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女の宿 (講談社文芸文庫 さA 3)

Women's Literary Award

女の宿 (講談社文芸文庫 さA 3)

Ineko Sata

Onna no Yado is a short story by Ineko Sata that depicts the unhappiness and sorrow lying beneath women's everyday lives. Through the narrator staying at a friend's house, the social pressures surrounding women who live modestly come quietly into view.

women's liveseveryday sorrowpostwar literatureshort fiction

Work Information

In an ordinary night's lodging, the sorrow of women seeps through.

The Kodansha Bungei Bunko edition contains the title story and other short works, and both print and digital editions are confirmed. It is characteristic of Sata in its depiction of women's modest lives and oppression through details of daily existence.

Review Summaries

  • The strength of the story lies in how it draws women's unhappiness out of ordinary daily scenes. Rather than loud accusation, the weight of the period is felt through accumulated moments.

Book Information

Publisher
講談社
Published
1990-07-01
Pages
261 pages
Language
日本語
ISBN-13
9784061960886
ISBN-10
4061960881
Price
1499 JPY
Category
本/文学・評論/文芸作品/日本文学

大阪に住む友人の女流作家とその義妹の家に宿をかりた私。そこに偶然訪れた2人の女客。隣家から響く無遠慮な女の声。さりげない日常の中に、時代の枠に縛られながら慎しく生きる女たちの不幸と哀しみとを刻み込む、女流文学賞受賞作「女の宿」。ほかに名篇「水」、「泥人形」「幸福」など、人々の真摯な生きざまを見事に描き上げた13篇を収録。

Reviews

  • 素晴らしい

  • 時間感覚に几帳面な人

    時代の推移に変わってゆくまたは変わらない女たちが丁寧な文章で綴られている。 「女の宿」朝から良く通る大声で話す女は私が泊まりに来た友人宅の隣に住む者で昔ただ一人の男に囲われた元舞妓であった。 「かげ」自分でも気に入っていた男との結婚話を良枝が断らねばならなかったのは実の弟が未遂とはいえ殺人犯だったからだった。 「水」ハハキトクスグカエレの報に応えられなかった左右の脚の長さが違う幾代は上野駅のホームの片隅で泣いていたが、一度涙を止め、駅員が出しっぱなしで放置した水道の蛇口を無意識のうちに閉めると、また泣き始めるのであった。 「秋のうた」二十五年振りに妹の友子がアメリカから帰ってきたとき、姉の宮子は、人間というものは、変わらないものじゃないかしら、と思うのであったが、それは実は自分にしても、あるいは彼女たちとは生き方が正反対だった元名妓の叔母にしても、同じ歳月の停止ではなかったのかと感じてしまうのであった。 「海の旅情」私を出迎えた長崎県の美人コンクール一位のおっとりとした顔立ちの美しい娘は「五島は静かですから、長崎にで出たいとはおもいません」と私の問いかけに答えて郷土愛を語るが、キリシタンの多い五島にはまたそれなりの煩わしさがあるのであった。 「狭い庭」四十代だが爺さんのような風体の立派な名前を持つ苗木売りと順吉は約二年間親身に付き合ったが、低い樹木しかない庭に少々もの足りなさを覚え、遂に本物の植木屋を呼んで軒まで達する高さの樫の木を庭に植えると、その親交も終わりを告げるのであった。 「壺坂」大阪にいる昔からの友人三人を訪ねた年枝は、伝がないと泊めてくれない寺である壺坂に四人で泊まり楽しい時を過ごすのであった(人形浄瑠璃「壺坂霊験記」の語りの挿入が話をふわんと拡げてゆく)。 「泥人形」脳の足りぬ娘の敏子は母親に兄あるいは姪に生涯下働きのように扱われるが、敏子が四十代の若さで脳溢血で死んだとき、姪のひろ子は骨壷を抱いて、はじめて叔母にはずいぶん世話になったと思い、弱い人間に向かった時の普通の人間の不遜を恥じるのであった。 「色のない画」樹木二本及び細い枯れ木三本を描いた二枚の色のない画は肝臓癌で死んだ友人の画家の遺作だったが、その色の欠如を画家の死の自覚と結び付けて行き過ぎる人たちに、「いいえ、そうではないのです」と私は云わねばならないのであった。 「人形と笛」自覚的に童心のない私は人形というものが嫌いだったが、それが無愛想だが感じの良い名工に目前で作られるのなら、「これをゆずって下さいませんか」と自然と口にも出るのであった。 「祝辞」本の校正を仕事とする坂上和夫は貧しいながらも妻と三人の子供に恵まれ幸せに暮らしていたが、友人の息子の結婚式で予期せぬことに秀逸なスピーチをしたその夜に花婿の親の家で酒を飲みながら何時になく暗い気持ちで、上下の揃っていない、くたくたに張りの無くなった給料の千円札十二枚を無意識のうちに正しい方向に置き直したことをおもい出すのであった。 「ある夜の客」その来客は私の目の前で戦時下のスマトラの農園で出会った三人の日本人のことを話したが、結局その客も侵略者の立場で農園を見物した共犯者であり、それは私にしても同様であった。 「幸福」原田市次は妻と三人の子供に囲まれ幸福だったが、まだ二歳の頃に父を心臓敗血症で亡くし、その後婿取りをしながらも家を捨てた母から実の祖母によって取り戻されるという複雑な過去を持っいた。また戦時中には俘虜となり九死に一生を得た「なみなみならぬ」人でもあったが、復員仲間と叔母に会いに上京し、それを果たして帰郷の列車に乗り込んだ車輌の中では、傍た目に際立つことさえないのであった。 「かげ」では「もう」の多用が気になった。もうたいてい眠っていた。もう水戸なのかもしれない。もう動揺してはいなかった。もう丸三年になる。もう片付けもすみ。もう水玉のワンピースにかえていた。もう晩酌をすませて。書き出しの三ページにこれだけある。時間感覚に几帳面な人なのだと思った。

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