戦争とデータ―死者はいかに数値となったか (中公選書 139)
A research book that traces how war casualties have been counted, from both historical and methodological angles. It carefully describes the roles of statistics, forensic science, and international humanitarian networks.
Work Information
Read the history of war and humanitarian action behind the numbers.
A research book published by Chuko Koron Shinsha. Against the backdrop of post-World War II civil wars and guerrilla conflicts, it traces how the international community developed methods for counting casualties as such counts became harder to determine. It faces the institutional and ethical questions surrounding war data head-on.
Review Summaries
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It follows the historical and institutional changes surrounding casualty counts and reframes war data as a humanitarian issue. The perspective that links statistics with forensic knowledge is especially striking.
Book Information
- Publisher
- 中央公論新社
- Published
- 2023-07-07
- Pages
- 280 pages
- Language
- 日本語
- Size
- 2.5 x 13.1 x 19.1 cm
- ISBN-13
- 9784121101402
- ISBN-10
- 4121101405
- Price
- 1925 JPY
- Category
- 本/社会・政治/政治
戦争全体の把握にはデータが肝要だ。特に死者数のデータは、戦争の規模、相手との優劣比較で最も説得力を持つ。ただ発表されるデータが正しいのかは常に疑念があるだろう。ウクライナ戦争での戦死者数についても、ウクライナ、ロシア双方から発表される数字は異なる。では、そうしたデータはどのように集められてきたのか。 戦場での死者数は、総力戦となった第1次世界大戦以降、国家による将兵だけの把握では難しくなり、赤十字国際委員会、国際連盟といった国際機関が介在していく。しかし第2次世界大戦後、特定地域での内戦・紛争・ゲリラ戦が頻発。政府側・反政府側で異なる数字が発表されていく。大国間対立で国連が機能不全に陥るなか、国際的な人道ネットワークが、先進各国や国連の支持を受け、死者数の調査・精査を行い発表していく。 本書では、特に1960年代以降のベトナム戦争、ビアフラ内戦、エルサルバドル内戦から、第3次中東戦争、イラン・イラク戦争、旧ユーゴ紛争、そして21世紀のシリア内戦、ウクライナ戦争を辿る。その過程で国際的な人道ネットワークが、統計学や法医学の知見を取り入れ、どのように戦争データを算出するようになったか、特に民間人死者数に注目する。また、データをめぐる人々の苦闘にも光を当てる。
五十嵐元道 1984年北海道生まれ。2014年英サセックス大学国際関係学部博士課程修了(D.Phil)。北海道大学大学院法学研究科高等法政教育研究センター助教、日本学術振興会特別研究員(PD)、関西大学政策創造学部准教授を経て、23年より教授。専攻は国際関係論、国際関係史。著書に『支配する人道主義―植民地統治から平和構築まで』(岩波書店、2016年)。共著に『グローバル・ガバナンスの歴史と思想』(有斐閣、2010年)、『EUの規制力』(日本経済評論社、2012年)、『「国際政治学」は終わったのか』(ナカニシヤ出版、2018年)ほか。
Reviews
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現在のグローバル戦争被害データネットワークは、家族愛が生み出し、人権擁護思想と専門知識が育てている
珍しい書名に惹かれ購入した。内容は複雑であるが、良く整理して書かれており、数日で読破できた。 さて、19世紀にヨーロッパにおいて近代国家が成立して国を守る国軍が生まれて国民が兵士として招集される徴兵制度が始まり、該当年齢男性が戦争に駆り出されることが常態化した社会になった。それに伴って、出兵した夫や息子に関する正確な安否情報を知りたいと願う家族の願望(家族の痛み)は世論として高まった。この家族の痛みを軽減することが文明国家の義務として考えられるようになり、これが現在の戦争被害データシステム創出の出発点であったという。 さて、戦争においては兵士だけでなく文民(兵士でない一般市民)も戦闘の巻き添えなどによって死亡する。まず、兵士に関しては、その死亡・捕虜に関する情報は基本的に軍部の管理下に置かれ、身元情報を明記した認識票の採用、赤十字国際委員会(非政府組織)設立、及び初期ジュネーブ条約・国際人道法の成立等によって国家間の捕虜データ交換も進められ、ほぼ正確に把握できるようになっているという。 一方、文民に関しては、その死者数は20世紀初頭には全体死者数の約10%と少なかったが、冷戦終結以降では80%に大幅増加した。1946年国連人権委員会設立、文民保護を明記したジュネーブ諸条約成立等の環境改善があったにも関わらずにである。これに伴い文民殺害を対象とした正確な情報収集・調査の実現が喫緊の課題となっていたが、兵士の場合に比べ偶然因子が多く、また国家体制や国家間の複雑な関係も災いして殺害事実は隠蔽されることが多かったという。そのような悪条件下にあって、ついに1970年代の混迷を極める中南米の権威主義体制の国々の中から、人権活動家、戦争データの生成を専門とする統計学者や法医学者、NGOが現れ、人権侵害の現状を調査・記録し世界に訴え始めた。そして、人権のための医師団、人口学者、法医学専門家(DNA鑑定含む)等も加わり、人道法違反を監視する現在のグローバルなネットワークが形成されていったという。 さて、本書で紹介されている興味深い内戦等での文民虐殺犠牲者数の正確な把握方法を紹介しよう。文民虐殺情報は、主に虐殺を何とか生き延びた者たちの目撃証言である。現在では、いくつかの調査組織がそれぞれ独立に調査チームを各地に派遣し、生存者の聞き取り調査を行う。犠牲者数のような量的な社会調査では共通の質問に基づく聞き取り調査を行う。集められた調査データには重複や証言されなかった事象もあり、虐殺の規模が正確に把握できないことがある。ここで動物の個体数調査で用いられる統計手法:多重システム推算法(MSE)が活用される。MSEは、重複データ等を逆に利用して全体を推算する統計手法である。 後半では、法医学(隠蔽のため埋却された遺体を掘り起こし、遺留品、身体的特徴、損傷の様態などを総合的に分析することで、属性と死因を明らかにする)、DNA分析、化学兵器、AI活用など多方面の専門家の地道な活動が紹介されている。現在出来上がっている人道法違反を監視するグローバルなネットワークが、専門家の努力や知識によって支えられていることを改めて認識できた。
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まだ研究途上なのだろうか
戦争における死者数について 正確なデータを得るのが難しいことは、よく理解できます。 戦闘中に遺体の収容や身元の確認を行うという技術的な問題に加え、発表者が その数を意図的に増やしたり、減らしたりする可能性もあります。(p.14) この本の主題は、そんな状況の中、戦争での死者数、特に 文民の死者数のデータが、いつから、なぜ集められるようになったか、また、実際の戦争で どのように集められていたか、などについて 研究したものです。 別の言い方をすれば、正確な数を どうやって推定するか、を解説したものではありません。(残念ながら?) p.140あたりに、AIを活用する話が出ていますが、詳細は よく分かりません。 いずれにせよ、大変そうな仕事であることは、想像できます。
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いかに戦争の実態を記述するか
本書は、戦争という混乱の極値でありながら実態の正確な把握が人道上きわめて重要な場において、どのように戦争の実態を把握しようとしてきたか、を明らかにする本である。 タイトルの「データ」や「数値」は、値そのもの(定量的か定性的か)ではなく「戦争の実態の記述」を象徴的に表すものと捉えた方が本書の趣旨に沿っていると思う。 本書の目次を見ると、最初の方に戦死者保護や文民保護の歴史が書かれていて、本書の主題と少し違うなとも感じさせられたが、その疑問は本書の最初の方で氷解した。 そもそも戦争において調査し記録する対象というのは、(社会科学の研究者のように)興味のあることを何でも記録するのではなく、人道法規に反する行為などであるがゆえに記録する。そのため、何が非人道的なのか、の意識形成はこの問題において重要な点なのである。 人道上の目標達成のためには戦争中の両国の協力を取り付ける必要がある。国際赤十字(ICRC)はそうした点もあり、当初は虐殺などの人権侵害の実態への証言を行ってこなかったが、ビアフラ戦争や北イエメン内戦ではそうした態度が批判にさらされた。しかし証言行為は交戦国の一方に与することにもつながるもので、そのため傷ついた人を助けるという当初の目的を危険にさらす。そのため、記録や証言のための別の国際NGOが活躍することとなった(アムネスティ・インターナショナルなど)。 中立性の問題は難しい。国際人権会議はイスラエルによる人権侵害は取り上げたが、ビアフラ戦争は取り上げなかった。これは参加した第三世界諸国の政治的な思惑がある。 しかし一方、国連の化学兵器使用をめぐる状況を見ると、「誰が用いたか」などについては極端に抑制的な記述である(イラン・イラク戦争など)。シリアのグータにおける化学兵器使用についても、報告書は一読してもだれが責任かは分からないように(しかし専門的な人が読めばシリアの責任を指摘しているように)書かれている。そして、シーモア・ハーシュ(ソンミ村虐殺を報じたジャーナリスト)などの著名人がシリアを弁護するような見解を出し、オンライン情報を駆使する非政府組織ベリングキャットが論駁するなどの事態となっている。 法医学的なアプローチは進展しており、死因推定からDNA鑑定まで多くのことが明らかに出来てきている。 しかし、ニーズは目的や当事者ごとに異なる。遺族は死亡した細かな状況を知りたいが、裁判が目的ならばそこまで詳細な情報は不要なことも多い。ユーゴ紛争ではDNA鑑定を用いて死亡証明を発行できるようになったが、遺族は遺体も見ずに死亡を受け入れられない場合が少なくなかった。 すっきりした結論は出ないが、重要な問題を分かりやすく説明してくれている本である。 他にも興味深い指摘は多い。例えば ・日本軍は日露戦争において、文明国と認められるために当時の国際人道法の最高レベルの遵守を心がけた(有賀長雄などの貢献が指摘されている)。 ・第一次大戦当時、イギリスは戦死者についての平等主義をうたいながら、植民地出身兵士を区別して埋葬した(文明化されていない人々は「自然に返る」ように墓標なしとされた) もちろん欲を言えば書いてほしい内容は色々ある。 例えば、民間人保護のところで「民間人を偽装する兵士(ゲリラではこれが少なくない)」という問題は少なくない重要性を持っていたはずだが、そうした論点がどうなったかは特に説明されておらず、やや気になった。 とはいえ、限られた紙面の中での取捨選択は当然だろう。本書は「戦争実態の記録・記述」という重要な問題を取り扱う、渋いが価値のある本だと思う。
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科学的な客観性だけで人や社会を救えるわけではない(本書より)
私は、1937年に起こった、いわゆる「南京事件」について、秦郁彦氏の「南京事件:「虐殺」の構造」 (中公新書)を読み、公表被害者数における中国側と日本側との大きな違いについて知りました。また、被害国と加害国との公表被害者数の違いは、今までの他の戦争でも往々にして見られます。私は、このような違いがどのようにして生じたのかについて常々疑問に思っていました。そんな折、第23回大佛次郎論壇賞の発表が新聞紙上であり、本書の存在を知りました(またも、「受賞作」の誘惑に弱い、ミーハーな私です)。 本書では、まず「兵士の生存/死亡を、どう把握するか」を述べ、兵士の死は尊敬をもって扱われるべきで、その死がどういうものであったかを説明する義務が国家にはあると論じます。そして、本書が特に注目したのは、「文民」です。「文民」とは、いわゆる民間人のことであり、「殺してはならない人間」のことです。しかし実際には、兵士と文民との区別は難しく、先の秦氏の「南京事件」でも、中国兵が便衣兵となってしまうと民間人との区別がつかなくなったとありました。また、今般のロシアによるウクライナ侵攻や、イスラエルによるガザ地区侵攻でも、多くの「文民、無辜の民」が尊い命を奪われています。 そして、本書は具体的な戦争を例にとり、国際的な関係機関や人道ネットワーク・NGOが、統計学や先端化学的手法およびインターネットのオープンデータソースを用いて、当該戦争の実態を正確かつ詳細に把握するための科学的耐久性の高いデータ・証拠を得るために、極めて精力的に活動していることが紹介されています。しかし、最終的に得られたデータや情報にいくら高い科学的耐久性があっても、「前提とする戦争の文脈や構図の解釈が受け入れられなければ、(その結果が)社会的信頼性を得られるとは限らない。(中略)科学的な客観性だけで人や社会を救えるわけではないのだ。」と、著者は述べます(171ページ)。 大佛次郎論壇賞と言えば、益田肇氏の「人びとのなかの冷戦世界-想像が現実となるとき」(岩波書店)もありますが、今回の受賞作である五十嵐氏の著作もこれと同様、重い課題を扱っているにもかかわらず、読みやすく書かれています。世界各地が不穏な状況に包まれ、先行きの見えない国際情勢の今だからこそ、本書は多くの人々に読まれるべきでしょう。
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羊頭狗肉
本書は、戦争のデータを網羅的にレビューしていない。これは研究書として最大の問題であろう。そもそも研究は、先行研究のレビューから始めるものであろう。そうしなければ、新しい知見を生み出せないからだ。 戦争を科学的に研究している者なら誰でも分かるように、戦争に関するデータ・セットは、この10年近くで急速に拡大・充実している。その結果、これまでは分からなかった、戦争に関する国家の行動パターンや実態が明らかになりつつある。国家の征服行為が「既成事実化」へと変化してきたこと、アメリカは冷戦後に異常なほど海外で軍事介入を行ってきたこと、19世紀の欧州列強の植民地戦争が苛烈だったことなど、数量的データが戦争の解明に貢献したきたことは疑いようがない。にもかかわらず、著者は、「科学的に耐久性のあるデータでわかることは、戦争のほんの一部に過ぎない」と断じている(207頁)。なぜ、そう言えるのか?こうしたことは戦争の全てのデータをピックアップして、どのデータがどの程度まで、戦争の「実像」を明らかにしているか、そして明らかにしていないかを検証しなければ分からないはずである。ここに本書の主張の根本的な矛盾と方法論的問題がある。 そもそも戦争研究は、有名な「戦争の相関プロジェクト」(The Correlates of War Project)と歩調を合わせて発展してきたはずだ。にもかかわらず、著者は世界で最も利用されている、この戦争のデータセットに言及さえしていない。これでは「看板(書名)に偽り」あり、と批判せざるを得ないだろう。 最後に、筆者は「戦争のデータに意味がないとは思えない」(207頁)と、あいまいな態度を示している。「意味がある」というのならば、どのような意味があるのか、読者に明示すべきであろう。しかしながら、その答えは、「死の記録(データ)が暴力から救う方途」という意味不明なものになっている。戦争のデータが、どのようなプロセスで人間を暴力=戦争から救うことになるのか、その仮説を構築して、それこそデータで検証しなければ、この立論が正しいかどうか、誰も判断できない。 データ・サイエンスを批判する決まり文句は、「データだけですべてが分からるわけではない」というものだ。本書も、このようなスタンスをとっていると言っても差し支えないだろう。しかし、こうした批判はあまり建設的ではない。戦争の「実像」なるものが何であり、それは既存のデータで、どこまで明らかになるのか、どのようなデータがあれば不明な部分を克服できるのか、こうした諸点を明確にしてこそ、戦争の研究は前進する。実証科学の視点から目を背ける戦争研究は、無駄とまでは言えないが、「戦争の実像」を解明することをかえって遅らせてしまう恐れさえある。本書を読んだ若い人たちが、戦争の「実像」はデータからでは分からないという懐疑心を持ってしまい、実りあるはずの実証研究に踏み込まなくなってしまうことを私は深く懸念している。