菊池寛賞
1回登壇
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第17回(1963年) 受賞
ほりえ けんいち
Horie Kenichi
| 学校 | 学部 | 学科 | 学位 | 期間 | 国 |
|---|---|---|---|---|---|
| 関西大学第一高等学校 | — | — | — | — | 日本 |
| 年 | 賞名 | 対象作品 | 部門 | 主催 | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1963 | 菊池寛賞 | — | — | 公益財団法人日本文学振興会 | 受賞 |
| 2009 | 植村直己冒険賞 | — | 特別賞 | 植村直己冒険賞実行委員会(豊岡市) | 受賞 |
| 2011 | 内閣総理大臣賞 | — | — | 日本政府 | 受賞 |
| 2023 | ブルーウォーター・メダル | — | — | クルージング・クラブ・オブ・アメリカ | 受賞 |
1962年の小型ヨット『MERMAID』による日本人初とされる単独無寄港太平洋横断航海の記録と回想。航海の準備・出航・苦難・到着までを綴る。
1973年に出航し1974年に帰還して達成した、マーメイドIII号による西回り単独無寄港世界一周の記録。
複数の航海と艇の変遷を写真とともにまとめた記録。栄光や挫折を含めた航海史を収録する。
太陽電池を動力としたソーラーボートでの航海を記録した著作。技術的な試みと航海の経験をまとめる。
堀江謙一は小型ヨットによる単独無寄港航海の先駆者の一人として知られる。1962年の太平洋単独横断をはじめとする数々の挑戦は日本の海洋冒険文化に大きな影響を与え、国内外でその功績が評価されている。高齢での挑戦達成や多数の技術実験(ソーラーボート、リサイクル素材艇、波浪推進船など)も注目される。
この海で、多くの海の先輩たちが散っていったのだ…この海で亡くなった3500名もの日本人将兵にも、家族がいて、母親がいた。どれほど家族にや母親に会いたくて、日本に帰りたかったことだろうか…
僕が78歳のいままで、世界中の海をヨットで航海できたのは、戦後70年以上、日本が平和だったからだ。日本が平和だったのは、自衛隊がいたからだと考えている。