作品情報
『水俣病の科学』は、西村肇の表現が受賞によって広く注目された作品である。
『水俣病の科学』は、西村肇による評論・ノンフィクションで、毎日出版文化賞の受賞作として位置づけられる。受賞時の評価を軸に、個人の感覚や時代の空気を作品の形式に引き寄せて読ませる一作である。 日本評論社の刊行情報で単行本・文庫・作品集として確認できるため、受賞作そのものを収録する書籍として扱う。
レビュー要約
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刊行形態と受賞歴から、作品のジャンル性と作者の特色を伝える一作として受け止められている。短い形式の作品では凝縮された表現、小説や評論では主題への踏み込みが読みどころになる。
書籍情報
- 出版社
- 日本評論社
- 発売日
- 2001-06-18
- ページ数
- 352ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 21 x 15 x 2.3 cm
- ISBN-13
- 9784535583030
- ISBN-10
- 453558303X
- 価格
- 4360 JPY
- カテゴリ
- 本/科学・テクノロジー/地球科学・エコロジー/環境問題
【内容紹介】水俣病は「なぜ1954年になって多発したのか」「なぜ水俣でおきたのか」。水俣病の原因と因果関係について初めて科学的な解明をめざし、ついにその謎を解いた、水俣病研究史上に新紀元を画す衝撃の書。[2001年 第55回毎日出版文化賞受賞作] 水俣病は、20世紀に起きた世界でも最大・最悪の公害事件です。水俣病事件に関する成書は数多く出版されています。その原因に関する研究は既に終わっていると思っていた方も多いかもしれませんが、事実は決してそうではないのです。何が原因でこの大惨事が起こったのか、その原因と連鎖の関係が科学的レベルでは全く未解明、謎に包まれたままなのです。……私たちは、この歴史的惨事を後世の教訓にするためには、事件の原因と因果の関係について、あいまいさやあやふやさのない科学的説明を残さねばと決心しました。
西村 肇(にしむら はじめ):1933年東京生まれ、満州育ち。1957年東京大学工学部機械工学科卒業。1966年東京大学工学部助教授、1983年東京大学工学部教授。1993年定年退職。研究工房シンセシス設立主宰。現在に至る。1960年代は化学プロセス、70年代は公害問題(瀬戸内海汚染、自動車排ガス規制)。公害の研究を禁止された80年代以降は遺伝子工学。定年後は研究と著作に専念(06年7月現在) 岡本 達明(おかもと たつあき):1935年東京生まれ。1957年東京大学法学部卒業、新日本窒素肥料株式会社入社。1970年から1977年、チッソ水俣工場第一組合委員長。1990年チッソ株式会社退社。(2015年4月現在)
レビュー
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考えましょう
ある講演会でこの本のことを知り、購入し読みました。水俣病について、詳しく書かれていて、びっくりしました。 自分のあまりの無知に恥ずかしくなりました。原発問題と関係があると思いました。 お二人の著者に頭がさがります。
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やっと手に入れた。
想像していた以上に、古びていない内容。最近の福島の原子力発電所の事故などを考えるときにも参考になる。科学的とはどういうことか。大きな会社とはどういうことか。自然や環境とはどういうことか。考え始めることを強く促される。良い本でした。本そのものは、古本なのですが汚れや、不愉快な所も全くない本でした。
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納得のいく説明が今
水俣病は、二度とあってはいけない人災である。しかし、今まで納得のいく科学的説明はされてこなかった。なぜそうなったか、どうしてそのようなことが起こったか、この本は明らかにしてくれる。中途半端な知識と正義感だけでは水俣病を語れない。私はこの本を読んで今更ながら自分の無知を思い知らされた。あとがきは胸に迫るものがある。
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量子化学とプロセス工学で 水俣病を解き明かす
水俣病とは チッソ株式会社・水俣工場の アセトアルデヒド製造工程の廃液に 含まれていた「メチル水銀」による 「メチル水銀中毒症」であり 大脳および小脳を中心とする 中枢神経を障害されて起こる疾患です。 「メチル水銀」を含む廃液はそのまま 水俣湾に流され不知火海に拡散し 食物連鎖による生物濃縮を受けた 魚介類を経口摂取することで 広汎な人々が暴露を受けました。 その病像は劇症型・典型例から 慢性型まで多岐多様にわたります。 加害企業のチッソ株式会社は 1908(明治41)年8月20日 日本窒素肥料株式会社として設立され 「日窒」と略されます。 1932(昭和7)年5月7日 水俣工場で アセトアルデヒド製造工程稼働し 廃液を水俣湾に流し始めます。 1940-1941年頃までに 「日窒」は世界2位の化学工業会社となり 国内でも旧財閥グループにつぐ 新興財閥グループの代表格となります。 1945年の敗戦後、進駐軍によって 「日窒」はコンツェルンと見なされ 解体されます(解体されてできた ひとつの会社が現在の「旭化成」です)。 1950年1月 「新日窒肥料株式会社」 1965年1月 「チッソ肥料株式会社」 と社名変更しました。 現在、日本の化学工業は 「石油化学」です。これに対し 「日窒」ないしチッソ株式会社は 「電気化学」でした。 その名の由来は まず発電所を建て豊富な電力によって 電気炉でカーバイドを作り カーバイドからアセチレンをはじめとする 有機化合物を作る工法に由来します。 「電気化学」から「石油化学」への転換は 戦後の日本政府(通産省など)にとって 「国策」でした。 「スクラップ・アンド・ビルド」 という言葉があります通り 「石油化学」=「ビルド」への転換を前提とし 「スクラップ」にするまでは「電気化学」を フル回転(稼働)させるのが「国策」でした。 それが1968年5月18日まで チッソ株式会社・水俣工場が アセトアルデヒド製造廃液を止めなかった 本質的な理由です。 国と県とチッソ株式会社は一体でした。 ちなみに アセチレンからアセトアルデヒドを作る際に 触媒として「水銀」を用います。 そして「メチル水銀」が副生します。 入口紀男氏(1947-)の著書 ・『メチル水銀を水俣湾に流す』 (日本評論社 2008) ・『聖バーソロミュー病院 1865年の症候群』(自由塾 2016) ‥によりますと 1922(大正11)年に発行された 『工業化学雑誌』第25巻の p.980 には 【アセチレンからアセトアルデハイド (アセトアルデヒド)を作る場合 (触媒として用いる)水銀塩は ただちに還元されて有機化合物となり】 と日本語で明記され 反応式(推定)も掲載されています。 後にチッソ株式会社は 水俣工場の廃液が水俣病の原因ではないか と疑われたときに 「旧海軍が投下した爆雷が原因」 などと荒唐無稽の言い訳をし 追及が厳しくなってくると 「工程で金属水銀は使用しているが 有機水銀(メチル水銀含む)は 使用していない」 とシラを切りました。 ところが上記の入口氏の調査によって 「日窒」水俣工場でアセトアルデヒド廃液を 流し始めた1932年5月7日よりも 10年前の1922年には 同工程で「有機水銀が副生する」ことは 既に文献に記されていました。 ところが本書 p.17 によりますと 1959年7月の段階になっても チッソ株式会社は 「アセトアルデヒド合成の際にも(中略) 有毒な有機水銀化合物が生成するという 事実を我々は現在まで認めていない。また この種のことを我々の知る限りでは 文献で報告された例がない」 と述べています。 いかに大嘘をついていたかが分かります。 「文献で報告された例がない」というのは 『化学工業雑誌』などの文献を読まなかった 怠慢であり不勉強であり注意義務違反では ないかと思います。 1922年の『化学工業雑誌』に載っていることを 37年後の1959年になっても 「文献で報告された例がない」 と言っているのには驚きます。 ここにチッソ株式会社の「体質」が よく現れています。 本書の表現を借りるならば 「モノができさえすればよい」(p.295) というチッソ株式会社の「体質」です。 うがった表現をするならば 「金さえもうかればよい」です。 その背景には「国策」という紋所が 見え隠れします。本書では 【「モノができさえすれば(よい)」と いうのは戦前・戦中の日本の 技術全般をおおっていた傾向です】 と指摘しています(p.295)。 その中でも「日窒」=チッソ株式会社の 体質は異様であり そのひとつの象徴として 水俣工場のプロセス用水の 「塩素イオン濃度」が異常に高かった という事実があります。 この塩素イオン濃度が高いと メチル水銀は塩化メチル水銀となって 蒸発しやすくなり、その結果 排出量が増えることになります。 通常、プロセス用水に使う水は イオン交換樹脂という設備を通して 「純水」(まみず)にしてから使いますが 水俣工場のアセトアルデヒド工程では イオン交換樹脂を使用した形跡がありません。 水俣工場じたいが海の近くにありますから 取水口が川にあっても満潮時には 海水が逆流してイオン濃度が高まります。 またプロセス用ではない冷却用水には 海水を15%利用していました。 冷却水とプロセス用水はまじわらないように 配管を設計するのはあたりまえですが 水俣工場ではその管理もずさんだったようです。 結局、本来なら「純水」を用いるべきところに 一定程度の海水の混入が起こり 塩素イオン濃度が上がり メチル水銀 → 塩化メチル水銀となって 輩出されるメチル水銀の量が増した ‥ということになります。 モノができさすれば手間のかかる純水で なくてもいいや 少しくらい海水が混じってもいいや ‥という「ずさん」な体質が (昭和電工は別として) 同業他社の他工場の アセトアルデヒド製造工程では 起こらなかったメチル水銀有毒が チッソ株式会社水俣工場でだけ 起こったことのひとつの原因とされます。 本書の内容まで 先走って踏み込んでしまいましたが 本書の内容をひとことで申し上げれれば ①【水銀触媒を用いて アセチレンからアセトアルデヒドを作る際に メチル水銀が副生される反応の全体を 「量子化学」を用いて明らかにした】です。 それは p.233 の「図3-4」 「メチル水銀生成反応機構全図」に 集約されています。 ②チッソ株式会社・水俣工場の アセトアルデヒド製造工程における メチル水銀の生成・排出から 環境や生態系の汚染までの全過程を 「プロセス工学」によって明らかにした。 → 1938-1968年の年代ことの メチル水銀排出量の理論値は p.287 の 「図 3-16」にグラフとして集約されています。 ・それに周辺海域へのメチル水銀排出量を 重ねたグラフは「図 3-19」(p.307)です。 ・それに 「周辺住民のへその緒の水銀濃度」 「胎児性水俣病患者発生数」 「非典型型水俣病患者発生数」 を重ねたグラフはそれぞれ 図3-21、図3-22、図3-23のグラフに 集約されています。 文章を読むのと同じくらいの時間をかけて 上記のグラフを丁寧に「見る」ことを お勧めいたします。 数学および自然科学の本においては 図やグラフに「事実」が詰め込まれている ことが往々にしてあります。 図やグラフを「読み」 そして「書く」ことは 数学および自然科学の良い訓練となります。 著者のひとり 西村肇氏(1933-)は 東大工学部卒で 東大工学部教授を長らく務め 現在は東大名誉教授です。 もうひとりの著者 岡本達明氏(1935-)は 東大法学部卒で チッソ株式会社社員でありつつ チッソ水俣工場第一組合委員長を 務めた方です。 「あとがき」によりますと 岡本氏が本書の執筆を志してから 27年。 西村氏がプロセス工学を完成して 水俣病の全容を解明するまで 30年。 決して短くはない年月が流れています。 西村氏は水俣病のみならず 瀬戸内海汚染や自動車排ガス規制など 社会性の高いテーマで研究していました。 するとまるでテレビドラマそのままに 「公害の研究をやるなら東大を出て行け (関西の小さな私立大学へ行け)」 と圧力がかかったそうです。 間に複数の人を介していますが 圧力をかけたのは「産業界」であり その後ろにいる「国」と推測できます。 西村氏は東大で「免疫の遺伝子工学」を 研究し定年退職されます。 そして上梓されたのが本書になります。 従って掛け値なしに 本書は西村氏と岡本氏の渾身の力作です。 同時に悲しいことですが 水俣病に関する化学的な研究書は 本書が最初であり そして最後の本格的な研究(p.321) になるであろうと考えられます。 なぜなら 社会的・政治的な問題に 自然科学(化学を含む)や工学の研究者は 首をつっこむな という暗黙のしかし強力な雰囲気が 支配しているからです。 「モノさえできればいい」 「金さえもうかればいい」 「おもしろければいい」 という価値観がむしろ年々強くなって 息苦しさや閉塞感を感じています (あくまで個人の感想です)。 「モノをつくるときには 健康や命をそこねてはいけない」 「人間だけではなく 猫や魚介類や海もまた そこねてはいけない」 という価値観が「技術」や「国策」に 入ってくるのが理想です。 本書はその原点となる渾身の力作です。 なお補足しておきますと 1922年発行の『工業化学雑誌』に 載っている 「アセチレンからアセトアルデヒドを 水銀触媒で製造する際に有機水銀が 副生される」という事実は ベルギー生まれの米国人化学者 J.A.ニューランド(1878-1936) の論文の紹介です。これは 「量子化学」が確立される前の 経験的な事実であり その反応式は想像によるものでした。 複数の中間体を含めて この反応の全容を解明したのが本書です。 また 「日窒」水俣工場では 1932年からアセトアルデヒドを製造し 排水を水俣湾に流してきたのに なぜ1954年頃から患者さんが急増したのか? ‥という疑問がありました。 それについて本書は 「助触媒を変更したこと」が原因と しています。つまり1951年以前は 助触媒として二酸化マンガンを使用 していたのに、酸化剤を濃硝酸に変え 助触媒を硫酸鉄に変えたのが原因です。 それによってメチル水銀排出量は 約10倍に上昇し1950年代には 不幸にも多くの患者さんが発症しました。 その後、1961年に排水処理の方法が 変更されたことにより メチル水銀排出量は減少します。 わずかなコストダウンと称して 硫酸工場の廃棄物を助触媒に使った のが助触媒変更の実態です。 助触媒に何を使うかは技術の核心であり それに硫酸工場の廃棄物を使うとは 「普通の技術者の常識では考えられない」 (p.286)としています。 チッソ株式会社の「体質」をよく現している と思われます。
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