作品情報
『僕はかぐや姫』は、松村栄子の表現を海燕新人文学賞の文脈で読むための重要な対象である。
『僕はかぐや姫』は松村栄子による文学作品。人物の内面や時代の空気をすくい取り、物語や批評の形で読者に差し出す。
書籍情報
- 出版社
- ベネッセコーポレーション
- 発売日
- 1991-05-01
- ページ数
- 195ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784828823829
- ISBN-10
- 4828823824
- 価格
- 980 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
Amazonで松村 栄子の僕はかぐや姫。アマゾンならポイント還元本が多数。松村 栄子作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また僕はかぐや姫もアマゾン配送商品なら通常配送無料。
レビュー
-
名作
2006年のセンター試験小説で出題された文章です。 当時高校3年生で、授業のセンター演習で出逢いました。 自分の気持ちというか、心の状態を自分に代わって表現してくれたこの文章に感動したのを覚えています。 今は大学生で、当時ほどの共感は得られなくなりました。これが、大人になるということでしょうか。
-
自意識の思春期
この小説が発表されてそれなりの年月が経ってから、私は高校生として青春を送ったわけですが、私や、私の周りにいた〈僕〉たちは、この小説の〈僕〉たちとほとんど変わらないことを考えていました。昔から世の少女たちは飽きもせず同じことに思いを巡らせていたのだと思うと、ちょっと辟易するけれど、面白くもあります。自意識の過剰さに苦しみながら、それを自覚し誇りにするだけの頭の良さはあって、しかし、あの年齢の少女らしく、それがありがちな思春期の症候だということまでは思い至らず、もちろんそれに思い至らない自分の頭の悪さにも気がつかない......。そういう〈僕〉にまったく心当たりがない人は違った読み方をするのかもしれませんが、私にとっては、過去の自分を愛おしく思え、感傷的な気分に浸れる稀有な小説でした。 とはいえ、それだけの小説だと言えば、それだけの小説でもありました。私にとって、当時の自分の思念が閉じ込められた見事な標本箱のようなものでしたから、それゆえにかえって斬新な思想や思いがけない人物に出会えるわけでもなく、新味には欠けています。もちろん、それこそがこの小説の良いところだという意見に反対はしませんが。
-
おもしろいです!
まず、連絡が遅くなりすみません。届いてから早速に読みました。 皮肉もきいていて、かつ最後には救いもある・・・青春してるなぁと 気恥ずかしくも嬉しい内容でした。本の状態も申し分なくきれいで、 とても嬉しいです♪ ありがとうございます!
-
「僕」から「わたし」に。「あたし」ではなく。
部活の顧問からセンター試験の過去問だと言って渡された。 私が主人公たちと同じ文芸部員だったことは、単なる偶然ではないと思う。 この物語がどんな結末を迎えたのか気になり、即座に購入した。 その判断は、我ながら正解だったと思う。 「僕」から「わたし」に変わらざるを得なかった主人公。 「あたし」ではなく「わたし」。 読んでいてこんなにも苦しくなった物語は他にない。 様々な出会いや経験を経て揺れる主人公の心が、少しだけ自分と重なって見えた。 きっと彼女は嫌そうな顔をするだろうが「わかる、わかる」と思ってしまった。 華やかな設定や派手な展開はないけれど、とても魅力的な物語。 少しでも彼女たちの心に近づいてみたくて、 作中に出てきたキルケゴールやボードレールの作品も読み始めました。
-
センター試験で受けた衝撃!
他の方のレビューにもあったように センター試験で初めてこの作品を読みました。 正直試験どころではなくなりかけましたが、 なんとか問題を解いて、急いでタイトルと作者を覚えました。 受験が終わったらゆっくりよみたいなーと思ったのですが、 いまは絶版なんですね。かなしいです。 結局読めたのはセンター試験での正味15分だけになってしまいましたが、 5年経っても忘れられないくらい、すてきな作品でした。
-
2006年度のセンター試験に出てた小説・・・?!(;'Д`)ハァハァ
(;'Д`)ハァハァ うほほっ・・・・?! ホッカルさんは至高聖所という筑波大学卒の作者による、筑波大学の学生生活を描いた、小説を読んでいたこともあり、作者のことは知っていたが センター試験に、この僕はかぐや姫という小説が出てくるまで 存在を知らなかったのも事実である。 僕はかぐや姫とは、17歳の女子高生・・・大人でも子供でもない 少女の多感な時期の 揺らぎってやつを描いているそうだ。 〔センター試験の解説によると〕 おいらとしては、ただ萌える女子高生だな・・ って思っただけだ。 自分のことを 僕ってリアルで言えるのは凄いよ 18歳になって言えなくなった主人公が、泣いちゃったところも ほんのりきましたw
-
僕は仮初、私に還る
主人公を含む文芸部員たちの一人称は「僕」。女子高は、夫を娶らぬかぐや姫達の世界。女性しかいない中で生活するということことは、男性を意識しないでいいということであり、翻って女性らしくせずとも許されている。 「僕」と名乗り、格調高く文学的な会話をたしなむ主人公は、男子校の文芸部と交流したときに、決定的に女性である自分自身の現実に直面せざるを得ない。 彼女たちは、男になりたかったわけではない。成長して女性らしさを引き受けるためには、ニュートラルに育ててきた自己の傷つきを味わわなくてはならない。性化される、対象化されるという傷つきだ。成長して月に還ることは、悲しいばかりではないにしても切ない。 男性には男性のためらいがあるが、女性としてのアイデンティティ、セクシュアリティ、ジェンダーは、かくも息苦しいものであった。この小説は80年代を反映しているが、この息苦しさは今も消えたわけではないだろう。
関連する文学賞
- 海燕新人文学賞 第9回(1990年) ・受賞