日本の家郷
日本の家郷 is an award-winning work by 福田和也, recognized by the 三島由紀夫賞. It presents its subject through the form suggested by the title and stands as part of the author's published career.
Work Information
日本の家郷 is a work by 福田和也 honored by the 三島由紀夫賞.
日本の家郷 is the work by 福田和也 associated with the 三島由紀夫賞. As a published volume, it approaches the subject named in its title and invites readers to consider people, society, history, and memory through that focus.
Book Information
- Publisher
- 新潮社
- Published
- 1993-02-01
- Pages
- 168 pages
- Language
- 日本語
- ISBN-13
- 9784103909019
- ISBN-10
- 4103909013
- Price
- 1320 JPY
- Category
- 本/文学・評論/エッセー・随筆/日本のエッセー・随筆/近現代の作品
第6回(1993年) 三島由紀夫賞受賞
Reviews
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福田和也渾身の一冊
ここの書評で小谷野敦さんが、「にわか勉強の古典をハイデッガーで味つけしてみましたという作品。研究者はこんなもの読むべきでない」とありますが、事実その通りの著作で誤りも多いのでしょうけれど、「学者・研究者」が書いた「科学的・注釈引用羅列的」著作では、若者の生きる糧や浪漫にはならんでしょう。 これを書いているレビュワーの青春を決定付けた一冊。著者福田和也氏の若き不遇時の、渾身の作品。 友なき人に友を与え、元気がないときに元気を与え、リキんでいる人間には力を抜くよう諭してくれるような一冊。福田和也はこれ一冊読むだけで良い。
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「虚妄としての日本」
「虚妄としての日本」のラスト数ページの加速感が素晴らしい。 批評として分析の精度をかなぐり捨てることによって作品としての強度を獲得している。 山城つぐみ氏は「“日本”の導入が右翼だからダメということではなく、そこに論理が飛躍する点で知的に不徹底である。」というが、当然、日本という概念は、"知的"に処理すべきではなく、また不可能である。 ファシズムとサンボリズムを同様のロマン主義の落伍者たちが行った同根の精神運動と定義し問いを発し続ける福田和也の姿勢は、凡百の保守論客のはるか遠くにある。 個人的には後年の著書「イデオロギーズ」の初めの章「テクノロジー」と重ねて読むことで非常に腑に落ちた。
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いづこに家郷はあらざるべし
ああ汝 寂寥の人/悲しき落日の坂を上りて/意志なき断崖を漂泊ひ行けど/いづこに家郷はあらざるべし。/汝の家郷は有らざるべし!(萩原朔太郎「漂泊者の歌」『氷島』) 彷徨者の様式としての近代小説、その一例を挙げれば、永井荷風の徘徊によって、東京は互いにコスモロジィを内包した、彷徨者の家郷として建設された。その作品は今日もなお、禍々しく朱色に塗られた鳥居として、日本を睥睨している。 かつて日本人は、満州の野に、南の島に鳥居を建てた。その後も焦土に鳥居を建て、今も建て続けている。ここを立ち去って、彼方に往き、死んでも歩みを止めない我々は、「ミコト」であり、「マレビト」なのである。(折口信夫はミコトという言葉の原形を、ミコトモチという語と想定。御言、貴い言葉を取り次ぎ、伝達する意)人がさまざまな鳥居を建てるように、妄想は国土を生み出していく。不毛な徘徊を続けることが、家郷の建設であり、文人の暮らしであり、国学の学びであると、著者一流の警句めいた言葉で本章を結ぶ。
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作品としての批評
批評もまた作品であると公言してはばからない著者の初期の評論である。 タイトル通り、著者は日本の家郷とは何かについて提示しようと試みている。 彼が提示した日本の家郷に読者が共感するかはさておき、この本は「作品としての批評」として素晴らしい。つまり内容いかんにかかわらず、読み物として、味わい深い名文の連なりとして、批評もまた作品であるという自身の言葉を履行している。
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生きている日本の古代は未来に繋がっている
私はついこの本を売ってしまったのですが、今それを後悔しています。とにかく国土としての日本という感じだっただろうとは思います。内容も少なからず忘れてしまったのですが、たしか、ヤシロシロチドリという古事記に出てくる神の鳥がどこまでも飛翔し続け、その追跡を「打ち切っている」と紹介されていて、それがまるで現代のハリウッド映画でヘリコプターが去っていくような感があって手に汗にぎりました。 また彷徨った神が「倭の国はナントかのまほろば」と、たどり着いた国土でつぶやくのが、息づいている子のような神話で素敵でした。うまく言えませんが何というか、うーん、死んだと思ったところでもう一度生まれ直している、という感じでしょうか。 あとは、もうよく思い出せないのですが、現代の日本人が「この山の深さ測るべからず」とされた山々にトンネルや高速道路を造り、禁忌を超えるどころか、「グラスファイヴァ―の鳥居」までも造り出すということが書かれていて、そのことは私が思うに、「あぁ、古代の日本は日本人としての自覚のない、彷徨者としての日本人であるとしても、生き続け、この国土と共に思惟は増殖し、生成し続けるんだなぁ」と思いました。 何でこの本を売ってしまったのだろう、と悔やまれる一冊です。もっといろんなことを思い出したいのに覚えてない(笑)。