 著者の分かりやすい表現には敬服します 人間は自らの意思で生まれてくるものではなく (一部を除き)自らの意思でこの世を去るものでもなく 自然に委ねるのみ 著者の最期を鑑み 折り返しを通過した?我が身を思います
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文系でも、理系の最先端が分かる
今は保険証や免許証のウラに書かれている、臓器提供。 かつて、心臓移植に踏み切り、裁判になった事件がある。 人は、どこから、死んだ、と言えるか。 ポンプがあれば、肺は動かせる。 点滴を打てば、栄養は取れる。 人の自己を、川の流れの、岩の周りの渦、と考える。 個々の細胞の活動を、川の水と。 川が流れていても、渦が消えたら、ヒトの意識は無い。 川から移植用に、水(=臓器)を取り出してもよい。 こういった議論について、立花隆は突き詰めたインタビューを繰り返し、日本の他の誰よりも透徹した認識に辿り着いた。 ◯文系でも、理系の最先端が分かる。 門外漢でも、教授より深い認識を持つことが出来る。 ところで、この著作と、保険証のウラとの間に、議論はあったのだろうか? (^_^)
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詳細な医学知識に基づいた科学ジャーナリズム
本書は脳死に賛成とか反対とかを論じている本ではない。 「それを論じるにはまずここは知っておくべき」という基本的な部分を説明するための本である。しかしそれが決定的に大事なことであるというのを論じる本でもある。 立花隆自身、脳死問題の賛否については本書でもはっきり、 「脳死をもって死とすることに、私はなんの問題もないと思う。」 と言っている。しかし続けてこうも述べる。 「問題があるのは、何を持って脳死とするのかという定義の問題と、その定義通りの状態が現に訪れているかどうかをいかなる判定基準によって確かめるかという問題である。」 しかしながら、立花はその大前提に対して次のような警鐘を鳴らす。 「世に脳死について論じる人は多いが、実はその大半が(医者も含めて)、議論の大前提たる脳死に関する知識を欠如させたままの議論になっているという実情がある」 従って、本書の大部分では脳死を論じるのではなく、「脳死とは何か」を、数々の医学テキストや論文、臨床医へのインタビューを用いて解説していくものとなっている。 しかし、脳死に関する知識を見ていってわかることは、本書の執筆当時(1986年)の時点での脳死判定基準では、かなりの数の症例で、「脳死以外の原因によって誤った脳死判定が行われている可能性」があったことが明らかとなっていく。 立花はこのことに対して、(たとえ死にゆく人であっても)生きていたはずの人を殺してしまうことと等しいと批判する。 そして、早急な判定基準の見直しの要求と、代替案を提示していく。 以上をもって、本書は脳死問題の大前提の知識と、その知識の用い方・応用の仕方を学ぶ上ではこれに並ぶものはなかなか見つからないのではないかと思うくらいの力作であると感じる。このような書籍があることをありがたく感じるとともに、私達はこのツールを使わない手はないと思う。 他のレビューでも述べられている通り、今読んでも決して色あせることのない一冊であった。
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脳死について、知っていますか?
脳を主要な取材テーマのひとつにしている立花隆氏が「脳死」についてまとめた本。 脳死の問題は、とかく移植にまつわる「感動の物語」として語られがちです。これらを伝え聞くうち、なんとなく「脳死/移植容認」へ傾きたくなります。しかし「脳死」とは何か、その正しい知識をわれわれは持っているのでしょうか。正しい知識を抜きに判断できる問題なのでしょうか。 立花氏個人の見解は"脳死を人の死と認めてよい。ただし脳死の正確な判定は極めて困難で、究極的には不可能でもあるので、その判定基準は慎重の上にも慎重を重ね厳密なものとするべきだ"というものです。 1988年に発行された本書の影響力は大きかったようで、その後「立花見解」に対する反論も聞かれます。それらはおおむね、哲学や生命観の違いから「脳死を人の死と認めるべきではない」とするもので、本書の中心である科学的知識についての信用を左右するものではありません。 つまりいずれの立場に立つにせよ、考える前提となる知識を与えてくれる意味で、本書は「基本文献」と言えると思います。
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脳という宇宙
立花氏の脳死判定における立場は明快で脳血流を判定基準に盛り込むべきというもの。これは妥当な判断だと思える。しかしなにせ20年前の本なので現在の脳死論議にどの程度妥当しているかどうかはわからない。この本の読みどころは実は脳死論議の前提(基礎知識)として述べられる脳の構造と機能に関する膨大かつ分かり易い解説にある。脳に関する本もわりあい読んできたつもりだが、ここに書かれていることは驚異の連続だった。複雑・精妙な脳の仕組みをレベルを落とさずに分かりやすく説明してくれる本はそんなに無いように思う。現在の脳科学はもっと進んでいるだろうが、脳学概論としては十二分に読む価値がある一冊である。
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死の定義を改めて問い直した良書
人間にとって死とはどの様な現象なのか、を突き詰めた良書です。そもそもかつては、「心臓停止」をもって人間の死と判断していたわけですが、臓器移植という技術が進歩した結果、心臓死ではない、「脳死」という概念を規定する必要が出てきました。このあたりの歴史的経緯を理解することなく、脳死の是非を語っても、「木を見て森を見ず」となってしまいますが、著者はそのあたりのバランスに優れています。医学的見地からも、脳死を誤り無く解説し、そこで議論されるべき真の問題点についても、鋭くしている点は著者ならではです。人間が死ぬと言うことの定義を問い直す良書です。
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脳死再考
1997年に施行された臓器移植法に関しては、当時からさまざまな議論があった。その中の一つが脳死判定であるが、そもそもがタブーの領域に属することもあり、問題そのものの全国民による正しい理解すら程遠いというのが現状であろう。 まず脳死そのものが滅多に発生するものではない。普通はまず心臓が停止し、血流が行き届かなくなることによって脳が破壊される。99%のケースにおいて、脳死は心臓死よりも後に訪れる。心臓死から脳死までの短い時間は、しかし臨床医師にとってはいかなる興味も引かない。なぜなら心臓を含む臓器はすでに死んでいるからである。 問題は心臓死よりも先に脳死が訪れる残り1%のレアなケースである。例えば自動車事故やピストル自殺等による頭部の損壊に伴うものが考えられる。むろんこの場合でも、脳に依存している肺が死ねば呼吸が止まり心臓も止まる。しかし人工呼吸器の導入に伴って「心臓が動いている死体」が誕生することとなった。 脳死を正確に判定できるのか。そもそも脳死を人の死とみなしてよいのか。臓器移植法はむろん両者に対するイエスを前提に制定されているが、立花はこの両者に対してノーと答える。医学に関する予備知識はほとんどなかったという立花だが、玄人顔負けの徹底的な調査と初心者にも分かりやすい明快な説明を両立させているその手腕は見事である。 立花隆の著作には哲学的センスはほとんど感じられない(意外なことに哲学科卒だそうである)が、その論域の広さと深さと緻密さ、そして何よりも分かりやすさには舌を巻くほかない。臓器移植法に関する議論が再燃している今こそ再読したい、古さを全く感じさせない労作である。
関連する文学賞
- 毎日出版文化賞 第41回(1987年) ・受賞